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四 穏やかな時

最終話です。

景虎は呆然としていた。


”貴方のそばにいれるのならば小姓でも妾でも何でも”

真琴は確かにそう言った。


貴方のそばに…


何度も何度も頭の中でその言葉が右に左に往復し、景虎の中に芽生えた真琴に対する愛しさが込み上げてくる。

「真琴…」


 景虎は一旦城に帰るも、気になって山道を行ったり来たりしていた。しかし、辺りが暗くなっても真琴は帰ってこない。


 その頃真琴は山奥の寂れた神社にいた。初めてこの地に来た時以来のハローワークの謎のブースである。ブースは真っ白で綺麗なままそこにあった。

中に入るとあの時の眼鏡をかけた男が真琴をチラッと見て書類をパラパラとめくる。

「北原真琴23歳…あ、ここでは十六歳でしたね。お久しぶりです、どうしました?」

「私はここで景虎様の小姓として仕事をいただきました。もし…そうでなくなったら、どうなりますか?」

眼鏡の男は真琴を真っ直ぐに見つめる。

「小姓でなくなった場合、契約違反となり契約解除で現代に送還されます」

真琴は唾をごくりと呑んだ。

「但し、それはあくまでもあなたが勝手に小姓を辞めた場合であって、ちゃんと手続きをしてそれが受理されれば職種は小姓でなくても問題ありません」





真琴はとぼとぼと山道を歩いていた。眼鏡の男は最後にこう言った。


「もしその職種が婚姻など終身雇用を伴うものだった場合、契約の変更が受理され新たな契約の成立と共にこのブースは消え、現代には帰れなくなります。それを覚えておいてください」


 つまり、景虎様ともしも永遠の契りを誓えば現代に帰る事は許されないということ。

ただ、景虎様はそんな事を望んでいない。あの人は生涯独身で子も残さなかった。女嫌いとも言われている。

恐らく自分では私を幸せにはできない、そう思ったからあんな事を言ったのだろう。


”あの男はきっとお前を大事にしてくれるであろう”


それでも…巴春様の前から連れ出された時は”真琴は私のものだ”と、そう言ったのだ。少なからずそう思ってくれている。例え小姓としてであっても景虎様が望むならそれ以上のものはいらない。ただ側にいるだけでもいい。


 真琴は立ち止まる事なく城に向けて歩いた。

春日城の門が見えた時、黒い人影が走ってくるのが見えた。もう走り方だけでもわかってしまう、景虎様だ…

「真琴っ」

景虎は躊躇なく真琴を抱きしめた。

「っ…」

「…すまなかった」

あまりにもぎゅっと抱きしめられて身動きが取れない。

「…景虎様、苦しいです」

「ああ…だが我慢してくれ。お前をしっかり捕まえておかないと気持ちが収まらない」

「大丈夫です。もうどこにも行きません」

「本当か?」

「はい、景虎様の望む場所に、望む形で居させてください。それが私の望みです」


「望む場所…」

 景虎は真琴を抱きしめながらほんの数秒空を見上げて、そして真琴の手を引いて城の中へと歩き出した。

すでに陽が落ち暗くなっているせいか誰にも会う事なく景虎の部屋までくると、景虎は文机の前にある座布団に座り、自身の膝をぱんぱんっと叩いた。


真琴はキョトンとして首を傾けた。

「何をしている、来い」

強く腕を掴まれて景虎の膝の上に強制的に座らされた。

「か、景虎様!?」


 真琴の両腕は景虎の肩に添えるように乗せられ、景虎の手は当然のように真琴の背中に回る。二人の顔は息が掛かるほどの距離になってしまい、真琴の顔は必然的に真っ赤になる。


「真琴、私の望む場所はここだ」

「っ!」

「私と真琴の間には誰一人、一歩たりとも入れまい、それがどういう事だかわかるか?」

真琴はおずおずと景虎の目を見つめた。景虎の瞳には紛れもなく自分が映っている。

「私の傍にいてくれるのだろう?」

「はい…」

景虎の顔が真琴の視界を全て覆う。重ねられた唇はまるでそれが契約の証であるかのように押し当てられ、何度も何度も戯れ合いながら、やがて深く、二人の吐息だけが部屋に鳴り響いていた。





 景虎にそばにいる事を望まれ、口付けをされた翌朝、景虎の布団の中で抱きしめられるような格好で目覚めた。思い出すと恥ずかしいが景虎は口付け以上のことはしてこなかった。でも部屋に戻ろうとした真琴を抱きしめて離してくれず、そのまま二人で寝屋に入った。


 寝顔を見るのは初めてだ。警戒心が強く、決して人に弱みを見せることのない男が、目の前で無防備に寝息をかいている。急に何かが込み上げてきて景虎の胸にしがみつくように顔を埋めて泣いた。

「どうした、」

「景虎様。起きたら全て夢だったのではないかと。でも、ちゃんと貴方は隣にいたので、安心してしまい…」


景虎は今までに見たこともないような優しい顔で微笑み、真琴の頭を撫でた。



 五日後、朝から広間では軍議が開かれるため家臣が続々と集まってきた。

真琴は宴会の準備の手伝いをしていた。ちょうど軍議が始まった頃、巴春が酒を届けに現れ、真琴を見つけるなり声をかける。

「真琴、五日ぶりだな」

真琴は周りを見廻し、巴春を誰もいない勝手口に誘導する。

「巴春さん…こないだの、ああいうのは困りますっ」

「はっはっは、景虎は焦っていただろう?」

「焦っていたどころではないですよ、もう」

「…で、話はまとまったのか?」

「まとまった…のでしょうか。」

「その姿を見るとまだ小姓をしているようだが?」

「私は、景虎様の望む形でそばにいられたらそれで十分です」

「そばに…か。まあ良い。だが、まだ俺のところに来るという選択肢も残ってるからな、いつでも待ってるぞ」巴春は熱い視線で真琴を見る。

「大丈夫です。私は景虎様以外の人のところに行くことは永遠にありませんから」真琴はペコリとお辞儀をして手伝いに戻って行った。

その後ろ姿を見てくっくと笑う、

「景虎に春が来るとはな…」



 家臣を集めた軍議は早々に終わり、すぐに宴会が始まった。真琴は女中たちに混ざって料理や酒を運んでいる。不意に巴春と景虎が隣同士で並んで酒を酌み交わしている姿が目に入る。

あの二人は仲がいいから喧嘩するんだな。少し微笑ましい気分になりながら広間から出てお酒を取りに行く。


「景虎、真琴に俺のところに来るという選択肢を再度伝えておいたからな」

「何っ、私に断りもなくまた真琴と話をしたのか?」

「ああ、珍しく気に入ってしまってな」


景虎は辺りを見廻し真琴を目で探す。


「あぁ、さっき部屋を出て行ったぞ、酒でも取りにいったのであろう」

巴春はくっくっくと笑う。

「景虎、案ずるな。真琴には迷い無く断られた」

「嘘ではあるまいな?」

「景虎様以外の人のところに行くことは永遠にありません、可愛い顔してそう言われたよ」

景虎は徐に立ち上がる。

「巴春、ゆっくりしてってくれ」

巴春は手を振って笑顔で景虎を送り出した。


 宴会で盛り上がる広間から出た景虎は長い廊下で酒の徳利を盆に数本乗せて歩く真琴を見つけるなりその盆を取り上げて片手でひょいと持ち、そのまま腕を掴んで自室に連れて行く。

「か、景虎様?」

「あっちはもういい」

自室の縁側にそれを置くと座布団を二つ並べてお猪口を真琴に渡す。


「ほら、座れ」


「あ、はい」真琴は慌てて座り、お猪口を受け取る。


「お前と二人で呑んだ方が旨い酒な気がしてな」


景虎に注いでもらったお酒は甘く舌を痺れさせ、喉にスッと消えていった。

「美味しいですね」

「そうだな」



穏やかな時が流れていた。


 いずれ、戦も本格化する。その時にはこんなに穏やかにお酒を飲むことは無いだろう。隣で機嫌良くお酒を飲む景虎を横目にその肩にそっと頭を寄せた。








最後まで読んでいただきありがとうございました。

皆様に穏やかな時が流れますように。

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