第4話 九頭竜家の教育的指導
あの枚方の夜から、俺の人生は「女神降臨」なんてキラキラしたもんじゃなく、「絶望の警察24時」で再開した。
深夜の敦賀を全裸で疾走した勇姿は、バッチリ監視カメラに記録されていたらしい。あの後、24時間のリキャストが明けて服を錬成できるようになるまで、ゴミ捨て場の段ボールを身にまとって必死に逃げ回るハメになった。
最終的には「ダンジョンの罠で装備が全損してパニックになった」という、嘘偽りない(一部割愛した)言い訳でお巡りさんに絞られるだけ絞られ、さらに最悪なことに実家へ連絡がいった。
その日の夜、俺のスマホが震えた。画面には『父上』の文字。死を覚悟して出ると、意外にも声は静かだった。
「……誠司か。裸で走ったそうだな。探索者として、何か抜き差しならぬ事情があったのだろうとは推察する。だが、九頭竜の名を汚す真似だけは慎め。……それと、そろそろ遊びは切り上げて、家業の方を手伝う気はないか?」
苦労人の秀才、親父殿なりの心配だ。家の体面を気にしつつも、フラフラしてる俺を呼び戻そうとしてやがる。続いて電話を代わったのは、我が家の「覇王」ことお袋様だった。
「いいじゃないの誠司。悪評も評判のうちよ。アンタはアンタの持ち味を生かして、泥臭く生き延びなさい。死ななきゃ、いつか強者の世界に来られるわよ」
……相変わらず、励まし方がバイオレンスすぎる。
だけど、この自由奔放で無茶苦茶な両親が、俺という「クズ」を否定せずに見守ってくれている。電話を切った後、少しだけ顔が熱くなるのを感じた。
『……ふふ。とても温かい、素敵なご家族ですね』
脳内でセレナリアが呑気に微笑む。
……ふ、ふんっ、あいつらは俺が野垂れ死ぬのをエンタメとして楽しんでるだけだっての。
だが、その「家」の恐怖は、電話越しで済むほど甘くはなかった。アパートを出た瞬間、俺の全細胞が過去最大級の警報を鳴らす。心臓を素手で握り潰されるような威圧感。この世にたった一人――姉、九頭竜怜。
逃走は、新幹線の改札まであと数メートルのところで終わった。
「……どこへ行く、誠司」
絶対零度の声と共に俺の体は宙に浮き、気づけば実家の重厚な応接間に座らされていた。
対面に座る怜は、顕微鏡で微生物を見るような嫌な視線で俺を観察していたが、やがて組んでいた足を解き、俺の顔を覗き込むように身を乗り出した。その瞳は、俺の肉体的な変化なんてどうでもいいと言わんばかりに、もっと深い「内側」を見透かしている。
「……なるほど。高次元の神性体との魂の融合、ね。納得したわ」
まさか「観察眼」だけで的中させるとは。心臓が跳ねる俺を余所に、姉貴は残酷なほど冷徹に俺の魂を解剖していく。
「お前は昔から、自分の魂にさえ執着がない『空っぽ』なクズだった。信念もなければ、誇りもない。けれど、その空洞はただの無じゃないわ。……何色にも染まらず、どんな理不尽な重圧を受けても形を変えて生き延びるためだけに特化した『究極の柔軟性』そのものよ」
姉貴の細い指先が、俺の胸元をトン、と突いた。
「高潔すぎる者には神の光は眩しすぎ、汚れきった者には神の浄化は耐えられない。……けれど誠司、お前のような『全肯定の空虚』なら、神という巨大な概念さえも拒絶せず、そのまま包み込んでしまえる。自己という壁が壊れているその異常なまでの器の広さ……。ふふ、お前だからこそ、その神とやらは安息を得られたのね」
褒められてる気が全くしねぇ。要するに、俺にプライドなんて上等なもんがないから、神様が居候するのにちょうどいい「空き家」だったってことだろ。
「会話は終わり。次は実技よ。立ちなさい誠司。お前のその『空っぽの器』に、今どれほどの質量が詰まっているのか、この手で測ってあげるわ」
気づけば道場に引きずり出されていた。姉貴は武器も持たず、ただ柳のように立っている。
「待て待て!姉貴、今の俺には神様のパワーが詰まってるんだ、本気でやったら姉貴の命が危な――」
「……ふふ、面白いことを言うわね。死ぬ気で来なさい誠司」
セレナリアの力が流れている俺の肉体スペックは、間違いなく人類の限界を突破しかけている。視界は超解像度で姉貴の動きを捉え、魔力の脈動が爆発的な踏み込みを可能にしていた。
だが。
「……っ、ぐあぁぁっ!?」
結果は五分。いや、冷静に判定すれば俺がじりじりと押し込まれている。
俺の放つ一撃を、姉貴は紙一重の転身でいなし、俺の力のベクトルをそのまま利用して重心を奪ってくるのだ。神の恩恵を受けてなお、ただの「人間」であるはずの姉貴と競り合っている事実に、俺は戦慄した。
(嘘だろ……。俺は女神様のバフ込みだぞ!?なんで当たらねぇんだよ!)
驚きで冷や汗が流れる。だが、心のどこかで納得している自分もいた。
女神の神々しさよりも、幼少期に叩き込まれた姉貴の鉄拳の方が、俺の生存本能には深く刻み込まれているんだ。
『驚きました……。私の加護を技術だけで相殺してくるなんて……』
脳内の女神様までドン引きしている。
「……悪くないわ誠司。ようやく『訓練相手』として数に入れてあげてもいいレベルね。その神様、案外お前に馴染んでいるじゃない」
汗一つかいていない姉の笑顔を見て、俺は深く溜息をついた。
女神と合体して「最強主人公」になれるかと思ったが、九頭竜家のピラミッドを逆転させるには、まだ世界をあと二、三回は救わなきゃ足りないらしい。
◇
「……はぁ?なんだよこれ、社外秘?」
手合わせが一段落したところで、姉貴から無造作に最新型の薄型タブレットを放り投げられた。画面を覗き込むと、そこには『欧州拠点設立に関する市場調査及び極秘事業計画書』なんて、見るだけで知恵熱が出そうなタイトルが並んでいる。
「これを見ろ。お前の意見を聞いてやるわ」
「俺にそんなこと聞くなんて、姉貴も焼きが回ったんじゃねぇの?」
毒づきながらも俺は画面をスワイプし始めた。専門用語のパレードだ。タックスヘイブン、デジタルアセット、ロイヤリティの移転、地政学的リスク……。普通なら目が滑るはずの漢字とカタカナの羅列。だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
セレナリアと融合したせいか、あるいは「九頭竜」の血が騒いでいるのか。文字が図形のように頭に飛び込み、情報の断片が脳内で立体的なイメージとして結実していく。俺は文字を「読む」のではなく、そこに漂う「金の匂い」と「危険の気配」をニュアンスで感じ取りながら、異次元の速度でページをめくった。
『……誠司?読み飛ばしているわけではありませんよね?300ページ近くありましたが、内容は頭に入っているのですか?』
脳内でセレナリアが絶句している。
「ん?ああ、普通だろ。九頭竜家じゃ、戦闘訓練の合間に読まされる帝王学のテキストを10分以上かけてたらお袋に『脳みそ腐ってるの?』って言われるんだよ」
『……普通ではありません。絶対に。ですが、誠司がそれを当然と思い込んでいる以上、私もこれを基準にするしか……』
どうやら女神様は、俺の家族を基準に「人間」を理解し始めてしまったらしい。教育上よろしくないが、これが俺の日常だ。
「……見たぞ。内容はぼんやりだがスキームの『形』は掴んだ」
「そう。なら答えなさい誠司。候補は三つ。プラハ、アンドラ、ジェノヴァ。お前ならどこを選ぶ?」
姉貴の目が、獲物を定める鷹のように鋭くなる。俺は地図をなぞりながら直感のままに口を開いた。
「よくわからんが……全部だろ。拠点を分けるのは面倒だが役割が違う。まずはアンドラだ。ここを『受け皿』にして、誰にも手出しできない金庫を最初に作る。中身《稼ぎ》ができてから作ると足がつくからな」
「ほう、それから?」
「次にチェコのプラハ。あそこは錬金術やら魔導書やら、ダンジョン絡みの『モノ』が腐るほど眠ってるだろ?そこで実弾を稼いでアンドラに流す。物理的な通り道にジェノヴァの港を抑えて、表ではクリーンな物流、裏では『見られちゃ困るもの』のルートを確保する……って感じじゃねーの?」
言い終えてから、「あ、これ絶対バカだと思われるやつだ」と後悔した。あまりに短絡的で、強欲すぎる。だが、怜は低く、楽しそうに笑った。
「……相変わらず、嗅覚だけは利くわね。論理を飛び越えて正解に指をかける、その野良犬のような本能。思考はクズでも、利益の道筋だけは見失わない……合格よ。九頭竜の血を引いていることだけはあるわ」
姉貴は満足げにタブレットを回収すると、俺の頭を無造作に撫でた。
「探索者に飽きたらいつでも来なさい。私の荷物持ちくらいならやらせてあげるわ」
「……お断りだ。一生ダンジョンで泥水すすってる方が、姉貴のパシリより100倍マシだわ」
毒づき返したが、背中には冷や汗が流れていた。女神と融合して、世界を繋ぐ楔の力を手に入れたはずなのに。結局、俺はこの「姉貴」という絶望的な壁を、一生越えられる気がしなかった。
『誠司、今の貴方の選択は非常に論理的でしたよ。驚きました』
「だから論理とかじゃねーんだって。一番バレにくくて、一番儲かりそうな順番を言っただけだ」
俺はため息をつきながら、再び敦賀への逃走……もとい、帰還の準備を始めた。女神を宿した俺の「クズ人生」第2章は、どうやら世界規模の面倒事に足を突っ込み始めているらしい。




