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王統

「このまま村を捨てるっていうのか!?」

「生きていればまた来れる」

 バージルに促されてアルは歩き出す。彼らの背中は敵の騎兵を警戒する槍騎兵が守っていた。

 普段歩き慣れたはずの村へ続く道だが、足取りは妙に重かった。西の森まで辿り着いた時、アルは村の方を振り返った。村に村人は誰ひとりとして残っていなかった。役場も酒場も炎に包まれ、火の着いた村の建物が篝火のように燃え盛っている。

 キアラを助けたあと、バージルとバーンズ、それから槍騎兵部隊が三人を迎えにやってきた。

 村の住人達は三々五々に逃げ去った後だった。

 ドスタンは村を占拠したのを確認すると、残りの村人達を逃がすように部下に命じた。それまで追い詰められていた村人たちは森へ、山へとばらばらに逃げていった。

 敵は予め用意していた松明たいまつを次々と村役場へと投げ込んだ。ガラスの割れる音とともに、建物の窓から炎が吹き出した。

 まだ火のついていない民家に騎兵たちが押し入って、取れるものを取って去っていく。中には家具を引きずり出している連中もいた。そして略奪の終わった民家は例外なく火をつけられた。

 キアラが守りたいといった村が燃えていた。アルはもはや村の人間ではなかったが、彼女の願いがこんな形で終わりを迎えるのは許せなかった。自分が居ることの出来なかった、彼女にとっては唯一の故郷なのだ。

 これからどうなるか予想もつかなかった。

 アルは歩きながら悄然としているキアラを見た。彼女とはそれから一言も話していない。

 アングリアの村は他にいくらでもある。その中でバーンズビーが一番に狙われた。亜人であるキアラがドスタンの興味を引いたのかもしれない。

 どうすれば元の通りになるかを必死に考えた。敵を排除し村を再建する。途方も無い時間がかかる。

 アルの中で新たな感情が湧き上がってきた。

 もしかしたら無理かもしれない。それでもやらなければいけない。彼女がこの半島で暮らしていくにはバーンズビーの村がなければならないのだ。

 この決意とも目標とも付かない強い衝動が、これからの苦難を乗り切る為の勇気になるのをアルは感じた。

 村を脱出して二時間は歩き続けた。森の木々は陽の光を遮り、騎兵の馬具が立てる音が耳に届く。

 アルとバージルを道案内に、騎兵が数十名長い列を作っていた。途中、数名の村人と合流する場面があった。

 時折、風にのって木の焦げた匂いがしてアルは嫌な気分になる。ドスタンは見せしめに火をつけたらしいが、その効果は十分だろう。

 同じく隊列の先頭を行くアニエスに目をやると、同じ事を考えていたのか鼻を押さえて複雑な表情を浮かべていた。

「あんたも気になるかい」

「え?」

「匂いだよ」

「……ええ、以前にも似たような経験が、ね」アニエスはそう言って黙ってしまう。

「助けてくるのは嬉しいけどさ、あんたらはこれからどうするの?」

「ラゴールの陣営にはもう戻れない……わね。それでも今はこれで良かったと思っているわ」

「キアラさんの事は本当に申し訳ありませんでした」

「あんたがどうにかできる状況じゃなかった。生きているだけで上出来だ」

「そう言って貰えると助かるわ」

「ただ、あいつの心はまださまよっている」

 アルは黙ったままのキアラを見た。

 山を超えることが一行の当面の目標になっていた。その先には西にナレッジヒルという大きな入植者の街があり、そこにバーンズの知り合いがいると本人が話していた。馬の足なら一昼夜か、徒歩で三日はかかるだろうとアルは考えていた。

「急いだほうがいいですね。彼らの考えが変わって追撃されないうちに」

「日暮れまでは歩くみたいだ」

「槍騎兵を護衛につけます」

「そうしてくれ。この辺りは氏族クランの連中も出てくるからな」

「原住民、亜人ですか?」

 良心のある獣と言われる彼らの生活様式はよくわかっていない。ただ、あの七五年前の星降る夜に出てきたのは確かだった。かつては歩く獣の群れだった物が今では氏族クランと言われている。

 亜人は好戦的で人間を見ると構わず襲ってくるという噂とは裏腹に、人前には滅多に姿を見せず、集落が森のどこにあるかも分かっていない。

「こちらから手を出さない限りはなにもされない」

「最も、知らないうちに恨みを買っているかもな」

 小休止を何度か挟みながらも一行は森のなかを歩いて行った。途中で小道に出た一行はその後も順調に西へと進んだ。

 やがて日が傾きはじめ、辺りも少しずつ暗くなってきた頃、列の最後尾で殿を務めていたユゼフがバーンズがいる先頭へ駆けてきた。

 彼は立派なひげを上下に動かし、アニエスに耳打ちしていた。

「今日はもう遅いから、私の部下を遣ってどこか野営できる場所を探しましょう。平行して食料も調達したほうがいいでしょう」

「そうじゃな、もうすぐ日も暮れる。夜を明かす場所はバージルが見つけてくれるじゃろう」

「では狩りは私の部下にやらせます」

「その槍で獲物を突くより、こっちのほうが簡単でいいぞ」銃に手をかけてアルが言った。

「貴方達が狩りの達人なのは認めるけど、その道具は少々うるさいから――」彼女はアルの銃を指していった。「――今は少しでも危険を減らしたほうがいいでしょう?」

「確かに。俺達の道具はおしゃべりだからな」アルの言葉にバーンズがどっと笑った。

「心配しないで。故郷に居た頃は皆で狩りに出かけてたもの。もちろん槍を使ってね」

「問題無いじゃろう。一緒にアル……いや、ウォルターも同行させよう。この辺りの森には多少通じておる」

「実はね、アルは馬に乗れな――」続く言葉はアルに阻まれた。

「あー、いいんだ、ウォルターは俺より獲物を追い立てるのは得意なんだ」

「ん? まあいいわ。ありがとう」

 アルの不信な行動をアニエスは特に気にしなかったようだ。お前たち、と数人の配下の者に声を掛けると、彼らに二三言告げた。

 それを聞いた彼らはウォルターを手招すると、共に馬を巡らして村のさらに外れへと駆けていった。

 野宿に最適な場所はすぐに見つかった。崖を背にして地面が窪地になっていて、何かあっても守るのに適した場所だった。以前にアルはここで寝泊まりをしていたことを思い出し、ここに落ち着く事に決めたのだ。

 着の身着のままで出てきた彼らだが、野宿には慣れていたので焚き木の準備も早かった。

 焚き木の火が丁度良くなったころ、食料調達に行ったウォルター達が帰ってきた。アニエスの部下は立派なイノシシ一頭とウサギを三匹捕まえていた。

「みんな凄い腕だったよ。ほとんど僕は見てるだけだった」

「ありがとう、そう彼らにも伝えておくわ」

 アニエスがウォルターに同行した部下に彼らの言葉で投げかけると、皆ウォルターの周りに駆け寄ってきた。どれもかなりの大男だったが子供のような笑みを浮かべてウォルターを囲んでいた。

 もみくちゃにされたウォルターは苦笑を浮かべながら、悪くないね、とつぶやくのが精一杯だった。

 一同は焚き木を囲む中で食事を取った。思えば朝から何も食べていない。アルは森で取れたごちそうに飛びついた。焼いただけの肉だったが、アルには十分すぎるぐらい腹を満たした。

 食事を終えると皆で思い思いの時間を過ごしていた。兵士の一人が、鞄から小さな笛を出して吹き始める。

 初めて耳にする旋律だ。郷愁を誘う音色がなんとも心地よい。アルは村の事を思いながら聞き入っていた。

 焚き木から少し離れた所で、朽ちかけた高木に背中を預けるようにひとりで佇むアニエスがいた。彼女は焚き木の炎をぼんやりと眺めながら物思いに耽っているようだった。

 彼女はアルと目が合うと他の人間には分からないように小さく手招きをした。

「寒くないか」アルが近づく。

「ありがとう。大丈夫よ」

「いったいどうした?」

「昨晩の夕食の席で言えなかった事を話したいの」

「身の上話か?」

「そんなところよ。彼女にも聞いてもらうわ」

 そう言ってアニエスは、焚き火背に村のあった方角を見つめるキアラの元へと近づいて行く。

「聞いているだけでいいわ」

「あなた達の銃弾が効かなかった理由」

「あんなのは初めてだ。バージルのおっさんが二度もしくじるなんて」

「無理もないわ。あれは魔力のなせる技だから」

「魔力? そんなものは大昔に失われたって」

「原因はドスタンのそばにあった連隊旗の旗竿よ」

「旗竿にしては随分と穂先が立派な槍だった……」

「大昔に錬金術士が作った聖槍で、いまだ魔力を保持している」

「それが銃弾を避ける効果とでも言うのか? 魔法があるって言うのか?」

「ええ。一定の範囲内に対して卑金属の威力を弱らせる効果がある」

「それであいつは無傷だったと?」

「信じられないでしょうけどね」

 あの時のことをアルは思い出した。空気が拍動するような異常な雰囲気だった。アルは確かな殺意をもって引き金を引いた。あれを見間違いだとは思えない。

「少なくとも俺はこの目で見た。信じる、信じないじゃないな。そうだったんだ」

「彼はその力を利用しようとしている」

「それであんたはどうしてそんな事を知っている?」

「なぜなら、あの槍は私の祖先がかつて作らせたものだから」

「もう気づいてるでしょうけど、私はラゴールの人間ではないの。本当の名前はアニエシュカ・クレメンティナ・ロタリンスカ」

 語りかけるような声はキアラに届いているのか。彼女はアニエスを振り返ると無言のまま横目で彼女を見た。

「確かに部下と話す時は聞き慣れない言葉だった」

「私はポスナニアという国から来た」

「初めて聞く名前だ」

「無理も無いわね。十年ほど前に近隣の三つの国に領土を分割されて消滅した。そのうちの一つ、私の故郷は今ではラゴール領ポーゼン州と呼ばれているわ」

 かつてポスナニアの首都があった場所なの、と彼女は続けた。

 アニエスの話によると彼女の父は大陸ではそれなりに大きい国の国王だった。彼女が幼いころに国王は病に臥せてしまい、まともに執務を行うことが出来なくなった。

 そこに目をつけた周辺国は互いに密約を交わした。彼らははじめにポスナニア国内の貴族たちをそそのかした。併合後の領土の支配権を餌に王を欺き、戦争を仕掛けさせたのだ。

 そしてポスナニアは破れた。無敵を誇った槍騎兵は議会に戦費を抑えられ活躍する事はなかった。裏切った貴族達は今でも敵国の廷臣として分割された領地を牛耳っている。

 アニエスが一通り話し終えると、それまで黙っていたキアラが初めて口を開いた。

「……ひどい話。王様を守るのが家来の役目でしょ?」

「王を貴族の投票で選んでいたの。世襲の王が権力を持ちすぎないように、ってね」

「投票で決まる王様か」

「進歩的だと言われたけど、長い長い年月を経るうちに歪みが生まれた――貴族が力を付け過ぎたの」

「それが国内の裏切りに?」

「父の時代に議会は国王よりも強い権力を持つようになっていた。当たり前よね、議会が王を決めるんですもの。有力な家柄ともなれば気に入らない王を退位させて、自分の家の者を国王に据えるのも簡単と言われたわ」

 それで回っていた時代もあったらしい。古き良き時代はいつか終わりを告げるものだ。

「父は退位させられて、ラゴールの宮殿で半ば監禁状態。私は家族と随分と逃げまわったのだけど、結局捕まってしまった」

「捕まった私をラゴールの国王は罰する事はなかった。ポーゼン公を名乗ることを許され、半島に僅かな所領地を与えられた」

「許されたのか?」

「最初に謁見した時、国王は高貴な血族だから殺すことは出来ないと言っていた。彼の侍臣たちは殺したがっていたみたいだけど、辺境に監視をつけて放逐する方がいいと思ったのよ。今の時代、王属殺しは同じ国王でもためらう物みたい」

「その監視役がドスタンという訳か」

「聖槍は王冠と同じくポスナニア王の戴冠式に不可欠な宝具なの。私の戴冠を阻むために彼は私たちから聖槍を取り上げた」

「それで部下に旗手を追わせていたのか」

「そういうこと。あわよくばとは思った。でも今回の一件でそれもふいになってしまったわね」

「どうして、そんなに気楽でいられるの? 家族も故郷も失ってしまったのに」

「元々の性格かしら。でも私には着いてきてくれる家臣がいたから。貴方にも仲間は居るでしょ?」

 そう言ってアニエスはアルを見た。

「俺はただの腐れ縁だ」

「私はそうは思ってない。前から心配だった。村に居られなくなったアルの事」

「祖国を失った異邦人、人間の中で育った亜人、そして社会を追われた無法者アウトローか」

 アルは独り言のようにつぶやきながら、その関係を考えた。

「似た者同士と言いたいの?」キアラが答える。

「間違いではないでしょう? それならお互い居場所を見つけるまで協力しない?」

 アニエスはそう言ってキアラの隣に腰掛けると、彼女の前に手を差し出した。

「ここでは何かするときにこうするってアルが言ってたわ」

「あなたは村のために自分の大事なものを賭けてくれた。私もあなたのために何か大事なものを賭けられたら……。命ぐらいしかないけど」

「あなたが死ぬような事があったら、助けた私の立場がなくなるわ」

「私は本気よ」

 そう言ってキアラはアニエスの手に自らの手のひらを重ねる。

「アルもよ」

 アルの方を向き直ると、すこしはにかんで言った。それまでキアラを包んでいた重い雰囲気が表情から消えたようだった。

「仕方ないが、これも仕事だ」そう言ってアルは二人の手のひらに手を重ねる。伸ばされた三人の手のひらが焚き木に照らされて不思議な影を森に落とす。

「親父が死んだあの村に俺の居場所はないが、それでもキアラの居場所があの村にしかないならおれは村のために戦おう」

「少なくとも、街につくまで気が変わらないようにね。もう寝ましょうか」

 気が付くと焚き火の炎がだいぶ弱くなっていた。他の連中も寝支度を整えている。

 夜は交代で見張りをすることになった。アルはアニエスに別れを告げると最初に全員で決めておいた見張りの位置につく。

 月が頭上高く登る頃には全員が寝静まっていた。深夜ともなれば多少なりとも冷えてくる。アルは木の影に低く伏せてる。ひんやりとした倒木に身を預け、彼はあたりを見張りつつここ数日の出来事について思いを巡らせていた。

 アニエスとの出会い、逮捕、そして村の襲撃。

 この広い半島ではなにも変わらないと思っていた。ずっとこの森と村を行き来して生活するものだと思っていた。先程もラゴールだの、ポスナニアだのと言った遠い国々の話を聞いてもあまり実感が沸かなかった。その遠い異国の事情が巡り巡ってこのバーンズビーの村まで影響しているのが不思議でならなかった。

 世界というのは彼が考えているものよりずっと小さいのかもしれない。今まではこの無限に続くかのような未開拓の土地が彼の世界のすべてだった。

 落ち葉を踏みしめる足音が後ろから聞こえて、アルは現実に戻った。同時に手をかけていた撃鉄を起こしながら振り向いた。

 それは鹿だった。闇夜の中、月光に照らされて光る双眸がこちらを捕らえた。アルと鹿は互いにその存在を確認し、じっと見つめていたが、やがて鹿の方が森の奥底へと帰っていった。

 昨日の事件に巻き込まれなけれな今はまだ密猟者として追っていたかも知れない。だが、今のアルが追うべきはただ一つだった。

(まずは街に辿り着かなきゃな)

 アルは黒く浮かび上がる山々を見据えた。だが彼の心はすでに稜線の向こう側を目指していた。

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