第42話 二人だけの対談
「荒木選手、ちょっと」
取材を終えて部屋から出た荒木を取材陣の主任が呼び止めた。
落合も一緒に付いて来たのだが、主任は大した話じゃないし、すぐ済むからと言って帰らそうとした。
それに対し落合は、せめて用件を言ってくれないと引き下がれないとねじ込んだ。
主任が荒木の顔をちらりと見る。
「実は史菜ちゃんは荒木選手とは昔から交友があり、二、三、お話がしたいと言っているんです」
だが、いきなりそんな事を言われて信じる奴はいないだろう。なにせ今や久野史菜は超人気の放送員なのだから。落合の顔もそう書いてあるかのようであった。
「そうなのか?」と確認をとる落合に、荒木はバツの悪そうな顔をして頷いた。
だが、その表情から荒木の方はあまり会いたくないのだと察した落合は、荒木の前に立ってなおも抵抗。
「では、こういう事でどうですか? 我々も史菜ちゃん以外部屋から全員出る。落合さんも我々と共にここで待つ。部屋の中は荒木選手と史菜ちゃんだけ。これなら危険は無いでしょ?」
振り返って心配そうに荒木を見る落合。そんな落合に荒木は微笑みかけ、「後で報告します」と言って一回頷いた。
取材陣は史菜とこの主任、それ以外に化粧担当が一人と補佐が三人。
主任が一旦部屋に入り、残り四人を引き連れて部屋から出てきた。
心臓の鼓動の高鳴りを感じる。まるで祭りの大太鼓を横で聞いているかのよう。
期待からではなく、明らかに緊張から。
意を決してゆっくりと扉を開く。
落合の心配そうな顔を一瞥し、荒木は扉を閉めた。
振り返ると、椅子の前に史菜が立っていた。
ニコリと微笑んではいるものの、やはりその顔はいつもの営業の仮面に見える。
荒木が椅子に向かって数歩足を運ぶと、史菜はその少し踵の上がった靴で駆けてきて抱き着いた。
両手を荒木の背に回し、離してあげないという意志をぶつけてきた。
「ずっと会いたかった……」
そう言って史菜は顔を荒木の胸に埋めた。
漂ってくる香水の香りは、およそ昔の史菜からは想像もつかない高級そうなもの。
だがその低い背も、その甘ったるい声もあの時のまま。なんならほのかに漂う香りもあの頃のまま。
その多くが、前の机に行儀悪く腰かけていたあの頃のまま。
どうにも頭の中が混乱する。
「放送員になってから、この日が来るのをずっと夢見てたの。超一流の選手になった荒木君を私が取材するっていうのを」
卒業からこれまで連絡一つ無く早五年。ずっと夢見てたと言われても、正直全くピンとこない。
確かにこの五年間、荒木が竜杖球に勤しんできたように、史菜も報道の道に勤しんできたのだろう。
荒木からしたら、ただただ過剰な装飾の施されただけの、中身の無い芸能の世界にすぎないと感じる。だが、その空虚な世界で史菜はこの五年間必死にやってきて、今ここにいるのだろう。
きっと、これが感動の再会というやつなのだろう。
「高校の時さ、水泳部の鳥谷が史菜の事を会いたくても会えなくなるって言ってたんだよ。手の届かない存在になるって。本当にそうなっちまったんだな」
”なんだか変わってしまった”
その言葉が思わず口から洩れそうになった。だが、それだけは口にしてはいけないと強く自制した。
「私はそんなお高くとまってるつもりは全然無いんだよ。こういう世界にいるからどうしてもそう思われちゃうってだけ。私はずっとあの頃のまま、荒木君の事を慕ってるよ」
確かにそう言って向けてきた笑顔はあの頃のままの屈託の無いものであった。
あの頃を思い出して、思わず荒木の顔がほころぶ。
「あ、照れてる! その顔、あの頃と同じ顔。良かった。さっきずっと気難しい顔してたから、もしかしたら私の事忘れちゃったのかもって心配してたんだよ」
そう言って小悪魔のように微笑みかける史菜に、荒木は鼻を鳴らした。
「忘れるわけないじゃん。たかが五年会わなかっただけで。だけどさ、史菜も知ってると思うけど、俺、報道に嫌がらせされてるだろ。だから報道の人だって身構えてただけだよ」
その荒木の言葉で、史菜の表情が少し強張った。
唇を軽く噛み、瞼を少し伏せる。
「酷いよね。番組作る前って制作会議っていうのをやるんだけど、私、そこで毎回言ってるんだよ。こんな偏向した報道はおかしいって。疑惑だけで犯人扱いなんて絶対しちゃいけないって、何度も言ったの。だけど、史菜ちゃんは優しいんだねって言われるだけで、改めてもらえなくて」
そう言って史菜は少し拗ねたような顔をした。
確かに荒木も聞いている。前回のククルカン大使館の事件の時、最初に疑問の声をあげてくれたのが史菜だったという事を。
そしてその一言から報道の流れのようなものが変わったという事も聞いた。
「ありがとう。報道の中にも味方がいてくれるってわかるだけでも、かなり気持ちが楽になるよ。俺の回りは報道は敵だって言う人ばかりだからね。俺も、母親の車を廃車にされたり、親友が怪我させられたりしてるから」
「えっ……」と声を出した史菜だったが、それ以上の詮索はしてこなかった。
恐らく今日は取材のような事はしないと決めているのだろう。
「私は味方だよ。番組でだって、いくら台本に書いてあってもそれを無視して、荒木君の悪口を言った事なんて無いんだから。気に入らないなら番組を降ろしてって言ってるの」
そこまで言うと、急に史菜は耳を赤くしてじっと荒木を見つめてきた。
「ねえ、荒木君。修学旅行の時の事覚えてる? あの時にお互いの時間を戻そうよ」
そう言って史菜は瞳を閉じた。
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