闇男1
生ぬるい雨が降り注ぐ。ポツリポツリとまばらに降る雨を浴びてクロは不愉快な気持ちになった。
雨は嫌いだった。外にいるのに服の上から濡れる感覚がクロにはどうしても慣れなかった。体が濡れる時は服を着ていてはならない。
クロは来ていたTシャツを脱いで上半身を露わにした。
目の前には自分が倒した人間で山積みになっている。
毎日毎日飽きもせずクロは命を狙われる。収入源が暴力によって成り立っている人間がほとんどなこのドヤ街で命が狙われない日などないに等しかった。
「クロ。終わった?」
振り返るとマオリーが傘をさして迎えに来てくれた。
三つ編みを2本ツインテールに束ねた彼女を見るたびにどうやって1人で結んでいるのかクロは不思議に思っていた。
「今日は誰に狙われたの?」
「知らね。ここで昼寝してたら拉致られそうになった。ちょっと小突いたら薬中も入って大騒ぎだよ」
「こんな雨の中で昼寝してたの?」
「たまにはおつだろ?」
クロは笑ってマオリーの傘に入った。
2人は並んで帰る。マオリーと並んで歩く時間がクロは好きだった。
関東地方の県境が集中するこの地域は通称ドヤ街と呼ばれ、外国からの不法移民が集まり治安が悪化、全国から居場所のなくなった身元不明者やヤクザ崩れ、軍人など危ない連中が自然と集まり街が広がっていった。
今では日本でありながらまともな人間は寄り付かない独立国家じみた街になってしまった。
こういった荒れた街ではエスパーが増える傾向にある。生き残る術が本能的に開花するためだ。強さだけがドヤ街で生き残る唯一の手段だった。
そんな街ではクロやマオリーといった戸籍のない未成年者は格好の得物なのである。
クロは争いは嫌いではない。日頃のストレス発散になるし、金も手に入れることができる。
実際クロは働いていない。襲ってくる連中からわずかな金を巻き上げ日々穏やかな暮らしを満喫していた。していたはずだった。
2か月前までは。今は楽しくないのである。心がささくれる。理由ははっきりしていた。クロの中でモヤモヤがガン細胞のようにどんどん肥大化していった。
「そういえばね」
雨の音しか聞こえない沈黙を破りマオリーが口を開いた。
「家にお客さんが来てるよ」
「客?誰だよ、客って」
「警察官だって。綺麗な女の人。もう1人はよく分かんなかった。国?の人」
「なんだよ、その説明。大体警察なんてそんなもんドヤ街にいないだろ。何者だよ」
さすがのクロでも警察は知っている。クロが小さい頃まではまだわずかに機能していたように思う。
今ではとんと見なくなったが彼らはどこに行ったのだろうか?
「ドヤ街じゃないよ。外の人。珍しいよね。ここには外の人は近づかないのに」
警戒心の強いマオリーが知らない人間、ましてや外の人間を家にあげる理由がクロにはちょっと思い当たらなかった。
「らしくないんじゃない?危ない連中だろ?」
「危なくはあるんだろうね。それよりも相当強いよ。2人ともね。とても断れなかった」
マオリーはここで言葉を切った。
「馬王たちのことで来たんだよ」
クロは自分の心が激しく揺らいだのを自覚する。が、すぐに戻した。
「ああ。なるほどね」
手短に返しクロたちは別の話題に話がそれた。当たり障りのない話をする。
そうこうしていると2人はアジトにたどり着いた。ところどころ壁がはがれかけているがコンクリート造りのなかなか立派な一軒家である。
クロはドアの前に立つと警戒を強めた。かすかに人の気配がする。仲間以外は入れたことのない住処にまがい物が2人いる。クロは無意識に両手を少し前に出していた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。多分」
「多分かよ」
マオリーがドアを開けた。
いつもの玄関で靴を脱ぎ、すぐ手前の左手のドアを開く。そこがリビングになっていた。
物のない殺風景なリビングの真ん中に無造作に置かれたテーブル、それを囲うように人が2人座っていた。
男が1人、女が1人。2人はクロたちが帰って来るのが分かっていたかのようにすでにドアに視線を送っていた。
「おかえりなさい。お言葉に甘えてくつろがせてもらってるわ」
「好きに使ったらいい。私たちも勝手に使ってるだけだし」
女の方が話し出した。マオリーが対応する。女は美人だった。大人びた話し方だが年は若いのかもしれない。20代前半だろうか?
パンツ型のスーツを華麗に着こなしウェーブがかかった髪型が抜群に似合っていた。
「良い家ね。あなたたち見たところ高校生くらいだと思うけどどうやって手に入れたの?」
「別に私たちの家じゃないよ。勝手に使っているだけ。前の住人が別海組のショバでやらかして消されたとかで空き家だったんだ」
「それをあなたたちが使ってるのね。馬王たちもここにいたの?」
「私とクロと馬王とヤナギとミアの5人で住んでた」
女の話にマオリーが淡々と答える。クロは男の方に意識を向けていた。男もスーツだったが、襟まで整えられ、しわ一つない女とは対照的にヨレヨレのスーツに中途半端に伸びた無精ひげ、極めつけはクロたちを見る目だった。虚空を見つめ何にも考えていない目である。
クロはこの男に少し親近感がわいた。こいつも多分河原で1日過ごせる奴だと思った。
「自己紹介がまだだったわね。マオリーとそっちのあなたがクロでいいのかしら?」
突然クロに話を振る。クロはイラっとした。自分の家で我が物顔で仕切ろうとする女に反感を覚えた。
普段を道で寝ている浮浪者にも警戒するマオリーが順応しているのにもむかついた。
クロの結論は無視するだった。むかつくものはむかつくのだ。これを抑えるためには少しでも相手の思い通りにさせたくないとクロは思った。
相手はどう来るのか。クロの知るドヤ街の水商売の女たちとは根本的に違うこの美しい女の困った顔が見たかった。
「私、あなたと話しているのだけど。聞こえてる?」
再度話しかけてくるが続けて無視した。舌打ちもかませばさらに戸惑うだろう。
クロは女を見た。女は予想に反して笑顔を向けていた。ドヤ街の男ならこの笑顔だけで飛びかかって下半身を丸出しにするだろう。
クロも例外ではない。だがクロはその時の女の顔が不気味に思えた。殺されるとさえ思った。
(カミナリ?)
その瞬間視界から女が消え、クロの体は外に弾き飛ばされた。
意識はある。体は最初動かなかった。遅れて頬がズキズキと痛んできた。この時殴られたのだと分かった。
家のコンクリートの壁が壊れている。空いた穴から女が出てきた。こいつに殴られたのだ。
クロはにわかには信じられなかった。マオリーも突然のことに呆然としている。異様な空気の中、無精ひげの男だけが何事もなかったかのように茶をすすっていた。
「私こう見えて我慢が1ミリもできない女なの。敵意がないなら質問には答えてくれる?」
「先にあんたらの名前を言えよ」
なんとか言葉を絞り出した。口が腫れて発音しづらかった。
「ああ。そういうこと。確かにそれはこっちの落ち度だったわ。殴ってごめんね。でもあなたも嫌なことがあったらすぐに言いなさいよ」
この女は言っても殴っただろうとクロは思った。
「私は芝崎聖子25歳。公安4課特殊テロ対策班の班長よ。要は警察官ね。あっちの男が成島天洋、警察じゃなくて内閣調査室。それでこれはプライベートなことだけど私の婚約者」
イラつきが治まらない。体中から黒い衝動が沸々と湧いてくる。
クロの体内から自身を取り囲むように得体のしれない黒い物質が出てきた。
黒い物質は竜巻のように回転しており数も4本あった。
大きさや長さも不規則に変化しておりまるでこの黒い物質が意思を持って襲ってきそうだった。
「クロ!やりすぎだよ。家が壊れる!」
マオリーの制止も今のクロには聞こえていない。クロは目の前の自分を殴り倒した女しか見えていなかった。
「黒いアポロか。すごい創造力ね。普通はこんなどす黒いもの創ろうとは思わないんだけど」
聖子の周りが帯電する。クロは聖子に黒いアポロをぶち当てた。
聖子はこれを難なく交わして上空に旋回する。クロのアポロが聖子を追いかける。
1人の人間が操っているとは思えないほど4つの黒いアポロは上下左右あらゆる角度から不規則に聖子を襲った。
マオリーは心配そうに事の様子を見守っていた。こうなったクロを止めるのは無理だとマオリーは充分に分かっていた。
1分ほど膠着状態が続く。クロに戸惑いの色が見え始めた。聖子に攻撃が当たらないのだ。もうずっと攻撃しているのに当たらない。とらえられない。
雷の速度をとらえるのは容易ではないが、それにしても攻撃がかすりもしないなんてことがあるのか。
クロは攻撃の手を一旦止める。黒いアポロを自分の周りに近づけた。
「もう終わり?悪くないけどいまいちガッツが足りないわね。狭い世界ばっか見てるとエスパーの腕って落ちるのよ」
そう言って聖子の姿が消えた。次に聖子を視界でとらえたのは、クロの首筋に攻撃しようとしたのをアポロで防いだ時だった。
近くで見る聖子の顔は感情のない仮面のような不気味さがあった。
クロは聖子の手をアポロで飲み込もうとした。聖子の体がアポロに吸収されていく。
勝ったと思った。だが聖子は黒いアポロに沈んでいく手から雷を放ち続けていた。
異常な攻撃力である。アポロを通してクロの体に直接ダメージが入るほどに。こんなことはクロにとって生まれて初めてだった。たまらず聖子を放す。
聖子は距離をとり、スーツの埃を手で払っていた。
「あなたのアポロ、攻撃はいまいちだけど防御は一級品ね。オートで防ぐの初めて見たわ」
クロは警戒を緩めない。目の前の敵をどうやって倒すのか思考を張り巡らしていた。
「警戒中のところ悪いけど大体分かったからもう眠ってていいわよ」
聖子がちょっと指を動かすのが見えた。それからクロの意識は暗闇に沈んでいった。
クロは聖子と出会った日のことを思い出していた。あの戦いの後、聖子と成島と2か月ほど一緒に暮らした。
壁を直したり、商売を始めてみたり、馬王の捜索を手伝ったり、エスパーの稽古をつけてもらったりした。
4人で暮らしたあの2か月は馬王たちと袂を分かった日から荒みかけていたクロの心を少しだけ楽しいものにしてくれた。
マオリーも同じ気持ちだったんだろう。だから警戒心の強いマオリーが聖子とクロを引き合わせたのだ。お節介のマオリーが考えそうなことである。
あれから約7か月たった今クロは納得した。
クロは今大都会東京のホテルのパーティー会場にいた。人がごった返していて鬱陶しい。どこかの大臣とかいうのを守るらしい。
外の世界の仕組みはまだ分からない。なぜあんな醜く肥え太った豚を命がけで守らなければならないのか、まだ理解していなかった。
「聞こえてる?おい!」
無線が聞こえる。聖子のダイナだ。まだ慣れない。先輩の狭山壮太も同じようなことを言っていた。
「いい加減慣れなさいよ。ったく壮太が出るようになったと思ったら今度はこっちが出ないんだから。すみれはすぐ出るのに」
頭の向こうで聖子が話している。自分の脳内に聖子が埋め込まれているような感覚が気持ち悪くないわけないだろとクロは言いたかった。
「こっちは異常なしだよ」
「了解。何かあったら速やかに報告しなさい。光夜」
聖子の無線が切れた。
光夜はフウッと一息つく。ドヤ街のクロは名を芝崎光夜に変え、戸籍上芝崎聖子の弟として公安4課で働いていた。




