第30話 北国のならず者たち
美香ちゃんがいじめられていた?
それ自体かなり衝撃的な事ではあった。だが吉田の説明で何となく何があったかは察した。
「父は郡議会議員、母は小学校教師。容姿もまあまあ良い。幼い頃から周囲はこの星いう娘の両親の顔色をうかがい、この娘をちやほやした。そのせいで小学校の六年間ですっかり性格が歪んでもうた」
つまり、家が貧乏という事で、美香はこの星陽香にいじめられ続けたのだろう。
何となく荒木にも覚えがある。荒木の家はいわゆる中産階級というやつで、別に裕福でもなければ貧しくも無い。
だが家が貧乏な子がからかわれている場面を学生時代何度も目にしている。
絵画の道具が兄や姉のお下がりだとか、破れた衣服が繕ってあるだとか、弁当の内容が渋いだとか、何かにつけてからかいの対象となっていた。
からかう側に社会的地位の高い親の子がいれば、教師は保身を考え見てみぬふりをする。
そうなれば、からかいは簡単にいじめに発展してしまう。
さらに言えば女子の場合、自分より容姿が良いというだけでいじめられるという場面も見てきた。写真を見るに、正直星という娘と美香では容姿という点では美香に軍配が上がるように感じる。
そういうところも星は気に入らなかったのだろう。
しかも小学校から高校までずっととなると、いじめの激しさがどんな状態になってしまっていたのか想像がつかない。
”待ち遠しいな。荒木君が私の事迎えに来てくれる日が”
かつて星空の下で美香が言った言葉を急に思い出した。
ふと美香の方を見ると、完全に俯いて震えてしまっていた。
あやめに肩を抱かれて、その肩を撫でられている。
ぎゅっと握られた拳に置いている手をぽんぽんと叩くと、恐る恐るという感じで美香は荒木の顔を見た。
荒木はその前に美香から視線を外し、拳に置いた手に力を込めた。
「さて、こっからは安達さんも知らへん事やと思います。実はこの松岡と星いうのは、幼い頃から家族同士の付き合いがあったそうなんです。ほんで、この二人には幼い頃から兄と慕っとる男がおったんです」
そう言って吉田は八枚の写真の内の一枚を春日汐里の写真と交換した。先ほど美香が知らないと指差した二枚のうちの一枚である。
「名前は伊庭祐也。六花会いう室蘭を拠点とするやくざの幹部の一人です」
そこであやめが疑問を投げてきた。
「松岡の父は銀行の幹部、星の父は郡議会議員。で、なんでその二人がやくざと接点があるんでしょうね?」
それは荒木も同様に感じている。
だが猪熊は何となく察しているような顔をしている。
「代議士にしろ、銀行にしろ、裏で汚い事をさせる駒ってのが必要、という事なのではないですかね? まあ、その時点で二人ともろくでもない人物という事なのでしょうが」
そう猪熊が説明すると、あやめは納得の表情であった。ただ、その端正な顔は憤りで歪んでいる。
「恐らく安達さんが今震えてるんは、きっと何や思い出せる事があるからやと思います。先に言うときましょ。その疑惑、恐らく疑惑やないですよ」
吉田の発言でそれまで俯いていた美香がばっと顔を上げた。
「こっちで調べた限りですが、恐らく四人ほど、安達さんが高校三年の時に同級生の娘が消息不明になってます。学校側は父親の転勤の都合で転校になったとか自主退学やと説明しとったようですが、実際は星がこの伊庭に紹介して玩具にしたんです」
そうなると、ではその娘たちはどうなったのかという疑問が当然次に浮かぶ。
「代議士、そして銀行。そことやくざが組んどるんですよ。家から人が消えて、その家を銀行が差し押さえたら、家族の痕跡なん簡単に消せますよ。現に、ある娘が住んでた家の近所の人は『夜逃げしたらしい』言うてましたわ」
伊庭は室蘭を中心に苫小牧から洞爺湖近辺に星のような『紹介者』を何人か抱えていた。下は小学生から上は主婦まで。
紹介された娘たちは、伊庭によって薬漬けにされ、お金持ちの玩具となったり違法風俗に売られたり、海外に売られて行く。
賞品となる女性の目録帳なるものが闇で出回っている事もわかっている。
「どうやら松岡は星に安達さんを伊庭に紹介するように言うたらしいんですわ」
その吉田の言葉に、その場の全員が戦慄を覚えた。
これまでの報告を聞いたら、今ここに美香がいる事はとんでもない好運と言えるかもしれない。
珈琲を一口飲み、吉田はさらに報告を続けた。
八枚の写真の中の一枚を前に出す。
「これが例の古屋聖。安達一家を破滅に追いやった人物ですね。表向きは北国産業銀行の行員いう事になっています。表向きいうのは、確かに銀行の行員らしいんですが、どこの支店の者かわからへんらしいんですわ」
それまで俯いて話を聞いていた美香が、急に顔を上げ、「えっ」と驚きの声をあげた。
「だって、苫小牧支店の行員って言ってましたよ。支店に行けば必ずこの人が応対していましたし、それにうちの担当だって言って何度かうちの民宿にも来てましたよ。それに……」
そこまで言って美香ははっとした。
口を半開きにした状態で吉田の顔を凝視する。
「その頃からすでに安達家はこの組織的犯罪の標的になっとったいう事やないですかね。標的と目される家族には共通点があるらしく、水準以上の器量の女性がおって経済状況が悪い事らしいですわ」
ここまでの話が壮絶すぎて、会議室はシンと静まってしまっている。
吉田以外のその場の全員がここまでの話の整理に少し時間を必要としている。
そう感じた吉田は、そこで一旦話を区切って、菓子盆からうなぎ菓子を一つ取って齧り始めた。
「あの、吉田さん。まだ写真は三枚あるようですけど、これまでの話からすると、その三枚のどれかが六花会の組長という事なんですか?」
最初に整理が終わったらしくあやめがたずねた。
さすがは競竜の首位会派、紅花会の最上一族の娘。よく頭が切れる。
二枚のうちの一枚、いかにもといういかつい顔をした白い一張羅の写真を吉田は指差した。
「まあ、見て雰囲気でわかると思いますが、このいかにもいう感じなんが六花会の組長、榎本拓哉です。もう一人は北国海洋開発の社長の土方正広、そして北国産業銀行苫小牧支店長の永井虎太郎」
北国海洋開発の社長の土方正広は以前ちらりと名前を聞いている。美香にしつこく言い寄っていた男だ。
これが『美香ちゃんの顧客』かと吉田にたずねたところを見ると、あやめもそう理解したらしい。
「と、中途半端な情報で申し訳ないんやけども、わかっとんのはここまでなんですわ。なぜかいうたら、調べてくれた記者がそこで消息を絶ってもうたんです。ほんで、後継いで調べてくれた記者も立て続けに……」
全員が「えっ?」と発して吉田の顔を見た。
猪熊もその事は聞いていなかったらしい。
「先に調べてた者は一人は釧路の湿原に靴だけ残して消えてまいました。後を継いだ者は羊蹄山の山中で首吊ってもうて。残念やけども、ここからの取材はちと難しゅうなってましてね」
するとあやめがすっと手を挙げた。
「そうしたら、うちの会長にこの話をして、少し動いてもらう事にします。吉田さんは引き続き、競報新聞というか、かわら新聞がこの件にどう関わっているか調べてみてください」
そう言って微笑むあやめを、吉田はさすがわかっていると言って褒め称えた。
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