風が吹く時
アルは水筒の水を飲み干すと、戦いに疲れた身体を未だ戦火に燻る草地に投げ出した。
五つの堡塁にアングリアの旗を千切れんばかりに降る民兵たちとその鬨の声が聞こえ、その影に隠れるように、両軍の兵士達があちらこちらで斃れ、呻き声を上げている。
アルは一日中戦っていたような疲労感を感じていたが、戦いはわずか二時間で終わった。
ラゴール側の指揮官であるヴィラネ総督は民兵相手の思わぬ損害に、これ以上の損失は既に獲得した植民地の維持に影響が出ると判断、撤退を決めた。
敵はさざなみが引くように整然と、秩序だって撤退したが、それでも多くの犠牲が生じた。
「こんな戦いは初めてでしょうね」
「戦争自体、見たこともなかった! 私達は」
キアラとアニエスは少し離れた木陰に座り込んだ。焦げついた戦場を見てそんな事を一言二言漏らす。
本陣のある丘で、彼らは戦いの疲れを癒やした。それでも周りは負傷した兵士やら、鹵獲した大砲やらで
マクルーアンを始め、軍の首脳は今後の戦略について既に話し合っていた。
馬の足音にアルは仰向けに鳴った身体をゆっくりと起こす。馬上には騎兵姿のウォルターがいた。
「どうだった?」
「ダメだった。付け入る隙がなかったよ」
「誰もが初めての戦いだ。戦い慣れてないんだ」
マクルーアンは敵の撤退を確認すると追撃を決めた。民兵は消耗しきっており、増援の二つの大隊も強行軍で到着した途端に脱落者が続出、とても組織的に行動をとれる状態ではなかった。
敵は彼の予測を上回る速さで戦場から離脱していった。マクルーアンは未だに戦場に投入していない、市民軍竜騎兵大隊を追撃に回した。
「敵のほうが今は上だ。追いつけなくても仕方がない」
続々と運ばれてくる怪我人が列を作っていた。今頃、軍医のテントは大忙しだろう。
一つの担架が通り過ぎた時、アルは再び目を見張った。
「デイヴ! 生きていたのか!」
「誰が死んだって? これからがシーズンだよ!」デイブの声はかすれていたが、生命力にあふれたものだった。
「情けねえ事にケツに一発喰らったら気絶しちまってな。気付いた時は死体の山の下で、重いわなんだって……」
「あまりしゃべるな。向こうで医者に見てもらえ」
彼は担架からだらしなく腕を垂らすと、指をこちらに向けて言った。
「ずいぶんと沢山いるな。友達が」
「いや、これは違う」
「だが、戦友は俺だけだ」そう言ってデイヴは咳き込む。
「ああ、そうだそのとおりだよ」
しばらく雑談したあと、デイヴは兵士の手によって救護所へ運ばれていった。
草木を吹き飛ばすように強い風が吹いてアルの服がはためいた。胸に感じるゴワゴワとした感触。
アルは不思議に思って服に手を突っ込む。と、一枚の紙切れが出てきた。
血に塗れまだ乾き切らないその紙にアルは思い出した。これはマーロウが最期の時にアルに手渡したものだ。
それを覗きこむが、字の読めないアルには何が書いてあるか分からない。だがこれはマーロウの残した最期のメッセージなのだ。
「それは何?」
アニエスが珍しそうに覗く。そこに書かれた文章の意味を知るとアニエスは驚いていた。
「アニエス、そんなに面白いか」
「ええ。死んだ貴方の上官の名誉も守られる」
「いつか文字の読み方を教えてくれ」
「ええ、いいわ。それから乗馬もね」
「それはいい!」
再び強い風が吹いた。アルは飛ばされそうに鳴ったその紙をポケットにしまうと、平穏無事なナレッジヒルの街の方を見た。
戦場を充満していたあの硝煙の塊も風と一緒に遠くへ去っていく。アルはどこまでも目で追っていた。
その雲のような煙が、戦いの怒りと悲しみとを一緒に遠くへ運び去ってくれる事を願いながら。
丘を越えて彼方に消えてゆくまで。
最後まで読んで下さったあなたへ。
ありがとうございます。
ここでアル達の戦いは一旦幕を閉じます。とりとめなく書いてしまった感はありますが、私はここで終わらせるのが一番だと思いました。
18世紀風の異世界を表現するというのは資料もそうですが、現代日本にない価値観や風習、戦闘の技術をどう伝えていいかかなり悩みました。マニアックなことですが、少しでも雰囲気が感じて頂けたなら幸いです。
最後にご意見、ご感想を一言頂けたなら、著者としてこれに優る喜びはありません。