追跡
二発目の弾丸が外れ、アルは計画の破綻を思い知った。バージルは素早く銃を肩にかけてアルに声をかける。
「バーンズの爺さんを助ける、下に降りるぞ」
「なんだって?」
「グズグズするな、敵はこっちに向かってるぞ」
そのとき階段を駆け上がる音がして兵士が二人、乗り込んできた。バージルは手元にあった戦鎚を一人目に投げつける。戦鎚は回転しながら男の顔にめり込んだ。
その身体を押し倒すようにサーベルを手にした二人目がアルに襲いかかる。
(銃は装填されてない!)
アルはとっさに敵の懐に飛び込むと最初の斬撃を避けて右脇腹を猟銃で殴りつける。しかし、相手はそれを無理やり右腕でガードした。防御した衝撃で悲鳴をあげた敵の右手からサーベルが落ちる。それを見逃さず、アルは相手の腰に飛びついて張り倒した。
馬乗りになった相手の顔には怒りと恐怖で真っ赤になっていた。敵の右手は必死にサーベルを探していた。それを見たアルは必死に相手の顔を殴りつけた。熱い鉄か何かがひたすら胸を叩く感覚に襲われながら。
相手の左右の頬は膨れ上がり、意識はなくなっていた。アルは早く終われ、そう考えながら機械的に相手を殴り続けていた。
バージルが彼を止めに入ってようやく彼の闘いが終わった。
「何をしている? 早く行くぞ!」
彼は既に三人の敵を倒していた。バージルは敵の顔から突き刺さった戦鎚を引き抜くと放心しているアルに手をかして立ち上がらせた。
「時間がない、下はもう地獄だ」
「ああ、すまない」
バージルとアルは階段を降りると厨房を通って裏口から外に逃れた。
勇んで開けた扉の向こうで繰り広げられていたのは、アルの予想もしていないものだった。
槍騎兵が他の軽騎兵を追いかけ、敵の騎兵は村人たちに襲いかかっている。
敵の騎兵同士が戦っている。
軽騎兵の大半は突進してくるアニエスの部下を見ただけで逃げていった。何人かの勇気ある敵がいくらか剣を交える場面があったが、いずれも槍騎兵の巧みな槍さばきによって馬から落とされた。
だが槍騎兵の方も敵との数の差は倍以上はある。本格的な戦闘は避け、村人の逃げ道の確保を優先して深追いはしなかった。
「どうなってんだ?」首をかしげた。
「仲間割れか? とにかく村長を探せ」
「二人共こっち!!」
アルが手早く銃に弾を装填しながらあたりを伺っていると、絞首刑台の影にウォルターがこちらに手招きしているのが見えた。
二人は騎兵に見つからないように姿勢を低くしながらウォルターに合流した。
「無事か?」
「なんとかね。村長はこっちにいる。敵が仲間割れを起こした隙に助けだした」
そう言って民家の植え込みの中に入っていく。その後についていくと、バーンズが右腕の傷口を布で押さえながら座っていた。
彼は二人がそばに近づくと弱い笑みを浮かべた。
「どうやら、ワシの読みが甘かった……」
「あまりしゃべらないで下さい」
「すまんのう」
「ウォルター、キアラは居ないのか?」
「わからない。村長をここに隠すので精一杯だったんだ」
「キアラを探さなければ」バーンズの傷を止血しながらバージルが言う。
「アル、村長に肩を貸せ」
アルの視線はキアラを見つけ出そうと宙をさまよう。しかし、逃げていく群衆の中にキアラを見つけることはできなかった。
「これからどうすんだよ?」
「槍騎兵が援護してくれている。順調に行けば逃げられそうじゃ」
「あの女中尉が?」
ラッパの音を聞いてアルは村役場の方を盗み見た。
槍騎兵の攻撃で散り散りになっていた敵が再び集まり始めていた落馬し、手傷を追っている者もいたが、大半は健在だった。その中心には部下の用意した新しい馬に乗って指揮を取るドスタンの姿があった。
「敵の事情も簡単ではないようじゃ」
「時間がない、キアラを探しながらいくぞ!」
バージルが四人は敵に見つからないように建物の壁伝いに進む。逃げる村人たちの集団の中をキアラの姿を探す。
アニエスが部下に命じて群衆が逃げやすいように誘導する声が時折耳に入ってくる。
キアラの姿は見当たらない。逃げる村人の流れは弱まって、最後は村人たちの背後を守る槍騎兵だけになった。
このまま道を西へまっすぐ進めば村を見下ろす山だ。山林に逃げ込むことができれば、土地勘のない連中に追跡は困難だろう。
キアラはまだ見つからない。バージルは顔を真っ赤にして叫んでいた。
「キアラは、キアラはどこだ!」
バージルの叫び声は群衆の叫び声にかき消されて遠くまで響くことはなかった。その声を聞いたアニエスが咎めるような表情で四人に駆け寄った。
「あなた達! 早く逃げなさい。近くの村に助けてもらうのよ」
「キアラを見なかったか?」バージルがアニエスの馬の頭絡を乱暴につかむ。
「いいえ。逃げていった村人たちの中にはいなかったわ」
「馬からの方がよく見えるはずだ、探してくれ!」バージルは懇願するようにアニエスの足をつかむ。
「いたぞ、あそこだ!」アニエスの部下が目を凝らして指差す先に皆の視線が集まった。
キアラは未だ混乱の真っ只中にいた。村役場の前、逃げ遅れた十人ほどの村人たちの中に彼女はいた。当初ばらばらに逃げ回っていた彼らは、敵によって一箇所に追い詰められていた。
周りを軽騎兵に取り囲まれ、馬の群れが立てる土煙に視界は遮られている。その中からいくつもの悲鳴が聞こえた。
「キアラ、こっちだ早く!」
アルはありったけの声で彼女に向かって叫んだ。キアラはアルの姿を認めると、人で溢れかえる中から悲痛な表情を浮かべていた。
「アル! 私はこの村から逃げるなんて出来ないわ!」
「バカな事言うんじゃねえ! 早く来い!」
キアラは取り巻く騎兵の間から飛び出した。彼女は持ち前の脚力で振り向くことなくアルの方へと走る。
「逃げたぞ」敵は彼女を追いかける。
「その亜人の混血をこっちに連れて来い!」
ドスタンの声が響いた。
キアラは必死の形相でこちらに向かって走ってくる。アルはただ待つしか出来ない。
その時、キアラは背後から迫る蹄の音に振り返る。そしてキアラの身体が宙に浮いたかと思うと、巨漢のラゴール兵の肩に担がれて消えていく。
目の前でキアラが連れ去られるのを見ながら、アルは激しく怒り、動揺した。手にした銃を構え、キアラを連れ去ろうとする騎兵に狙いを定める。直後、バージルが彼の銃を抑えた。
「おっさん、なにするんだ! キアラが!」
「よく考えろ! 今の奴らに銃は効かん。お前の腕でキアラに当てずに撃てるのか?」
アルは射撃の技量には自信はあったが、キアラの父親にこんなふうに詰問されては絶対に大丈夫だと言い切れなかった。
「キアラ! ……アニエス、お前の槍騎兵でなんとかならないのか!?」
「部下を向わせるわ!」
アニエスが使える部下を探すが、アルが見た所ではそんな余裕はなさそうだった。
今の槍騎兵は敵の軽騎兵を村人から遠ざけるので手一杯だった。敵は倍近い数、さらにアニエスの殺すなという命令を忠実に守ればこそ、技量で相手を上回る彼らでも、ぎりぎりの状態だった。
「殺さずに、などと言って部下を苦しめているだけね」
アニエスが絞りだすように漏らしたのがアルには聞こえた。アルはこの時ほど馬に乗れない自分を呪ったことはなかった。
「だめなのか……」
「いいえ。手はある。ただ……、いいえ、やるしかないわ」
アニエスは鋭く指笛を二度鳴らした。旗手を追いかけ始めたたばかりのユゼフと数人の槍騎兵がアニエスの元に馳せた。
「何事ですか、姫」ユゼフは追撃を中断されて不満そうに言った。
「ごめんなさい。でも、どうしても助けて欲しい人がいるの」
「あの娘ですか。取り戻すには時間がかかります。旗手を逃がしてしまう」
「旗手は人馬ともに一流のものが選ばれているのだから仕方ないわ。また何時でも取り戻せる。人間の命はそうは行かないわ」
「命令ならば。旗手はオルモー砦の方面へ逃走するようです」
頷くアニエス。続く命令は命令は短かった。
「あの少女を取り戻しなさい。私も行くわ」
「承知しました」
軍旗を奪うため追撃に回したユゼフの小勢だけが今は頼りだ。全てを手に入れられない状況で何を優先するべきか。アニエスは苦慮しているようだった。
「さすがに三騎だけでは難しいでしょうね。アル、射撃で援護してくれるかしら」
「だめだ。連中には銃が効かない。何故か分からないが……」
「今は大丈夫よ。軍旗はここにないから。背中は頼んだわ」
そう言ってアニエスはユゼフと共にアニエスを連れ去る騎兵の背を追いかけていく。それを見た別の軽騎兵がアニエスに向かってピストルを構えるのが見えた。
アルは素早く敵騎兵に狙いを定め引き金を引いた。硝煙がアルの視界を一瞬遮ったが、敵の脇に入った弾丸が軽騎兵の制服を赤く染めるのが見えた。敵はそのまま馬から崩れ落ちた。
アニエスは倒れた敵に一瞥をくれるだけで、再びキアラを追う。
当たった。アルは興奮して銃を肩にかけると、遅れながらもキアラを追う。
キアラを担ぐ敵の騎兵と、アニエスの距離が縮む。今度は左右から敵の騎兵が踊り出て追いかける槍騎兵を迎え撃つ。
「ここは我々が!」
ユゼフともう一人の槍騎兵がそれぞれの騎兵を相手に一騎討ちを繰り広げる。お互いに相手の後ろを取ろうと、円を描いては剣を交える。
アルはその二人を追い抜いてアニエスの後ろ姿を追いつづける。
道辻に差し掛かった時、出し抜けに民家の影から敵の騎兵が現れた。
アルはとっさに銃を構えた。敵は予想外の遭遇に顔をひきつらせていた。アルは至近距離で引き金を引く。撃鉄が落ちたが、弾が出ない。
敵は手にしたサーベルをアルに振り下ろす。かろうじて銃床で受け止めたが、尻もちを付いたアルは銃から手を離してしまった。
再び剣先がアルの頭上めがけて振り下ろされる。アルは両腕で頭を庇った。
背後から銃声が聞こえ、アルの頭上に絶命した男が降ってきた。恐怖を感じたアルは汚れ物をどけるように男の身体を脇にやる。
騎兵は眉間を撃ちぬかれ、ひきつった顔のまま死んでいた。
「大丈夫か!」
バージルの呼びかけにアルは我に帰った。尻もちを付いたアルを起こしてからバージルはアルの猟銃をたしかめる。
「撃った後は状況が許す限り装填しておけ! 特にライフルは装填に時間がかかるんだ!」
「すまん」
「もういい、早くいけ。時間がない。俺の銃を使え」
一歩間違えば自分がこうなっていたかもしれない。アルは死んだ男の目を伏せてから、バージルから銃を受け取る。
馬に二人分の人間を乗せている敵ならいずれアニエスは追いつくだろう。その時、自分がいればキアラを助けられる。アルは再び自らを奮い立たせ、アニエスを追う。
アニエスは石を投げれば必ず当たるような距離まで敵を追い詰めた。アニエスはもう少しという所で敵に声を掛けた。
「降伏しなさい。娘を放すなら命は取らない!」
敵はアニエスの方を一瞬振り向いて、突然ピストルで撃ってきた。弾はアニエスの駆る馬に命中し、馬は悲鳴を上げ、前のめりに倒れこんだ。アニエスは投げ出されないように、馬の首にしがみついた。
銃声と崩れるアニエスの馬を見てアルは彼女のもとに駆け寄った。馬は血を流しながら、横腹を見せて倒れている。アニエスはそのすぐそばで膝をついていた。
「怪我は無いか!?」
「私は大丈夫。馬はダメみたいだけど。彼女を追いかけて」
アルは顔を上げると片膝をついて射撃体勢に入った。敵は離れつつあるが、銃の射程には届いている。
アルは呼吸を整え、撃鉄を起こす。照準を相手の頭――ではなくその馬に狙いを定める。
引き金に指が触れたと思った時には撃鉄が降りていた。そういえばこれはバージルのおっさんの銃だったな、とアルは今更のように思い出した。
銃床が肩をえぐる衝撃と、一瞬遅れて前を走る馬が倒れるのが見えた。脇に抱えられたキアラが投げ出されるのをアルは見た。
アルは銃を再装填すると、キアラがうずくまっている所へ向かった。
アルの放った弾は馬の後ろ足を貫通していた。敵の騎兵は倒れた馬と地面の間に挟まって倒れていた。恐らく死んでは居ないだろうが、確かめるのは怖かったのでアルはそのままにしておいた。
「おい、生きてるか」
キアラは俯いていた。アルが声を掛けると僅かだが反応があった。
「怪我はないか――」
アルが彼女の怪我を確かめようと肩に手を掛けたが、彼女はアルの腕を払う。
アルは戸惑ったが、うずくまったままでは何も分からない。キアラを起こそうと再び手を掛けるとアルの頬に衝撃が走った。
キアラが放った手は冷たかった。
平手打ちした時初めて見せたキアラの顔は、蝋のでできているかのように感情が抜け落ちていた。そして瞳から流れる二筋の涙は、溶け落ちる蝋のように彼女の顔に張り付いてた。
「帰るぞ」
「私はどこに帰ればいいの?」
アルはどう声をかけていいか分からなかなった。