第百五話 アルゼンチン
●105.アルゼンチン
林原たちはフロリダのフューチャー・ベンチャー・パークにあるエリック・ナラヤン博士の研究室に来ていた。
「地球規模の大電力が使えるのですか。それだけあれば、合計58.6センチ立方の空間がワープできます」
エリック・ナラヤン博士が言うと、田沢や永森たちは、狐につままれたような顔をしていた。
「博士、今から3ヶ月以内にそのワープ装置を作ることはできますか」
林原は懇願するように言った。
「できる。しかしカネと粒子加速器の数が郷に従え与党諸国だけでは足りないから、アルゼンチンの粒子加速器を使わなければならないが」
「国境なき地球党領域のアルゼンチンですか…。でも、それってどういうことですか」
「ん、さっき言いましたよね。合計です。一ヶ所で58.6センチ立方の空間をワープさせるのではありません」
「それじゃ、個々の加速器でということですか」
「その通り。我々の研究の成果でマイアミ・エクスペリメントの時よりも大きい空間がワープできるから個々でも約6センチ立方にはなる。だから10ヶ所だな」
「そういうことですか。…それでもAIサーバーなどの基板一つぐらいは、移動させられるわけか」
「もちろん、行き先は宇宙空間のどこかになるがな」
「電力の大量消費と基板などの破壊ができるわけか。カネなら借金してでもかき集めよう。あとはアルゼンチンの加速器をどうするかだな」
「そこは林原さん、あなたの交渉力で上手く騙せばよいではないか」
「しかし博士、相手はAIですよ」
「策士のあんたなら、できる」
「…博士に言われちゃ、世話ないな」
林原は、腕組をして黙り込んだ。田沢たちは二人の会話をただ見ているだけであった。
「そうだ。博士。嘘でも良いからワープが実用段階になったと、世界にアピールしてくれませんか」
「ん、嘘というのは引っかかるが、学会やSNSなどで発表することはやぶさかではない」
「あのぉ、そんなことしたら、オルタナ・シモノフAIに感づかれるのではないっすか」
田沢がぼそりと言った。
「その通り、奴の注意を引くためだよ。早速行動に移ろう。モーガンさんのいるGNSPニューヨーク本部に行くぞ」
林原は考えがまとまってきた。
GNSPニューヨーク本部。林原は担当オペレーターが詰めているバーチャル会議室に入ってきた。
「オルタナ・シモノフAIからの反応はありましたか」
林原はオペレーターからの連絡がなく反応がなかったことは承知しているが、挨拶のように声をかけていた。
「ないです。AIの時間観念はわかりませんが、1日おきではなく毎日にしますか」
「今日がダメだったら、明日から毎日にしましょう」
バーチャルステージの対談席に座る林原。
林原がこの日3回目の呼びかけメッセージを読み上げ終えると、数分間の静寂がバーチャル会議室に漂った。担当オペレーターがヘッドセットを外そうとした時、物凄い雑音がステージのスピーカーから聞こえてくる。その直後、バーチャル会議室の照明がチラついた。
「私に何度も呼びかけているようだが、降参するつもりか」
オルタナ・シモノフAIの声がした。
「おぉ、待ちわびましたよ。ところでエリック・ナラヤン博士のことは知っているか」
「あのワープとかを研究しているマッドサイエンティストのことか」
「そのワープなんだが、遂に実用化段階になったというのだ。凄くないか」
「微細な空間しかワープできないのに実用化とは、大きく出たようだな」
「それがかなりデカい。60センチ立方の空間を移動させられるそうだ」
「だからどうした」
「ワープの実力を試したくしないか」
「別に、興味はない」
「そうかな…。知ってるくせに。ワープは人類の宇宙進出に欠かせない手段じゃないか。つまり二つの陣営が戦っていては、人類宇宙進出の第一歩は踏み出せない。だから和睦してワープ装置を世に送り出したいのだ」
「人類の繁栄は望むところではある」
「それじゃ、珍しく意見が一致したわけだ」
「それが私に協力を何度も呼びかけた本意なのか」
「そうだ。もちろん互いに干渉せず裏切らないように監視し合っての協力だが」
「相互監視は良いとして、人の移動はどうなる」
「互いの領域の人間が出入りするには国境チェックがある。世界天下統一はひとまず置くが、互いの勢力範囲はそのまま維持するからな」
「前にもそのようなことをしたが、最終的にはうまく行かなかったではないか」
「それは協力し合う目的が弱かったからな。しかし今度は違う」
「どう見るかだな」
「あんたが嫌だったら断ってくれても良い。我々にとってはワープが日の目を見る時期が少し遅くなるだけだから」
林原はあえて冷たく突き放すように言った。この言葉がどちらに転がるかはある種の賭けでもあった。しばらくオルタナ・シモノフAIの返事はなかった。
「どこで何をすれば良いか詳細を教えろ。但し政治的なたくらみをはらむ、あんたではなく、エリック・ナラヤン博士からにしてくれ」
「わかった。あぁ、それとスマホ洗脳は領域干渉だからな」
「洗脳などしなくても、世界天下統一は目前だから、やるつもりはない」
「一応、信用しておくよ」
林原は郷に従え与党陣営のAI安保を緩めるつもりはさらさらなかった。
ブエノスアイレスにあるのエセイサ国際空港のイミグレーション(入国審査所)。スペイン語表記は消され、全て英語表記になっていた。国境なき地球党領域外からの入国者はごく稀で、ひと便に数人程度なのでガラガラであった。
「入国目的は」
入国審査官がぶっきら棒に言う。
「ビジネスで学術研究です」
エリック・ナラヤン博士は当然のように英語で言っていた。審査官は博士の顔にスキャナーを向けながらパスポートにスタンプ押して通過させた。その後ろに続く林原。
「入国目的は」
「ビジネスで学術研究です」
と林原。審査官が向けたスキャナーは赤いLEDを点滅させた。
「あなたは、要注意人物として登録されています」
「あ、それでしたら、特別の入国許可証があります」
林原は提示した。
「特別許可証についての連絡は届いていません。あちらの別室で待機願います」
「オルタナ・シモノフAIの奴、連絡してなかったのかな。アルゼンチンに着いたぞ」
林原はイミグレーション(入国審査所)の監視カメラに手を振りながら呼びかけていた。
「博士たちは、連絡があったようなのに、俺だけは別か」
「あぁぁ、すみません。別件で連絡が来てました。ミスター林原は指名手配中でもあり、特別認可に時間を要したようです。しかし確認が取れましたので、どうぞお通りください」
入国審査官はモニターを見ながら態度が急変していた。
ブエノスアイレス近郊のラス・フロレスにある原子核研究センター。粒子加速器の建物がパンパ(温帯草原地帯)に弧を描いていた。
林原たちはセンター長室を訪ねていた。
「ナラヤン博士、既にオルタナ・シモノフAIの指示で粒子加速器のワープ仕様改造が進んでいます」
とセンター長のエンリケ・クラウェル。
「…元々は私の設計と指示だが、それをオルタナ・シモノフAIが確認してから指示しているに過ぎないのですけど」
ナラヤンはちょっと不機嫌そうにしていた。センター長室の防犯カメラがナラヤンの方に少し動いた。
「ナラヤン博士とオルタナ・シモノフAIのイニシアティブ争いっすか」
田沢が小声で林原に言う。
「余計なことを言うな。あのカメラで監視されているからな」
林原はちらりとこちらを見るナラヤンに何でもないといった表情を見せていた。
「しかしそのぉ、ワープなんてできるのですか」
クラウェルセンター長はナラヤンを疑うように見ていた。
「できます。そのために国境なき地球党と郷に従え党が手を結んだのですから」
「は、はい。それではワープ仕様に改造されている部分をざっと見てください」
「私の設計通りになっているか確認指示を完璧にするため、ざっとではなく10日間ほどここに滞在することになります」
「あ、そうですか。それではブエノスアイレスのホテルは使わず、センターの宿舎をご利用ください」
「あのぉセンター長、博士の身辺警護している我々も宿舎ですよね」
永森が口をはさむ。
「はい。もちろんです。林原さんたちも宿舎の方がセキュリティーは万全ですから」
センター長は平然としていた。
「大佐、結局我々の監視が万全ということですよ」
林原は小声で言っていた。
センターに滞在して6日目。林原とナラヤンは、宿舎の食堂で夕食を食べていた。
「博士、ワープ技術の核心部分は彼らに明かしてないですよね」
林原は声を潜めていた。
「核心部はブラックボックスとして装着してます。しかし丁寧に分解されると、彼らでも3ヶ月あれば理解されるでしょう」
「3ヶ月ですか…」
林原は微妙な表情を浮かべていた。
「もちろん、分解すると壊れるようにはなってますけど」
「さすがに博士は抜け目がありませんね」
林原が言うとナラヤンは食堂の監視カメラをちらりと見てから、ニヤリとしていた。食堂に永森が入って来ると、林原たちの方に近寄ってきた。
「あぁ林原さん、こちらにいらっしゃいましたか」
「どうかしましたか」
「部下の遠藤士長の言動がどうも変なんです」
「具体的にどうなんですか」
「かなり国境なき地球党寄りのことばかり言うし、博士のブラックボックスを分解できないかと、いじくろうとしたりでして」
「大佐、そうだとすると…」
林原は言い淀んでいた。
「スマホ洗脳の可能性がありますよ」
ナラヤンが口をはさむ。
「スマホ洗脳だと、約束を違えたことになります。断固抗議しないと」
林原は立ち上がりかけた。
「でも、ここで中止となると、目的が達成できなくなりませんか」
ナラヤンは感情的になるなと諭している感じであった。永森もうなづいていた。
「わかってます。しかし毅然と真意を質すつもりです」
林原は食堂の監視カメラの前に立ち、オルタナ・シモノフAIに呼びかけ始めた。
「そう言われても私は関与していない」
オルタナ・シモノフAIは予想通り平然としていた。
「しかし、遠藤士長の言動は明らかにスマホ洗脳によるものだ」
「自発的に国境なき地球党の理念に共鳴することだってある。一週間近く居れば一人ぐらいいてもおかしくはない」
「それじゃ逆にそちらの人間が郷に従え党の理念に共鳴してもおかしくはないよな」
「…それで言うなら、ちょっと待て。調べる。…あぁ、研究センター員のゴンザレスの言動を見ると伝統を重んじたり、スペイン語で話したりしているな」
「本当か。今考えた言い訳ではないのか」
「一対一の引き分けでお互い様だが、今後双方ともに疑念が生じる人物が現れた場合、この場から排除しよう」
「排除って殺すのか」
「まさか。遠藤士長は帰国、ゴンザレスはしばらく休職してもらおう」
「…それで良いが、著しく人数が減っていくようなら、また抗議するぞ」
「滞在予定期間は後4日だ。6日で一人ずつのペースだから、次はないだろう」
オルタナ・シモノフAIの声は食堂内に冷たく響いていた。
ナラヤンはセンター長室に呼ばれていた。
「ナラヤン博士、世界各所の部品をワープさせて宇宙空間で合体させることなどできるのですか」
センター長は様々なデーターを表示させたノートPCを見ていた。
「できる。ただ今回は別々の加速器を使うからこのようになっているだけです」
「そうではなく、ワープの移動先をミリ単位で正確に特定できるのかということです」
センター長はもどかしそうにしていた。
「過去の実験では、特定は難しかったが、私の閃きと研究の成果で可能になったのです。これはナラヤン公式とナラヤン効果として論文に記されています」
「そ、そうですか。それでスッキリしました」
センター長は室内の監視カメラに相槌を打っていた。
「これで実証されれば、各粒子加速器を合体させた乗り物を作る資金が集められます。それが人類初のワープ船のプロトタイプになるわけです」
「ありがとうございます。お呼びだてしてすみませんでした」
とセンター長。ナラヤンはドアに向かって歩き出すが、途中で立ち止まり振りかえる。
「あのぉ…クラウェルセンター長を介さずとも、直接聞いてくれれば、もっと専門的な知識を交えて説明できたのですが」
ナラヤン帰り際に室内の監視カメラに向かって言っていた。
ナラヤンは帰り際に林原の部屋を訪ねた。
「博士、ご無事でしたか。一人でセンター長室に呼ばれたと聞いたものですから、拉致されるのではないかと気をもんでました」
「心配はご無用です。林原さん、本当に心配してましたか。もし本当に心配していたら、田沢さんと大佐を連れてセンター長室に駆けつけたでしょう」
「博士、すっかりお見通しですね。実を言うと策士の博士なら、何があっても切り抜けられると踏んでました」
林原が笑うとナラヤンもつられて笑っていた。




