19話 浄化? いいえ、拷問です
「アーチェディア伯爵。お目覚めください」
考えごとをしている間に、いつの間にか眠っていたらしい。
私を呼ぶ声に目を覚ますと、もうヴェンディミアの前に到着したとのことだった。
眠い目を擦りながら身体を起こして、昨夜と同じように教皇侍従のカンネリーノに手伝ってもらいながら服を着替える。
さすがに、寝間着代わりにしていたシャツだけで外に出るわけにはいかないからね。
私が眠っている間に服を用意してくれていて助かったよ。
ちなみに、カンネリーノの名前はヴェンディミアに入る前に教えてもらった。
すごいね、彼。私が名前を覚えていないことが分かったみたいだ。
……まあ、おそらくは日記を読んだのだろうね。
名前を覚えていないのは事実だったから、助かったよ。
着替えが終わって外に出ると、見覚えのない建物が目に入った。
石造りの壁も床も眩いほど白く、柱の一本一本に至るまで細かな彫刻が施されている。
白い石以外の素材は使われていないことが、却って神秘的な印象を与える建物だった。
「美しい建物ですね」
「洗礼を行なうための大聖堂です。
伯爵にはこれから、こちらで三日間洗礼を受けていただきます」
「三日、ですか……」
それはまた、ずいぶんと長いね。
私が思っていることが伝わったのか、彼は眉をひそめて頷いた。
「本来ならば一日で終わる儀式ですが、伯爵はあまりに長く悪魔の傍におりましたので。
悪魔の支配下におかれた時間が長いほど、そしてその悪魔の力が強いほど、身体のより奥深くまで穢されているとされます。
伯爵ほど長く悪魔の傍にいた者はその精神まで悪魔の力が及んでしまっていることが多いので、通常は洗礼とは別の方法で浄化を行なうのですが……」
私は悪魔を攻撃出来るほどの理性を保っていたことから、普通よりも長い洗礼を施して浄化していく穏当な方法を選んだ、とのことだった。
ちなみに、その別の方法というのは炎による浄化だった。浄化と言っているけれど、要は処刑だね。
神が救いの手を差し伸べた者であれば聖女による浄化が受けられるようだけど、そういった者はめったに現れないらしい。
あの時、悪魔を攻撃する振りをしておいて本当によかったよ。
石造りの建物の前まで来ると、カンネリーノが足を止めた。
どうやら、彼はここから先へ入ることが出来ないらしい。
浄化に必要な最低限の者以外が足を踏み入れて、悪魔の力が神聖なヴェンディミアに持ち込まれないようにするためだとか。
……彼、エテールからここに来るまでずっと私と一緒にいたのだけど、それは大丈夫なのかな。
「浄化を担当する神官が二名、中で待っております。
あとは、彼らにお任せください」
「分かりました……洗礼の儀式では、どのようなことをするのでしょう」
あまり難しいことを要求されるのは困るな。私はさほど記憶力がよくないんだ。
アストルムでは爵位を継ぐ際、陛下に謁見して忠誠を誓うのだけど、私はその誓いの言葉ですら覚えるのに一週間は掛かったほどだからね。
まあ、君を失ったばかりでそれどころではなかったというのもあるけれど……。
私の問いかけに、カンネリーノは「いえ」と首を横に振った。
洗礼自体は聖水に身を浸しながら神に祈り続けるだけで、それほど難しい儀式ではないらしい。
「ただ、伯爵に浸透した悪魔の力が聖水を拒み、苦しむこともあるかもしれません。
ですが、ご安心を。じきにその苦しみは薄れ、聖水を心地よく感じられることでしょう。
神は必ずや、伯爵をお救いくださるはずです。
どうか、その身体が完全に清められるその時まで心を強くお持ちください」
「分かりました。ありがとうございます」
トレーラントは、聖水で苦しむのは魔力の低いほんの一部の悪魔だけだといっていた。
彼自身は魔力の高い悪魔だし、そもそも私は悪魔でなくて人間だ。
聖水で苦しむことはきっとないだろう。
そう、思っていたのだけど。
「まさか、これほど苦しむとは……。
悪魔の影響は、我々が思っていた以上に深刻なものだったということか」
「しかし、悲観的になる必要はないでしょう。
この熱は悪魔によって蝕まれた身体が聖水を拒んでいる証拠。
伯爵が神の御力を受けいれさえすれば、やがて熱は引くのですから」
その前に、私が神の御許に召されると思うな。
カンネリーノは、洗礼とは聖水に身を浸しながら神に祈り続ける儀式だと言っていた。
それは確かに間違っていない。
ただ、出来ればそれを一晩中続けることも教えておいて欲しかったな。本当に。
昼間は太陽のおかげで暖かいとはいえ、今はまだ冬だ。
夜になれば空気は冷え込むし、石造りの大聖堂ではそれがいっそう顕著に感じられる。
その中で聖水に身体を浸して一晩中祈り続けるって、普通に拷問だよね。
昼は昼で神に祈りを捧げ続けないといけないようで、眠れる時間といえば昼と夜の間のほんの一、二時間ほどしかない。
三回目の洗礼を行なっている最中に意識がなくなったのは必然だと思う。
もっとも、今の話を聞くかぎり彼らはその原因を悪魔だと考えているようだけど。
私は決して病弱ではないけれど、だからといって風邪一つ引かないほど頑丈な身体も持っていない。
そんな私が倒れた原因に悪魔が全く関係ない気がするのは、間違っていないと思うんだ。
こんな生活でも倒れるまで三日も保ったのは、侵入者たちを契約させるために忙しく働いて体力がついたためだろう。
つまり、君とトレーラントのおかげだ。うん、きっとそうに違いない。
神の加護ならぬ悪魔の加護だね。と一人笑った途端、頭が割れるように痛くなった。
吐き気がする。
視界がぼやけて周囲がよく見えない。
身体が燃えるように熱いのに、どうしてか震えが止まらない。
こんなに高い熱を出したのは、十二歳の時に倒れて以来だ。
確か、あの時は流行病に掛かったのだったかな。
ちょうどその時は弟の誕生日が近かったから使用人たちは皆忙しくて、呼んでもなかなか来てくれなかったことは覚えている。
結局君がずっと傍にいて、看病してくれたのだったね。懐かしいよ。
それを思い出したらつい君が恋しくなって、思わず手を伸ばした。
もちろん、君に触れられないことは知っていたけれどね。
私の行動がこの場から逃げだそうとしているように思えたのか、強い力でベッドに引き戻される。
「アーチェディア伯爵、逃げてはいけません。
これは悪魔に蝕まれた貴殿の身体が聖水による浄化を拒んでいる証拠。
一時は苦しむでしょうが、聖水が浸透するに従って熱は引くでしょう。
神の慈悲を受けいれなさい。悪魔の力を拒みなさい。さすれば、神もお赦しになるでしょう」
ああ、なるほど。
もしここで私の熱が引いて生き残れば、私の身体に残っていた悪魔の力はなくなり、浄化は完了する。
熱が引かずに私が死んだとしたら、それは私が悪魔の力を受けいれたせいだ。ということになるのか。
やっぱりこれ、拷問だよね。
「試練の時が始まったようですので、我々はこれにて失礼します。
聖水によってその身が浄化されるまで、しばしお待ちください」
大人しくなった私を見て満足したのか、神官たちは早口に言って部屋を出ていった。
静まりかえった室内に、私の荒い呼吸音だけが響いている。
こんな時、君が傍にいてくれたらどんなに安心できただろう。
やっぱり、多少無理をしてでも君を連れてくるべきだったかな。
始めは連れていくつもりだったのだけど、トレーラントに「止めなさい。そんな危険なこと」と叱られて置いてきてしまった。
すまないね。なるべく早く、君の元へ戻るから……。
そのためには、こんなところで熱を出して寝込んでなどいられない。
少しでも早く治すためにも、今はともかく眠ることにしよう。
おやすみ、エミール。
今日はどうか、私の夢に出てきておくれ。




