第2話【7】
古野の家は赤羽神社からそこまで離れていなかった。
赤羽駅西口から徒歩五分ほどの立地、学生用にリフォームされた団地で、古野は赤羽駅近辺の大学に通っている。間取りは2DK、一人暮らしには十分だろう。
築五十年を超えた建物のためにエレベーターがなく、三階まで階段を上る。
心霊保安官と刑事の手には清水スプレーだ。周囲に吹きかけるカウボーイ曰く、階段は霊も上るので清潔にしておく必要があると。
三階に着き、部屋へと向かうが、先を歩く近藤が二人を制した。
「どうしたんですか?」白石が訊く。
「かなりの敵意が向けられているんです。悪霊じゃないな……」
「悪霊じゃない?」怖がりな古野が女刑事の袖をつかむ。
「この生々しさ、生霊かな? それも女性」
「部屋に生霊がいるんですか」
「そうみたいですね。友達に何か恨まれることでもしました?」
古野はブルブルと首を振る。彼女からはその悪意を感じない。
保安官はひとまず、この敵意の正体を突き止めることにした。
「二人はここにいてください。女子大生の部屋に一人で入るのは恐縮ですが」
「わかりました!」
と、白石はスプレー缶を握りしめ、依頼人に付き添う。
ドアの前で、心霊保安官は合掌した。人差し指と中指二本を立てるやり方だ。
《心霊開眼》
「き、消えた?!」
霊眼は合掌することで開眼する。霊眼を開眼すると霊体になれるが、霊力が尽きると気絶してしまうリスクがある。合掌には何種類かあり、近藤はサムライ式だ。
瞳がピンク色となった近藤は二人の前から姿を消すも、一人の前に姿を現した。
「誰だ、お前?」
廊下にポツリ、若い男が待ち構えていたのだ。明るい茶色い髪を遊ばせる、血が滲む柄シャツでダメージジーンズ、血走った目から敵意が伝う。
「お前は桃香のなんなんだよ? お前が彼氏か?」
近藤は護神隊手帳を示す。「心霊保安官だ。古野さんの依頼でここに来た。彼女の知り合いですか? 名前は?」
「俺は井場拳児いばけんじ、桃香の彼氏だよ」
「古野さんの彼氏?」
この男は死霊だ。顔が青ざめ、影がない。だが、部屋の奥から邪悪な霊気、さきほどから感じる敵意はこの男からではないと悟った。
「井場さん、他に女がいますよね?」
近藤は部屋に女がいるかと聞いたが、誤認した男は歯をむき出して狼狽する。
「俺は浮気なんかしてない! 廃校で遊んでたら、死神に殺されたんだんだ!」
「死神に? どこで?」
「練馬だ、練馬の廃校だよ!」
練馬の廃校といえば、取調室での話、高松兄弟という死神を思い返す。
「屋上でいきなり首ちょんぱだ! まだまだ人生楽しみたかったのに、桃香はすぐに男を作りやがって! あいつは今どこにいるんだよ! 心霊保安官なんかに言いやがって俺を除霊する気か、ぶっ殺してやるッ!」
そのとき、まったく音沙汰がないので、気になった二人が部屋を覗いてしまう。
「桃香ァ、死ねッ!」
タヌキ顔の女を見るや否や、男が襲い掛かった。
すかさず近藤はマントを広げて防壁結界を張った。男は激突し、尻餅をつく。
肉体に戻り、古野に尋ねる。「井場拳児ってわかります?」
女は仰天した。話していないにも関わらず、保安官が知っていたからだ。
「以前付き合っていた人です。浮気されて別れたんですけど」
「いつ別れました?」
「三月の初めぐらいです。でも、なんで知っているんですか?」
「金縛りの正体はその人だからですよ。そこの廊下で倒れています」
「え、うそ?!」
「危ないんで、離れていてください」
と、二人を遠ざけてから再び霊体に戻る。手には愛銃サムライイーグルだ。
「あの子に金縛りをした理由はなんだ、別れた腹いせか?」
立ち上がった井場が吠えた。
「道ずれだよ! 俺だけ死んで、桃香だけ生かしておけねぇんだろ! 俺が浮気したって、ショウに騙されやがって、昨日殺すべきだったわ!」
保安官は納得しなかった。奥の部屋にまだ何かいるからだ。男の悪霊をはるかに凌ぐ、その敵意は自分に向けられている。
「誰がお前をこの部屋に呼んだんだ? 言わなければ撃つぞ」
と、7インチバレルのマグナムを構える。麻酔霊弾なので眠らせたあと封霊札に閉じ込め、神社でお払いをして天界へと還す予定だ。これを浄霊と呼ぶ。
立ち上がった井場が後ろを指さす。
「知らねぇよ! 気付いたら、あのウサギの中にいたんだよ!」
「ウサギの中?」太い眉がピクリと上がり、眉間に皴が寄る。
「ああ、黄色いウサギのぬいぐるみだ! その中に女がいたんだ!」
ギギー、リビングと廊下をつなぐドアがゆっくりと開き、ポツリ、黄色いウサギのぬいぐるみが近藤の前に現れた。ゲームセンターでありそうな可愛らしいぬいぐるみだ。右耳を折り、左目でウインクして笑っていたが、一瞬で真顔になった。
「コイツだ、この中に俺は……」
と、井場がぬいぐるみと目が合った瞬間、バタリと倒れた。
そして、ゾンビのよう頭を垂らしながら立ち上がる。
ギョロギョロ、目玉を泳がせる男はニヤリと心霊保安官に笑った。
「愛之助くん、殺神隊に入らない?」
女の声だ。邪悪な霊気が男の全身から漏れる。さきほどの敵意の正体だ。
「殺神隊を知っているとは……」
近藤が言い終わる前に、「私は殺神隊のボスよ」と告げた。
「な?!」
ボスの霊が憑依した男は両手をかざし、近藤に衝撃波を放った。マントの結界が張れず、そのカウボーイは玄関外まで、廊下の柵へと飛ばされた。
「こ、近藤さん?!」
部屋の外、廊下にいた白石と古野は柵に激突した心霊保安官に駆け寄るが、部屋からの重たい突風が、悪霊が二人の髪を揺らした。
「死になさい」
「死ぬのはテメェだッ!」
気を失いかけた近藤は愛銃の銃口を男の左胸に合わせ、霊力を解放させる。
「御用改めだ。愛のもとに鎮まれ、荒ぶる魂よ」
《螺旋之荒鷲スパイラル・クレイジーイーグル・ショット》
黄金の弾丸は鷲となり、全身を回転しながらドリルのごとく鋭いくちばしが、ボスが振り向きざまに張った防壁結界を破り、心臓をも貫いたのだ。
「フフフ。愛之助くん、また会いましょう」
その女は井場の心霊を道ずれにして、近藤の前から霊気を消した――。
赤羽神社に戻った近藤は古野桃香からウサギのぬいぐるみについて聞いた。
その黄色いぬいぐるみは別れた井場から送られてきたという。捨てようにも、なぜか捨てられずにそのまま部屋に飾っていた。その日から金縛りに遭ったという。
依頼者の安全を考え、ひとまず古野を王子神社の江藤玲子えとうれいこ少佐に任せ、駅近くのホテルに隔離することにした。
その日の夕方、赤羽神社に一台の黒塗りの車が停まる。
心霊公安官、桜ノ宮勇月少佐が報告に来たのだ。社務所一階、来客室でかつ丼を食べながら二人は話す。勇月のおごりで出前を取ったのだ。
「練馬の廃校の件だが、死神の高松兄弟で間違いない。つまり、昨日の死神、高松隆志がその井場拳児を殺したはずだ。警察に捜索願が出ていた他の大学生も井場同様、高松兄弟に殺されたのだろう」
勇月はかつ丼を置き、テーブルに置かれた黄ウサギのぬいぐるみを手に取る。
「迅速な対応に感謝しますよ、桜ノ宮少佐」
「このウサギに殺神隊のボスが憑依していた。しかも、ラブ助を殺神隊に勧誘したと……誤認ではないよな?」
「間違いない。ラブヘルパーの名に誓う」
「余計に信じられないが。本当にボスだったなら冗談では済まないぞ」
ボスではない可能性もある。別の悪霊の悪戯かもしれないが、旧友の言葉を信じれば……モフモフのぬいぐるみを揉みながら、勇月は頭脳を働かせる。
「昨日といい、赤羽で何かが起きている」
「それは勘弁してくれ。せめて月末の祭りまで平穏無事で頼むよ」
「私に言うな」と、ウサギをテーブルに置き、真っすぐな眼差しで保安官に問う。
「ボスだったと仮定して、井場の悪霊をウサギのぬいぐるみに閉じ込め、自身も分霊転身でぬいぐるみに憑依した。井場は高松隆志に殺された大学生だ。高松隆志は殺神隊を名乗り、赤羽神社を襲撃した。邪悪な仮面を付けて、ボスの命令でお前を仲間にするために。しかも、モールの立てこもり犯、西田潤はGFEの信者だった」
公安官の推察に近藤は戸惑う。「何が言いたいんだ?」
旧友は髷を結ぶヘアゴムを外し、ウサギの首に付ける。長髪がさらりと垂れた。
「殺神隊のボス、つまり、御多福幸子はお前を仲間にするために赤羽で事件を起こしているとしたら、どう考える?」
「どう考えるって、守るしかねーだろ。この赤羽を」
桜ノ宮勇月は合掌した。右手の人差し指を左手で握り、左手の人差し指一本を立てるニンジャ型だ。瞳が桜模様、ピンク色と水色に輝く。彼の虹彩は二色だ。
「また事件が起きるぞ、ここ赤羽で」
静寂が包む部屋、夕暮れに照らされたウサギが二人をあざ笑った。




