第35話 浜名湖一周
余すところ、今年も幾日という状況になっている。
来年の出陣式まで荒木たち選手は長期休養。だが、その間も荒木は浜松市の北にある乗竜のできる伊平牧場に通っている。またそれより手前、磐田市の北、敷地にある近藤道場にも通っている。
荒木の住む見付市掛塚からは道場はまっすぐ北上した先にある。だが牧場は一旦西の天竜川を越えて、浜松市に出ないといけない。
そのため、荒木は牧場に行く前と行った帰りに美香に会いに行っている。
忙しくなる年末の前に美香が休みをもらえるという事で車で浜名湖を一周しようという事になった。
浜松駅で美香を乗せ、時計回りで浜名湖の西岸をひた走る。
十二月の浜名湖は『遠州の空風』が吹きすさび、窓を開けると尋常じゃない寒さとなる。そのせいで車窓は締め切ったまま。
雑音が遮られ、お喋りに花が咲いている。
「私の働いている大宿って紅花会ってとこがやってるんだけど、先日の国際詐欺事件の影響で、提携している火焔会ってところが経営危機に陥ってるんだって」
三ケ日で昼食を食べている時に、世間話として美香が話した話題がそれであった。
美香はこれでも民宿の娘。小さい頃から経営の話を母から少しづつ教え込まれている。さらに最初の就職先の水産会社でも経理を叩き込まれている。
実は美香はそこまで勉強ができるわけではない。荒木より少しマシという程度だったりしている。
だが、借金の件をきっかけに独学でかなり勉強を重ねてきており、経理、経済に関しては荒木よりも断然理解力がある。
美香の話によると。火焔会はわずか一か月で競竜以外の収益の五割弱が消えてしまったらしい。
とにかく海外からの輸入取引ができない。さらに加工に必要な資材も入って来ない。鈴木豊重会長も頭を抱えてしまっている。
これまで何かと貿易で好調だった会派は軒並み経営危機に陥ってしまっている。特にその影響が顕著なのが、詐欺事件の一番の被害者である火焔会と、原油輸入によって莫大な利益を上げていた渓谷会。
「こういう時こそ、普段何をやってるのかよくわからない外務省の出番なのにね。若女将の話によると全く危機感を抱いてないらしく、竜主会が連合議員に働きかけて問題視してもらったそうなんだけど……」
そう言って美香は顔を小刻みに左右に振った。
外務省と言われれば、荒木の脳裏にはすぐにククルカン大使館での出来事が思い出される。
美香も当然新聞記事なんかで知っているし、何なら荒木から直接当時の状況を聞いている。
「ねえ、雅史君って『雛祭り騒乱』って事件覚えてる? 多分私たちが小学生くらいの時の事だったと思うんだけど」
――『雛祭り騒乱』は『三・六事件』とも呼ばれる、瑞穂皇国では近年稀に見る大事件である。
皇都にある御所の紫宸殿で桃の節句祭りを行っていた。そこに『竜十字』という工作員たちが雛人形を観に来た客を人質に取り、競竜の会派の会長夫人たちを射殺しようとした。
その後、連合警察と郡警察、陸軍の駐屯軍が全国にあった『竜十字』の拠点を鎮圧。
『事件』と言っているが、瑞穂皇国全土を巻き込む事になった『内乱』である。
竜十字の拠点にいた者たちは破壊工作員として容赦なく射殺された。
その時に亡くなった工作員は五千人を超えたと言われている。
当時、荒木はまだ小学校一年生であったが、夕食時に多くの放送局がこの事件を映像付きで放送していたので、何が起こったかは知らないが、何か凄い映像が流れていたという記憶だけは残っている。
三遠郡でも今橋市に大きな拠点があり、その拠点は今は郡が接収して体育館になっている。
高校時代に送球部の手伝いで大会に出場した際、四回戦の会場が今橋総合体育館で、その際に宮田先輩が楽しそうにそんな話をしていた――
「なにせ、小一の時だからねえ。ほとんど覚えてはいないけど、凄い事件だったっていうのは婆ちゃんから聞いたなあ。あれ以降、新聞にしろ、放送にしろ、話の筋が通っているか一旦疑うようになったって。でもそれがどうかしたの?」
確かに、それまで美香が話していた会派の経営危機の話からは、いきなりぶっ飛んだ話題に変わったように感じる。だが美香からしたらそうでは無かった。
「あくまでね、若女将から聞いた話よ。教科書ではやらないし、先生も解説ってしてくれないんだけど、『雛祭り騒乱』って『紅天団』って国際犯罪組織が仕組んだ破壊工作だったらしいのよ。で、今回の件もそういう国際犯罪組織が関わっているんじゃないかって」
その美香の発言に、荒木はまるで映画のネタバレを受けているような奇妙な感覚に襲われた。
「それって、紅蓮社とかっていう会社が、実は国際犯罪組織の機関の一つだったって事? あっ……」
そこで荒木ははっとした。落合が言っていた事を不意に思い出していた。紅蓮社の会社役員は全員行方知れずになっているらしいという事を。
最初からこれを企んでいたのだとすれば、事件の後で本国に逃げ帰っていたとすれば、行方知れずなのも頷ける。
「どうかしたの?」とたずねる美香に、荒木は少し残っていたお茶を喉に流し込んだ。
「いやあ、うちの国って、そんな国際犯罪組織が簡単に会社を立てて活動できちゃうような緩い国なんだなって思ってね。もしそうだとしたら、やりたい放題だよね」
その荒木の疑問は実はすでに答えが出ているらしい。
紅蓮社の事件の後で、お昼の報道番組でしきりにその事が疑問視されていたらしい。
「会社はね、誰でも立てられるらしいのよ。だけど、外国の資本で運営されてたりだとか、経営者が外国人だったりすると活動内容が制限されるんですって。それを差別だって言う人がいるらしいんだけど、そんなのほとんどの国がそうなってるんだよね」
この件に関してはどうにも美香と話していると落合と話しているような脳の疲労を感じる。荒木の残念な頭脳には色々と話が難しすぎるのだ。
結局、荒木は美香が食後の甘食を食べ終えたのを見て、猪鼻湖神社に行こうと切り出した。
美香も確かに逢引きでするような話題じゃなかったと感じたようで、にっこり微笑んで頷いた。
浜名湖はまるで誰かが左手を付いたような形をしている。そのせいで大昔に『だいだらぼっち』という巨人が躓いて手を付いたのが浜名湖なんていう昔話が残っている。
その手形、薬指の先に当たるのが猪鼻湖という小さな湖。その付け根の本当に小さな島に神社がある。
本当に小さな神社なのだが、地元では縁結びの神社として密かに有名だったりする。
「うわっ、何ここ! 可愛い!」
敷地に入ると目の前に小さな赤い橋がかかっていて、それに美香は黄色い声を発した。
少しはしゃぎ気味の美香を荒木は笑顔で見守っている。
二人で小さな小さな社に参拝していると、空風に煽られて飛沫が飛んできた。
「寒っ!! 美香ちゃん、早く車に戻ろう! 風邪ひいちゃうよ」
そう言って二人は慌てて車に戻った。
内燃を動かして、暖房を入れると、美香は両手を口元に当てて吐息で手を温めた。
そんな美香の腿に荒木はそっと手を置いた。
美香もそれに気付き、恥ずかしそうな顔で荒木を見る。
暖房で車窓は見事に曇っている。
荒木が顔を近づけると、美香は自分の髪を指でかき上げて、両瞼をそっと閉じた。
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