第28話 辞退します
瑞穂球技放送の番組から明らかに流れのようなものが変わった。
久野史菜という放送員がそれほどに影響力を持っているという事が判明し、恐らく放送局側も驚いているだろう。
さすがというか、それまで淡々と当日の状況を報じていた日競新聞は、そこから反撃に転じた。
そもそもたかだか球技で負けた程度で、大使館が選手を呼び付けるという事が異常事態である。なぜそんな事が起きたのかを指摘しないといけないはずである。
なぜか?
そんなのは極めて簡単な話だ。これまでの外務省の平身低頭の姿勢が海外から文句を言えば通る国と思われてしまったから。もはや小学生でも知っている事である。知らないのは当本人である外務省の官僚たちくらい。
にも関わらず、一部の新聞は呼びつけられた選手を叩こうとしている。
この異常な行為をみるに、一部の新聞からはどうにも一昔前の日進新聞、子日新聞と同じ精神を感じてしまう。
その日競新聞の記事が掲載されると、市民の怒りが一斉にかわら新聞に向けられた。
日競新聞の言う日進新聞とは、何年か前に瑞穂国内で大規模な破壊活動を行った『竜十字』という極左団体を大陸から工作資金を貰って支援していた新聞である。
子日新聞とは、大陸の工作機関である『紅天団』の支援によって活動していた新聞社で、同じく極左団体である『共産連合』を支援していた新聞。
どちらも紙面の多くが誹謗中傷で占められており、その標的となった岡部という競竜の調教師が長い時間をかけて徹底して裁判で争って倒産に追い込んだ。
『竜十字』は瑞穂全土で武装蜂起しており、さらに『共産連合』はあろうことか陛下のおわす御所で岡部調教師を暗殺しようとした。
未だに市民の中にこの出来事は強烈に記憶されている。
その二つ新聞と同じような記事を書いていると指摘され、かわら新聞の主筆である五来は激怒。裁判の準備をしろと息巻いた。
さらには徹底的に戦うと外務省の事務次官である松殿に報告した。
そんな雰囲気の中で仰木監督が記者会見を開いた。
仰木は冒頭でこれまでの騒ぎを謝罪。ただ、その後の仰木の発言は皮肉たっぷりであった。
相手の大使館が怒っているのならば、そこは普通は外務大臣か事務次官が出向くのが当たり前であろう。仮に相手が当事者を呼べと息巻いたのだとしても、一般的には連盟の会長が代表して行くのが筋というものであろう。その為に名刺に肩書が付いているのだから。
そう発言した上での衝撃的な報告であった
「そんな恥知らず共と異なり、私は監督いう責務を全うするために職を辞する事しました。ククルカン大使館にはこの場を借りて謝罪したいと思います。『試合に勝ってもうて大変申し訳ありませんでした』」
『試合に勝ってしまって申し訳ない』の一言は、今回の件を端的に理解するのに最適の言葉であっただろう。どうにも報道が言っている事がよくわからなかったという人も、この一言で何が原因だったのかを完全に理解した。
試合に勝ったから監督がクビになったという衝撃的な事態はそのまま連盟への怒りへと変わった。
ところが、先日の武田会長の会見の内容が再度放送され、武田が記者たちの誘導質問に必死に抗っている事がわかると、怒りの矛先はかわら新聞へと向かった。
そんな中、掛布が記者会見を開いた。
掛布の口から冒頭に発せられたのは代表を退く事になったという事であった。
選手たちは何も悪くないという雰囲気に、報道の論調が変わり始めたところでの発表であり、記者たちは騒然となってしまった。
当然のように、何故に代表を辞める事になったのかという質問が真っ先に飛んだ。
「単純な事ですわ。監督の命令無視したから、その反省の為に辞めるんです」
掛布の言い方はさっさとその次を質問して来いという言い方であった。
記者たちもその事に気付いてはいたが、あえて掛布の脚本に乗っかった。
「前回の試合で途中でククルカンの馬鹿どもが球場で大暴れしたんですわ。このままやと死人が出る。そう思うたから、大人しうしとれいう監督を無視して若いの引き連れて馬鹿どもの取り押さえに向かったんですわ」
まだ聞きたい事はあるはずだという顔を掛布がする。記者たちを煽るような目で見る。
それに乗って記者たちも掛布にたずねた。「それが何でククルカン大使館に呼び出される事になったのか」と。
「知らんがな。行ったらいきなり銃口突きつけられたんですわ。恐らくやけど、暴動利用して破壊工作でもしよう思うてたんちゃいますかね。大使の人、ブリタニスの大使館に間に入られて、顔真っ赤にして怒ってましたわ」
がははと笑い出す掛布。
この部分は海外では報道されているが、国内では全く報道されていない部分である。
もっと詳しくと記者たちは囃し立てた。
「何も知らんかったとはいえ、うちらに殺されに大使館に行けいうた連盟、どう思います? あないアホな連盟の下で竜杖球なんできしませんわ」
翌日、掛布の発言は競技新聞だけでなく、一般の新聞にも大きく取り上げられる事になった。
読者たちの怒りはそのままかわら新聞に向けられ、さらに外務省にも向けられた。
それまで強気な態度であった五来の下に読者から解約の申請が殺到しているという報告が飛び込んで来た。
どうやら自分たちの記事が読者の反感を買ったらしい。そう感じた五来は、この件について報道しない自由を行使するという決断を下したのだった。
こうした騒動の最中、荒木は紅花会の浜松の大宿に呼び出された。
呼び出した相手は日競新聞の猪熊であったが、受付に向かうとそこには若女将の氏家あやめが立っていた。
あやめはにっこりと微笑んでいるのだが、受付をしている社員からしたら、会社の大幹部が横にいるのである。その顔は引きつり、カッチカチに緊張している。
荒木を見るとあやめは「皆さんすでにお待ちです」と言って会議室へと案内した。
あやめ曰く、その会議室は普段は会社の重役の方が密談に使用する部屋なのだとか。
部屋に入ると、そこには二人の男性と一人の女性が楽しそうに雑談に花を咲かせていた。
作務衣姿の女性――美香がこちらに振り返る。
以前に比べ仕事に慣れてきたのか、その表情はかなり穏やかなものとなっていた。
正面の二人は猪熊と吉田。吉田は心なしか以前より頭髪が後退している気がする。
あやめは荒木を美香の隣に座らせ、自身は飲み物と菓子を取りに一旦退出した。
「ちょいご無沙汰してもうて、ほんま申し訳ない。なかなか情報の精査に時間取ってまいましてね。そやけど、それなりのもんは用意できたと思いますよ」
人懐っこい笑顔を吉田は作ったのだろうが、残念ながら荒木にも美香にもその顔は『もぐら』を想像させてしまっていた。
あやめが戻って来ると、美香が立ち上がってお茶を配膳。あやめは菓子盆の蓋を開けて四人の中央へ置く。
盆の蓋が開けられるとすぐに吉田はうなぎ菓子を手に取った。これが旨いんだと言ってぽりぽりと食べ始める。
美香もあやめも最初に手に取ったのはうなぎ菓子であった。
一方、荒木が手に取ったのは味噌饅頭、猪熊が手に取ったのはうなぎの骨煎餅であった。
思い思いの菓子を食べ、飲み物を飲むと吉田が内ポケットから手帳を取り出した。
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