【2】天使のごとく、軽やかに
「反抗期だ……」
晩餐も終わり、料理長が部下と共に後片付けと明日の仕込みをしていた時のことだった。
険しい表情で厨房に入ってきた主人に、料理に何か至らない点があっただろうかと真剣に悩んだ料理長に火の竜族長はそう告げた。
静寂が厨房を支配した。
「はい? あの、ウェルトン様?」
「ルナが反抗期なんだ。父親としてどうすべきだ? ひたすら機嫌を取ればいいのだろうか。それともここはびしっと父としての威厳を見せるべきか? いや、だが、そんなことをしてあの子に嫌われたらどうすれば・・・」
料理長は8人の子持ちだった。
とりあえず、なんとか主人を落ち着かせて話を聞くと、こういう事らしい。
晩餐の後、ルナの私室で主人のウェルトンは彼女にある贈り物をしたらしい。
それを見た瞬間、ルナは彼を部屋からたたき出し、がんとして入れてくれなくなったらしい。
「で、これがその贈り物ですか」
ぴかぴかに磨かれた調理台の上に置かれたそれは……深紅の下着だった。
上下お揃いのそれは、肌触りの良さそうな布が使われ、刺繍とレースの飾りも凝っており、かなり値の張る品と分かる。調理台に主人が無造作に置いたときは、衛生的にどうかと思ったが、よく考えれば、まだ未使用だからいいか、まぁ、主人を片付けたら、念入りに洗浄し直そうという結論に達した。
部屋を追い出されてから、ここに来るまでずっと握りしめていたらしいそれは、微妙に皺が寄ってしまっている。もったいない。せっかくの高級品が。こんなところにまで素材を最大限利用し、机の足以外は全て極上の料理に仕上げる料理長としてのもったいない精神が出てきてしまう自分に、ああ、現実逃避以外のなにものでもないなぁと料理長は思った。主人は、まだ食い入るような目でその赤い物体を見ている。若手の料理人は真っ赤になっている。はっはっは。かわいいものだ。
ゴホンッ。
いいかげん空気に耐えきれなくなった、料理長は咳払いをした。そして、おそるおそる、口を開いた。
「え~。ウェルトン様。なぜ、このような贈り物をしようと思われたのでしょうか」
それに、難しい表情のまま主人は答えた。
「コーナーにすすめられた」
ものすごく納得した料理長だった。
水の竜族であるコーナーはウェルトンの『独身』の親友だ。
都一の遊び人と名をはせる彼なら、なるほど、子育てにも詳しいだろう。他人の婚約者だろうと人妻だろうと500歳の年の差だろうと愛があればいいのだという彼ならば。星の数ほど浮き名を流した彼には、愛を選べないとのたまう彼には、噂だが、あくまで、噂だが、星にはちょっと足りない程度の数のパートナーがいるらしい。そんなコーナーの生き甲斐の一つは、この生真面目な主人をからかうことだ。そして、毎回それで迷惑を被るのは周囲だった。
「今、都の女の子達の間で流行っているんだよ。贈られれば、『天使のごとく、軽やかに』心が浮き立つというその品を是非、ルナ嬢に贈ってはどうかな?」
そういって、コーナーは主人を唆したらしい。
「ルナはこれの何が気に入らなかったのだろうか。色か? 形か? それとも素材だろうか?」
数があって迷ったという主人に、思わず、彼がその都一流行っている下着屋で、仏頂面で婦人用下着を選んでいる光景が目に浮かんだ。
「いえ、そういう問題ではないかと」
震えそうな声を何とか保ったのは、いかなる時も冷静な料理長としてのプライドだった。そう、たとえ、爆笑寸前だったとしても。後に聞いた話だが、一緒に選びに行ったというコーナーは笑いすぎのあまり、命を落としかけたという。
「では、何が悪かったんだ?」
「それは……」
生真面目な主人に、年頃の娘心というものをいかに説明しようか悩む料理長に主人は更に問うた。
「と、いうか、これはどうやって使うのだ?」
沈黙が落ちた。深い深い沈黙が。
驚愕に固まる周囲に主人はなおも続ける。
「私はコーナーと違い遊び事に疎くてな。やはりこんな仕事一辺倒で、これの使い方も分からぬ父親など、ルナはいやなのだろうか。」
いや、問題はそこではない! そこではないんです! と、料理長は心の中で叫んだ。
「どうすればいいのだろうか、料理。」
それは、料理長の台詞だった。
初めて主人のお堅さを恨んだ料理長だった。
後日、顔を朱に染めてルナに謝り倒しているウェルトンの姿と
主人の教育方針について真剣に討論する執事と料理長の姿が見られたという。




