第5話 いらない子たちの家
「廃教会って、もうちょっと神聖に壊れてるもんじゃないのか」
俺は目の前の建物を見上げながら、わりと真剣にそう思っていた。
神聖さがない。びっくりするほどない。壁はところどころ崩れ、屋根は斜めに沈み、入口の扉なんか半分外れかけている。蔦は遠慮なく這い、窓枠には鳥が勝手に巣を作ろうとしていた。白いはずだった外壁は雨だれで灰色に汚れ、正面に掲げられていた紋章も削られている。いっそ清々しいくらいに“見捨てられた場所”だった。
でも、不思議と嫌な感じはしない。
国境近くの荒れた街道から少し外れた丘の上。風は強いが見晴らしはいい。近くに小川もあるし、裏手は林になっていて隠れやすい。立地としては悪くない。いや、教会に追われてる連中の隠れ家として考えるなら、むしろかなりいい。
ミアは俺の隣で、目をきらきらさせていた。
「家っぽい!」
「どこが」
「屋根あるし!」
「その屋根が信用できないんだよ」
「壁もあるよ!」
「半分な」
ミアはそんなことおかまいなしに、外れかけた扉をぐいっと押した。ぎい、と嫌な音がして、扉はどうにか持ちこたえる。蝶番が悲鳴を上げた。俺は反射で頭を押さえる。頼むから初手で崩壊イベントを起こすな。
中は想像どおり、いや想像以上に荒れていた。長椅子はひっくり返り、祭壇は埃をかぶり、床板の隙間からは雑草まで生えている。乾いた木の匂いに混ざって、古い石と湿気の匂いが鼻をつく。高い位置の窓から差し込む光だけは妙に綺麗で、舞い上がる埃を金色に見せていた。
シエラが先に入って、あちこちを見回しながら言う。
「うん、悪くない。結界を張るなら柱はまだ使えるし、地下が生きてる可能性もある」
「地下がある前提なんだな」
「教会ってだいたい隠してるから」
「すごい偏見なのに否定しづらい」
レティシアは入口の位置と窓の配置を素早く確認している。さすがに見る場所が現実的だ。
「前面は開けすぎていますが、裏の林までの動線は悪くありません。見張り台代わりになる鐘楼もあります」
「住む前提で評価が始まってるな」
「……駄目でしょうか」
「いや、駄目とは言ってない」
そう答えながら、俺は床に転がっていた折れた椅子を起こした。脚は一本だめになっているが、直せばまだ使えそうだ。壁際の棚も、掃除すれば食器くらい置ける。屋根は何枚か板を打ち直せば雨はしのげるかもしれない。
気づけば、頭の中で修繕の順番を考えている自分がいた。
そういうの、よくない。ここを拠点にするってことは、それだけ執着が生まれるってことだ。追われる身で、帰る場所みたいなものを作るのは危険だ。危険なんだけど。
「ユウ、ほら」
ミアが祭壇の横を指さした。古びた木箱が一つ、壁際に残っていた。開けると、中には皿が数枚と、ひびの入ったマグ、それから錆びた燭台が入っている。たいした物じゃない。でも、“誰かがここで暮らしていた痕跡”としては十分だった。
妙に、胸の奥があたたかくなる。
「……とりあえず、今日はここを使うか」
言った瞬間、ミアが万歳した。
「やったー! 新しい家!」
「仮だぞ、仮」
「じゃあ仮の家!」
「それはそれで定着しそうだな……」
結局、その日の午後は全員で片づけに追われた。俺は床板を踏み抜かないよう注意しながら長椅子を起こし、使えそうな木材を分ける。レティシアは壊れた扉を外して補強し、入口と窓に簡単な障害物を置いていく。シエラは壁や柱に何やら細い文字列を書き込みながら、ぶつぶつと結界の調整をしていた。ミアは最初こそ掃除していたが、途中から食べられそうなものがないか倉庫を漁り始めたので、仕事を変えた。
「お前は井戸じゃなくて小川の水汲み担当」
「食材探索係じゃないの?」
「そこはまだ早い」
「夢がない」
「現実は先に水だ」
日が傾くころには、どうにか人が寝られるくらいには片づいた。まだ寒いし、まだ隙間風もひどい。でも、さっきまでの“廃墟”からは少しだけ変わっている。誰かの手が入るだけで、場所はちゃんと表情を変えるらしい。
夕方、簡単なスープを作ろうと外へ出たときだった。
裏手の壁のすぐそばで、かさ、と音がした。
俺は鍋を置き、そっと回り込む。すると、痩せた子どもが三人、木箱を抱えて固まっていた。年は七つか八つくらい。服はどれも擦り切れ、頬も汚れている。木箱の中には、俺たちがさっきまとめた乾燥豆と、固い黒パンが数切れ。
泥棒だ。
だが、怒鳴るより先に腹の方が痛んだ。こいつらの目だ。怯えているのに、逃げる前に食い物だけは掴んで離すまいとしている。追い詰められた獣みたいな目をしていた。
「おい」
一番年上らしい子がびくっと肩を震わせる。
「か、返す!」
「いや、待て」
言いながら、俺は自分でもわかるくらい変な顔をしたと思う。追い出された側のくせに、追い詰める役をやるのは気分が悪い。
「……腹減ってんのか」
子どもたちは答えない。だが、木箱を抱える腕がさらに強くなる。答えはそれで十分だった。
俺はため息をついた。
「逃げる前に、表来い」
「へ?」
「飯にする」
三人そろって、信じられないものを見る顔をした。そういう顔、あんまりするな。刺さるから。
教会の中へ戻ると、ミアが秒速で子どもたちの前にしゃがみ込んだ。
「名前は?」
「い、言わない」
「じゃああとででいいや。まず食べる?」
その問いに、子どもたちの喉が同時に鳴った。正直すぎる。ミアはにこっと笑う。ああいう時のこいつ、ほんと強いなと思う。自分も同じ側だったからだろう。“いらない子”の匂いに敏感すぎる。
俺は鍋に豆と干し肉の端切れを放り込み、薄いスープを作る。量は多くない。だから水を足して、塩を少し工夫して、腹にたまるように煮る。うまいものではなくてもいい。温かいものを入れるだけで、人間は少しだけ人間に戻れる。
子どもたちは最初こそ警戒していたが、一口飲んだ途端に黙ってかき込み始めた。食べる音だけがやけに生々しい。夢中で、必死で、でも泣く暇もない食べ方だ。
レティシアが静かに視線を伏せる。
「このあたりにも、こんなに……」
一番年上の子が、スープの椀を抱えたまま答えた。
「親、教会に連れてかれた」
「連れていかれた?」
「加護が暴れて、人を傷つけたから。危ないからって」
その言い方で十分だった。暴走した加護の責任を、本人と家族に丸ごと押しつけたのだろう。教会が暴走を引き起こし、教会が裁き、教会が保護の名目で奪う。ずいぶんと綺麗にできている。
二人目の子が小さく言う。
「家も、なくなった」
シエラが珍しく笑っていなかった。
「最低だね」
「今さら確認すんな。知ってたけど最低だ」
ミアはいつの間にか子どもたちの真ん中に座っていた。自分の椀を半分分けてまで食わせている。お前も食えよ、と言いかけてやめた。こういう時のミアは、たぶん昔の自分にしてほしかったことをしている。
食事のあと、子どもたちはようやく少しだけ口を開くようになった。近くの廃屋に潜んでいたこと。食べ物がなくて、この教会に人の気配がしたから盗みに来たこと。追い払われると思っていたこと。
追い払う気になれないのが、また困る。
レティシアは子どもたちへ、剣ではなく木の棒を持たせて立ち方を教え始めた。
「振る必要はありません。逃げるための間合いを作るだけです」
「騎士ってそういうのも教えるの?」
「教えるべきだと思っています」
その横顔は、騎士団にいた時よりずっと騎士らしく見えた。誰かを守るのに、立派な肩書きなんて本当はいらないのかもしれない。
そのころシエラは、地下へ続くらしい石扉を見つけていた。
「ユウ、こっち」
「また面倒の匂いか?」
「今回は面白い方」
「だいたい同じ意味なんだよ」
石扉の先は、細い階段になっていた。空気はひんやりしていて、土と古い香の匂いが混ざっている。壁の燭台は死んでいたが、シエラの灯りで照らすと、小さな地下室に出た。
そこには祭壇があった。
地上のものよりずっと古く、飾り気がない。だが、白天教会の紋章ではないことは一目でわかった。刻まれているのは、円と線がいくつも重なった柔らかい意匠だ。押しつける印じゃなく、受け止めるための形に見える。
「これ……」
シエラが石板の文字をなぞる。
「願いの記録装置だ」
「加護を授けるんじゃなくて?」
「逆。人の願いを拾って、残すためのもの。本来の仕組みはたぶんこっち」
俺は祭壇に手を触れた。次の瞬間、ひやりとした感触の奥から何かが広がる。視界がぶれ、頭の奥へ薄い声のようなものが流れ込んできた。
古い景色。
大勢の人間が、今よりもっと素朴な服で、この祭壇の前に立っている。誰か一人の許可を待つんじゃない。自分の言葉を置いていくみたいに、静かに手を添えていく。
その中に、一人だけやけに輪郭のはっきりした人影があった。
男か女かも曖昧な横顔。だが、その周囲だけ空気が少しずれて見える。俺と同じだ、と思った瞬間、胸がざわつく。
その人影が、こちらを見た気がした。
『選べ』
短い、その一言だけ。
はっとして手を離すと、地下室の薄闇へ引き戻される。心臓が変に速い。シエラが興味津々の目で見ていた。嫌な目だな。解剖一歩手前のやつだ。
「見た?」
「お前、その聞き方やめろ」
「で、見たんだ」
「……断片だけ」
「十分」
シエラの声が少しだけ低くなる。
「同じ“世界の穴”だろうね。先代ってやつ」
先代。さらっと言いやがる。でも、否定できる材料がない。
地上へ戻ると、子どもたちがすっかりミアに懐いていた。なぜだ。いや、わかるけど早いな。ミアは真顔で宣言した。
「ここで食堂やろう」
「は?」
「ごはんがある場所は、だいたい帰ってきていい場所になるから」
その言葉に、俺は少しだけ黙る。
レティシアも、シエラも黙った。たぶん全員、同じものに少し刺されたんだと思う。
ミアは続ける。
「小さくでいいよ。スープとかパンとか。お腹空いてる人が来て、座れて、追い出されないやつ」
「理想論だな」
「うん。でもだめ?」
だめ、と即答した方がよかった。危険だ。人が集まれば目立つ。教会に見つかる可能性も上がる。俺たちは逃げる側で、守る余裕なんて本来ない。
なのに子どもたちが、目を輝かせてこっちを見る。
「ほんとにやるの?」
「毎日食える?」
「お金なくても……?」
やめろ。そういう目で見るな。俺が弱いの知っててやってるだろ、世界。
「……小さくだぞ」
気づけば、そう言っていた。
ミアが飛び跳ねる。
「やったー!」
「ただし、危なくなったらすぐ畳む」
「うん!」
「掃除も手伝う」
「うん!」
「食材は勝手に食うな」
「そこは相談!」
「相談の余地を作るな!」
翌日から、廃教会は妙な速さで変わり始めた。
子どもたちが勝手に近所から古い椅子を運び込んできて、ミアが入口に雑な看板を置く。レティシアは周囲に見張りの導線を作りつつ、ついでみたいにベンチまで直していた。シエラは地下室を半分研究室にしながら、表では虫除けと結界を兼ねた香草束を吊るしていく。俺は鍋を磨き、棚を直し、なぜか当然のように厨房担当に収まっていた。
昼になるころには、近くを通った旅人が一人、匂いにつられて立ち寄った。次に荷車の御者。さらに傭兵くずれっぽい男が二人。大したものは出していない。豆のスープ、固いパン、干し肉を細かくした炒め物。それでも“追い返されない”だけで、人は案外長居するらしい。
笑い声が、教会の中に残る。
変な感じだった。こんな場所に人が集まって、椅子に座って、飯を食って、どうでもいい話で笑う。つい昨日まで瓦礫だらけだった場所が、今は妙にあたたかい。
俺は鍋をかき混ぜながら、落ち着かない気分になっていた。
落ち着く、じゃない。落ち着かない。こういうのに慣れていないからだ。帰ってきていい場所みたいなものを、あまりに簡単に持ちかけられると、逆に怖い。
夕方、客が引いたあとで、俺は一人で入口の前に立った。空は茜色に沈み、壊れた尖塔の向こうへ鳥が飛んでいく。食堂にした大広間にはまだ笑い声の名残がある。鍋の匂いも、木の椅子のきしみも、全部が“ここに人がいた”証拠だった。
「変な顔してる」
横から声。レティシアだ。見回り帰りらしく、髪に夕方の風の匂いをまとっている。
「そうか?」
「少し」
「自覚はある」
レティシアは少しだけ目を細めた。
「ここは、良い家です」
家。
その言葉が、妙に重い。軽々しく言ってほしくないくせに、言われると否定しきれない。
「まだ仮だ」
「はい」
「壊れかけだし、追手も来る」
「はい」
「面倒しか増えてない」
「それでも、です」
真面目な人は、こういう時だけずるい。まっすぐ言い切るから、こっちの逃げ道がなくなる。
俺は返事の代わりに、空を見上げた。
その夜、扉に白い羽根が刺さっていた。
真新しい羽根。汚れ一つない白。月明かりの下で、ぞっとするほど綺麗に見える。誰がどう見ても、白天教会からのメッセージだった。
歓迎じゃない。警告だ。
背中の内側がすっと冷える。
ミアが後ろからのぞき込み、小さくつぶやく。
「見つかった?」
「たぶんな」
シエラは羽根に触れもせず、目だけ細めた。
「早いね。思ったより」
レティシアはもう盾へ手をかけている。
俺は羽根を引き抜き、指で折った。ぱき、と軽い音がした。
守りたい場所なんて、作らない方が楽だと思っていた。失う怖さまでついてくるからだ。
でも、もう遅いらしい。
この廃教会の、歪んだ椅子も、埃っぽい床も、子どもたちの騒がしい声も、ミアの無茶苦茶な食堂構想も、レティシアの不器用な真面目さも、シエラの危ない研究机も、たぶんもう俺の中で“ただの仮”ではなくなっている。
それが、腹の底を冷たくした。
同時に、少しだけ熱くもした。
「……あー、ほんと」
俺は折れた白い羽根を見下ろす。
「静かに暮らしたいだけなんだけどな」
誰に言うでもない愚痴は、夜風にさらわれていった。
けれど、その願いがそう簡単に通らないことくらい、もう俺たちは知っている。
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