昔馴染み
イグサが逃亡を計った理由、
「待って、イグサ…」シウスの声が脳裏に響いた。けれどイグサは留まらず雇用主の元へ向かった、帰途に着くために。
過去、イグサに固有の名詞が無い頃の幼き日。二人の馴染みが傍らに居た。一人は行動的で明るくけれど強かで、もう一人は静かで優しく慈しみに溢れていた。その在り方は光と影の対極を想わせる。血縁ではないのに顔が似ていて当時は双子だと勘違いしていたほどだ。そしてイグサも髪色を染めず彼らの館で世話に為っていた。年は、二人の方が幾らか上で背は言うまでも無いが。イグサは気に入らなかった、仲良しの中で一番小さい自分が、そして常に揶揄うヘウスが。
だが最も気に食わなかったのは、シウスが何でも卒無くこなす所。読書ばかりしているのに、いざ競うと全戦連敗だった。不機嫌な様子を気にして、彼が手を抜いた事が一度だけ有る。初めてシウスに勝てたと大喜びしていたイグサ、自慢げにもう一人に語ったが相手は仕方の無い子供を見るような眼で(事実、その通りだった)。
「シウは今日、体調が悪かったんだ。あまり騒いで遣るなよ」と静かにするようにとジェスチャーで示された。イグサは呆然とし、ヘウスをまじまじと見た。(去り際に薄く嗤うのが、とても印象的だったと記憶している…)急ぎシウスの部屋に向かうとやはり分厚い本に噛り付いていた。キィ…と扉の軋む音で此方に顔を向けた。「如何したの?またヘウスに…」と言い掛けイグサの仏頂面で薄々察したらしい。
「フフッ」微苦笑を浮かべ、余裕な表情をするのが嫌に刺さった。「御出で、彼が何て言ったのか知らないけど気にする事は無い。」鼓動が耳にまで届く―シウスは悪くない、悪くないけど―汗が噴き出し思いは奔流と為った。「五月蝿い、シウなんか嫌いだ!大嫌いだ!二度と顔なんか見るもんか…」手加減されたのは自分が子供だったから、心が未熟だったから。シウスだって未成年なのに!この違いは何だ…。
喧嘩別れでイグサはシウスに蟠りを抱くように為る、養子として他家に引き取られるまで冷戦は続いた。シウスは歩み寄ろうとしてもイグサの方が逃げてしまうのだったから処置なし。御蔭でヘウスとイグサは相手の性格をよく知ったが、イグサにとってシウスは不可思議な何者かであった。子供の憤りとは理不尽な物で離別の瞬間すら口を利かなかったほどだ。
結びに現在に至ると言うわけだが、イグサだって出来る事なら再会した後、後悔を打ち明けたかった事だろうに。人間意固地に為っても不利益しか被らん...だがイグサを短絡的だと片付けるのも浅はかだろう、




