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第8話 追い出された俺たちの帰る場所

「結局、修理するなら最初から燃やすなって話なんだよな」


王都を出て三日目の夕方。俺は焼け跡の残る廃教会を見上げながら、あまりにも正しい文句を口にしていた。


景色は、出て行った時とだいたい同じで、でも少しだけ違う。焦げた木の匂いはまだ残っている。壁の黒ずみも消えていない。半分崩れた屋根は、相変わらず見るからに頼りない。なのに、その前には子どもたちが走り回っていて、誰かが釘を運び、誰かが桶で水を汲み、誰かが勝手に俺たちより先に掃除を始めていた。


人がいる。


それだけで、場所の見え方はずいぶん変わるらしい。


ミアが背中の焦げた看板を下ろし、胸を張る。


「ただいま!」


真っ先に返事をしたのは子どもたちだった。


「おかえりー!」


「遅い!」


「ごはんは!?」


最後のやつ、誰だ。いやだいたい予想はつくな。お前ら、ミアに似てきてないか?


俺は思わず眉を寄せる。


「帰ってきて最初が飯の確認かよ」


ミアは得意げだった。


「大事だから」


「知ってるよ、もう」


その“もう”に、自分でも少し驚く。前なら、こういうやり取りをどこか他人事みたいに受けていた気がする。今は違う。面倒だ、うるさい、静かにしてくれ、と思いながら、その全部がちゃんと自分の中に引っかかる。


レティシアは教会の入口に立ち、しばらく黙っていた。焼けた柱、修理途中の壁、雑に積まれた木材、そしてこちらへ駆け寄ってくる子どもたち。その全部をゆっくり見回し、やがて小さく息を吐く。


「……戻ってこられました」


「帰るって言っただろ」


俺がそう言うと、レティシアはほんの少しだけ笑った。包帯の巻かれた肩はまだ痛むはずなのに、その顔は王都へ向かう前よりずっと軽い。


シエラは入口の横にしゃがみ込み、焼け残った石の文様を指でなぞった。


「祭壇、地下は無事そう」


「第一声それか」


「大事だよ。今後の研究環境に関わるし」


「お前にとっては何でも研究環境に関わるな」


「正しいけど?」


正しい顔で言うな。腹立つから。


王都の騒ぎのあと、世界は別に劇的に変わったわけじゃない。


そこは、帰り道の途中でもよくわかった。町の掲示板には、白天教会の一部制度見直しだの、加護測定の再調査だの、そんなお堅い文が並んでいた。王都では神官たちが右往左往しているらしいし、地方の神殿も対応に追われているらしい。人々は不安がってもいたし、喜んでもいた。自分の加護について初めて“選び直せるかもしれない”と考え始めた人もいれば、今までの秩序が揺らぐことを怖がる人もいる。


まあ、当然だ。


長年“これが正しい”と決められていたものが、いきなり揺らいだのだ。そんな簡単に皆が自由を喜べるなら、最初から苦労していない。


俺に向けられる目も、綺麗に変わったわけじゃない。


王都を出る時、神殿の階段下では、俺を英雄みたいに見るやつもいれば、露骨に距離を取るやつもいた。村の時みたいな、問答無用の拒絶とは少し違う。でも、全部が歓迎でもない。警戒と好奇心が混ざっている。


それでいい、と今は思える。


前みたいに、存在そのものを勝手に“悪”で片づけられる感じではなかったからだ。少なくとも、俺を見た人間の顔には“自分で判断しようとしている”迷いがあった。迷いは面倒だ。でも、勝手に決めつけられるよりずっとましだ。


そういう変化を、一番実感しているのは俺かもしれない。


「ユウ」


教会の前で材木を運んでいた時、レティシアに呼ばれた。振り向くと、彼女は一通の封書を差し出してくる。王都の紋章入りだ。嫌な予感しかしないな。


「何だこれ」


「騎士団からの正式文書です」


「お前宛てじゃないのか」


「私宛てです」


「じゃあなんで俺に先に見せる」


レティシアは少しだけ視線を逸らした。


「……なんとなく、です」


なんとなくで人生の重い封書を渡すな。でも、まあ、そういうところは嫌いじゃない。


彼女は封を切り、文面を読む。目線が一行ずつ下りていく。その横顔は落ち着いているようでいて、わずかに緊張も混ざっていた。


「復帰要請です」


「騎士団へ?」


「はい。特別任務への功績と、王都防衛に関する再評価を受けて……だそうです」


いわゆる表向きの大勝利だ。加護が弱いと切り捨てられ、地方へ押しやられていた騎士に、本隊復帰の話が来る。以前のレティシアなら、これを夢みたいに受け止めたかもしれない。


でも彼女は、すぐには何も言わなかった。


子どもたちが奥で騒いでいる。ミアが勝手に厨房へ入り込んで「皿どこだっけ」と叫び、シエラが地下室へ降りながら「あとで石板運んで」と無茶を言い、焼け焦げた梁の上では小鳥が一羽だけ鳴いた。


レティシアはその音を全部聞いたうえで、静かに文書をたたむ。


「あとにします」


「いいのか」


「はい」


彼女は迷いなくうなずいた。


「今は、こちらの修理が先です」


その答えが、妙にしっくりくる。肩書きに戻る道が開いても、即座にそっちへ飛びつかない。必要とされる場所を、自分で選んでいる。前のレティシアならできなかったことだろう。


俺は木槌を肩に担ぎ直す。


「じゃあ釘打ち頼む。お前の方が真っ直ぐ入る」


「承知しました」


返事がやけに晴れやかだった。


ミアのところにも、当然のように話は来た。


王家の血筋。教会の管理下に置かれていた予備王統。そんな大層な言葉がつくからには、放っておかれるわけがない。王都からの使いが一度だけここまで来て、丁寧な言葉で“保護”を申し出ていった。


その時のミアの返事は、実にミアらしかった。


「ごはん作る方が好き」


以上である。


使いの人は絶妙に困った顔をしていた。そりゃそうだろうな。もっと王家の誇りとか責務とか、そういうのを想定していたはずだ。まさか食堂希望とは思うまい。


俺はその場で吹き出しそうになるのをこらえた。笑ったら使いの人に悪い。でもちょっと面白かった。


使いが帰ったあと、俺はミアに聞く。


「ほんとにいいのか」


「何が?」


「王家の方。ちゃんとした部屋で、もっといい飯食えるかもしれないぞ」


ミアは真顔になって少し考え、それから首を振った。


「たぶん、向こうだと“ちゃんとしなきゃいけない”でしょ」


「まあ、そうだろうな」


「ここだと、食べて、笑って、変なこと言っても怒られるだけで済むし」


「十分怒られてる自覚あったんだな」


「あるよ」


ミアはけろっと笑う。


「でも、いらない子って言われないから」


その一言に、余計な返しはできなかった。


シエラのもとには、王立研究院から招待状が来た。呪術研究と古代魔法解析の協力要請。これもまた、以前のシエラが喉から手を出して欲しがったかもしれない話だろう。誰にも理解されなかった研究が、公的に認められ始めたのだから。


だがシエラは、封書を読み終えるなり笑って言った。


「研究室は自分で作る」


「断るのか」


「うん」


「そこは悩まないんだな」


「悩む理由ある?」


あるだろ、普通は。栄誉とか予算とか立場とか。だがシエラは本気で不思議そうな顔をしていた。


「向こうへ行ったら、たぶん研究対象も手順も管理される。面白くない」


「お前は面白いで全部決めるな」


「人生だいたいそうでしょ」


「違う人も多いんだよ」


「でも私はこれで困ってないし」


そう言って、招待状を火のついていない暖炉へぽいっと投げ入れる。待て。せめて丁寧に断れ。研究院の人が泣くぞ。


「あとで文面だけはちゃんと返せよ」


「えー」


「えー、じゃない」


そんなやり取りをしていると、ふいに自分のことを思う。


レティシアにも、ミアにも、シエラにも、“前の夢”みたいなものへ戻る道が一応は示された。騎士団。王家保護。王立研究院。どれも昔なら手を伸ばしたかもしれない場所だ。


俺には何が来たか。


英雄視と警戒、その両方だ。


王都を離れる時、ある神官は遠くから深く頭を下げた。別の兵士は、俺が近づいただけで無意識に手を剣へかけた。町へ寄れば感謝もされるし、噂話も聞こえる。世界の嘘を暴いた災厄だとか、王都を救った呪い持ちだとか、言い方は様々だ。


正直、どっちも居心地はよくない。


英雄なんて柄じゃないし、災厄扱いはもう飽きた。


それでも、前みたいな“ただ嫌われるだけ”じゃなくなった。そこは確かだった。人によって反応が違う。自分の目で見て、自分の頭で迷っている。そういう迷いは、俺が世界へ喧嘩を売って開けた、小さな隙間なのかもしれない。


夕方、俺たちはみんなで屋根の修理に取りかかっていた。俺とレティシアが上に登り、ミアが下から板を渡し、シエラが「そこ角度ちがう」とやたら細かい指摘を飛ばす。なんで研究者が屋根の角度に詳しいんだ。


「ユウ、釘!」


「はいよ」


「レティシア、右もう少し上!」


「承知しました!」


「ミア、そこ食べない!」


「木は食べないよ!?」


「確認だよ確認!」


わちゃわちゃしている。だいぶうるさい。だが、そのうるささが少しずつ“普通”になっているのがわかる。


その時、下の道から声がした。


「手伝わせてくれ!」


見下ろすと、近隣の住民が何人も立っていた。あの夜、暴走させられてここを襲った人たちも混じっている。木こりの男、パンを持ってきた老婆、子どもたちの親代わりだった女、それから顔見知りの旅人まで。みんな少し気まずそうで、でも逃げてはいない。


俺は思わず顔をしかめる。


「いや、いい。これは俺たちでやる」


反射だった。こういう時、まだ先に断る癖が出る。期待して、裏切られるのが嫌だからだろう。あるいは借りを作るのが落ち着かないのかもしれない。


でも、住民たちは引かなかった。


木こりの男が頭を掻く。


「この前は……すまなかった。何も覚えてなかったが、それで済む話じゃねえ」


老婆も言う。


「せめて屋根くらい直させな」


女の人は腕を組んだまま、ぶっきらぼうに付け足した。


「あんたらだけでやると日が暮れる」


「いやもうだいぶ暮れかけてるけど」


思わず返すと、数人が笑った。


その笑い方が、前より自然だった。遠慮や怯えだけじゃない。迷いながらも、自分の意志でここへ来た顔だ。


ミアが下から満面の笑みで叫ぶ。


「ユウ、押し切られてるよ!」


「見ればわかる!」


レティシアが屋根の上で小さく微笑む。


「良いことではありませんか」


「わかってるけど、慣れてないんだよ」


「でしょうね」


「そこで納得するな!」


結局、その日の修理は一気に進んだ。木こりが梁を見てくれたおかげで屋根の傾きはまともになり、老婆は勝手知ったる手つきで炊き出しを始め、子どもたちは資材運びに夢中になった。ミアは完全に食堂長の顔で鍋をかき混ぜているし、シエラは地下から古い石板を運び上げて“願いの記録室”なるものを作り始めていた。


「なんだそれ」


俺が聞くと、シエラは地下室の入口で得意げに言う。


「祭壇をそのまま復元するんじゃなくて、願いを記録する部屋にする。誰が何を選びたいか、自分の言葉で残せる場所」


「急に真面目だな」


「私はだいたい真面目だよ」


「それはちょっと違う」


でも、考えは悪くないと思った。人を縛る装置だったものを、願いを残す場所へ変える。世界の仕組みを全部変えるなんて大きなことはできなくても、ここだけでも別の形にすることはできる。


夜になるころには、入口の前に長いベンチが置かれていた。レティシアが作ったらしい。防衛柵じゃなく、座るための場所。迎えるための場所だ。


「珍しいな。先にそれ作るの」


「守るだけでは、家にはなりません」


そう言ってレティシアは木屑を払った。やっぱり、この人はもう前の“弱い騎士”じゃない。自分が何を守りたいか、自分で言葉にできる騎士だ。


食堂――と呼んでいいのか、まだ修理途中の広間では、その夜も鍋が煮えた。パンの匂い、スープの湯気、人の話し声。以前と同じようで、少し違う。ここへ集まる人たちは、追い出されるのを恐れて顔色をうかがっているわけじゃない。少なくとも今は、“自分で来ている”感じがある。


そういう小さな違いが、案外大きい。


夜が更け、皆が帰ったあと、俺は修理途中の屋根へ登った。まだ完全には塞がっていない隙間から、星が見える。冷たい夜気が頬に触れ、木の新しい匂いと焦げの残り香が混ざっていた。


下ではミアたちの声が小さく聞こえる。皿を片づける音。シエラが何かひっくり返してレティシアに叱られている気配。平和だ。たぶん。


そんな中で、不意に口をついて出た。


「……また追い出されたらどうする」


独り言のつもりだった。なのに、すぐ下から返事が来る。


「じゃあまた取り返す」


ミアだった。


「早いな、返事」


「聞こえたし」


レティシアも続く。


「何度でも守ります」


シエラは少し考える間を置いてから言った。


「今度はもう少し効率よくやろう」


「お前だけ研究目線なんだよ」


思わず笑う。笑いながら、胸の奥が少しだけ熱くなる。


また追い出されるかもしれない。その不安が綺麗に消えたわけじゃない。たぶん、消えない。追い出された記憶って、そんな都合よくなくならないからだ。


でも今は、その先の答えが一人分じゃない。


前なら、追い出されたらそれで終わりだと思っていた。誰にも迷惑をかけないように一人で消えればいい、と。でも今は違う。ここはもう“俺がたまたま転がり込んだ場所”じゃない。俺たちが選んで、守って、壊されて、取り返して、また直している場所だ。


与えられたんじゃない。


自分で選んだんだ。


そのことが、夜風の中で妙にはっきりわかった。


俺は屋根の上で仰向けになり、星を見る。


この世界は相変わらず面倒だ。王都だってまだ完全に変わったわけじゃない。教会の残党もいるだろうし、俺の呪いだってなくなったわけじゃない。たぶんこの先も、静かな日ばかりじゃない。


それでも。


廃教会の下から聞こえてくる笑い声に、俺はそっと目を閉じる。


「……まあ、悪くない」


誰に聞かせるでもない声だった。


でもたぶん、この場所そのものには聞こえていた気がする。


追い出された俺が、ようやく見つけた帰る場所。


いや、違うな。見つけたんじゃない。作ったんだ。


それが少しだけ、誇らしかった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!




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