第九話「筋肉の声」
「早見小夜あ――――――――っ!」
「貴様にはこれから、筋肉の神髄に触れて、筋肉の声に耳を傾けて貰う」
「早見い――! 貴様に問う!」
「貴様には筋肉の声が聞こえるかあ――――っ!?」
御自慢の大胸筋をプルプルと震わせながら桑原が小夜に問い質した。
大声と共に飛ぶ唾が小夜の顔面に浴びせられる……しかし今問題なのはそこではない……残念ながら。
……下手な返事は出来ない。
……私は訓練生だ。
もし訓練期間中に、教官から一度でも“失格”の烙印を押されが最後、内閣特務捜査官には永久になれないのである。
何て答えればいいの???……小夜は困っていた。
……何がベストアンサーなのかはその教官と、訓練生が置かれた状況によるのだ。
論理的な答えを要求する者、誠実な答えを要求する者、合わせてくれることを良しとする者……全く持ってまちまちである。
事前に亜里沙お姉ちゃんに、教官から質問が来るって聞かされていたけれど……この場合何がベストアンサーなのかな? 答えが出ない……小夜には模範解答が分からなかった。それもそうだろう! そもそもが無茶苦茶な質問なのだ!
小夜は止む無く誠実な答えを返すことにした。
「き……聞こえません……」
「何っにい――――――――――――――――――――――――――っ!!」
桑原は怒声と共に地面に竹刀を叩きつけた!
ビシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ!!!っと、竹刀の音が訓練室に響き渡る。
「うっおおおおおおお――――――――――――――――――――――!!」
桑原は頭を抱え全く信じられん!っと言った表情と共に絶叫した。
半狂乱になりながら肩を大きく上下させ何とか言葉を紡ぐ。
「いいかっ! 筋肉の声に耳を傾けろ! これから貴様は筋肉の声を聞きながら毎日を送ることになるのだからなっ!」
小夜と友哉が呆気にとられる中、唯一亜里沙だけはウンウンと大きく頷いていた……筋肉エリートである彼等二人と一般市民とでは両者の反応は大きく異なっていたのだ。
「よお――――――――し、よお――――――――く分った! それならばこれから貴様に筋肉の神髄というものを教えてやるっ!」
「……………………」
「但しだ!」
桑原は自身の巨大な人差し指を、小夜の眉間に向けて突き立てた。
「訓練期間中、貴様は一切PSEを使うな。ここではPSE禁止だ! この訓練は貴様自身のフィジカルの力だけでやることに意味があるのだからなっ」
「もし、使用したら、訓練室への出入りを禁止とする!」
「この意味が分かるか? 早見小夜?」
……訓練室への入室の禁止……それはつまり"首"ということに他ならない。
「はい!」
「ちが――――――――ううう!」
そこで再び地面に竹刀を叩きつける轟音が轟いた。まるで雷が落ちたかの様な音だった。
「返事はフ――ヤ――!!(HOOYAH!!)だっ!」
「フ、フ――ヤ――!!」
「いいかっ! 間違っても他の返事はしてくれるなよっ!」
何故だか桑原はそこで念を押した。
……後でそれが米海軍の号令であることを聞いた小夜だったが、何故小学四年生の女の子に米海軍の号令を要求するのかは全然理解出来なかった……
「よお――し、早見ぃ。これから基礎訓練を開始する。貴様はこのコートAの上に立て。ビシッとなっ!」
小夜はコートAと呼ばれる床に赤テープで区切られたエリアに立った。自然と気を付けの姿勢になる……
「貴様にはまずここで腕立て伏せをやってもらう」
「フ――ヤ――!!」
「腕立てなど楽勝だと思っているかもしれないがそうではない!」
そう言うと彼のスキンヘッドと鉄板並みに頑丈な白い歯が同時にギラリと発光した。口元に不敵な笑みを湛えながら、手に握られた怪しげなリモコンのスイッチを押す。
その刹那、小夜の立つコートAに突風が吹き荒れた。
――風速五〇m/s!
子供であれば吹き飛ばされかねない強風だった。
小夜のツインテールが横一直線に棚引いた。強風に煽られて立っていられるのが奇跡の様に難しい……はっきり言って危険だった……無担保で台風中継に駆り出された新人アナウンサーの様だった。
「よ――し、地面に両腕を付けろぉ!」
小夜は突風に煽られながら何とか両腕を地面に付けた。
「準備はいいかあ――――」
「俺が数字を数える度に腕立てを行え!」
「いいか? フ――ヤ――の掛け声を忘れるなよ! 気合と共にフ――ヤ――だ!」
「一――!」
「フ――ヤ――!!」
「二――!!」
「フ――ヤ――!!」
「三――!!!」
「フ――ニヤ――ア――!!」
小夜は何度も強風に煽られ吹っ飛ばされそうになりながら、フ――ヤ――!! の号令と共に何とか腕立て伏せを敢行した……
彼女は事前に亜里沙から、自分が受けた訓練内容を聞かされており、この日の為に自主トレを行っていたのだ。もし何も聞かされていなかったら、特訓に付いて行けなかったに違いない。
しかし……それにも勿論限界はあったのだ。
回数が増えて行くにつれ、小夜の筋肉はプルプルと痙攣を始めていた。自然と腕に力が入らなくなり、強風の影響で地面にしがみ付いているのが一秒毎に難しくなって行く。
しかし回数が一〇〇を超えた時点で、鬼教官の更なる指示が飛んだ。
「よ――し、伏せの姿勢でそのまま一〇〇数えろお――」
「ええ――――っ!?」
思わず驚きを声に出してしまった小夜だった。
腕立て伏せは、《腕立て》の状態と《伏せ》の状態でワンセットである……
回数が重んだ時の腕立ても勿論きついが、伏せの状態からは一秒でも早く脱出を図りたいと願うのが人情と言うものではないだろうか!?
……小夜は思わず驚きの声を出してしまったことを後悔した……桑原教官がどう判断するかは分からないが、教官によっては反抗的な態度と取られ原点の対象になりかねない……そうすると小夜は次のステージに進むことが出来ず、内閣特務捜査官への道が途絶えてしまうのである。
「返事わあ――――!!」
「フ――ヤ――――!!」
小夜は精一杯の大声を出して数を数えた。
「一! 二! 三! 四! …………」
数を数えることがこれ程辛いと思ったことはこれまで無かった……
自分の中の弱気が顔を覗かせる……心が折れそうになる……
……でも頑張るんだ!
……亜里沙お姉ちゃん、友哉お兄ちゃんがこちらを見ている……あんなに真剣な眼差しで。
それに……これからは……私がお母さんを助けるって誓ったんだから。
小夜は一人っ子の母子家庭で育っていた。
彼女が内閣特務捜査官として働く代わりに、切迫している家計の援助を司令官のKが申し出たのである。しかしその為には訓練生である現状の立場から卒業しなければならないのだ。
……焦ることはないってK司令官は言ってくれたけど……でも私が内閣特務捜査官になりたいと思ったのはもう一つ理由があったんだ……私は……私にあんなに酷いことをしたエイリアンに負けない様になるんだ……私みたいな人をこれ以上作らせない為に……
小夜が風速五〇m/sの中、腕立て《伏せ》の状態で、何とか一〇〇数え終えると、間髪入れず鬼教官の次なる指示が飛んだ……




