21話 起こるはずのない奇跡
「これより、アストルム王国エテール領主アーチェディア伯爵に対する審問を開始する」
ヴェッキオ枢機卿の厳しい声に、アーチェディア伯爵の身体が微かに強張った。
おそらく、緊張しているのだろう。
それも当然だ。室内には私と伯爵を除いて六名の枢機卿と一名の記録係、そして三名の衛兵がいるが、私以外の全てが伯爵に対して冷ややかなまなざしを向けているのだから。
むしろ、その状態に置かれてもなお俯くことなく顔を上げ続けている精神力に感嘆すべきだろう。
ここで審問を受けた者は数知れないが、その多くは味方が誰一人いないこの状況下では背を丸め、俯くのが常だったのだから。
もっとも、今この場でそれを気にする者は私以外には誰一人いないようだったが。
「アーチェディア伯爵。これよりそなたが話す言葉に、一切の偽りはないと神に誓えるな」
「……はい」
ヴェッキオ枢機卿の問いかけに、伯爵がかすれた声で肯定を返した。
たったそれだけのことにも、他の六人の枢機卿が聞こえよがしに「あの声は神を欺いた証だ」「そのうち喉が潰れて声が出せなくなるに違いない」と囁きあう。
伯爵が洗礼を受けたばかりであることも、浄化の際に高熱を出したことも知らされているはずなのに。
悪魔の力の影響を見逃さないよう細部にまで目を配ることは確かに重要だ。
しかし、このような粗探しは果たして必要なのだろうか。
「そなたは十年前、義母であるベロニカ・レナータ・ベルタ・フォン・アーチェディアとディートフリート・ヘンドリック・フォン・アーチェディアを殺害し、その魂を代償に悪魔と契約した。
この内容に相違はないな」
「いいえ」
「神に誓ったというのに、虚偽の証言をするつもりか!」
ヴェッキオ枢機卿の言葉を伯爵が否定した途端、私の隣にいたヴェッロ枢機卿が声を荒げた。
今にも飛びかかりそうなほど怒り狂う彼をどうにか押しとどめ、宥める。
枢機卿の中では最年少である私の次に年若い彼は、その熱意と強い信仰心から異端者や悪魔と関わりのあるものを徹底的に弾圧しようとする傾向がある。
私が止めなければ、おそらくもっとひどい言葉を伯爵に向けて吐いていただろう。
「何故止めるのだ、カンネリーノ枢機卿。
教皇侍従とはいえ、貴殿が神への誓いを反故にする者を擁護するつもりなら……」
「まだ、アーチェディア伯爵が嘘を吐いているかは分からないでしょう。
話は最後まで聞いた上で判断すべきです。そのための審問なのですから」
私の言葉に多少は納得したのか、ヴェッロ枢機卿がそれ以上私や伯爵を罵ることはなかった。
代わりに、冷ややかな視線を伯爵の背に向けている。
他の枢機卿たちも言葉には出さないがおおむね同じようなものだ。
まだ、伯爵が罪を犯したと確定したわけではないのに。
だが、正直なところ私も伯爵が犯した罪については弁明のしようがないと感じていた。
アストルムの魔術師団に潜入して情報を集めていたウドが持ちかえった情報によれば、伯爵は義理の母と腹違いの弟の血と肉片に塗れた部屋の中で佇んでいたところを発見されたという。
どう言い繕ったところで、伯爵以外の犯人はあり得まい。
その上、伯爵の屋敷からは黒魔術に関する書物が大量に押収されている。
主に死者の蘇生についてのものが多かったが、中には悪魔に関する資料も多くあった。
それでも私は、他の枢機卿同様に伯爵を糾弾することは出来ずにいた。
ほんの数日とはいえアーチェディア伯爵と共に過ごしてきた分、彼の人柄は知っている。
妻や使用人、領民たちを護れなかったことを苦にして殺して欲しいと申し出てきたような人間が、意味もなく家族を殺害するだろうか。
何か……何か、理由があったのではないか。
そう考えてしまうのだ。
「アーチェディア伯爵。
そなたがもしこの期に及んで言い逃れ出来ると思っているのなら、それは間違いだ。
これはしかるべき筋から手に入れた情報であり、信憑性は極めて高い。
それでもなお罪を犯していないと言い張るか」
「私は罪を犯していないとは一言も申しておりません。
確かに私は、母であったベロニカと弟のディートフリートを殺しました」
伯爵の静かな声は、広い室内によく響いた。
騒然とする場を抑えるためか、ヴェッキオ枢機卿の「静粛に」という言葉が何度も響き渡る。
「しかし、そなたは先ほど否定したではないか」
「私が否定したのは、母と弟の魂を使用して悪魔と契約したという箇所です。
私が彼らを死に追いやったことは間違いありません。
そして……陛下や、陛下の息が掛かった一部の者たちがその事件をもみ消したことも。
私は本来すぐにでもその罪を告白し、償うべきだったのでしょう。
ですが、私にはその前にすべきことがありました」
「すべきこと、とは?」
先ほどまで騒然としていた室内は今や、しんと静まりかえっていた。
誰もが伯爵の言葉に耳を傾け、言葉の続きを待っている。
それを知ってか知らずか、伯爵は僅かに躊躇った後でようやく口を開いた。
「アストルムの王侯貴族の間に蔓延していた、悪魔への信仰と崇拝。
それを告発することが、私の目的でした。
もっとも、証拠を集める前にあのような事態に陥り、目的は達成出来ませんでしたが」
「………………それは……それは、真か?」
あまりに衝撃的な言葉に一瞬、誰もが言葉を失った。
ようやく発されたヴェッキオ枢機卿の問いかけに伯爵が頷いた途端、蜂の巣をつついたような騒ぎが巻き起こる。
それはそうだろう。個人や数人、数十人単位の団体ならばともかく、伯爵はアストルムの王侯貴族全体が悪魔を信仰していると言ったのだ。
長い歴史を持つヴェンディミアでも、そのような話は前代未聞だった。
「信じられん! 苦し紛れなのだろうが、荒唐無稽にもほどがある!」
「証拠は! 証拠はあるのか?!」
ヴェッロ枢機卿を皮切りに、疑いの言葉が次々と投げかけられていく。
しかし、アーチェディア伯爵が動揺を見せることはなかった。
「信じがたい話かもしれませんが、事実です。
お疑いであれば……火の審判を受けましょう」
伯爵の申し出に、その場が静まり返った。
火の審判というのは、ヴェンディミアのみで行なわれている特殊な審判だ。
証言者の魔力を封じた状態で熱した鉄塊を握らせ、傷を負わなければ証言を事実と、傷を負えば虚偽とみなす。
傷を負うのは聖なる火に拒絶された証。
真実を話す者には神が加護を与えられる故、傷を負うはずがない……というのが理屈だ。
だが、私は知っている。
あれは真の奇跡ではない。正教会にとって都合のいい者に魔術の保護を付与することで、奇跡を演出しているだけだ。
だから、たとえ彼が事実を述べていようと奇跡は起こらないだろう。
「……よかろう。では、用意を」
火の審判で傷を負ったものは、問答無用で有罪とされる。控訴すら不可能だ。
伯爵も当然そのことは理解しているはずだが、動揺の色はなかった。
きっと、心の底から神と奇跡を信じているのだろう。だが、このままでは……。
迷っている間にも、火の審判の用意は着々と整えられていった。
伯爵の腕に魔法だけでなく魔術の行使も封じる枷が取りつけられ、目の前には真っ赤になるまで熱せられた鉄塊が置かれる。
「どうか、アストルムが救われますように」
神に祈りを捧げた伯爵が鉄塊の前に進み出た。
躊躇なく伸ばされた手は、あっという間に焼けただれ……。
「信用は、していただけたでしょうか」
赤く輝く鉄塊を握りしめた伯爵が、涼しい目で周囲を見回す。
その白い手ははじめと同じく綺麗なまま。火傷一つ負っていなかった。
まさか、伯爵は本当に神のご加護を――?
「……まさか」
「誰が奇跡を? まさか、カンネリーノ枢機卿……」
「私は何もしておりません! そもそも、伯爵が火の審判を申し出ることすら知らなかったのですから」
「確かに、私が見ている限りカンネリーノ枢機卿が魔術を使用している素振りはありませんでした。
それにあの枷は魔術の効果すら封じるはず。たとえ使用していても……」
疑いの目を向けるヴェッロ枢機卿に気がつき、慌てて首を横に振った。
他の枢機卿たちの擁護もあって、ヴェッロ枢機卿が苛立たしげに伯爵を睨みつける。
「では、いったい誰が――」
「静粛に!」
ヴェッキオ枢機卿の声と木槌の音によって、その場はいったん静まった。
「……すでに審判の結果は出た。
続きを話してほしい。神がお認めになった以上、我々も貴殿の言葉を真摯に受け止めよう」
ヴェッキオ枢機卿は火の審判の結果を認めることにしたらしい。
さすがに、これだけ大勢の枢機卿の前で起こった奇跡を否定することは出来なかったのだろう。
仮に我々の想定と違ったとしても、伯爵が奇跡を起こしたことに代わりはないのだから。
この場にいる者が伯爵へ向ける視線の色が、少しずつ変わり始めていた。




