作家性というか、作品の魂というか。
最近、壇蜜さんの夫である清野とおるさんの漫画「スペアタウン」を読みながら、青木雄二さん(ナニワ金融道の作者)の”後継者”がいたんだな、と己の不覚を呪ったのですが。といっても、青木雄二プロダクションが”正式な後継者”であるのは紛れもない事実なので、これは私の個人的な意見です。
私は1980年生まれの、田舎で育った人間です。二十代半ばで上京し、今や人生の半分以上を縁もゆかりもない都市で過ごしていることになります。
そういう自分が好む作品は、わりと古い作風のものが多いです。
古いというのは、今どきではないという事なのですが……例えば、実在した人の事が書いてあるエッセイなどを好んで読んできたのです。
が、最近になって、そういう作品を夢中で楽しめなくなっているのです。
どういうことかと言いますと、冒頭で挙げた「スペアタウン」などは実在する人物しか出てこない漫画なのですが。(というか清野さんの漫画には実在する人物や動物や場所しか出てこない)
私は、「ご近所さんがモンスター化したら」という喩えに出てくる絵が、あの「騒音おばさん」だったのを見て、「これは、アウトかセーフか」としばらく考え込んでしまったのです。
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前話の話に戻ると、村上春樹さんのエッセイに感じる違和感と似たような、居心地の悪さを感じるようになった。そもそも、ノンフィクションエッセイや漫画を好んで読んでいたにもかかわらず。
いったい、誰の価値観を私は内在化したんだろう。
とはいえ、実際にあった事を書く行為そのものに関しては、自分自身やってはいるのです。やってはいるのですが、若干の違和感を持ちながら書いている。「これ、今書く必要あるんかな」とか。
なんというか、自分はそういう作風でやっていくのだという自覚がないと、ただただ迷うばかりなのかもしれないと思う。




