第四十八話 カザフスタン侵攻
●48.カザフスタン侵攻
林原は官邸の執務室でテレビのリモコンを握りしめて画面を見ていた。木本はPC画面に釘付けになっていた。
『「5日前に始まったロシア軍の大規模演習は、欧米の軍事研究機関の指摘通り、カザフスタン侵攻という結果に終わりました。その詳細が徐々に明らかになり、ロシアではこの大規模演習を特別軍事作戦と呼び、カザフスタン侵攻3日目でアスタナやアルトマイなど主要都市を制圧し、5日目に全土を占領しています」女性アナウンサーの声とともに、ロシア軍の戦車がアスタナ市内を走行している映像が流れていた。
「これによりロシアのバイコヌール宇宙基地などの租借地契約は解約される見込みです」女性アナウンサーが淡々と語り、バイコヌール宇宙基地の映像に切り替わっていた』。
林原はリモコンで他のチャンネルも確認していたが、ほぼ同じ内容であった。
「我が党のカムス本部長は無事かな」
林原はテレビを消していた。
「カザフスタン本部からは1ヶ月前の定例会以降、連絡は何もありませんね」
木本はPCのキーボードを叩き、素早く連絡履歴を確認していた。
林原と木本はカザフスタン侵攻のことが心配になり、郷に従え党本部の党首室に来ていた。
「今朝はわかったのですが、カザフスタン本部長のイリハン・カムス氏はアゼルバイジャン、イランを経由してトルコに脱出したとのことです」
ケリーは少し安堵の表情を浮かべていた。
「彼は無事なのですか。それは良かった」
「それでカムス本部長はロシアが暗殺しようとトルコに追手を差し向けているので、居場所が特定されたら確実に殺されます。トルコにも長居はできないようです」
「早い所、救出しないとまずいですか。我が党としても重要な人物ですし…」
「はい。それでも米軍警護でアメリカに亡命というわけには行かないでしょう。何せ内戦中ですから」
ケリーは特にアテもなさそうにしていた。
「民間機では心もとないし…」
林原は言葉を詰まらせていた。
「政府専用機はどうですか」
木本がさらりと言う。
「ん、気安く言うなよ。でもそれもそうだな…日本の政府専用機ならまず大丈夫でしょう。しかし私がトルコに行く口実は何かないものかな」
林原は考え始めた。
「自衛隊の護衛はないとしても、政府専用機を撃墜するという暴挙はありえないでしょう」
ケリーも納得していた。
「そうだ。トルコも地震が多い国だから東南海大震災の教訓など、地震に関する交流を深めるために日本・トルコ地震災害会議を開くためにアンカラに行こう。柿沢官房長官には私の方から言っておくが、木本は、その他の細々した手配を頼む」
トルコ大統領ケナン・スナイと林原首相が開会の謝辞を述べてから、日本・トルコ地震災害会議が始まった。宮殿のような壮麗な大統領官邸内にある会議ホールには、日本とトルコの地震学者、国土交通省の担当官僚やトルコ側の担当官僚などが一堂に会していた。プレゼンテーション機器を駆使して、いろいろな説が披露され盛んな議論が行われていた。
一段高い席から会議の様子を見ている林原とスナイ大統領。
「やはり地震は周期的に起きるとしてもその時期がなかなか特定し難い面があります」
林原の言葉はスマホを介してトルコ語になっていた。
「でも日本のこの前の東南海大震災の際には、ある程度予測がついていたようではないですか」
スナイ大統領の言葉は日本語になっていたが、スマホのトルコ語訳レベルは英語程にはなっていなかった。一応傍らには、通訳が控えていた。
「あれは大まかな確率だけですけど…。それにそろそろ首都直下型地震も起こる可能性が高くなっています」
「東京で、ですか。それは大変なことになりますな」
「はい。とにかく日本とトルコの地震研究で、世界に先駆けた確率の高い予知を実現したいものです」
「今回の会議をきっかけに世界地震国サミットでも始めますか」
「大統領、良いご提案です。よろしいのではないですか」
「それでは、まず来年イスタンブールで開催しましょう」
「その次は東京として、どんどん参加国を増やせたら良いですね」
林原は今回トルコに行った成果だとアピールできると感じていた。
日本・トルコ地震災害会議を終えた林原たちは、日本大使館の田中のガイドでアンカラの名所を見て回っていた。
「あまり、はしゃぐなよ。どこからスマホで撮られているかわからないからな」
林原はトルコのSPに囲まれながら歩き、近くで日章旗の小旗を振っている十数人程の観衆を見ていた。
「なんか眩しいくらいの壁ね」
木本は4つの尖塔が特徴的なコジャテペ・モスクの白い大理石の外壁を眩しそうに見ていた。
モスクの中に入ると、林原たちは中央ドームを見上げていた。
「この中央ドームは高さが約88mありまして、内装はクラシックなオスマン帝国様式になり、壁や天井には豪華なモザイクや彫刻が見られます」
ガイドの田中は誇らしげに説明していた。
次に訪れたのが神殿のようなアタテュルク廟であった。このトルコ共和国初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクが眠る墓所では献花をする林原。 献花した後、廟内をぐるりと回って行った。
「あそこで小旗を振っている男は、コジャテペ・モスクの所にもいなかった。なんか気になるわね」
「ん、俺もそれは気付いていた。警戒するようにSPに言っておくか」
「ロシアのエージェントかしら」
「誰だとしてもまだカムスには会っていないから、何もしないだろう」
林原はその男の顔をしっかりと焼き付けていた。
この後、林原たちはアスランハネ・モスクの近くにある在トルコ日本人学校を視察に訪れると、日本人の子供たちに日章旗の小旗で迎え入れられた。
「あちらの保護者は、トルコの方ですか」
林原は日本人の保護者とともに並んで授業を見ているトルコ人3人を見ていた。
「はい。日本の教育に関心を持ち、当校に通学させている子供の保護者です」
日本人学校の校長は笑顔で応えていた。
「そうですか」
林原はそう言いながら、トルコ人保護者に歩み寄った。話しかけようとしたが、スマホのバッテリーが少なくなり、正常に作動していなかった。ここぞとばかりに緑のスカーフを被った大柄な女性通訳が林原の傍らに来た。
「日本の教育にはどんなところに関心があるのですか」
林原の言葉は女性通訳が即座に訳していた。
「そろばんと書道、掃除という日本にしかない教育に強くひかれました」
保護者の言葉もすぐに訳されていた。
「掃除ですか。生徒が掃除をする意義は、単純に清掃作業というだけではなく道徳的な要素もありますからね」
「…日本人のマナーに関わることだと思います」
通訳は保護者がトルコ語で長めに言っていた言葉を、短めに意訳しているようだった。
林原たちは、しばらく生徒たちの授業風景を視察していた。その間、通訳の女性はトイレに行っていた。
「総理、日本の教育は世界から高く評価されているようです」
ガイドを務めている大使館の田中は、またしても誇らしげであった。トイレから戻ってきた通訳は、若干体が大きくなった感じがしていた。
「あの通訳の人、元・男性なのかしら」
木本は女の直感を働かせていた。
「トルコでは性転換は一般的ではないと思うがな。失礼なことは言うなよ」
林原は小声であった。その通訳の女性が林原たちの所に近づいてきた。
「林原さん、久しぶりです。カムスです」
緑のスカーフの中から声がしていた。林原はぎょっとして通訳を見た。
「…カムスさん、どうしてまた…」
林原の傍らで、木本もびっくりしていた。
「変装です。こうでもしないと危険ですから。体型が似ている通訳の女性と入れ替わりました」
「まぁ、とにかくご無事で良かった。政府専用機で日本にお連れしますから」
「ありがとうございます」
カムスは深めにスカーフを被っていた。
林原を乗せたリムジンの車列は、信号で停止した。
「ん、おかしいな。通過する信号は全部青にできるはずなのに」
林原はカムスが乗る同行者達の車両を心配そうに振り返っていた。
「でもここはトルコですよ。日本の要人移動とは違いますから」
「トルコ程の国なら信号操作などは、簡単にできる」
「あっ、あそこのバイクの男、怪しくないですか」
木本は交差点の端でヘルメットを外している男を見ていた。その男は日章旗の小旗を振っていた男であった。
「奴だ。カムスの車に連絡しよう」
林原がスマホを耳に当てていると、対向車線で急停車するミニバンがあった。リムジンの車列を警備しているSPの車がUターンしてミニバンと車列の間に割り込んだ。ミニバンから出ようとしていた黒覆面の男たちは自動小銃を持っていた。銃声が聞こえていた。
SPが応戦している間に信号が青に変わったので、リムジンは急加速してその場を離れていく。
「狙いは、我々じゃない。カムスだ」
林原が叫んでいたが運転手はアクセルを強く踏み込み、同行者たちの車とどんどん離れて行った。
「止まってくれ」
林原がトルコ語で言うと運転手は車を停止させた。かなり離れた後方の交差点付近を見ると、同行者たちの車にバイクの男が突っ込んできている。派手にターンして、ミニバンから出てきた男を蹴散らしていた。
「あれ、仲間じゃないのか。SPに味方しているぞ」
林原は窓ガラスに額をこすりつけていた。木本は窓を開けて良く見ようとしていた。
「開けるな。狙撃されるかもしれない」
林原の声に木本は怯えるようにスイッチから手を離していた。
交差点には、あっという間に警察やSPたちが集まり、黒覆面の男5人を拘束していた。白昼の襲撃事件に通行人たちが遠巻きに様子を見て、スマホなどで撮影していた。
ちょっとしたアクシデントがあったが、その後、無事にエセンボーア国際空港にたどり着いた。林原たちはターミナルビルの貴賓室で政府専用機のフライト準備が整うのを待っていた。
「カムス本部長、ちょっと肝を冷やしましたが、トルコの警備当局の迅速な対応で切り抜けられましたよ」
「林原さんまで、危険な目に遭わせてすみません。でも助かりました。感謝しています。今後はカナダかオーストラリアあたりで亡命政府を立ち上げようと思います。もう少しでカザフスタンの与党になれたのですが、いちからやり直しです」
カムスはビシッとスーツを着込んでいた。
「総理、どうしてもあいさつしたいと言う者がおりますが、いかがいたしましょうか」
日本大使館の田中がノックして入ってきた。
「どうしてもと言われては会わないわけには、行かないだろう」
林原はソファから立ち上がった。田中が一旦ドアの外に行き、その人物を呼んでいた。
ドアが開くと、木本の悲鳴が上がった。
「…あの人…」
木本の声は震えていた。林原は咄嗟に木本の前に立ちふさがった。
「脅かしてすみません。私はトルコ国家情報機構のイルカイ・カイマと申します」
カイマと名乗る男は、流暢な日本語で言っていた。
「あぁ、そうか。だからバイクで蹴散らしていたのか。仲間割れかとも思ったが」
「影ながら警護していたつもりでしたが…、」
カイマは少し申し訳なさそうにしていた。
「まぁ、こうして無事にここまでこれたのだから、感謝しているよ」
「それで、林原党首」
「あ、今は副党首だが」
「郷に従えの理念に共鳴しています。まだトルコには郷に従え党はないので、私がトルコ支部を立ち上げたいのですが、お認めくださいますか」
「…君一人でか」
「いいえ、既に50人ほどの仲間がいます」
「しかし国家情報機構の人間が他所の党員になって許されるのか」
「支部立ち上げの際は退職するつもりです」
「わかりました。とりあえず仮ですが認めます。後程、ケリー党首から連絡があると思います」
林原はカイマと握手していた。




