第53話 富士山の麓で
ここまで全勝の瑞穂はもう首位で二次予選進出が決まっている。
一方の今回の対戦相手のスンダ連邦は現在二位。三位のアオテアロアとは勝ち点の差は無く、得失点差で二位になっている。
二次予選進出は各組二位まで、計四か国なので、スンダ連邦としては必至であった。
とはいえ、失点がアオテアロアより少ないのは、前回雨季で後半一分で試合を強制終了させたからである。残念ながら実力によってという事では無い。
それが前半に既に表れてしまっており、北別府が得点を量産してしまった。
監督の大沢はスンダ連邦とアオテアロアであれば、スンダ連邦に予選を進んで欲しいと感じているらしい。後半も荒木を出さず、中盤の落合を高橋に変えただけで、それ以上の交代はしなかった。
結局、六対〇で瑞穂代表が勝利。
その結果、スンダは三位に転落してしまったのだった。
”スンダ戦の後、二人だけで会えないかな?”
潤んだ瞳で言った史菜に荒木は抗う事ができなかった。
ただし帰りは若松と帰る事になっているので、途中で別れてというのはさすがに厳しい。
もし史菜が見付に来れるのなら。そう荒木は条件を出した。
だが、それはさすがに史菜の方が条件が厳しかった。では間を取って駿府で会おうという事になったのだった。
「見て見て! こんなに富士山が大きい!」
荒木の車で朝霧高原に来た史菜は、牧場の売店から富士山を見上げて興奮気味に言った。
「合宿所の裾野から見える富士山とは形が違うんだよね。しかもここまで近いと迫力みたいなものが全然違う。この牛乳の氷菓も旨いね。俺、こんな旨いの初めて食べたよ」
生乳で作った氷菓という触れ込みで思わず購入したのだが、思った以上の当たり商品で思わず頬や緩む。
「ねえ、覚えてる? 昔さ、海老島の大型商店に友だち数人で自転車で行って、よく夏は氷菓を食べたよね。冬はたい焼き食べて」
当時はお小遣いの範囲で遊ぶしか無かったから、移動は基本自転車だったし、一緒に食べるといっても氷菓一個、たい焼き一個という状況だった。
「あの頃はさ、ただ友だちと自転車で走ってどこかに行くっていうだけで楽しかったんだよな。毎回行く場所は同じだったのに、何であんなに楽しかったんだろうな」
長椅子に腰かけ氷菓を舐めながらしみじみと荒木が言う。
一応変装のつもりで太い縁の伊達眼鏡をかけている。
「本当だよね。今はただどこかに行くってだけじゃあ、あんなに楽しくないものね。そもそもあんな風に友人だけで数人でって事になると、今だと数か月前から準備しないとだものね」
あの頃は「今週開いてる?」「良いねえ!」で予定は決まっていた。そう史菜が笑うと、荒木もそんな感じだったと大笑いした。
変装用に被っている大きなスキャット帽が落ちそうになり、慌てて史菜が頭を押さえる。
「あの頃の娘たち、高校以降、全く会わなくなっちゃたんだよね。何なら高校時代の友だちにも全く会わなくなっちゃったんだよね。みんな、今はどこで何してるんだろ?」
中学時代に仲の良かった人たちは全員違う高校に行ってしまった。
高校を卒業してからは放送業界に入ってしまったので、学生時代の人たちとは完全に接点が切れてしまった。まるで隔絶でもされたかのように。
自分と他の人たちは住む世界が違うと言われるのも何だか納得してしまいそうになると史菜は寂しそうに言う。
「俺だって似たようなもんだよ。職人選手になってから、戸狩や杉田にすら会わないんだから。仕事を通じて会ってる先輩はいるけどな。皆そういうもんなんじゃないのかなあ」
荒木の言葉がまるで慰められたように感じ、史菜が荒木に体を委ねた。
「でも、荒木君とはこうして会えたんだよね。糸が細くはなっちゃったけど、まだ私たちは繋がってるんだなって実感できて、私嬉しいよ」
上目遣いで史菜が荒木の顔を覗き込んだ。
そんな史菜をちらりと見て、荒木は照れて顔を背けた。
ぽつりと雫が落ちてきたような気がする。見上げると、先ほどまでかなり天気が良かったのに、急に暗灰色の雲が増えてきている。体感温度まで下がってきている気がする。
車に戻ろうと荒木が言うと、史菜ははにかんで頷いた。
「これが山の天気ってやつなんだね。さっきまで富士山が見えてたのにね。天気予報でよく聞くんだけど、実際に体感しちゃうとちょっとびっくりしちゃうね」
くすくすと笑う史菜。
前の硝子にポツポツと当たる雨粒を見て、全くだと頷く荒木。
車は朝霧高原を出て、雨の降る中真っ直ぐな道を南に走った。
少し標高が下がると雨はあっさりと上がり、雲間から細い陽の柱が降りて来るのが見える。
富士市南部吉原まで南下してきた二人は、史菜の要望で夕飯は牛肉の大判肉団子が有名なお店に行く事になった。
お店に行ってお品書きを持って来られてから、そういえば荒木は肉があまり好きでは無い事を史菜は思い出した。
昔から荒木の弁当は一人食糧難なのかと思うような渋い内容であった。里芋の煮転がしの汁がご飯にかかるのが美味しいと嬉しそうに言う荒木に、口ではわかるわかると言いながらも、何を言ってるんだろうと思っていたのを思い出す。
それなのに自分の提案に二つ返事で行こうと言ってくれた事が、史菜はなんだか嬉しかったようで、お品書きを凝視する荒木を見て微笑んだ。
史菜は大人気の大判肉団子を、荒木は梅シラス雑炊を注文。
聞いた話によると、この店の九割九分九厘九毛のお客様は大判肉団子を注文するらしい。
荒木の注文が聞いた事も無いようなものだったようで、店員さんが少し困惑していたのが妙に可笑しかった。
夕食を終え車に戻ると、どっぷりと陽が落ちて、周囲が闇に包まれ始めていた。
楽しかった二人の時間は徐々に終わりが迫っている事を否が応でも実感させられる。
次回はいつになるかわからない。もしかしたら、次回は永遠に来ないかもしれない。そう考えたら強烈な寂寥感が襲ってきて、史菜は思わず荒木の腕に抱きついた。
「嫌……帰りたくない……」
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