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迷路の迷路  作者: 畠山葵
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夢の終わり

三週間経ち彼は相変わらず私以外の人を認識はしていなかったが、家が何処にあって仕事は何をしていて、愛情を持って接していた野良猫が居た事は記憶として保持していた。

怖がって居た家族や親戚、友人等から、私は本人の写真を借りて、夜通し宿でノートを作って居た。

私はあまり利口ではない。

計算したり学びに好んで頭を使ってきた人間じゃないので、これ位しか、彼に残せるものが思い付かなかった。


母親がこぞって我が子のアルバムを、デコレートしていた趣味が一時期流行ったものだ。

マスキングテープや飾り判子、切り絵のようなシールに数を挙げればキリがないアイテムで思い出を飾り立てるのだ。


そこまで、いかないにしろ写真で顔が解るよう。

その下にはプロフィールや彼との関係性、連絡先等をまとめていた。

彼の家族や友人とは、そこまで仲良くはなれなかった。当たり前の事だ。

育てた息子はたった12年知らない場所で過ごした女性を覚えていたのだから。

彼の容姿は端麗である。

綺麗な顔つきに均整の取れた身体、頭の回転は早く家族の中でも親戚の中でも、勿論、友人達の中でも、いつも中心に居たのだ。

私は年齢の割に童顔で、思慮深くもなく、過剰だと言われるほど自分を卑下して相手に気を遣うめんどくさいタイプだ。

容姿は彼と釣り合わなかったのだろう。


彼が事故に遭うまでは、どんなにか美しい女性を紹介してくれるのかと楽しみにしていた家族や親戚とは折り合いが、取れる筈もなかった。

彼が以前、私に告げた劣等感を植え付けるような人は平等ではない真実も私から自信を奪ってたからだ。


大丈夫だ。

私は過去の亡霊で一時的に受け入れられた昔の恋人でしかない。


退院が決まり、私は彼の親に頼み事をした。

ご両親は、尽くしてくれた好意に応えたいと快く快諾してくれた。

そう。

男鹿島に彼と行きたいと言う事だった。


退院の翌日、彼の父親が彼と私を連れてフェリーに乗って男鹿島に連れてきてくれた。

島では職人さん達が、彼の退院を喜び声をかけてくれたりしたが、相変わらず彼は人を認識しなかった。

だが、元来の頭の回転は戻って来ており私が作ったノートもあり、挨拶をしたり端的ではあるが感謝を述べたりもしていた。


この島には幾つかの採石会社が入っており彼の父親が経営する採石会社も同じく、泊まり込める休憩所と作業場を所有していた。


私と彼は一旦、休憩所に招かれ、父親は仕事に従事するから離れた場所へ行くときは教えて欲しいし必ず此処に戻ってきて帰りも一緒にと言われた。

彼は早速、島の事も思い出してきたから散歩して、休憩所に戻ってくると父親に約束した。

父親は少しだけ心配した様子だったが、はっきりと言葉を口にする息子に納得したのか、私に怪我はしないようにねと、よろしくお願いしますと現場へ向かって行った。


彼は私の手を取り休憩所から出て岩山から離れて行った。


道すがら他の会社の休憩所が幾つもあり舗装された道や緑豊かな場所を見せてくれる。


彼の帰りを待っていたかのように三匹の兄弟猫と二匹の子供に会うことが出来た。

一頻り彼に甘え、彼も久しぶりに楽しそうに接していた。

今日は暖かく日が登り良い散歩日和である。


何処かで家の戸が空く音がした。

猫達は耳をピクリとさせてから、その方向へ走り去ってしまった。

いつもの事らしい。

島中が可愛がるのであちこちで、ご飯がもらえてるそうだ。


彼は仕方ないなと笑いながら、また歩き出す。

この塀によく登っていた、あの隙間が好きだった、ここで昼寝をして、このフェンスから何かを見ていたなど、次から次へと猫との思い出話をしてくれた。


一頻り歩き回り石段がある原っぱに出た。

そこは、動画で見せてもらった景色でもあり、生い茂る緑が鮮やかだった。

私は好奇心が旺盛で辺りに咲く小さな花や祠のような物を見ていた。

祠のような場所には昔から猫の神様に何かを頼むためにお供えをしたり、お願いをしてるいる場所だそうだ。


その近くには廃屋になってしまった誰かの休憩所と大きな古井戸があった。

私は隣のトトロをよく見ていたので、面白い所だなと思っていた。

彼は石段に座りながら私を見ていた。


日はあるが風が冷たくなったのでどれくらい歩き回ったのかと考えていた。

彼はそろそろ戻ろうか?と優しく言ってくれる。

そう、もうここへは来れない。

私の役目は終わったのだからと寂しくもなったが、元気な私が好きな彼のためにふざけて古井戸の戸板を外し中を覗いた。


彼は少しビックリしていたが、使ってなくても綺麗じゃないかなと教えてくれた。

私は覗き込んでみると確かに水は綺麗だった。

枯渇してはおらず水嵩もあり魚まで見えたのだ。

面白い物を見つけたなと、思っていると彼は真後ろに居て自然は落ち着くよななんて言っていた。


さりげなく手を繋がれ戸板を戻そうと手をかけた瞬間、私は石で頭を殴打されていた。

ずるりとしゃがみ込むと眉間や額から血が垂れ流されて来た。

血が目に入り片目が見えない。

あまりの鈍痛に意識も朦朧として井戸の外壁に掴まり彼を見ていた。

彼は泣いていた。

表情はくしゃっと歪み、本当は私と居たかった。家を継ぐ重圧や、働き続けられるか不安な事、家族と過ごした時間で私とは合わないと刷り込まれ続けた事を独り言として吐き出していた。


聞いているのがやっとの中、私はもう居なくなるから少しずつ記憶を取り戻し素敵な女性を迎え、あなたは幸せになれると伝えたが身体を持ち上げられ、井戸の中へ突き落とされた。


元々、彼は心配性で色々な事を考えると鬱気味になる人だった。


私は泳げない。

深く張られた井戸の中でゆっくり沈んでゆく。


彼はそこへ自ら落ちてきた。

私の手を取り一度水面に浮上すると、これしか一緒に居られない。とぐしゃぐしゃな顔で泣いていた。

雨の様に彼の涙が私の顔に落ちては流れる。


そして今度は抱き締められたまま沈んでゆく。

生きる事をいつから諦めて居たのか全く気付かなかった。


12年は一人の人を知るには短すぎ、愛情が歪んでしまう充分な時間だったのかもしれない。


傷の痛みと彼の重みと飲み続けた水で私は死期を悟った。

若い頃一度だけ本気で死のうとしたが、それから彼が現れ、夢のような時間を沢山過ごした。


けれどこの終わり方は想像も出来ず彼の何を誰が奪ったのか、それだけ考えながら意識は無くなった。


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