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異世界ハローワークの裏窓口  作者: Green Rabbit
王国ハローワーク編
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第二十話 港町の喧嘩


 潮の香りと魚の生臭さがねっとりと混り合う南の港町。


 王都の網をかいくぐり、勇者から譲り受けた通行許可証を手にこの街まで辿り着いたノアとポチは、海の向こうの新大陸へ向かう定期船の出港を、潮待ちの宿でぼんやりと待っていた。


 昼下がり。ノアは港の片隅にある、年季の入った古びた飯屋の木のベンチに腰掛けていた。


 目の前には、豪快に塩焼きにされたデカい白身魚と、濁った安酒の入った素焼きのコップ。ポチは店の外の日の当たらない陰で、三つの首をだらりと床につけたまま退屈そうに目を閉じている。


「……うん、悪くないね。王都の飯よりよっぽど素材の味がする」


 ノアが骨の多い魚の身を箸で器用にほじくりながら呟いたその時、店内の空気がガラリと、嫌な音を立てて凍りついた。


「ふざけんなテメェ! 神国の軍靴に魂を売り渡した落ちぶれ傭兵が、よくそんなデカい面ができたな!」

「なんだと、王国の腐った落ち武者風情が! どっちが先に喧嘩売ってきたと思ってやがる!」


 店の中央の席で、昼間から樽酒をあおっていた男二人組みが、ガタガタと椅子を蹴倒して立ち上がった。


 一人は神国の粗暴な元傭兵、もう一人は王国の泥にまみれた元脱走兵。どちらもかつての血なまぐさい大戦を生き抜いてきただけあって腕っぷしは強く、殺気立った目で睨み合いながら、腰にぶら下げた実戦用のナイフの柄にすでに手ががかかっている。

「ひっ……始まったよ……」

「おい、早く逃げるぞ! あいつらガチで刃物抜く気だ!」


 店主はカウンターの陰に怯えてうずくまり、他の客たちも血の気を引かせて一斉に出口へと駆け出していく。店内は一触即発の、殺伐とした血の匂いに包まれた。


 二人の男が顔を真っ赤にして掴み合い、まさに修羅場のナイフ喧嘩が始まろうとしたその瞬間。


「……おや、おや」


 カチャ、と。


 陶器の湯呑みが、テーブルの板に置かれる乾いた音が響いた。


 ノアは慌てず騒がず、汚れた布巾で指先を軽く拭うと、ゆっくりと立ち上がった。武器など持っていない。ただ、羽織っていたヨレヨレのコートの裾を整え、トボトボとした足取りで二人の間へ割り込んでいく。


「なんだテメェ、関係ねえなら引っ込んでろ!」

「邪魔するならお前からブッ刺すぞ!」


 怒号を浴びせかけられても、ノアの表情は一切動かない。


 ただ、その青みがかった瞳の奥が、かつて王国の数年間に及ぶ泥沼の大戦そのものを、一滴の血も流さずにテーブルの上だけで完全終結させた『終戦請負人』のそれへと、一瞬にして冷たく切り替わった。


 かつて王国が魔王と繰り広げた、あの果てしない大規模戦争。

 軍部も貴族も「これ以上は総力戦で共倒れになる」と分かっていながら、プライドと恐怖から誰一人として引けなくなり、数万の兵士がすり潰されていった狂乱の時代。


 魔王と勇者「本当はもうこんな無意味な殺し合いを辞めたい」という心の底の叫びをすべて丸裸にして、交渉だけで戦争をピタリと止めてみせたのが、ほかならぬこの男、ノア・ヴァレンティその人だった。


 武器で国を滅ぼす者などいくらでもいる。だが、言葉と情報の重圧だけで「国家の戦争そのものを廃業させた」男は、世界広しといえどもこのしがない男ただ一人だけだ。


 圧倒的な格の違いが、空間の密度を変える。


 同時に、店の外で寝ていたはずのポチが、ずしん、と重い地響きを立てて巨体を店内に滑り込ませた。


 三つの首の赤い眼光が、店内の全域をねっとりと見据える。声なき巨獣の圧倒的なプレッシャーが、二人の男の肺からすべての空気を無理やり押し出し、その巨体をピタリと凍りつかせた。


「……君たちね」


 ノアは静かな、だが底冷えするような低い声で言った。


「国がどうとか、落ちぶれたとか、そんな数年前の戦争の看板をいつまで背負って気炎を上げているんだい。あんたたちのその利き腕、国のためでも復讐のためでもなく、ただの安酒の酔いざましに使うには、ちょっとばかり安っぽすぎるんじゃないか」

「な……っ……何者だ、お前……」


 傭兵の男の額から、タラリと冷や汗が垂れる。本能が危険信号をガンガン鳴らしていた。


「それに、元傭兵の右肩の古傷。……そこをかばうってことは、もうまともに剣を振れない体じゃないか。無茶をして突っ張ったところで、数年後には麻痺して腕が腐るだけだ。それと脱走兵のあんた、故郷の母親に宛てた未だに出せない謝罪の手紙が、その胸ポケットの中でふやけてるぞ。いつまで実家に顔を向けられないままでいるつもりだい」

「っ……てめぇ、なんでそれを……!」


 二人の男の顔から血の気がサーッと引いた。自分たちの隠したい急所、誰にも見抜かれたくない戦場のトラウマを、この男は一言で丸裸にした。


「喧嘩をしたいなら止めはしないさ。だがね、ここで刃物を抜いた瞬間、外に控えてる港の警備隊にしょっぴかれて、二度と海の向こうへは行けなくなる。……どうしてもここでやりたいなら、僕がその喧嘩、最後まで『完全に終わらせて』あげようか?」


 ノアがふっと、冷たく不敵に笑った。


 静寂。店の中には、男たちの荒い息遣いと、外の荒涼とした波の音だけが響いていた。


 この小さな飯屋の喧嘩を本気で「終わらせる」と言っている。それが何を意味するか。ここで目をつけられたら、生きて国に帰る道すらないと、二人の本能が何故かそう『理解』していた。


 数秒後。


 がくん、と傭兵の力が抜け、握っていたナイフの柄から手が離れた。脱走兵のほうも、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。


「……くそっ……俺たちの負けだ……」


 男たちは互いに顔を背け、ぶつぶつと悪態をつきながら、そそくさと店から逃げ出すように去っていった。


 店内を覆っていた地獄のような空気が、一瞬にして霧散する。


 カウンターの陰から恐る恐る顔を出した店主が、腰を抜かしたままポカンとノアを見上げていた。


「す、すげえ……あいつらを一言で黙らせちまった……お前、一体何者だ……?」

「ただの、旅人ですよ」


 ノアはいつもの気だるげな笑みに戻ると、自分の席に戻り、冷めかけた白身魚の身を箸で上品につまんだ。


 その一連のやり取りを、店の暗がりの特等席で、麦わら帽子を目深に被った男がヘラヘラと笑いながら見つめていた。


「いやぁ、相変わらずいい仕事するねぇ、ノアくん。まさかあの『終戦請負人』の凄まじい口撃を、こんな田舎の飯屋の喧嘩で見られるとは思わなかったよ」


 テーブルの上の素焼きのコップを傾けながら、ひょっこり姿を現したのは、農夫の格好をした元・魔王(ダニエル)だった。

「ダニエルかい。君も船に乗るのかい?」

「まさか。こっちは農産物の新しい貿易ルートの視察さ。まさかこんな港町で、君がガラの悪い喧嘩を華麗に仲裁してるとは思わなかったよ。……で、どうするい? 新大陸へ渡ったあとも、相変わらずその『お仕事相談』を続けるつもりかい?」


 ダニエルがからかうように問うと、ノアは窓の外、広大な海原の向こうに広がる新しい大陸の影をぼんやりと見据えた。


「さあねえ。向こうに着いたら着いたで、どうせ仕事にあぶれた面倒な奴らがゴロゴロ転がってるさ。新しい国がどこであれ、生活に困った奴の面倒を見る場所くらいは作っておかないとね」


 ノアは冷めたお茶を飲み干し、足元に置いたトランクをポンと叩いた。


「あ、カボチャ王さん。このやばい代物達を預かって貰えます?」

 

 海の向こうの新しい国でも、ノアの小さなハローワークの看板は、きっとどこかで静かに、しかし確実に灯ることになる。

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