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17.

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 降り立った先は、スラム街のものと代わり映えのしない地下水路だった。本来はきちんと整備された、清潔な地下道だったのだろう。だが、ヴァルディッシュが大暴れしているせいで、電灯経路は破壊されてしまったようだ。地上へ続く穴から差し込んでくる陽光だけが、わずかな光源だった。


 ただ一つある大きな違い、それは水の流れが激しいところだ。人の話し声なんて、簡単に攫われてしまうかのような濁流が、そこにはあった。


 そして。

 その流れに逆らって、ヴァルディッシュの根たちが蠢いていた。

 奴らは壁伝いに魔の手を伸ばし、蜘蛛の巣かと思うほどに根を張り巡らせている。


 もしかしたら、水都はだいぶ前からこのような状態だったのかもしれない。今までは、誰にも気づかれないように、ひっそりと人間界の植物に擬態して過ごしていたヴァルディッシュ。それが今、成長を遂げ、本来の気性を取り戻し、根たちを水路のそこかしこに出現させたのだろう。

 奴は天敵がいない、と認識してしまっているのだ。

 地下水路にて、根たちは悠々と揺らめいていた。


「ソフィ。聖歌を頼んだぞ。ここから聖水を流せば、事態は収束じゃ」


 ちょっかいをかけてくるかのように、一本の根が足元から這っていたので、余はそれを鬱陶しげに剣の先で振り払った。聖なる力を宿した刃は、いとも簡単に根を切り捨てる。

 この程度の蔦相手ならば、数がいようが、問題はない。

 しかしながら、ソフィアはそう思っていないのか、不安げな眼差しを余に向けていた。


「あの……。思っていたよりも水の流れが激しくって、わたくし一人の歌では、時間がかかってしまうかもしれませんわ」


「よい。余が時間を稼ぐ。お主は歌に集中せえ」


「ですが……数が、多いですわ。それに、フレデリカ様、肩で息をしています」


 さすがソフィア、目ざといのう。

 そろそろ体力の限界が近づいておると悟られないように、我慢しておったのじゃが。彼女とは一年間、付かず離れずの生活をしてきたからのう。些細な息遣いからでも、体調は手にとるようにわかってしまうのだろう。無論、逆も然りじゃが。

 ソフィアの呼吸、または匂い、それだけで彼女の全てを知悉できる自信が余にもあるのだった。事実、ソフィアが風邪の引き始めのときに、汗の香りだけでそれを断定したことがあるほどだ。


「何分、かかりそうじゃ?」


「十分……いえ、五分あれば……。それなりの聖水にはなるとは思いますけれど……」


「五分じゃな。よし、それくらいなら問題ない。始めてよいぞ、ソフィ」


 ソフィアは両手を組み合わせ、祈る仕草に入ろうとした。しかし、どことなくぎこちない。

 今度は、余がソフィアの機微を感じ取る番だった。


「たまには、余にも良い格好をさせてくれぬか。魔界最強の余が、お主を護るんじゃ、リラックスできるじゃろ? 普段通りに詠ってくれ。ま、子どもの姿では、ちとしまらぬか」


 余はわざとらしく溜息を吐きながら、左手を軽く掲げた。それに応じて、水路の端には小さな炎が生まれる。火元は、音もなく忍び寄っていたヴァルディッシュの根の先だった。気づかぬとでも思ったか。視界に光が乏しいといえども、余の感性からは逃れられない。

 それに加えて、今しがた生まれた炎によって、暗闇は退けられ、視野が開け始める。


「……わたくしも、今後は無茶を控えますから。フレデリカ様も、これっきりにしてくださいね。……それと、負けないでください」


「かかか、毒をもって毒を制す、の如きじゃな。ま、安心せい。妻を護るのは、当然のことじゃろう」


 余もソフィも、意地っ張りじゃからのう。

 特に、出会ってすぐの頃なんかは、衝突も多かったもんじゃ。

 なぜならソフィは、責任感が強い女。余に命を分け与えてもらったことに対して、恩義を尽くそうと、言って聞かなかった。

 対して余は、恩着せがましい行為は嫌いだったのだ。なぜなら、惚れた女の弱みに付け込んでオトす、など恥ずべきに値すると思っているからじゃ。

 余の魅力を知ってもらって、それで恋人にまで進展してもらいたかったのだ。


 互いに、譲ろうとしなかった、あの頃。

 余とソフィアは長い時間をともにして、お互いのことを分かち合えたのである。余がソフィをしっかりとオトしきった、と言えなくもないがの。


 しかし、感慨深くもなるのう。嫁のわがままを聞くはめになるのが、これを期に無くなろうというのだから。

 余たちはまだまだ、ラブラブになれるものなのだな。


「……はい。しっかりとお嫁さんにしてもらうまでは、死ねませんものね」


「その意気じゃ」


 思い出に浸るのも、終いじゃな。

 余はソフィアを背に、傲然と剣を構えた。

 背後からは、調律された楽器のような歌声が奏でられる。聖歌の始まりだ。


 その可憐なアカペラを、敵として認識したのだろうか。

 化け花などという低俗な生物が、聴覚を持ち合わせているとも思えんが。奴らは示し合わせたように、ソフィアを狙い定めていた。


 視界が、ヴァルディッシュの根たちによって埋め尽くされる。

 水路の奥から、一斉に根が伸びてきたのだ。


 想像以上の多さだった。

 針の山ほども伸びてくるそれらを一網打尽にするべく、余は地面に半円を描くようにして剣を振るう。

 すると、床からは炎の壁が吹き上がった。


 先程の巨木に力を注いでしまったせいか、高熱の壁はやや頼りげがない。

 だが、奴らは火に弱い植物である。炎の壁を突き進む猛者はいないようだった。


 安堵の息はつけない。

 これを五分間も維持するには、今の体力では不可能である。

 気を抜けば、火の壁はすぐにでも霧散してしまう。これは毎晩のセックスよりも体力が必要そうじゃなあ。


「くく、どんどんやってこんかい。余が焼き払ってくれようぞ!」


 声を張り上げる。そうでもして自分を奮い立たさなければ、気力が持ちそうにもない。

 余が倒れれば、ソフィアも同じ命運をともにする。

 ソフィアがいるからこそ、立っていられるようなものでもあった。


 これがもし、余が単独での行動だったならば、大人しくラウナの援軍を待っていたことだろう。

 しかし、余の責任。そして、ソフィアが願う、民を救う心。それから、ソフィアに良いところを見せたい余の傲慢さ。それらが上手いこと絡み合ってしまったが故の、意地だった。


 悪寒が、背筋を這い上がる。

 余の本能が察知した、死の気配だ。

 それらは、上空からやってきた。


 天井をぶち破りながら、三本もの根たちが迫ってきたのだ。

 前方だけに注意を向けてはいられない、か。そうこなくてはの。


 余は後ろに飛び退り、頭上からの刺突の攻撃を回避する。それらは紙を破るかの如き勢いで、地面に根先を潜り込ませていた。

 その根たちを纏めて、聖剣で薙ぎ払う。

 

 次は、横からだった。

 水都の地下は、どの壁がどこに通じているのか、煩雑である。

 壁に囲まれた現在、根がどこから襲ってくるのか予測しづらかった。それは余の神経をさらに張り詰めさせる。360度、死角が存在してはならないのだ。


 右側の壁が崩落とともに、蔦を呼び込む。それは、街灯ほどの大きさはあるだろうか。

 その蔦は余ではなく、ソフィアに向かって一直線に突撃する。蔦が飛来する速度によって空間が引き裂かれ、風が唸りをあげた。


 余は剣に魔力をコーティングし、その場から動かずに、横に振り払う。

 剣風は、炎舞となって蔦に纏わりつく。そしてそれは、ガソリンでもかけられているかのように、一気に炎上した。

 蔦は跡形もなく燃え尽き、ソフィアに辿り着くことはない。


 ただ、消耗は激しかった。

 余は炎熱のせいではない汗を大量に滴らせ、それらが顎を伝って、地面に雫を落としている。


「……っ、はぁっ、意外と、しんどいの……」


 ソフィアには弱音が届かないように、口の中だけで呟く。

 聖歌は詠い終わりそうにもない。

 後何分だろうか。時間が、永久にも感じる。

 目は、霞がかかってきていた。


 そんな余の精神力と共鳴するようにして、炎の壁も揺らめき、薄くなりつつあった。

 そこに付け込んだのだろう。一本の太い蔦が、火の壁を無理矢理突き破ってくる。


「たわけが、こざかしいわ」


 余は侵入してきた蔦へ、剣を突き立てた。聖剣は鍔元まで根の中にめり込み、生命を吸い取るかのように、一瞬にして枯れ木へと変貌させる。

 だが、剣を引き抜く力が、もう残ってはいなかった。


 こんなにみすぼらしく、弱々しい魔界の王女など、誰にも見せられん。

 しかし、振り絞れる力が出なかった。

 余は……限界、というものの存在を知らなかったが故に、それを軽視してしまっていたのだろうか。


 記憶はぼんやりとしていき。

 余は崩折れ、前のめりに倒れていった。


 その顔面を、何か柔らかなものが包んでくれた気がした。

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