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第6話 白い羽根の大司教

「来るなら来るで、もうちょっと悪役っぽく来いよ」


朝の空気は妙に澄んでいて、廃教会の前庭には昨夜の焚き火の匂いがまだ薄く残っている。雨は降っていない。風も強くない。空は腹が立つくらい青い。


こういう日に限って、ろくでもない客が来る。


白い法衣をまとった男が、石段の下に立っていた。護衛はいる。いるが、少ない。左右に二人、その後ろにさらに二人。全員、武装は最低限だ。これ見よがしな威圧じゃない。逆だ。少人数で来られるくらいには、こっちを舐めてるか、自分に絶対の自信があるか、そのどっちかだ。


たぶん両方だろうな、と俺は思う。


男は四十代半ばくらいに見えた。髪は整えられ、目元にはやわらかい笑い皺。口元には、穏やかな聖職者らしい微笑みが貼りついている。見た目だけなら、孤児院で子どもに優しく説教しそうな感じだ。


でも、俺は見た瞬間に嫌なものを感じた。


整いすぎている。


笑顔も、立ち方も、声をかけるまでの間の取り方も、全部が“正しい人”みたいに綺麗すぎる。綺麗すぎるものって、たいてい裏に掃除されてない汚れがある。


「おはようございます」


男は石段の下から、実に落ち着いた声でそう言った。


「白天教会大司教、アルバートと申します」


「おお、自己紹介までついてる」


思わずそう返したが、喉の奥が少し乾く。


白天教会の大司教。


つまり、俺たちがここまで散々引っかき回されてきた中心の一人が、自分から歩いてきたことになる。もっと奥でふんぞり返ってるタイプかと思っていたが、意外とフットワークが軽い。軽くなくていいところで軽いな。


横にいたレティシアの気配がぴんと張る。盾に手をかけ、いつでも前へ出られる位置だ。シエラは祭壇の横に立ち、興味と警戒が半々の目でアルバートを見ていた。ミアは俺の袖を掴んだまま、珍しく黙っている。


子どもたちは教会の奥に下がらせてある。朝の配膳前でよかった。客が多い時間帯だったら、もっと面倒だった。


アルバートは俺たちの警戒を気にした様子もなく、柔らかく手を広げた。


「今日は争いに来たのではありません。少し、お話がしたくて」


「そう言って来るやつ、だいたい争いの準備ができてるんだよな」


「警戒はもっともです」


「理解があるようで何よりだ」


俺は石段の上から睨み下ろす。距離はまだある。けれど、近くにいるだけでわかる。こいつの周囲には複数の術式が絡んでいる。見えない白い糸みたいなものが、空気の中で静かに整列している感じだ。シエラが前に言っていた“制御式”ってやつかもしれない。


シエラが小声でつぶやく。


「うわ、気持ち悪いくらい重ねてる」


「聞こえるぞ」


「聞かせてる」


度胸があるのか、単に常識がないのか、たぶん両方だ。


アルバートは視線だけでシエラを認識し、それでも笑みを崩さなかった。


「森の異端研究者までこちらにいるとは。実に興味深い」


「褒められてないねこれ」


「褒めなくていいから帰れ」


俺が言うと、アルバートは軽くうなずいた。


「帰る前に、確かめたいのです。この場所が何をしようとしているのか」


「見てわからないか。飯屋だよ」


「そうですね。空腹の者を集め、居場所を失った者に席を与える。表向きは実に善良だ」


「表向き、って言い方やめろ。普通に善良でいたいんだよ、こっちは」


アルバートは石段を一段だけ上がった。護衛はついてこない。余裕の見せ方が上手い。腹が立つ。


「しかし、善意が秩序を乱すこともあります」


「出たよ、偉い人の便利な言葉」


「便利ではありません。現実です」


その声色には、本当に怒りも嘲りもなかった。ただ“説明している”だけだ。こっちを対等な敵とすら思っていないのかもしれない。危険物の扱い方を、なるべく穏便に進めているだけ。そんな感じだ。


アルバートの視線が、俺ではなくミアへ向いた。


「君は本来、ここにいるべきではない」


ミアの指が俺の袖を強く掴む。


「……何それ」


「君の血は、もっと別の役割を持っている」


「役割」


ミアが、その言葉だけを嫌そうに繰り返す。


アルバートはあくまで穏やかだ。


「しかるべき保護のもとに置かれ、正しく管理されるべきです。子どもが背負うには重い力もあるでしょう」


「保護、ね」


俺は鼻で笑った。


「囲って、管理して、都合よく使うの間違いじゃなくて?」


「管理は保護の一形態です」


「言い換えが上品なだけでやってることは同じだろ」


レティシアが前へ出る。騎士としての礼儀を崩さない、ぎりぎりの硬さだった。


「大司教閣下。ここは民間の避難所同然です。権限を盾に圧力をかけるのはおやめください」


「圧力ではありません、忠告です」


「私には同じに聞こえます」


アルバートはレティシアを見る。そこで初めて、ほんの少しだけ興味を持ったような色が混じった。


「アルヴェイン家の方でしたか」


「今は名ばかりの地方警備補佐です」


「それでも、役割は消えません」


レティシアの肩がわずかに固まる。


役割。


こいつ、ほんとにその言葉を人の喉元へ突きつけるのがうまい。しかも自覚なくやってる。性質が悪すぎる。


シエラが横から口を挟む。


「人の人生を箱に詰めて整理整頓してるやつの台詞だね」


「箱ではありません。導きです」


「怖っ」


「お前が言うな」


アルバートはなおも笑っている。


「人は自由に任せると、しばしば自分を壊します。向いていない道を選び、背負えないものを背負い、望まぬ不幸を生む。だからこそ、正しい役割が必要なのです」


「幸福とは、正しい役割を受け入れることです」


その口癖を、俺は初めて生で聞いた。


静かな声だった。高圧的でもない。優しい教師みたいな声音で、けれど内容だけは最悪だ。


俺の中で、何かがかちりと鳴る。


追い出された朝の鐘の音に似ていた。村を守るため。そう言われて、俺は村を出た。あの時も同じだ。正しそうな言葉で、こっちを枠の外へ追いやる。言い方が綺麗なだけで、本質は変わらない。


「追い出される側に聞かせてみろよ、その理屈」


俺は石段を降り、一段だけアルバートに近づいた。


「自分で選ぶな、お前はこの役割で満足しろ、そう決めるのは俺たちだ。ずいぶん親切だな。喉の奥まで手ぇ突っ込んで人生の向きまで直してくれるってわけか」


「混乱を減らすためです」


「都合の悪い声も減らせるしな」


アルバートの目が、ほんのわずかに細くなる。笑みは崩れない。けれど、こっちを“観察対象”として一段深く見始めた感じがした。


「あなたは危険です、ユウ」


「親しげに呼ぶな」


「あなたの存在が、周囲の役割を狂わせる。すでにその兆候は出ている」


視線が、レティシア、ミア、シエラへ順に向く。


「騎士は騎士団を離れ、王家の血は管理を拒み、異端研究者は禁忌を掘り起こす。あなたの周囲では、捨てるべき迷いが増えていく」


「迷いじゃない」


俺は即座に返した。


「選んでるんだよ」


アルバートは短く息をついた。わからない子どもを見るみたいな仕草だった。


「選択には、責任が伴います。そして多くの人は、その責任に耐えられない」


「じゃあ最初から選ばせない方が優しいって?」


「はい」


迷いがない。


その“はい”が、たぶん一番ぞっとした。


悪意があればまだわかりやすい。こいつは本気で信じている。人を役割へ押し込めることが、人のためだと。だから平然としていられる。自分が誰かの首を締めている自覚がない。


アルバートの視線が、ふと教会の奥へ向いた。


祭壇の方だ。


その瞬間だけ、初めて笑顔の質が変わった。穏やかな表面の下に、はっきりとした警戒が見えた。


「……なるほど」


声がわずかに低くなる。


「そこまで掘り当てましたか」


シエラが口元だけで笑う。


「掘ったのは私じゃないよ。向こうから出てきた」


「古いものは、時に人を惑わせます」


「いや、惑わせてるのあんたらでしょ」


アルバートはそれ以上何も言わなかった。ただ、祭壇を見たまま数秒黙り、それからもう一度こちらへ向き直る。


「今日は忠告だけにしておきます」


「ありがたくないな」


「その場所は、あなた方にとって巣ではなく檻になりますよ」


「大きなお世話だ」


アルバートは一礼した。ぞっとするほど丁寧な一礼だ。


「では、また」


護衛を連れて去っていく白い背中を見送りながら、俺は無意識に拳を握っていた。朝の風はさっきと変わらないはずなのに、肌だけがじっとりしている。


ミアが小さく言う。


「あの人、やだ」


「同感」


レティシアは扉の前に立ったまま動かない。


「……あの方は、本気です」


「だろうな」


「脅しではない。本当に、“正しく”片づけるつもりで来た顔でした」


俺は石段の上に腰を下ろし、頭を掻いた。


「最悪だな」


シエラが祭壇の方を見やる。


「もっと最悪なのは、あれを見られたことだね」


「それもある」


「今夜来るよ」


「言い切るな」


「来る」


まったく嬉しくない確信だった。


その日の食堂は、妙に平和だった。近隣の旅人が二人、木こりの男が一人、子どもたちと顔見知りらしい老婆がパンを持ってきてくれた。ミアは新しく覚えた薄焼きパンを焼こうとして生地を床に落とし、レティシアが真顔で拾い上げ、俺が「それはやめとけ」と止める。シエラは地下室から変な色の薬瓶を持ってきて「味見する?」と聞き、全員に止められる。


笑い声もある。湯気もある。椅子の軋みも、鍋の音も、昨日までよりずっと“暮らし”に近い。


だから余計に、怖かった。


こんなもの、壊される前振りにしか思えない。思いたくないのに思ってしまう。幸せに慣れてないやつほど、そのへんの嗅覚だけ変に育つのかもしれない。


夜になり、客が引き、子どもたちも奥で寝息を立て始めたころだった。


風向きが変わる。


先に気づいたのはシエラだ。祭壇の前で術式をいじっていた手を止める。


「来た」


同時に、外から短い悲鳴が上がった。


俺たちは一斉に立ち上がる。扉を開けた瞬間、前庭の空気がおかしいとわかった。町の方角から複数の気配が近づいてくる。しかもその足取りが揃いすぎている。走っているのに、ばらばらの乱れがない。嫌な感じだ。


レティシアが盾を構える。


「住民です」


「は?」


月明かりの下、丘を上がってくる影はみんなこの近隣の住民だった。昼にパンを持ってきた老婆、食堂へ来た木こり、子どもたちの親代わりみたいに面倒を見ていた女までいる。顔見知りの連中が、揃って焦点の合わない目でこっちへ歩いてくる。


その体には、白い光の細い筋が走っていた。


「加護の暴走か!」


シエラが吐き捨てる。


「広域で一斉起動してる。アルバートだ」


最悪だ。


住民を人質にしてくるとは思っていた。でも、ここまで露骨に“住民そのものを武器にする”とは。しかも相手は昨日まで飯を食って笑っていた連中だ。斬るわけにも殴るわけにもいかない。


「ユウ!」


ミアの声に振り向くと、子どもたちが奥の扉から怯えてこちらを見ていた。逃がすにしても、外はもう囲まれ始めている。


「レティシア、正面で止めろ! 怪我させるな!」


「承知!」


レティシアが一気に飛び出す。先頭の木こりが振り上げた斧を盾で受け、返しの体当たりで転ばせる。無駄なく、でも絶対に致命傷は与えない動きだ。ほんとにこの人、守りに関しては異常に強い。


だが住民は一人じゃない。十人、二十人、もっといる。しかも後ろの方には加護持ちも混じっているらしく、火の粉みたいな魔力が散り始めている。


俺は走って前へ出る。近づいた瞬間、住民たちにまとわりつく白い線がわずかに乱れた。なら、やることは一つだ。


「悪い、ちょっと寝てろ!」


俺は腕を伸ばし、一人ひとりの術式の接続点を無理やりずらしていく。完全に止めるには足りない。でも、歩幅が狂う。攻撃の軌道がぶれる。それだけで、レティシアが受け流す余裕が生まれる。


ミアは教会の入口で、暴走した魔力の残滓を食っていた。顔色が悪い。けれど止まらない。


「ミア、無理するな!」


「これ、放っておくと子どもまで変になる!」


「くそ……!」


正論で返すな。止めづらいだろ。


住民の一人、昼に笑っていた老婆が両手を振り上げる。風の加護が暴走し、石畳ごとめくり上げる勢いで突っ込んでくる。俺は正面へ踏み込み、その術式の流れに手を突っ込んだ。


ずれる。


だが、押し返しきれない。


「っ……!」


風が横へ逸れて、教会の壁に叩きつけられる。石が砕け、窓が割れる。中から子どもの悲鳴。胸の奥が冷たくなる。


「シエラ! 何かわかったか!」


地下室へ走り込んでいたシエラが叫び返す。


「祭壇で逆探知してる! 少し黙ってて!」


「今その要求すんの無理だろ!」


それでも、頼るしかない。


前庭の戦いはどんどん苦しくなる。レティシアが正面を押さえてくれているから崩れていないだけだ。彼女の盾は何度も衝撃を受け、腕の震えが遠目にも見える。それでも下がらない。


「右から三人!」


俺が叫ぶ。レティシアが半歩だけ位置をずらし、三人分の突進をまとめて受ける。すごい。やってることがおかしい。どういう筋力と精神力だ。


だが、その背後から細い影が抜けてきた。


子どもへ向かう。


「ミア!」


ミアがとっさに飛び出し、暴走した男の腕にしがみついた。男の体から白い光がばちばちと跳ねる。それをミアが噛みつくみたいに吸い上げる。男の目がわずかに正気に戻るが、今度はミアの膝が落ちる。


「ミア!」


俺が駆け寄る。男を抱えて転がし、ミアを引き寄せる。軽い。軽いくせに、いつもみたいな軽口は出てこない。唇が青い。


「……へいき」


「全然平気そうに見えねえよ」


「あと三人分くらいなら」


「数えるな!」


そのとき、地下からシエラが飛び出してきた。手には古い石板の欠片。目がぎらついている。研究者の顔だ。面倒な時ほど頼りになるのがまた腹立つ。


「見えた!」


「何が!」


「制御網の本線! 王都神殿地下につながってる!」


やっぱりか。知ってた。知ってたけど改めて聞くと腹立つな。


「そこを叩かない限り、またやるよ!」


「先に言え!」


「今わかった!」


二回目だなこのやり取り!


その瞬間、前庭の外から新しい白い光が空を裂いた。今度は住民個人じゃない。もっと大きい。周囲一帯の加護をまとめて引っ張り上げるような、広域の制御術だ。空気が重くなり、息がしづらくなる。


教会の屋根に火がついた。


「っ!」


乾いた木がぱちぱちと鳴り、次の瞬間には炎が走る。古い屋根は火の通りが早い。最悪だ。ここの居場所そのものを焼く気だ。


「中の子どもを出せ!」


俺の叫びに、ミアがよろめきながらも立ち上がる。レティシアは正面を押さえつつ、片手で背後の扉を開ける。シエラが結界の術式を切り替え、煙の流れを一瞬だけ逸らした。


子どもたちが泣きながら飛び出してくる。小さい背中。裸足の足。食堂の椅子が倒れ、皿が割れ、昼間までの笑い声の残り香が煙に飲まれていく。


胸の奥で、何かが切れそうになる。


そこへ、さらに最悪が重なる。


落ちてきた梁の下へ、一人の子どもが取り残された。


レティシアがためらいなく飛び込む。


「下がって!」


盾を頭上に掲げ、落ちてくる梁を受ける。鈍い音。さすがの彼女も膝をついた。肩口から血がにじむ。重傷だ。それでも歯を食いしばり、子どもを腕の中へ押し込んで守る。


「レティシア!」


俺は駆け出す。住民たちがなおも押し寄せる。斬れない。殴り飛ばせない。守りながら、避けながら、救いながら、全部やれってか。ふざけるな。


白い光が視界の端でまだ揺れている。アルバートの術式だ。正しさだの幸福だの言いながら、人の家も、人の飯も、人の居場所も、平然と燃やしていく。


腹の底から、熱いものが噴き上がった。


いや、熱いというより冷たい。怒りってもっと赤いと思っていたけど、ほんとのやつはたぶん違う。静かで、硬くて、刺さる。


「……ざけんな」


俺は前へ出る。


住民の間を割って、炎の前へ。熱風が頬を打つ。屋根から火の粉が降る。目の前で白い術式の糸が何十本も絡まり合っているのが見える。住民たちを動かしている線。加護を暴走させている線。俺たちの家を焼いている線。


整いすぎている。


だから、ずれる。


「全部まとめて、どっか行け!」


自分でも何をしたのか、半分はわからない。


ただ、体の奥から何かを引き剥がすみたいに前へ叩きつけた。見えない歯車の中心へ、腕ごと突っ込む感覚。痛い。頭が割れそうだ。耳鳴りがする。視界の端が白く染まる。


次の瞬間、周囲一帯で“何か”が切れた。


ぱん、ぱん、ぱん、と乾いた破裂音が連鎖する。住民たちにまとわりついていた白い線が次々と消え、加護の光が一斉に乱れ、夜の空気そのものがねじれるみたいに震えた。


住民たちが、糸の切れた操り人形みたいにその場へ崩れ落ちる。


静寂が、一瞬だけ来た。


いや、正確には静寂じゃない。火の音も、子どもの泣き声も、レティシアの荒い息もある。でも、さっきまで空間を支配していた“白い正しさ”だけが消えた。


俺の膝が勝手に落ちる。地面に手をつく。吐き気がする。喉の奥が鉄の味だ。今の、やりすぎた。明らかに。


でも、住民たちは正気に戻っている。目をしばたたかせ、自分が何をしていたのかわからない顔で周囲を見ている。これでいい。これで――


「ユウ!」


ミアの声。


顔を上げると、レティシアがまだ梁の下にいた。子どもは助かっている。だが彼女自身の肩から血が落ち続けていた。俺は這うようにして駆け寄り、一緒に梁を押しのける。遅れてシエラも加わり、どうにか引きずり出した。


レティシアは痛みに顔をしかめながらも、俺を見て息をつく。


「全員……無事ですか」


「お前が一番無事じゃないだろ」


「それなら、よかった」


そういうところだよ。ほんとに。自分の優先順位どうなってんだこの人。


火は完全には消しきれなかった。住民たちが我に返って手伝ってくれたが、屋根の半分と食堂の一角はもうだめだった。壁も焦げ、入口の看板は黒く焼け、ミアがせっかく置いた雑な椅子も二つほど灰になった。


夜明け前、ようやく火の勢いが落ち着いたころ、廃教会は“壊れかけの家”から“焼け跡”へ変わっていた。


俺は前庭の石段に座り込む。煤で汚れた手を見下ろす。指の間に、白い羽根の折れた残りみたいな灰がこびりついていた。


ミアは子どもたちを落ち着かせたあと、俺の隣へ座る。レティシアは包帯を巻かれ、壁にもたれて目を閉じている。シエラは祭壇の前にしゃがみ込んで、王都神殿地下への線をもう一度確認していた。


誰も、しばらく何も言わなかった。


言葉にすると、壊れた音まで増えそうだったからだと思う。


やがて、俺は焼け焦げた看板を拾い上げた。表面は半分炭になっている。それでも、ミアが書いた雑な文字の跡がうっすら残っていた。


家。


帰ってきていい場所。


追い出されない席。


そういうものを、ようやく掴みかけたと思ったのに、この世界はまた勝手に“正しい形”へ戻そうとする。


ならもう、我慢する理由がない。


俺はゆっくり立ち上がった。喉は焼けるみたいに痛いのに、声だけはやけにまっすぐ出た。


「……世界ごとぶん殴る」


誰に聞かせるでもない。


でも、その場にいた全員がちゃんと聞いた。


ミアが俺を見上げる。レティシアが痛みの中で目を開ける。シエラだけが、少しだけ口元を上げた。


「やっと言った」


「うるさい」


たぶん、もう後戻りはない。


王都神殿地下。白天教会。大司教アルバート。世界を管理して、人の人生を枠にはめて、はみ出したやつを追い出す仕組み。


俺が本当に喧嘩を売る相手は、最初からそこだったのかもしれない。


夜明けの光が、焼け跡の上に薄く差し込む。


綺麗な朝だ。


腹が立つくらいに。


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