第41話 史菜が来た
大沢の指導は激しかったのだが、一貫して一つの事を言い続けた。
それは『戦え!』という事。
大沢が嫌うのは安全策で球を選手間で回し続ける行為。時間稼ぎも重要だろうが、そんな事は今は必要無いと声を荒げる。
特にそれで戦線を下げるとその時点で練習を止めて説教をかます。逆に果敢に攻め込んでそれで打ち漏らす行為に対しては手放しで称賛してくれる。
そんな指導方針なので、二日目くらいから徐々に選手たちの目付きが厳しいものになっていった。
練習が開始されて三日目、とある団体が裾野を訪れた。
一人は若い女性、それと中年の男性、若い男性が数人。若い男性が大きな機材を持っている。
練習が終わると、落合と荒木が連盟の職員に呼ばれる事になった。
職員の言う話では、瑞穂球技放送が来ているので、取材に応じて欲しいという事らしい。
それを聞いた大沢は眉をひそめた。
報道の取材なら自分を同席させろと申請。選手だけだと報道は小馬鹿にしてくだらない質問ばかりしてくるからと。
ところが、連盟の職員は相手は放送員の女性だけだから問題無いと思うと主張。相手が若い女性だと聞くと大沢は、ならば落合だけにしろと指示。
だが連盟の職員は、向こうは荒木だけと言ってきたのを、落合も同席という仕切りにしたのだと引かない。
こうなってくると大沢も意地になって引っ込みがつかなくなる。それを察した落合が、自分が荒木を守るからと大沢に言って宥めた。
こうして、連盟の職員に促されるままに、落合と二人で宿泊所の会議室へ向かう事になった。
すでに取材のための準備は整っており、長椅子が二つと一人掛けの椅子が一脚が置かれ、周囲に白い板が置かれ、そこに上から光を当てている。
その一人掛けの椅子に女性が一人座っていた。
少し幼く見えるのは大きな瞳と垂れた目尻のせいだろうか。それとも丸みを帯びたその輪郭のせいだろうか。はたまたその低い背のためか。案外かなり控えめな胸部の膨らみのせいかもしれない。
女性は荒木が部屋に入室してからずっと荒木を凝視している。
少し瞳が潤んでいるようにも見えるが、それは集められた光源のせいでそう見えるだけかもしれない。
「おお、本物の史菜ちゃんだ! 俺、史菜ちゃんが竜杖球の放送員やってた時からずっと支持者なんだよ。いやあ、竜杖球やってて良かった」
そう言って落合が史菜に握手を求めた。
史菜はニコリと微笑んで、「ありがとうございます」なんて言いながら落合と握手を交わす。
その後で視線を荒木に移して同じように微笑んで右手を差し出した。
見た目はあの頃からそこまで変わってはいない。
強いて言えば、あの頃は美しい真っ直ぐな漆黒の髪であった。
今は傷んでしまったのか、それともそういう加工なのか、栗色に褪せ、少し波がかかっている。
しかし、相変わらず甘ったるい声だ。
「荒木選手はどうですか?」
そう言って史菜が話を振ってきた。
だが、荒木は久々に会った史菜に気を取られすぎて、話が何も入ってきていなかった。
「すみません。ちょっとぼうっとしてて」
そう誤魔化した荒木を史菜と落合が笑う。
「おい、荒木。いくら史菜ちゃんが可愛いからって見惚れてるんじゃねえよ。ちゃんと話を聞いてろよ」
落合のからかいに、荒木の顔が若干引きつる。
そんな荒木を史菜は来た時から全く変わらない笑顔で見つめている。
まるでそういう仮面でも被っているのかのように。
「練習後ですから、お疲れでしたよね。すみませんでした。無理を言ってお越しいただいて」
その一言が荒木の中で過去の史菜と今の史菜を完全に切り離した。
自分の知っている史菜はこんな事は言わない。こういう場合、「もう、荒木君たら。相変わらずだなあ」そう言ってクスクスと笑うはず。
だから、目の前にいるのは自分の知っている久野史菜では無い。人気放送員の史菜ちゃんなんだ。
そう考えたら、荒木の中の気まずさや緊張といったものが消え、ふっと軽くなった。
「練習がきついなんて言ったら、監督にどやされますよ。ねえ、落合さん」
そう言って鼻を鳴らすと、違いないと言って落合も笑い出した。
「会見、私も何度も番組で観ましたよ。今大沢監督がいないからお聞きするんですが、普段からあんなにおっかないんですか?」
まるでここだけの話かのように聞く史菜。
絶対ここから喋る事は後で放映される。そんな事はわかっているのだが、何となく史菜との雑談という雰囲気でぽろっと喋ってしまいそうになる。
だが改めて史菜の作り物の笑顔を見て、目の前の人物はあの史菜では無いという事を実感する。
「そ、そんな事は、無いですよ。ああ見えて、や、優しい監督ですよ。ねえ、落合さん」
そう言って引きつった笑みを落合に向ける荒木。
こっちに振るなという顔をする落合。
「うふふ。それじゃあ怖いって言ってるようなものじゃないですか。わかりました。監督さんの話題はここまでにしましょう。ここからは大沢監督の仰っていた、本戦出場についての事を聞いていこうと思います」
そこから史菜は代表戦の話を色々と聞いてきた。
紙も見ず、番組補佐人の指示も無く、ただただ自分の知識で二人に質問を重ねていく。その姿は完全に職人放送員のそれであり、高校時代の面影は一切感じさせない。
「本日は貴重なお時間をいただきまして、本当にありがとうございました」
そう言って取材を終えたのだった。
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