16.対応策☆
お久しぶりです。ご心配をお掛けしましたが、今日から再開します。
ビルの屋上に不審者の如く待機していた由梨江であるが、スティナが日系人の女性と共に移動し始めたのを見て、慧に一方的に通話をするとすぐさま端末を落とした。
向かっているのは荒廃地区の方だ。スラム街と言い換えてもいい。生活水準が向上し、スカンジナビアのスラム地区はほとんど閉鎖されている。ここもその一つだ。
スティナも由梨江たちが追っている脱獄犯と思われる女性も比較的ゆっくり移動しているので、見失うことはないだろう。二人が立ち止ったので、由梨江も足を止める。五百メートルほど離れているので、会話は切れ切れにしか聞こえず、何を話しているのかよくわからなかった。
狙撃姿勢をとった由梨江は、スコープを覗き込む。この距離ならば、はっきりとその顔が見えた。
「……やっぱり瀬川かな」
由梨江の演算処理能力がそう答えをたたき出した。高坂は殺しても良いと言っていた。由梨江の冷徹な部分が、引き金に指をかけさせる。この距離なら、絶対にはずさない。
と、スコープの向こうでスティナと瀬川が動いた。いきなり白兵戦が始まったのだ。由梨江は顔をしかめる。
「動き速っ」
下手に撃てばスティナにあたってしまうかもしれない。だが、そんなことではスナイパーの名が廃るとばかりに由梨江は体勢を変えて瀬川を狙い、そして引き金を引いた。
「っ! なに!?」
その瞬間、左腕に激痛が襲い、由梨江は狙撃銃を取り落した。押さえた左腕を見ると、血が出ていた。そう、銃弾が貫通したように……。
「ちっ」
由梨江は狙撃銃を右手でつかむと、その場から飛びのいた。ひゅん、と風を切り裂く音が聞こえた。
「おや、残念」
思ったより、小柄な女性だった。そう言えば、資料でも身長は百五十五センチとなっていたか。百七十センチの長身である由梨江と比べれば、それは小さいはずだ。
日本人らしい顔立ちに漆黒の髪と黒曜の瞳。ザ・日本人の美女と言った感じ化。自称日本人で完璧に欧州系の顔立ちをしている由梨江とは違うところだ。
「……スカンジナビア軍で正式採用されているM-15式狙撃銃だ。片腕では撃てないだろう」
瀬川が目を細めて言った。その通りだ。いくら狙撃技術が優れていようと、この狙撃銃は片手では扱えない。由梨江は一旦狙撃銃を屋根の上に落とした。
「瀬川莉桜?」
「私を知ってくれているとは光栄だ。君はエイリー・由梨江・羽崎・カーライルかな。噂には聞いているよ」
「……フルネームで呼ばれたのは初めてだ」
顔に苦い笑いを浮かべながら、由梨江は腰に付けた筒状のものをつかむ。もちろん、日本から持ち込んだビーム・ブレードである。扱い方に難ありで、ヴァルプルギスには効かないが、対人戦なら問題ない。
「珍しい武器を持っていることだ。SFみたいだ」
瀬川が楽しそうに笑った。由梨江は自分が相当変わっていると言う自覚があるが、彼女も相当変わっている。左腕が使い物にならないので、片手で戦うしかない。
「一応聞くけど、ここで捕まってくれる気はない?」
「それ、さっき、スティナ・トゥーレソンにも聞かれたよ」
瀬川は笑ってそう言い、それから凶悪なまなざしを浮かべて言った。
「あり得ないよな」
「そう、かっ!」
由梨江はビーム・ブレードを振り下ろした。これは持ち込みに苦労したのだ。まだ実験段階で、特殊能力対策課では採用されていない。対ヴァルプルギス戦闘には使えないことがわかっているので、特殊能力対策課では採用されない可能性が高い。今回は、由梨江の攻撃オプションの一つとしてごり押しした。使わなくてどうする。
瀬川が身をひるがえして避ける。彼女は持っていた剣で逆に切りかかってくる。そう言えばスティナと戦っていた時にすでに剣をもっていた。スティナはフルートケースに剣を入れて持ち歩いていたのだが、瀬川は手ぶらだった気がする。どこから出てきたこの剣。
しかもその剣は、ビーム・ブレードと打ち合いになっても切れなかった。これは剣の性質と言うより、瀬川が魔法的な何かを使っていると考えたほうが自然だろう。日本のZSC本社で試した時、魔法精製剣もぶった切ったビーム・ブレードである。過去の魔法が、現在の科学に負けたと言うことだ。まあ、時代的に魔法が薄れてきているらしく、現在ではエクエスの力と魔法の境界線もはっきりしないほどだ。
「なかなか強いね、お嬢ちゃん!」
「そりゃどうも!」
最初は由梨江が押していたのだが、気づけば押されている。由梨江は剣を受け流し、身を沈めて足払いをかけようとする。しかし、瀬川は飛びさがって避ける。近くで人の声が聞こえる。
「タイムリミットだな。また会おう、お嬢ちゃん!」
「待っ……!」
屋根から飛び降りた瀬川を由梨江は追いかけるが、彼女が下を見た時にはすでに瀬川の姿が見えなくなっていた。
「……消えた?」
何やら釈然としないが、逃げられたものは仕方がない。由梨江は立ち上がってビーム・ブレードの刃の部分を消すと、腰に括り付ける。さらに落とした狙撃銃を拾い、いくつか家の屋根を経由してスティナたちと合流したのである。
あまり経たないうちにイデオンと高坂が合流した。あいにくと治癒系の能力を持った人間がいないので、由梨江は高坂に簡易的に止血をされながら言った。
「おかしいんだよねぇ。一応確認したけど、私の腕を貫通した銃弾、私が撃った銃弾だったんだよな……」
「それ、冷静に言うことじゃありませんよね」
高坂も冷静にツッコミを入れた。宮森がビビっているが、由梨江はいつでもこんな感じなので慣れてもらわねば。
「剣術も恐ろしく強くてさ。ビーム・ブレードで斬れなかったもん」
「お前が手こずるってのは、かなりまずい気がするんだが」
「慧は私を買いかぶり過ぎだとは思うけどね」
由梨江がそう言って肩をすくめた。高坂が由梨江の傷口の応急処置を終える。
「でもまあ、スティナちゃんとエイリーちゃんがセガワと交戦できたなら、ある程度の情報収集ができたでしょ。とりあえず、エイリーちゃんも怪我してるし、本部に戻ろうか」
イデオンの意見にみんなが賛成を示し、一度特別監査室本部に戻ることになった。まず、由梨江は怪我の治療を受けることになる。
「どーも。研修医のロビン・オークランスです」
軽い調子であいさつしたのは、プラチナブロンドの男性だった。たぶん、慧たちよりいくらか年上だろうが、気になったのはそこではない。
「先生、スティナさんと血縁ある?」
「スティナは姉だよ。お世話になってます」
ニコッと姉とは似ても似つかない笑顔を浮かべてロビンは言った。いや、顔立ち自体は似ているのだが、表情が。彼は監査室付きの医師らしい。
「とりあえず治療はするけど、あとでオルヴァーに治癒魔法かけてもらうといいよ」
ロビンはエクエスの力がないらしく、治癒魔法が使えないらしい。つまり、本当に医師なのだ。それはそれで逆にすごい。
左腕を一時的に固定されて由梨江が事務所の方に行くと、作戦会議はすでに始まっていた。さりげなく慧の横に入り込む。
「怪我は大丈夫か?」
「まあね。スティナさんの弟さんに見てもらった」
「……あとでオルヴァーに治癒魔法かけてもらえ」
由梨江に小声で尋ねた慧であるが、スティナにはがっつり聞こえていたらしく、相変わらずクールに言った。ロビンと同じことを言っていてちょっと面白い。
「エイリーちゃん。いま、スティナちゃんからセガワの話を聞いてたんだけど、エイリーちゃんは何か気づいたことはない?」
イデオンに尋ねられたが、由梨江はまず「スティナさんはどう思ったの?」と尋ねた。
「動きが人間ではない。それと、突然消えた」
簡潔すぎる答えだが、結構特徴をつかんでいる。由梨江もうなずいた。
「だって私も押し負けたしね。これでも結構自信あったのに」
「羽崎は後方支援担当だろ?」
首をかしげる宮森に、由梨江は肩をすくめて見せた。
「最近は慧が前に出てくれるから私は支援しているけどね。ヴァルプルギス討伐は剣の方がやりやすいし」
と、由梨江の答えも答えになっていないが。言っておくと、由梨江はもともと剣士である。
「本当ですよ。たぶん、慧君より強いのでは?」
「……おそらく」
高坂に話をふられ、不承不承慧がうなずく。由梨江は笑った。
「まあ、四年も前の話だからね。今はどうだろうね」
などと由梨江は言ったが、彼女も今でも自分は慧より強いだろうと思っている。
「それはあとで私が手合わせして確認する。それで?」
何やら物騒なことをスティナに言われた気がする。スティナと手合わせって、怪我する未来しか見えない。この人、対人戦苦手そうだし。
「私が感じた印象では、なんというか、空間が捻じ曲げられてるって感じ」
「瞬間移動ってこと?」
イデオンが尋ねた。すぐさまそんな言葉が出てくると言うことは、彼はちゃんと勉強しているのだろうなぁと思った。由梨江は首を傾げる。
「そこまでは言わないけど。でも、私が撃った銃弾が私の左腕を貫通したし」
なので、空間が捻じ曲げられているとしか考えられないのだ。由梨江が撃った銃弾が、捻じ曲げられた空間を通って狙撃手自身を襲ったのである。
「確かに、それなら突然消えたのも説明がつくな。干渉力が強いのなら、厄介な相手だが……」
とスティナ。高坂も「そうですねぇ」と考え込むように目を細める。
「……頼ってしまって申し訳ないですが、スティナさんと由梨江さんが同時に相手になれば、どうでしょう」
「えっ」
驚きの声が二人分、かぶった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
治りました。まだ食欲はあまりないですが。熱も結局出なかったのですが、なんだったんだろう。




