第68話 親子の写真
「……黒の公爵も本当に厄介なツヴェルフを寄こしてきたものだ。か弱く大人しく従順なツヴェルフならまだ守ってやろうという気にもなるものを……!」
私が木刀を投げた事でエレンは不満げに捨て台詞を吐いて去っていった。
蹲ってるからエレンの顔は見えなかったけど、クラウスの行動はエレンにとっても予想外で気に入らない事だったんだと思う。
そしてエレンを足元を追う私の視線はクラウスが私の前にしゃがみ込む事で遮られた。
「……ああまで、言われて、クラウスの手、借りる訳には、いかないから……! 大分痛みも引いてきたし、もうちょっと時間くれたら一人で起き上がれるから、何もしないで……!」
痛みが不自然に和らぐ事に気づいて蹲ったまま叫ぶと、少し肺がきしむ。
ちょっとどころで癒えるような傷じゃないのは、自分が一番分かっている。
けど今の時点で動かして激痛が走るような場所は無い。内臓の痛みも大分おさまっている。もう少し耐えれば、きっと、立ち上がれる。
「……その怪我、アスカがそのまま帰ったら皇城で何て言われると思う? ダグラスがこの事を知ったら僕はともかく、エレンは確実に殺される……」
クラウスの微かに震える声に、心が揺らぐ。
「エレンがした事は酷いと思うけど、彼女は小さい頃から一緒に育った姉みたいなものなんだ。流石に見殺しにはできない……僕の為だと思って、我慢して治療受けてくれないかな……?」
「そ……そんな風に言われたら断る訳にはいかないじゃない。……いい? これは、断じて、男を利用してる訳じゃ……!」
「分かってるから! その痛々しい姿を早く何とかさせてくれないかな……!?」
顔を上げる事も出来ないまま、丸まったまま治療される私は周囲からはさぞ滑稽に見えただろう。
もしクラウスが言った通り、ダグラスさんがこの事を知ったら、彼は怒ってくれるだろうか?
以前『何か困った事があれば何とでもしましょう』的な事を言ってたし、まあ行動にも出てくれるだろう。怒ってもくれると思う。
ただ、単に自分の子を産む女性が傷つけられた事に対して怒るのか、それとも、想い人が傷つけられた事に対して怒るのか――ああ、後者なら、ちょっとだけ嬉しいかもしれない。
その好意に向き合えない状況は置いといて、人に大切に想われる事の喜びが、私の為に怒ってくれる人間がいるという心強さが、懐かしい。
(でも……それを確かめる訳にはいかない)
ぶっちゃけエレンの事をダグラスさんにチクって多少痛い目を見てほしいという気持ちはある。
だけど殺されるとなると引くし、中途半端な仕返しをしてもらったところで結局私は<男を利用して気に入らない女を制裁するツヴェルフ>になる。
やっぱり、自らの手で渾身の一発を入れないと、私の溜飲は綺麗に下がらない。
実際にリベンジできる日が来るか分からないけれど、この悔しさは絶対に自分の力で昇華しようと心に決める。
痛みが治まって、動けるようになる頃には涙は止まっていた。
「ここだと目立つから」と手を差し出されたクラウスの手をとって顔を上げると、クラウスの顔がこわばり、私の眼と鼻に優しく手を重ねる。
何も言わずにただ放たれる淡白く温かい光が優しくて、またちょっと涙が零れた。
その後、クラウスが持っていたハンカチで頬や鼻を拭われた後、そのまま手を引かれて館の中に入る。
外装も白が基調だけど内装もカーテンも白が基調で所々に金色の装飾が施されていて、何だかお洒落だ。
「ねえ、朝食持ってくる時タオル2枚持ってきてくれる? 濡れてるのと乾いてるの」
クラウスは通りかかったメイドに声をかけた後、私を頭の上から足のつま先まで見回した。
「後はどうしようかな……アスカが着てるブラウスと同じ物があればいいんだけど。無ければ全部着替えてもらった方がいいかな。何か用意できる?」
そう言われて初めて自分の服に目を向ける。ズボンやベストについた土の汚れは然程気にならないもののブラウスが血に汚れ、所々破れていた。
「私共の服で宜しければ予備がございますが……」
「じゃあ、それも1着持ってきて」
クラウスがそう言うとメイドは一礼して去っていく。メイドの服はシンプルなワンピースにメイドさんがよく付けてるエプロン。
ミニスカートでフリルやレースがふんだんに使われた、いわゆるメイド喫茶のメイド服じゃなくて良かった――と心の底から感謝しながらクラウスに案内された部屋で、大きなソファに隣り合うようにして座る。
「少し時間かかるけど、跡や後遺症が残らないように治していくから。ちょっとじっとしててね」
そう言ってクラウスはまず私のお腹の辺りに手を伸ばす。目のやり場に困って部屋を見回すと白い壁時計が目に入った。時刻は既に7時30分を過ぎている。
(……授業、間に合うかしら?)
「クラウス……私、ちょっとした跡位なら別に気にしないわよ?」
「……君の今の怪我は全部僕の責任だ。跡が残ったら僕が気にする」
そう言われると強く押し通す事も出来ず、改めて部屋を見回す。ベッドの近くには、机と椅子、机の上には――ピィちゃん。
「ピィちゃん……?」
「ああ、昨日帰ってきてからずっと寝てるんだ。そっとしときなよ」
クラウスは目を閉じたピィちゃんに見向きもせず淡々と答える。
せめて、クッションとか藁とか敷きつめた箱の上で寝かせてあげればいいのに――と思いつつ、この状況からここがどういう部屋か推測できた。
「ここって……もしかしてクラウスの部屋?」
「そうだよ」
クラウスが肯定したと同時に、ピィちゃんの近くの壁に掛けられた一枚の大きな額縁が目に入ってきた。
額縁には白を基調とした華やかな法衣と帽子を纏って立っている銀髪の男性と、シンプルな白のドレスを着て座っている銀髪で褐色の女性。
そして真ん中に子供用の法衣らしき物を着て笑っている銀髪の子ども――皆微笑んでいてまるで七五三のような、温かな親子の幸せを感じさせる写真が飾られている。
この世界にも写真があるんだ――ボイスレコーダー代わりになる音石があるんだからカメラ代わりになる魔道具があってもおかしくないけど。
「ねぇ、あれって……クラウスのご両親?」
そう問いかけるとクラウスも写真の方に視線を移す。
「そうだよ。あれは僕が6歳の頃の写真。今はもう2人とも亡くなってるけど……」
「そう……私と同じね」
ポツリと呟いた言葉に、クラウスは少し驚いたように私の顔を見つめる。
「アスカも、両親亡くなってるの? 兄弟は?」
「兄弟もいないわ」
「そっか……本当に同じだね」
仲間を見つけたかのように嬉しそうな声で呟き、クラウスは微笑った。
クラウスにはダグラスさんが――と思ったけど、一度も会った事のない険悪な関係の異父兄弟を兄弟として扱われるのは嫌か、と思い直して言葉を飲み込む。あれ? でも――
「さっきエレンの事、姉みたいなものって言ってなかった……?」
「……姉みたいなものだったよ。さっきまではね」
後に続いた言い捨てたような言葉が冷たい印象を受ける。
「彼女は父の代から仕えてるうちの騎士団長の娘。向こうは僕の事を手のかかる弟位にしか思ってないんだろうなと思ってたけど……どうやら彼女にとって僕は弟ですらなかったみたいだ。だから僕ももう姉だと思う事もやめるよ。僕は、一人だ。アスカと同じ、一人でいいんだ」
何でそんな悲しい事を微笑みながら言うんだろう? その理由は分からないけど――さっきの模擬戦が原因で2人の間に深い亀裂を入れた事だけは分かる。
クラウスに治療されている今は自分の傷より他人の間に入れてしまった亀裂の方が痛い。自分が取り繕えそうにない亀裂だから、尚更痛い。
エレンに対して謝る気持ちは一切湧かないけど、クラウスに対してはとにかく謝りたい気持ちが湧き出てくる。
でもどう謝れば良いのか悩んでいると、クラウスが言葉を続けた。
「あの写真を見てると、気持ちが落ち着くんだ。僕は確かに幸せの中にいたんだなって思えるから」
微笑ましい家族の写真は皆それぞれ、幸せそうな笑顔を浮かべている。午前しか起きられない呪いの中でもクラウスは愛されて育ったんだなって分かる。
何だか胸の奥がキュッと閉まる感じがして、無性にお父さんとお母さんに会いたくなる。でももう、二人は地球にもいない。
「……家族だったら、家族が……にしてる物を馬鹿にして踏み壊すような真似は絶対……そんな家族…………ない」
(地球に帰ったら私もアルバムを見返そう。それとも今度はアルバムの転送をお願いしてみようかな?流石に断られちゃうだな……)
「……何で僕、君に謝らないなんて言ったんだろう? 今日の事だけでもいっぱい謝らなきゃいけない事があるのに」
今はもういない家族への懐かしさに浸っている中、治療の手が、私の頬に移って現実に引き戻される。
仄かに温かい光が頬の痛みを和らげていくけれど、クラウスの悲痛な呟きは私の心を締め付ける。
「別に、私とエレンが勝手に喧嘩しただけなんだし、クラウスが謝る必要はないわよ」
「エレンが君を嫌ってるのは分かってた……でもまさか、あんな乱暴な行動に出るとは思わなかった」
「ああ……それは確かに先に言ってほしかったわ。けど、それでも謝る必要なんてないわよ。むしろ私の方こそ、貴方とエレンとの仲を険悪にさせちゃってごめんなさいだわ」
謝るタイミングがやってきたので、深々と頭を下げる。
「……気にしないで。顔を上げてよ」
そう言われて顔を上げると、クラウスが悲しそうな表情のまま微笑むから。
「じゃあ、私の事も気にしないで」
努めて明るく微笑んでみせると、クラウスの表情から悲しさが失せていく。
「僕達……最初仲直りした時も、謝りあってたよね」
クラウスの、淡い光を放つ手が膝に移る。
「私達、似た者同士なのかもね。これからもこうやって、何かある度に謝りあう気がする。そしてその度に、無かった事にするのよ」
こうしてお互い、情けない姿を晒しては水に流して謝りあうのだろう――そんな気がしてつい苦笑いする。
「……僕はもう、無かった事にはしたくないな」
「え?」
私の膝に視線を向けて俯きがちに呟いたクラウスの言葉が、何故か、心に刺さった。




