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反逆の心臓  作者: だいふく丸
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第4話【3】

 キーンコーンカーンコーン、小学校のチャイムが鳴った。


 帰りの会が終わった直後だったので、チャイムとともに男子たちがドアを開けて我先にと廊下を駆け走る。即座に、大きめな黒いサングラスの教員が怒鳴りつけた。


「おいゴラァ、フミヤ! 廊下を走んな!」


「うるせぇや、マフィア! 井出哲夫いでてつお!」


「フルネームで呼ぶな、井出ちゃんと言え!」


「井出ちゃん、バイバーイ! また明日な!」


「おう! 車と不審者に気ーつけて帰れよ!」


 飛び降り騒動があった区立赤羽第一小学校から一キロほど離れた区立第三小学校にリス顔の少女、三船未来みふねみくは通っていた。


 物静かな性格で、四学年時には陽気な女子のグループからいじめの標的になったものの、女手一つで自分を育てる母親には言えなかった。


 しかし、美術の時間、そのグループに道具箱を隠されたとき、勇気を出して席を立ち、同級生の前で隠されたことを話した。


 その日以来、いじめられなくなったが、大人しい性格は変わらなかった。


 六年生になった今もそうだ。他の係員や教員から雑務を頼まれれば断れない。和気あいあいと雑談する輪の中には入れない。キラキラしたアイドルに興味がない。


 放課後は学校で飼育する亀やウサギと戯れるか、図書館で本を読みに行くか、家に帰って動画配信サイトで可愛い動物を見るか、お菓子を作るか、彼女は人付き合いが苦手なのだ。克服しようという気はない。


「未来ちゃん。今日さ、予定ないならうちでドーナツ作らない?」


 ただ、この日は同級生に誘われた。たまに話す長身のバスケ部の山崎有美やまさきゆみだ。


「え、いいの?」


「未来ちゃん、お菓子作り好きでしょ。うちで作ろうよ」


「ありがとう! あ、でも……」


 俯く未来を、有美が顔を覗き込む。


「未来ちゃん。最近、元気ないよね。何かあった?」


 とたんに傘を広げるよう笑顔を向けた。


「ううん、大丈夫! 行くよ! ありがとう、誘ってくれて」


「あ、うん! じゃ、行こ!」


 有美の家で同級生四人、未来は動物顔のドーナツをたくさん作った。


 有美の母も体調のことを気遣ってくれたが、未来は終始明るく接した。


 新学年となってから体育の授業で休むことが多かった。有美が身体をよくさする未来を心配していたらしい。有美はいじめの告白を目撃して以来、未来を友達と思っている。ただ、本人には友達だと話したことはない。


「私、肌弱いんです。でも、大丈夫です、今日はありがとうございました!」


 笑顔を振りまき、お土産のドーナツを持って、自宅のアパートへと帰る。


 だが、帰りたくはない。家に帰れば母親の彼氏、宮城美威流みやぎびいるがいるからだ。


「……ただいま」


 と、小声で告げる未来に気づかず、宮城は昼過ぎから名前の由来となったビールを飲みながら、多人数対戦ゲームを実況プレイする自分に酔いしれていた。


「ひゃー、バカバカバカバカ! お前マジ人権ねぇから、バーカ! オラオラオラァ、ビール王子の登場だぞ! 雑魚は引っ込めよ! 俺が優勝かっさらって、お前らと祝杯あげっから、今のうちにビール買って来いよ!」


 百人いたプレイヤーのうち、生き残ったのは宮城含めて五人だ。


 岩陰に隠れる宮城を、正面突破で狩ろうとする外国圏プレイヤーだが、ヘッドショットでデリートされた。「ひゃー、相手がバカで助かった~っ!」


 安心するのももつかの間、スナイパーがわずかに頭を見せた宮城をヘッドショットでデリートした。


 実況画面のコメントに「ざまぁw」「おめぇに人権はねぇ」が溢れる。


「あー、F**K、F**K!」激高する宮城だ。


 ヘッドフォンを床に叩きつけ、隣の部屋のドアを開けた。


 その部屋には子供用タブレットで猫と犬が戯れる動画を見ていた未来だ。


「おい、こっちへ来い!」


「イヤ、離してッ!」


「黙れ、切るぞ!」


 と、右手のナイフで少女を脅す。黙るしかない。涙が一筋頬を伝う。


 男は少女を風呂場へ連れ込む。服を脱がせ、シャワーを浴びせる。


 その温度は大人でも耐え切れないほど熱湯だ。少女は耐えるしかない。抵抗すればまた背中を切られる。傷口が染みて痛み、少女は涙とともに血を流す。


 夜八時、ハンバーガーチェーン店で働く母親、早絵さえが帰って来た。


 尻尾を振る子犬のよう男は笑顔を振りまく。テーブルには男の手料理が並ぶ。


「未来、びーくん、ただいま! おー、うまそうな匂い!」


「おかえりなさい、早絵ちゃん。今日はグラタンコースだよ。召し上がれ!」


「気が利く彼氏さんで助かるよ。え、なにこのドーナツ、可愛い!」


「未来ちゃんが友達の家で作ったんだって。センスあるよね」


「未来、天才じゃん! お店開けるね!」


 何も知らない母親へ、少女が置いた赤いウサギが不気味な笑みを向ける。




『未来、昨日話したお客さんだよ』


『はじめまして、宮城美威流といいます。変な名前でしょ?』


 母親の彼氏、宮城が初めて三船家を訪れたのは三月上旬だ。


 母親がマッチングアプリで知り合ったようだ。未来は父親を知らない。母親に聞いても答えない。女手一つで育ててくれる母親に不満はなかった。


『ママも一人の女だから、未来もわかる日が来ると思うよ』


 母親はそう言って、宮城と付き合った。


 男は池袋のアパレル店で働いていただけあって、清潔感があって人当たりがよく、人見知りの未来もパーティーゲームを通じて仲良くなった。


『未来、来週からビーくんも一緒に住むんだけど、いいよね?』


 男は店長と揉めたらしく、三月末からアパートで一緒に住むようなった。


 2DKで母親と彼氏の部屋、未来の部屋と分かれた。


 新学年となって学校から帰って来ると、宮城はその本性を見せ始める。


 正しくは、情報番組で女子更衣室にカメラを設置したカフェチェーンの店長が捕まったニュースを見てからだ。男は苛立ちながら冷蔵庫からビールを取る。


『あの店長捕まりやがったのかよ。ボロイ商売なのに、バカがッ!』


 母親の前では優しいお兄さんだが、未来と二人きりになれば粗暴な荒くれ者だ。


『びーくんは主夫だからいいの。お金は私が稼ぐ。未来も彼氏作ったら?』


 職を探さなくても、母親は彼氏を甘やかした。男の前では女だと娘は思う。


 昼間、宮城はゲーム実況か池袋へ行く。理由は新たなビジネスらしい。


 彼が未来を虐待し始めたのは、ゲームで負けたストレスを解消するためだ。


『ほらほら、どうだぁ? 声を出せば、もっと熱くすっからな!』


 笑いながら、シャワーの熱湯を未来の背中に浴びせる。


 強者と弱者の構図が生む優越感が快感なのだろう。未来は抵抗をするのをやめた。


 なぜなら男の右手にはナイフが光り、背中にはその傷が一筋残っている。誰にも見せられない。死にたくはない。我慢すれば生きていられる。


 弱者の思考は少女の精神を歪めていく。けっきょく、誰も助けてくれない。自分で動かなきゃ助からない。もういいよ、疲れたと飼育小屋のウサギに漏らす。


 体育の授業を休み、給食を残す未来の異変に気づいたのが山崎有美だった。


『どうしたの、大丈夫?』


 だめだ、この子に話しても助けてくれない。四学年時も同じクラスだった子だ。学習性無力感は差し伸べた手さえ払いのけてしまう。


 生きる選択肢を選ぶ少女を救ったのは、仕事終わりの母親に連れられて赤羽駅前の飲み屋街で出会った、白金髪の女だった。


 テーブル席で飲む母親と同僚、そして未来は焼き鳥を食べる。少女は鳥皮が好きだった。甘辛いタレが好きなだけだが。


『明日斗くん、いい意味で赤羽ってカオスよね。小学校の前に飲み屋よ』


『無菌状態に慣れすぎた子供は残酷な社会に弱くなります。いい教育ですよ』


 隣席、白金髪の女は整った顔立ちの若い男と話す。傍から見れば美男美女だ。


 少女は女が置く、テーブルの赤いウサギのぬいぐるみが気になった。


 その女が気づく。少し沈黙のあと、


『ウサちゃん、好きなの?』と尋ねた。


『あ、はい。学校で飼っていて』


『欲しいならあげよっか、このウサちゃん』


『あ、すみません。けっこうですから』


 母親が遠慮するが、女は気兼ねなく差し出す。


『また作ればいいですから。大切にしてください』


『ありがとうございます!』


 片耳を折り、ウインクする愛らしいウサギは傷ついた少女を救うことになる。




 学習机の上、赤いウサギのそばにドーナツを置いた少女はベッドに入った。


 目を瞑ると、急に腹が重くなった。なんだと思って目を開けると、腹の上には両手でドーナツを食べるウサギがいた。仰天して声が出てこなかった。


 ウサギがいう、「美味しいわね、このドーナツ」


「な、なんで?!」


「あー、美味しかった」


 と、食べ終える。布団の上はボロボロと欠片で汚れたが。


「未来ちゃん、あの男にひどいことをされているでしょ? ドーナツのお礼に、私がママに伝えてあの男を懲らしめてあげる」


 そのウサギは布団から降り、ダイニングで話す宮城と母親の元へ跳ねていく。


 引き戸を開けて現れたウサギのぬいぐるみに、二人は驚きの声を上げた。


 ウサギは気にも留めず、テーブルの上に乗って唖然とする母親に告げた。


「彼、未来ちゃんにひどいことしているわよ」


「え、どういうこと?!」


「なんだよ、このぬいぐるみは! 虐待なんてするわけないだろ!」


 ウサギはぴょんと振り返り、狼狽する男に問う。


「あなた、大罪を背負う覚悟はある?」


「は? 大罪?」


「ないみたいね。なら、死になさい」


 ウサギは背面のまま跳びはねた。彼氏へ疑いの目を向ける母親の胸に当たる。


 すると、母親は気を失って椅子から転げ落ちた。心配する宮城だが、目を覚ました母親はテーブルに置く、リンゴを剥いた果物ナイフで彼氏の喉仏を刺したのだ。


 未来が部屋から飛び出た。「お、お母さん?!」


「来ちゃダメ。騒がないで」母の声ではない。「だ、誰ですか?」


 少女は肩と声を震わせる。ただただその光景を眺めるしかできなかった。


 倒れた男の胸を何度も突き刺したその女は、少女に赤い笑顔を向ける。


「私はそうね……名も無き魔女よ」


「魔女……さん?」


「怯えなくていいわ。私はあなたの味方、救世主。今はママの身体を借りているけど……驚いた。まさか変態博士の子供なの? 赤羽って、本当にカオスね」


 血でシャツを染めた女は立ち上がり、テーブル下の赤い池と男の肉塊を眺める。


「未来ちゃん、スーツケースってある? 肉をバラバラにしてケースに入れて荒川に捨てちゃいたいの」


「あ……はい! お母さんの部屋にあったかと……」


 未来は母の部屋の押し入れからスーツケースを引っ張ってきた。


「未来ちゃん、このことは内緒よ」


 母親を乗っ取った女は浴室で遺体を解体した。男の悪霊をウサギのぬいぐるみに封霊したあと、真夜中、橋の上から荒川に捨てた。


「未来、ごめんね……こんなひどいことをされていたのに……気づけなくて」


「お母さん、ごめんね。怖くて……言えなかった」


 正気を取り戻した母親は傷ついた娘の背中を知り、何度も謝った。


 ウサギのぬいぐるみは母娘の愛を微笑ましそう見つめた。捻じれた愛情からなる正義の憤怒を込めて――。

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