第1話 修学旅行
十一月の空は何処か物寂しくも澄んでいた。
成田空港を飛び立ち、すでに一時間が経過した頃、機内は高度一万メートルの上空を静かに飛行している。
窓の外では鈍い灰色の雲が帯のように流れ、雲間のから零れる夕陽に薄く金色が差す。
機内の空調は快適に保たれており、薄い毛布を掛けて眠る者、イヤホンを耳に差し音楽に没頭する者、隣同士でスマホの画面を覗き込みながら笑い声を上げる者など、各々が修学旅行の空の旅を思い思いに楽しんでいた。
今現在、二年一組は修学旅行中であり、目的地である台湾へと空路で移動中である。
しかも、この旅客機には何故か一組の生徒達と、その担任と添乗員しか乗っていない。
つまり殆ど一組の貸切状態である。
そして台湾の冬季は日本よりも幾分温暖で、日中は薄手の上着一枚でも快適に過ごせる気候だ。
もっとも今この瞬間、機内で肌寒さに肩を竦めている者も、少なくはない。
機内の暖房は殆ど機能しておらず、制服の上に羽織るパーカーや、ブランケットを膝に掛けている生徒が散見された。
だが――そんな浮ついた空気の中で、ひときわ静かな一角が存在している。
機体の最後方、非常口の近く、いわゆる”後ろの端”と呼ばれる場所に、一人の少年が腰を下ろしていた。
「はぁ……やっぱり俺はここか」
彼の名前は東雲悠真。
小柄で細い体躯、百六十センチ丁度の低身長――同年代の男子と並ぶと、明らかに小さく見える体格。
殆ど筋肉はついておらず肩幅が狭く猫背気味。
立ち姿には自信がなく、無意識に背中を丸めている。
細面の顔には平凡な顔立ちが広がり、良くも悪くも印象に残らないタイプ。
切れ長気味の目は普段は判目がちで覇気がなく、濃い茶色の瞳は油断している時には死んだ魚のような目になる。
表情は基本的にやる気がなさそうで、口元は常に軽く歪んでいた。
黒に近い暗めの茶髪は寝癖が付き易く、全体的にだらしない印象を与える。
短めだが整えられておらず癖毛混じりで伸び気味――前髪が少し目に掛かり目元を隠すように揺れていた。
肌は色白寄りで、屋内にいる時間が長いのが、一目で分かる質感である。
服装は地味で、パーカーやジャネットなど、無難なものを好む。
全体として『弱そう』『モブっぽい』『放っておかれそう』という印象を強く与える外見――まさにクラスで腫れ物扱いされる陰キャそのもの。
そして悠真という人間は、クラスの内の誰からも特別扱いされることなく、空気のように存在している。
いや、実際には『避けられている』と表現した方が正確だろう。
肉体的な虐めがあるわけではない。
ただ、常に生ゴミを見るような視線を浴びながら、存在を認識されつつも無視される日々が続いていた。
理由は明白である。
なにせ悠真は生粋の”カードゲーマー”だからだ。
故にネットゲーム、ソーシャルゲーム、エロゲ、Vtuber、といったトレンドに敏感なオタクグループでさえも、彼の趣味には距離をおいているほど。
つまり彼らからしてもカードゲームは時代遅れで、オタクコンテンツの中でも特に『ダサい』部類として忌避されていた。
だから悠真が好んで話題にする、デッキ構築や環境メタの話など、誰も耳を傾ける者はいない。
更に周囲からは『チーズ牛丼食べてそう』そんな揶揄が彼本人に向けられることもしばしばあった。
実際、悠真の好物の一つがチーズ牛丼であるという事実が、この侮蔑をより”的を射たもの”として定着させている。
しかし彼は、それでも折れることなく、自らの趣味を貫いていた。
この日も例外ではない。
誰も隣に座らない通側の席に鞄を置き、外界から切り離された自分だけの空間を確保すると、そっと制服の内ポケットの中からカードケースを取り出す。
薄型のプラスチック製のカードケースには、しっかりとスリーブに包まれたカードが、ぎっしりと収められている。
それらを丁寧に机上に並べ、ひとつずつの感触を確かめるように、シャッフルを始めた。
「深淵の召喚士アリステール……初手に来て欲しいカードは、だいたいこいつなんだよなぁ」
小さく呟きながら悠真はカードを並べていく。
指の動きに迷いはない。
繰り返された練習の賜物か、それともただの慣れか。
無意識に近い手つきで彼は、カードを操り盤面をシュミレートしていく。
――このカードゲームの名前は”デュエル・オブ・イクリプス。
SOLレクリエーション社が、十年前にリリースした国際規模のTCGであり、現在では全世界において約一億人以上のプレイヤーが存在する。
電子版と紙媒体の両方が展開されており、その大会規模も年々増しているのだ。
日本国内でも全国大会や地方予選が各地で開催され、賞金付きのプロリーグも形成されているほど。
悠真は、そんなイクリプスの熱心なプレイヤーであり、俗に言う紙プレイヤーだ。
彼の自作のデッキは召喚と融合を主体としたコンボデッキで、タイミングを誤れば自滅する危機も孕んでいるが、逆に完璧な展開が決まれば相手に一切行動させないまま、勝利を掴む事すら可能な破壊力を秘めている。
「手札事故が起きなければ……三ターンで詰められるな」
そう独り言を呟くと悠真は、透明なスリーブに包まれたカードを手元に纏め、再びシャッフルを始めた。
しかし、そんな事をしていると周囲の視線を惹いてしまったのか、斜め前の席から自分の事を見ている連中がいる事に彼は気がつく。
「……あの席、隣空いてるの? カバン置いてるし」
「しっ! 見ちゃ駄目だよ! なんかずっとカードシャッフルしてるし独り言も凄いし……」
「無理無理無理! きっしょ! まじで、ああいうの辞めて欲しいわー。家でやれっつーの」
「ああいうのって、マジでチーズ牛丼とか好きそう。チー牛ってやつ」
くすくすとした笑い声や、差別的な言葉が流れる。
悠真に届く寸前の音量で発せられる侮蔑。
その全てを彼は慣れた表情で受け流した。
「ああ……やっぱり今日も、そういう扱いってわけだ」
デッキをケースに入れると、悠真は窓の外に目を向ける。
変わらぬ雲の絨毯。
その彼方、どこまでも続く灰色の天。
飛行機の中と違い、そこにはどんな音も届かない。
――そんな中、悠真の目が機内の前方へと、ゆっくりと移動した。
まず視線が捕えたのは、一組の担任――荒川千秋の背中である。
前列左側の通路席。
彼女は資料を見ながら、ペンで何やら走り書きをしており、教師らしい真面目さを感じさせる姿勢を崩していない。
肩口までの漆黒色の長髪は、仕事中ということもあり、軽く纏められていた。
自然に流された前髪からは目元がはっきりと見え、切れ長で落ち着いた濃い茶から黒の瞳が資料の上を移動している。
横顔から見える顔立ちは整っており、美人――可愛いというよりは『綺麗』寄りの印象だ。
穏やかな表情ながら無意識に、大人の威圧感が滲み出ている。
色白の肌――屋外より屋内向きの印象を与える肌質は、頬に掛けて薄く血色が乗っており、長い手指が丁寧な所作でペンを走らせていた。
身長は百六十程で、年齢は二十六歳。
所謂、若手の中堅と言う感じである。
細身で無駄がなく引き締められた体型に、黒のパンツスーツと薄いグレーのカーディガンを羽織っているようだ。
動き易いが露出は少ない、実用重視の服装だ。
姿勢が良く、座っている今でも立ち姿が様になりそうな佇まい。
静かで無駄のない動作からは、教師らしい落ち着いた雰囲気が漂う。
装飾品は最小限で、腕時計以外はピアスもネイルもなし。
清潔で控えめであり、そして近寄りがたい――『優しそうなのに近寄りがたい』『守る側の大人』『生徒と一線を引いている女性』――まるで教師としての理想像を、現実化したような女性。
「はーい、みんなー、そろそろシートベルト確認してねー!」
その明るい千秋の声が、機内のあちこちから、歓声や笑い声を引き出す。
だが彼女の眼差しは、常に生徒全員を平等に見ているわけではない。
陰キャ――特に悠真のような目立たぬ生徒には、視線を投げ掛ける頻度も極端に少なかった。
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