第八話「訓練生・早見小夜」
――天の河銀河系中心部より二六一〇〇光年ポイント。
地球・西暦二〇XX年。
宇宙を意識しながら生きている人間はほとんどいない。
しかし内閣特務捜査官である私には何よりも大切なことだ。
自分がどの銀河系のどこにいて、どの星系のどこの惑星にいるのか?
それが私の仕事へと直結して来るからだ。
人類は回転運動を続ける銀河系という円盤に乗り、今この瞬間も旅を続けているのだ。
その人類は自分達の住む星系を太陽系等と呼称している……
しかし実際の所、太陽系は唯一絶対のユニークな存在では無い。
それは私達の住む銀河系においても当てはまる……この宇宙において太陽系は一つではないのだ……
人類はユニークな呼称を私達の“太陽系”に与えるべきだと私は考えている。
太陽系が無限にあるということは一体何を意味するのか?
つまりそれは太陽系を母とする生命体が無限に存在するということに他ならない。
この宇宙において“宇宙人”は無限に存在すると言って良い、極めてありふれた存在だ。人類は何よりもまず、自分自身が宇宙人の一人であることを忘れてはならない……
だからここでは、より正確な言葉を使うことにしよう。
私が欲しているのは、“地球外知的生命体”に関する情報だ。
地球が過去にどの星系のエイリアンと交流があったのか?
今交流があるのはどの星系のエイリアンか?
その中で…………
味方は誰なのか?
敵は誰なのか?
今人類を付け狙う最も危険な相手は誰か?
私には何よりも大切な情報だ……
それはこの地球上で生きる人類自身にとっても重要な情報である……
宇宙を意識して生きること。
エイリアンの存在を意識すること。
事件が起きてからでは手遅れなのである。
私達はこの地球上に潜伏する全てのエイリアンに関して情報を持っている訳では無い。
彼等に対して地球を覆う情報網が確立されていないのが現状だ。
だから私達にもカバーしきれない時がある。
こうして……エイリアン事件に一般市民が巻き込まれてしまうのだ。
悲しいことだが真っ先に被害者となるのは、奴等より力の劣る人間である。
私は政府に対して、《エイリアンに関する情報を公開するべきだ》という立場を取っている。
政府は今からでも私達の“隣人”に関する情報を公表するべきだろう。
そして人類とエイリアンとの混血主である私達ミュータントの存在も……
しかしこの話は、私達内閣特務捜査班の中でも決まって意見が割れる話である……
――亜里沙の日記より――
――霧島亜里沙がデコピンマン高田を、くだんの“シュークリーム”で病院送りにした終末……
快晴の日曜日。早見小夜は市ヶ谷にある内閣特務捜査班のヘッドオフィスに“出勤”していた。
少女はまだ小学四年生で、長い髪をツインテールに結った見た目は可愛らしい女の子だった。無地の白いパーカーに、ふわふわのピンク色のスカートをはいている。見た目に関してだけ言えば……普通の女の子以外には見えないに違いない……しかし少女には世間に隠しておかなければいけない重大な秘密があったのだ……
早見小夜は連続猟奇殺人鬼であるエイリアン・百眼男に彼等のウイルスを打ち込まれて以来、遺伝子構造が変容したミュータントだった。
少女はその能力が覚醒することにより、三つ目と鋼鉄をいとも容易く切り裂く鉤爪を有する“人外”へと変貌を遂げるのだ。
小夜の人生はエイリアン事件という“後天的な要因”により激変したのである……
早見小夜はミュータントに成った際「我々の仲間になれば、代わりに生活の一切を保障する」という内閣特務捜査班・司令官Kの交換条件を受諾していたのだ……家計のやりくりに喘いでいる母親を助けたいという一心だった。
今日小夜は一人前の捜査官になる為の訓練を受けるべく、市ヶ谷のヘッドオフィスへと足を運んでいた。霧島姉弟は今日が訓練初日である小夜のことをとても心配して、少女をヘッドオフィスに引率して来た。亜里沙、友哉、小夜の三人は訓練室の前で待機して、時間が到来するのを静かに待っていた。
――朝九時丁度。
亜里沙が訓練室に入室する為のIDカードを認証装置にかざした。
扉が開く前、亜里沙は膝を屈め、神妙な面持ちで小夜に語りかけていた。
「いい小夜ちゃん。ここで何が起きても決して驚いては駄目よ。今までの生活では決して聞くことが無かった不思議な専門用語が飛び交っても決して狼狽えてはいけないわ!」
「……分かったわ、亜里沙お姉ちゃん」
「ここは、外の世界の常識が通用しない亜空間……まあ異世界みたいなものだと考えて」
「勿論ここで見聞きしたことは他言無用よ」
亜里沙は小夜に念を押した。
……緊張しているのだろうか?
小夜は小さな体を強張らせ口を結び、亜里沙の問いかけに何度も大きく頷いていた。
訓練室の扉が開く――
一体どんな材質なのかは不明だが、重々しい音と供に《超耐圧》《超耐熱》《超防音》《超耐久》製の扉が“ゴ――――――――――――――――――――ッ”という音と共に開いて行った。それは世界のセレブリティの財産を一手に預かる、スイス銀行の貸金庫の扉を思わせた。
しかし真に驚くべき所はそこではなかった……
扉が開くとそこには、二メートルを優に超える大男が、腕組みをしながら立ち塞がっていたのである。
「おっきい…………」
小夜は思わず呟き、その直ぐ後で両手で口を覆った。
人の身体的特徴を口に出してはいけませんよ……と母親から注意されていたのを思い出したのだ。
それにしてもだ……その男のでかさは半端ではなかった。
身長二メートル二六センチ。身体は縦方向のみだけでなく、横方向においてもでかく巨岩の様にがっしりとしており、全身に筋肉の鎧を身に纏っている様に見える。鍛え抜かれた上腕二頭筋は小夜のお腹の横幅よりも大きく見えた……
小夜との身長差、九八センチ。
その男桑原は、異常発達した筋肉を誇示するかの様に、ピチピチの真っ赤なタンクトップと短パンを身に纏っており、手には何故か竹刀が握られていた。彼の頭は完膚なきまでに剃りあがったスキンヘッドであり、加えて潤滑油でも塗っているのだろうか!? 頭は周囲の光を反射してツルッツルッに光り輝いていた……陽の射し込まない地下の訓練室に、真昼の太陽が出現したかの様に眩しかった。
これから小夜が余り良くない意味でお世話になってしまう鬼教官・桑原泰三の初対面の印象だった……
――二人はしばし無言で見つめ合っていた。
両者は二人供、互いに圧倒されていたのだ……
小夜は桑原の余りのでかさとムチムチの筋肉、そして何よりも目を射すスキンヘッドに。
一方桑原は小夜のその余りの小ささと可憐さに……
二人の出会いは、第三種接近遭遇を思わせた((注)第三種接近遭遇:空飛ぶ円盤の搭乗員との接触)
両者の額を静かに冷や汗が流れ落ちて行った。
ん!?
……何だろう!?
何か変な空気だなと友哉は思った。
亜里沙も同様にそれを察したのだろうか?
両者の間にすぐさま割って入る。
「お久しぶりです! 桑原教官」
亜里沙が元気よく挨拶をする。一方の友哉は最敬礼をした……桑原を見ただけで地獄の特訓の日々を思い出し、しごき抜かれた筋肉に痛みを憶える友哉だった……彼も又、鬼教官桑原に鍛え抜かれた生徒の一人だったのだ。
「教官、こちらは今日から訓練を受ける早見小夜」
「小夜、こちらは今日から訓練を指導する桑原教官よ」
「フム、話は聞いている。これからよろしくな早見!」
桑原はそう言うと小夜に顔を近付けてニイイッと微笑んだ。
訓練室の明るいライトを受けて、彼のスキンヘッドと純白の歯がギラリと発光した。
「よっ……よろしく……お願い……しま……す……」
小夜はアナコンダに丸呑みにされた小鹿の様に身動きが取れなくなっていた……本当に喰われるんじゃないかとこの大男を心底恐れていたのだ。
こうして両者は無事、第五種接近遭遇を終えたのだった((注)第五種接近遭遇:人類と宇宙人との直接対話)。
「ところで霧島亜里沙、その後筋肉の調子はどうだ?」
「そうですね教官、三角筋の調子は悪くありません……ただ腹直筋の絞り込みがいまいちです」
亜里沙は突然の振りに対してこともなげに返答した。
「そうだな、マックスの八三パーセントと言った所か?」
「流石です教官、ジャストサイズです!」
人の筋肉量を言い当てたことが余程嬉しかったのだろうか!? 桑原は白い歯をニイッと見せて微笑んだ。
「ところで俺は来月の日本ボディビル選手権に一般人として出場することになった」
「今は上腕二頭筋を絞り込んでいる所だ。選手権に出れて筋肉も誉れ高いと喜んでいるよ」
そう言うと桑原は、自称絞り込み中の小夜のお腹よりも大きな上腕二頭筋をブルンブルンッと震わせた。自動車のエンジン音を思わせる響きが密閉された訓練室に響く……
「上腕二頭筋の仕上がりは、ダブルバイセップス・フロントの見栄えに直結しますからね……」
……この二人は一体何を言っているの!?!?!?
小夜は自分が日本語の通じない異世界へと迷い込んだ様に感じていた。
一瞬彼等の使う特殊な専門用語に関して質問しようかと思った小夜だったが「ここは外の世界の常識が通用しない亜空間……」と亜里沙が言っていたことを思い出し、何も言わないことにした……それに筋肉に興味があると思われるのも、女の子としてはどうかもだし……
そこで桑原は亜里沙の肩にポンッ! と岩石を思わせる巨大な手を乗せた。
「どうだ霧島。お前程の才能と素質、そして俺の世界最高のコーチングがあれば、筋肉の歴史に名前を刻めるが……俺と一緒に筋肉で世界を掴まないか?」
亜里沙はその言葉にしばし考え込み、やがて被りを振った。
「教官、勿論興味はありますが……」
あるのか~~~~~~~~!!
友哉は心の中だけで突っ込みを入れていた。
「私はやはり本業に比重をかけたいと思っています」
……それにゲーセンに行けなくなるし……亜里沙は小声で呟いていた。
「そうか、分った! まあ無理にとは言わない。だが……その気になったらいつでも言ってくれ……」
桑原は心の底から名残惜しそうに言い、最後に一言付け加えることを忘れなかった。
「筋肉への扉はお前にも開かれているぞ!」
……これ以上俺の姉をゴリラ化しないでくれ~~~~!!
二人の会話を聞いていた友哉は気が気ではなかった。
「それでは教官、私達は今日一日あちらで見学させて頂きます」
そう言うと亜里沙は小夜の肩をポンッ!と叩きウインクをすると、訓練室の二階席にあたる観客席へと移動した。
桑原はそれを見届けた後で、視線を小夜の方に移すと、竹刀の先端で地面を突いた。
ビシイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!
どんな技かは分からないが、彼の打突によって訓練室全体がグワンッ! と一瞬揺らいだ。
小夜は目丸くして驚いていた。
スウ――――――――――ッ。
桑原は深く息を吸うと、小夜に向けて訓練の開始を告げた。
その声は雷鳴の轟を感じさせるものだった……
「訓練生早見小夜あ――――! これより貴様の基礎訓練を開始する――――!」
「準備はいいかあ――――――――――――――――――っ!!」
「は、はいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
小夜は両手を太股の脇に付けて、思わず気を付けの姿勢を取った。
こうして小夜にとって、異世界以外の何物でもないマッチョな環境で、地獄の基礎訓練が開始されたのである……




