File 13 桐生の依頼
「いつも応援ありがとうございます!さくら台駅前ペット探偵事務所、第13話です。
今回は桐生が案件を持ってきます。お楽しみください!」
外はうだるような八月の猛暑だというのに、うちの探偵事務所はすっかり「避暑地」と化していた。
「あははは! いいじゃないの」
「夏はやっぱりスイカよね」
「スイカはほとんど水分だから、カロリー気にしなくてよいのがいいわよね」
「カロリー!カロリー」
ステラが、間抜けな声で繰り返す。
クーラーをガンガンに効かせた部屋の中心で、大家のタエ子さん、美容院のヨシエさん、居酒屋のミツコさん――『さくら台FBI』の三人が、堂々と麦茶とスイカを広げて井戸端会議を開いている。
「あのな、お前ら……ここは町内会の集会所じゃねえんだぞ」
「いいでしょ。どうせこの暑さじゃ、依頼なんて来ないんだから」
俺が呆れてほうきで掃除を進める中、部屋の奥では、ヒカルがいつものようにノイズキャンセリングヘッドホンをして、無表情でプロテインウォーターを飲んでいた。
「……大音量の会話。僕の思考領域を乱す、ただのノイズ。……無視」
ヒカルは、おばちゃんたちの騒ぎを計算外のノイズとして完全にシャットアウトしている。
ガチャリ、とドアが開いた。 入ってきたのは、このうだるような暑さの中でも汗一つかかず、パリッとしたスリーピースのスーツを着こなした大手探偵事務所のエース――桐生だった。
「……相変わらず、動物園のような事務所だな」
桐生が冷たく鼻で笑った瞬間。
「あらっ、桐生ちゃんじゃないの! 今日もビシッとしてるわねぇ!」
「外、暑かったでしょ〜! ほら桐生ちゃん、ここに座って麦茶飲みなさいな!」
大手の冷徹なエリートに全く物怖じせず、おばちゃんたちがグイグイと距離を詰める。 桐生が忌々しそうに顔をしかめようとした直後――彼女たちの顔をまじまじと見た彼の表情が、微かに引きつった。
先月、彼の自慢の最新ドローンによる包囲網を、このおばちゃんたちのアナログ情報網が完全に凌駕してしまったトラウマがフラッシュバックしたのだ。
「……うっ。F、FBI……」
桐生が思わず本能的に後ずさると、窓際でオウムのステラが鳴いた。
「エフビーアイ! エフビーアイ!」
「おいお前ら……完全に大手のトラウマになってるじゃねえか」
俺が苦笑すると、桐生は小さく咳払いをして強引に体勢を立て直した。
「……私に構うな。今日は、お前たちに泥沼の案件をくれてやりに来た」
「泥沼?」
そう言って、桐生は懐から一枚の書類を取り出して机に叩きつけた。
「三丁目の古い木造家屋。壁の裏に落ちた子猫の救出……?」
書類を覗き込んだ俺に、タエ子さんが即座に反応した。
「ああ、あそこの吉田さんちね! あそこのお家、増改築を繰り返しててすごく複雑な造りなのよ!」
「その通りだ。最新のサーモグラフィでも正確な位置が特定できず、救出するには『重機を使って壁を広範囲に解体するしかない』という結論に至った。……だが、数百万円かかる解体工事費を老夫婦が払えず、我々大手が依頼を取り下げられた絶望的なケースだ」
桐生は淡々と事実を告げた。
「この猛暑だ。壁の中のサウナのような温度を考えれば、子猫の命のタイムリミットは近い。安い日当で動く安請け合いの道楽探偵のお前たちなら、話をすればやるだろうと思ったから、老夫婦には日当2万円で動く探偵の話をしておいた」
「おい、うちの基本料金は、日当8万円なんだよ」
桐生は俺の話を聞かず、挑発的に笑いながら言った。
「……お前たちに、この子猫が救えるかな?」
ヘッドホンを外したヒカルが静かに立ち上がった。
「……受理。即時移動を開始。イナガキさん、機材の運搬を要求」
「おいおい、やるのかよ……」
*
猛暑の路上に出ると、向かいの『さくらベーカリー』からエプロン姿のカスミちゃんが小走りでやってきた。
「あ、ヒカルさん! これ、夏休みの新作で、お父さんが焼いてくれた『冷やしレモンクリームパン』です! 夏バテ防止に、よかったらお仕事の合間に……!」
少し頬を染めて紙袋を差し出すカスミちゃん。
しかしヒカルは、空間の一点を見つめたまま、パンをじっと観察して言った。
「……急激な血糖値変動は、通常時の認知パフォーマンスを不安定化させる。常用には非合理的。……不要」
「えっ……」
「ばっ! お前、女の子の気持ちってものが分からんのか!」
ショックで泣きそうになるカスミちゃんから、俺は慌ててヒカルの頭をはたき、紙袋を受け取った。
「ありがとうなカスミちゃん! お父さんにもよろしくな。後で俺からよく言って、仕事の合間にコイツと一緒に美味しく頂くからさ!」
「は、はい……! 失礼します!」
逃げるように店へ戻っていくカスミちゃんを見送りながら、俺は心の中でボヤいた。
(……って言っても、どうせこいつは絶対に食わねえから、全部俺の胃袋に入るんだけどな)
三丁目の古い木造家屋。
吉田邸の壁の前では、依頼人の老夫婦(夫茂三、妻フミ)がパニックになって泣き崩れていた。 壁の奥深くからは、すでに弱り切った子猫の微かな鳴き声が聞こえる。
「落ち着いてください。状況を詳しく教えてもらえますか?」
「はい……。実は昨日の朝から、この壁の向こうから子猫の鳴き声がするんです。最初は気のせいかと思ったんですが、今朝になってもまだ鳴いていて、だんだん声が弱々しくなってきて……!」
「でも、私たちは猫を飼っていません。だから、きっと外の野良猫が、屋根裏か床下の隙間から入り込んで、壁の間に落ちてしまったんだと思います」
「昨日から……! この猛暑で丸一日以上、水も飲めずにサウナ状態の壁の中にいるのか!?」
「そうなんです……。桐生さんには『重機で壁を広く壊して助けるしかない』と言われたんですが、私たちのような年金暮らしには、数百万円もする解体工事費なんて到底払えなくて……! でも、このままじゃ死んじゃう……っ!」
「……事情は分かりました。依頼としてキッチリ請け負います。よし、助けるために、俺が壁をぶち抜くか!」
俺が工具で壁を叩こうとした瞬間、ヒカルが鋭く制止した。
「ストップ。闇雲な切削は、構造材の切断による家屋の倒壊、あるいは対象の子猫のの損傷リスクが著しく高い。非合理的。……壁の全面解体は不要。ピンポイントの穿孔のみで救出可能」
ヒカルは壁に耳を当て、淡々と続けた。
「内部の座標データが不足。壁の内部を可視化する『工業用内視鏡』と、音声を取得する『高感度集音マイク』の調達が必要」
「そんな最新機材、うちにあるわけねえだろ!」
ヒカルは、ビー玉のような瞳で無表情に俺を見た。
「該当機材、桐生の所属機関が保有。……イナガキさん。対人交渉による機材の調達を要求。君は僕が雇用したノイズ処理フィルター。適任」
「はあ!? 相手は大手のエリートだぞ! 素人を見下してるアイツが、素直に高価な機材を貸してくれるわけ――」
「……対象の音声出力レベルから推測する生存可能限界時間、残りわずか。迅速なタスク実行を要求」
俺は頭を抱えながらも、慌ててスマホを取り出し、名刺の番号へ電話をかけた。
「ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回、救出困難な現場で何が必要か……!?
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