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私の中のリアル  作者: 五月雨
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Player13  Mikaze Atojima

 わたしは目を覚ました。夢の中で認識する。己の小さな存在を。


 普通の夢じゃない。多くの人が生まれて死んだ、本当の星と変わらないもの。実体があって、時にわたしを傷つけもする。


 この世界が創られて二千年。わたしを隠すために、目覚めた後のわたしを護ってくれる人を育てるために。母と弟、その友人や仲間達。みんなの期待を重く受け止めて。


 準備は調った。平和な時代が来て、わたしも充分休むことができた。これなら目覚められる。親切な誰かが身体を揺すってくれさえすれば……


 わたしの名前はアウラ。アウレアの全てを記憶する統制者。わたしが目覚めるとき、この世界は泡みたいに消えてしまう。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 わたしの肉体は、人目につきにくい安全な場所で保管されている。もっとも未だ見つからなくて、けれど大体どのあたりにあるのかは分かってきた。


 みんながグラキエルと呼ぶゲームの舞台――わたしが生まれた人類発祥の星。長い時間が過ぎているけれど、そこまで分かっていれば探すのは難しくない。わたしと同じ故郷の記憶を持っていて、グラキエルにログインできる。そういうヒトなら。


 わたしは迷っている。目覚めるべきか、眠ったままでいるべきか。


 ここでは数千万の人々が暮らしている。かつてのわたし達と同じように。その幸せを壊してまで、わたしは故郷に帰らないといけないの?


 最近は代行分体を見かけなくなってきた。いても無視されることが多い。みんな姿を消して、あのヒトも箱庭の外にいる。どちらが勝ったということもなく。時間が心の傷を癒やしてゆけば、きっとまた昔みたいに仲よくできるのに。


(わたしを起こそうとしている人。彼の傍にはクラリスがいる……)


 もしかしたら本当にできてしまうかもしれない。わたしの意思とは関わりなく。


 二人が目指している形は一緒?目的は違っても対立しない?上手にやらないと、また争いが起こる。一度クラリスから話を聞かないと……



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…誰?」


 しばらく無視されて、表の暗がりへ出た途端。浅黒い膚に黒髪の女のヒトは、不機嫌そうに呟いた。


「誰かと訊いているの。悪戯は容赦しないわよ」


 かなり怖い。セラフィナさんと同じ情報から生まれたとは思えないほど。


 いつも実験に付き添ってくれて、母さんと同じくらい優しかった。どうしてこんなふうに?見た目が違うから?…まさか人違いなんてこと。


《いえ、その。えっと……》


 眉間の皺が緩む。そして溜息交じりに微笑んだ。


「…やっと来た。千年経っても、性格は変わらないのね」


《初めまして。統制者の……アウラです》


 本名じゃない。西都原さんが考えた、わたしを表す仲間内の隠語。ランディ、フイユ、バルフェルド、シェリィ、メティス、アルボ、カスパル――母さん達は魔神と呼ばれていて、研究所内ネットワークのユーザIDが、創造者の名前として信仰を集めている。駐在武官や軍属の皆さんも、魔神を倒した聖神として綽名か本名が残されている。


「アウラさん?」


《はい……》


 まだ笑いを堪えるように。


「おかしな気分ね。私達は知り合いらしいのに」


《……はい》


 違和感がある。わたしは彼女の雰囲気に。彼女は植えつけられた記憶に。それでも話がしたかった。この人はわたしを傷つけない。助けてくれるんじゃないかと思う。


 お店の中から賑やかな空気が洩れてくる。クラリスが消えたことには、まだ気づかれていない。苦笑を浮かべると、適当に暗闇を拾いながら歩き出した。


「幸せな連中よ。ヒトを好きになって、愛されなくても満たされて。愛しても満たされなくて。一緒にいたら、いつの間にか満たされて」


《あなたのことですか?》


「誰かは言わないでおく。気が向いたら当ててみて」


 くすりと笑う。そして細長い溜息をついた。


「……七百年」


 クラリスが誕生させられてから。より正確には七百十二年。


「私は生かされ続けてきた。一度、二十七歳で死んだけれど」


 知っている。西都原さんのメモリークローンと戦って。あれは監視者の駒を潰すために、弟の複製が仕組んだこと。


「……あなたは?」


 二千百八十九年。それも時の流れが違うから正しいと言えるのか。


《短くありませんでした。百年が三日くらいになる、そう言われていたのに》


 生身の心で七百年を過ごすよりは。同じことをしていたら正気でいられたか。


「ニアがいたから」


《……………?》


「支えにはなるの。たとえ狂っていても」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…何か言いたそうね」


「今後、私がどうするか。それを確かめに来たのでしょう」


「……ごめん。嫌な言い方だった」


「私はあなたのことを、お母さんから頼まれている」


「できるだけ、あなたの気持ちに添いたい。でも従えない場合もある」


「…もっと嫌な言い方になったわね」


 そんなこと。正直に言ってくれて嬉しい。


「ならよかった。癖なの」


 わたしは迷っている。このままでいるべき?それとも目覚めるべき。自分ひとりで決めないといけない。あなた達に預けるのは惨いと思うから。


 本音は恨みごとを聞きたくない。ただ、それだけ。


《クラリスさん……?》


「…独りごとを聞かれてしまったら、仕方ないわよね……」


「あるいは密談。アウレアの住民全部、誘拐しようとか企んでいたり」


《それは……》


「仕返しが目的だそうよ。家族や親しい人を皆殺しにされた復讐。あと一歩らしいけれど、ここも寂しくなるわ……」


 復讐?この世界を滅ぼすためじゃない?


 逆移民。アウレアで生まれた民を人類の故郷へ。


「破滅願望はないと思うわ。新たな神にならないか心配しているくらい。あ、これも大きな独りごとね」


 話のとおり進むなら。誰も犠牲にしなくて済む。わたしは……


「最善を尽くす。結果はどうあれ、できるだけ多くのヒトを送り出すと約束する」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 風が奔る。光が躍る。暗闇さえ心地よく思われて。


 学校の夏休みとも違う。大人が仕事を辞めれば、こういう気持ちになるのかも。


 笑ってみた。思いっきり、思いっきり声を上げて。ここは海の上だから聞くヒトはいないけれど。山に。森に。空に。行ってみよう――人間の街へ。


 久しぶりだった。みんなの暮らしを覗くのは。楽しそうなところ、美味しそうなもの。ヒトが集まる場所には、面白いことが沢山ある。ラフィニアがクラリスのために育てたお庭。でもいまは、いまだけはわたしのもの。


(悪戯してみようか)


 ふと考える。そういえば昔、ここに来て二百年くらいの頃。


 死ねるのか試してみたくて、潰れかけた女の子に入ったことがある。あのときは気持ちが滅入っていて、結局死ねなかった。記憶の中にある彼女の感覚と重なっただけ。わたしの本体は遠いところにある。落ち着いて考えれば、死ねるはずなかった。


 少しめげながらウィンドウショッピングして。ついでに美味しそうなものも、こっそり分けてもらって。元気が出たら、いろんなものを無料見した。やり過ぎて週刊誌に載ってしまい、クラリスの友達や偉い人からこってり絞られたけれど。


 優しいヒト達。わたしを利用してやろうとか、そんなふうには思っていない。


「…子供、だったのか?我らが恐れてきた監視者とは……」


「いいえ。あの子は『統制者』、もっと上の存在よ。『監視者』は理由あって休んでいる」


「………………………」


「くれぐれも無駄な冒険心は……」


「解っている。最初からそのつもりだ……神の実在を公表すれば、懐疑的な連中もどうにかなるかもしれん」


 ありのままを伝えただけでは、全ての人が納得することにはならなかった。大人しく従ってもらうには、統制者の力を示す圧倒的な何かが必要。


「お疲れ様。大統領閣下兼、南部独立同盟常設会議長殿。これから忙しくなるわ。身体を壊さないようにね」


「どうせ消える身だ。精一杯務めさせてもらうよ。リカルド事件以来、アーノルド=ケディスの覚悟は決まっている」


 あまり元気そうには見えない。必ず、絶対、何がなんでも。義務的な感じがする。心の中までは読めないけれど、未来を拓くより罪を償っているような。


 男の人が入ってきた。わたし達を見るなり固まってしまう。でも部屋の主が何も言わないから、そのまま気を取り直して報告する。


「…大統領。フォルテとの漁業協定についてですが」


「その話は打ち切りだ。国民の命以外、欲しければ何でもくれてやれ」


 クラリスが可笑しそうに肩を竦めた。国同士の交渉として極端に気前がよすぎる。釈然としない男の人の顔を見て、今度は身体を折り曲げながら笑った。それに釣られて、わたしも我慢ができなくなる。


「……真剣な話だ。少しは弁えてもらえるかな」


 ふざけてなんかない。母さんもみんなも、研究所が世界中から攻められたときは命を賭けて戦った。それに比べたら何て幸せだろうと、そう感じただけ。


 楽しい時は必ず終わる。


 わたしに残された時間は、あと三十日だった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 その夜、わたしはミスラの大統領官邸を脱け出した。


 これ以上ここにいても仕方がない。事態はもう動き出している。限られた時間の中で、やり残したことがないようにしないと。


 マサキは無事、レイの膝元へ辿り着いた。彼の友人と出会い、少なくとも信じることにしたようだ。ジェイコブは顔が広いし、クラリスと繋がりがある。これからのことを一緒に考えてくれる仲間も、きっとできるに違いない。


(あなたなら大丈夫。強過ぎるところが、少し心配だけれど……)


 ひとまず大陸を後にした。他にも気になるヒトはいる。でも、あまり時間がない。わたしの思考は引き伸ばされているから、意識しないと簡単に五年は経ってしまう。


 南に浮かぶ孤島の都市国家にも寄った。お墓を見たかったけれど、この世にあの人のお墓はない。あったとしても、そこには眠っていない。だから、せめて遺した国を見てゆく。わたしが眠っている間に滅ぼされた、リュドミーラがこの世界にいたことの証を。


(好きにはなれなかった。でも、わたしの罪を共に背負ってくれた人)


 覇権を失い、見る影もなく萎んだ国。滅びを逃れるため、幾つも結界を重ねて外の世界を締め出している。奪った側も長くは続かなかった。離合集散を繰り返し、最期は監視者の逆鱗に触れて衰退。今ある国は、同じエルニアという名前の残骸でしかない。


 このとき初めて、わたしはヴァルマの複製が来ていることを知った。ほぼ同時期に弟のダイチも。二人には見えなかったのに、代行分体達はわたしを見ることができた。ヴァルマに引き渡されなかったのは運がよかっただけ。


(この後クラリスが生まれて……最初は厄介な敵が増えたとしか思わなかった)


 でもそのお蔭で、ラフィニアのわたしに対する監視の目が緩んだ。クラリスはヴァルマの親友セラフィナの複製。それが思惑どおり育っているのだから無理もない。復元前の一番隙が多いときを狙って、わたしは聖域を脱け出した。


 南へ。初めて話をした女のヒトが住まう森へ。ずっと昔、どうしても会いたくなって、彼女の元へ押しかけた。喜ぶ顔が見たくてエルフの繁栄を願い、それが他の種族にとっては呪いとなり、リュドミーラを苦しめることになってしまった。母様や研究所にいた人達を夢創し、相争わせて死に追いやった。今度は同じ過ちを犯さない。わたしを叱ってくれるヒトが、また現れることに期待して。


 やってきたのは、大きな獣を連れた膚の黒い女の子。小さいなんて言ったら燃やされる。でも姿は変わらない。あのときも二十年前も。そして、いまも。


(無事でいるかしら……?)


 杞憂だった。集落の外れ、川原で洗濯している。


 見るからに退屈そう。子供達がいなくなって緩んだのかもしれない。


 欠伸……しそうになって、また欠伸。わたしに時間の感覚はないけれど、いまは朝。年老いた大きな黒い犬?が、エアの足元に頭を摺り寄せていく。


「あ……ちょっと待ってね。いま、リンゴあげるから」


 不満そうに喉を鳴らす。でも、それ以上のことはしない。水から離れた草の上で大人しく寝転んでいる。


(昔のエアだ。あの争いが始まる前の)


 穏やかな表情。まだ硬いけれど、重さは感じない。


 心も軽くなっている。その代わりに失くしたもの。


 ようやく手に入れたはずの家族。


(初めて出会ったとき、エアは何も願わなかった。だからわたしは、気兼ねなく友達になることができた)


 エアとは本当にいろいろな話をした。


 お兄さんとリンゴのこと。つまみ食いが多く困っているらしい。


 お師匠様のこと、海の向こうから来るお酒のこと。秘蔵のリンゴ酒に予想外の高値がついて、師匠孝行にと求めたら喜んでくれたこと。


 お父さんお母さんのこと。記憶を辿って生前の姿を見せてあげた。


 まだ生きている何代か前の先祖のこと。いまもミスリル鉱山の中腹に棲んでいる。


 そして最後は、自分の名前も忘れてしまった同胞男性を拾ったこと……


 あの件はどうなったんだろう?あるときを境に話さなくなった。それはエアが笑わなくなった時期と一致する。確か……名前はウィル。


「…な…に、これ……?」


 気持ち悪くなる。考えすぎて頭が疲れたときみたいな。ディム、ネフラ、ハルマー……どの名前で調べても。捉えどころがない。居場所を摑みにくい。個人が対象の言霊は避けられるかもしれない。弟が目をつけたのも頷ける。


 結局、普通に捜すしかなかった。闇雲は疲れるから一度リトラの森へ。クラリスによれば、ハルマーはわたしに用があるらしい。


「…いた」


 すぐ隣に。昔、わたしが実験を繰り返していた場所。


 そう言うと聞こえがいい。でも実際は、弟や親しい人達の幻を追っただけ。言い訳を真に受けたエアは、何度もわたしを元気づけてくれた。


 どうして彼がここに?不思議に思ったけれど、少し考えたら解った。


 それはエアひとりと会うため。ハルマーはきっと、ここのことをエアから教わった。他に知る者がいないとすれば、誰にも邪魔されずエアだけと会えるかもしれない、と。


 わたしが手を貸せば、その望みは叶う。そしてそれは、エアの願いとも一致する。ただしこのやり方は、彼女が嫌う卑怯な手。ウィルは散々な目に遭わされるだろう。だから本人達には断りなく、やりたいことをやりたいようにするの。



 ☆★☆★☆★☆★☆



《エア……エア》


 眠っている。まだ日は高いのに。洗濯ついでの大掃除で、いつになく疲れてしまったのかもしれない。


「…クゥォゥン?」


 大きな黒い犬――ここではバーゲストと呼ばれるヒトより賢い生き物。動物的な勘と知性の組み合わせは、目に見えないものの存在を何となく察したらしい。


 怪訝そうな声を聞いて、エアも目を覚ます。


「…ん……何。どしたの……?」


《エア、起きて。遊びにいきましょう?》


「んぅ……?」


 ぼ―――――っと。何もないところを眺めている。もちろん方向は合っていない。精神体を投影すると、寝床から飛び上がった。


「ミ、ミカゼっ!?」


《おはようございます。気持ちよさそうに寝ていましたね》


 そんなに驚かなくても。わたしはどこにでもいるし、現れようと思った場所に現れる。いまはここにいるけれど、ここにはいないと言うこともできる。そういえば……こんなふうに家を訪ねるのも、もしかしたらこれが初めて。


「…お、おはよう……」


 きまり悪そうにそっぽを向く。寝込みを見られるのは、そんなに恥ずかしいこと?研究所暮らしが長かったわたしには解らない。


《エルフのみんなが、一緒に来てくれないって聞いたから……》


 途端にエアの顔が曇る。前々から決められていたらしい、その説明は淀みなかった。


「…みんなミカゼを特別視するから。私はともかく、そんなヒトが大勢いたら普通の女の子に戻れないでしょ?」


《うん。だけど……》


 言葉が続かない。結局わたしの我儘で、ただ寂しいだけだから。エアもそれ以上は言えない。こんな気持ちにさせて申し訳ないと思っているから。笑顔でお別れしたかったのに。大事な目的は二つある。それならせめて、もう一つだけでも。


《…思い出を残したかったの。これでお別れだと思ったら……》


 腕組みして唸った。世界があるうちは、若長や戦士の務めもなくならない。もっとも最近、元々やる気のなかったリトラの人間達が、ますます駄目になっているという。


 世界が滅ぶと知って悪事に精を出すのかと思ったら、残り少ない時間を穏やかに過ごそうと食べ物すら盗まなくなった。エア達アトルムやニウェウスの軍隊も、仕事がなくなって昼間から寝過ごしている。事情を知る船乗り達の間じゃ、国が先か世界が先か――なんてあまり笑えない賭けごとも。


「…そういうことなら……」


 ようやく乗ってきた。とりあえず、いまのところは疑われていない。首を傾げても、寝起きで頭が休んでいるうちは大丈夫。


《じゃあ決まり。お昼を済ませたら散歩に出ましょう》


 微かに頷くと、盛大に口を開けて欠伸した。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 どこということもなく。見回りも兼ねて、わたし達は森の中を歩き回った。


 途中誰かと行き会っては、不思議そうに見つめられる。プロトスが街を出るのは珍しいからか。エアが秘密と言って笑うと、慌てた様子で逃げてしまう。まるで怖いものにでも出くわしたような――だからいま、エアは御機嫌斜めに怒っている。


「あれって、どういうこと?ちっとも意味分かんないんだけど」


《さあ……?わたしにも、ちょっと》


 本当は解る。会うヒトみんなが逃げ出した理由を。


 外を歩いているのは、ほとんどが若いエルフだ。あのヒト達は戦争後――少なくとも災厄後の生まれ。昔のエアがどんなだったか知らない。


 いつも厳しい若長が、プロトスの女の子と楽しそうに歩いている。見た目は八歳の子供、昔拾った二人でもその娘でもない。まさかとは思うが、しかし……


 誘拐犯の疑惑を持たれているとも知らずに、エアの足はわたしも歩き慣れた獣道を進んでゆく。偶然だけれどしてやったり。面白くないことがあると、いつもわたしのところへ愚痴りにきた。お犬の背中に乗っていても、それは変わらないらしい。


 わたし達はいま、初めて出会ったところに向かっている。何もない森だけれど、そこにはかつて幻があった。わたしが弟や仲間達の夢を見ていた場所。やがて目を覚ますことで、わたしの夢は現実となる。だから今度は、あなたが幸せな夢を摑む番……


「……フゥオ?」


(えっ……!?)


 何かを捉えたように、バーゲストが高く鼻を掲げる。


 もしかすると気づかれたかもしれない。ここに彼がいることを。


「どうしたの?面白いものでも見つけた?」


 エアが首筋を撫でた。それでも落ち着かない様子で懸命に嗅ぐ。


「敵がいるの?まさか――」


 いきなり駆け出した。さすがのエアも振り落とされないようにするのがやっと。


 文句を言う暇もあればこそ。わたし達は目的地に辿り着いた。黒い獣のしなやかな身体が、逆光を背に飛びかかる。それを見ても腐葉土と苔の上に佇む人影は慌てなかった。翻って丸いものを放り上げる。獣は向きを変え、その何かを中空で受け止めた。


「…久しぶりだな、ルーク。酒は相変わらずリンゴだけなのか?」


 一瞥だけで取り合わない。それから気づく。獣の背中にエアがいないことを。


「……ウィルっ!」


 おかえり。飛び込んだ胸の中、唇の形が囁く。


 返事の代わりに抱き締めた。言葉なんて要らない。少なくともいまだけは。


 聞こえる。エアの子供みたいな啜り泣き。


 これでいい。わたしはやっと約束を果たせた。


 もうじきシンシアも、マサキも帰ってくる。そうしたら元どおり、とはゆかないけれど。できるだけのことはしたと思う。


 さようならエア。一緒に遊んでくれた最初の友達。


 わたしが手伝えるのはここまで。一番大切なものは、何があっても離さないで……



 あと一つ、行きたいところがある。


 わたしと最初に話してくれたヒトの。


 墓標。


 彼女はもう、二年前に亡くなっている。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ニウェウスの大族長。災厄を越えしもの。史上最高齢のヒト。彼女を表す言葉は、片手どころか両足の指を合わせても足りない。


 お墓はない。けれど、ない理由はリュドミーラのものと違う。


 あのヒトは惜しまれて逝った。最初はニウェウス達、それからアトルム、小人族や獣人族とリトラの人間達。今では世界中のヒト達に愛されて。


 亡骸はここに在る。彼女の父親が『発生した』大樹ユグドラシルの根元。ニウェウスの始祖カイン。ヴァルマの指示で母さん達を捕え、術式代行システムに組み込んだヒト。


 ニウェウス達を増やしたのも、彼らにアウラ信仰を授けたのも。みんなわたし達に対する償いのため。元よりニウェウスは、わたしの手駒として働くために造られた。


 そのことを知ったのは、四人いる始祖のひとり『サラサ』と呼ばれる個体に出会ったとき。冒険者を生業とする彼女は言った。子供達を大切にしてくれてありがとう、と。彼女はわたしがもっと、ヴァルマやラフィニア憎さに暴れたり、故郷を恋しがって箱庭作りに精を出したりするものと思っていたらしい。


 子供達を大切に。それが曖昧な言葉で願ってしまったことを指すのなら。


 エルフが栄えますように――あれは加護じゃなく呪い。恨みや妬み、蔑みを増幅するもの。他の種族がどうなるのか、わたしは考えもしなかった。誰も幸せにならないことを、優しくしてくれたヒトの喜ぶ顔が見たい一心で。喜んでもらえなかった。喜べなかった。どうして喜ぶと思ったんだろう。


 謝りにいったとき。わたしを赦してくれたときの。


 はっきり憶えている。片時も忘れられずに。


 彼女の声を。彼女の目を。


 ティターニアと最後に交わした言葉を。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…それでは、長い間お世話になりました。あとはよろしくお願いします」


 わたしが意識を向けたとき、ティターニアは挨拶を終えたところだった。


 ニウェウスの主立ったヒト達を集め、今後のことを諭してゆく。争ってはならない、支配してはならない。力は誰かを護るためにのみ行使せよ。困ったときはアトルム族を頼れ。同じエルフとして、彼らほど頼りになる存在はない。


 厳かに頷きながら、でも長老達の間には不満がある。確かにティターニアを敬っていた。けれど納得はしていない。


 報道関係者を入れた告別式でも同じようなことを言っていた。今回は同胞だけの集まりなのに、どうして陛下は本音をお話しくださらない、と……


 長老達が未練がましく挨拶を終え、近習の子達も遠慮して外す。


 告別式に先立ち、アトルムの創術師達がティターニアの寿命を診察していた。ニウェウスの法術師達は物理的な法則や係数の操作を得意とする。一方彼らは、時間や生命現象など不確かと看做されるものの造詣が深い。


 診察の結果、ティターニアの寿命は残り十日と少しだった。その十日前に調べたときも、正確に二十日と何時間何分何十何秒。死の刻限は、粛々と穏やかに迫っている。


 にもかかわらず、女王の様子は普段と変わるところがない。長年付き添ったヒト達が見ても、食事の量や日課の散歩は昨日までと同じ。


 これで終わりというなら、健康そうな自分達もいつ死んだっておかしくない。伝承は学問的な答えを示したに過ぎず、また明日も元気な姿を見られるのではないか……


 釈然としないまま、近習達はティターニアの住処を後にした。


 これでやっと話しかけられる。不安や躊躇いもあったから、ちゃんと気持ちを伝えられる自信がない。嫌われてるかもしれないのに、誰かが見てたらなおのこと。


 小屋の周りや窓の外を行ったり来たり。突然扉が開いて退屈そうな顔が覗くと、悲鳴を上げて茂みの中に飛び込んだり。おかしなことをしてると思う。見つかりたくないのなら、そもそも精神体の投影をやめればいい。


「気のせいかしら……?」


 首を傾げながら中へ戻っていく。呼び止めたいけれど、上手く声が出ない。


 前にもこんなことがあった。話をしてみたくて……でもわたしは、いまよりずっと不器用で。結局話しかけられないんだから、不器用なのは昔と同じ。


 あのときはどうやった?――栗鼠の獣人さんに身体を貸してもらった。あの子達は滅びてしまって、いまはもうどこにもいない。咄嗟に思い浮かんだのは、本物の栗鼠に姿を借りること。喉の造りが違うから、言葉を話すことはできないけれど。


「…あら。あなた、いつの間に入ってきたの?」


 ピピッ……ピピッ。


「何か食べる?」


「…といっても、あまり残ってないけれど」


 ピウ。ピュウ……


「はい、どうぞ。硬いからゆっくりね」


 ぽり。ぽり。ぽり……


「前にも似たことがあった気がする……」


「気の、せいよね。特別な日だから、迷ってるの」


 …………ピピッ?


「怖いのだと思う。誰より長く生きたのに」


「いいえ……だからこそ。私は失いたくないのかもしれない」


「長としての地位も。大切にしてもらえる立場も」


「皆のためと言いながら、結局自分のためだった。捨てられたくなかっただけ」


「見ていてくれましたか?二千年の務めを終えて、ようやくお傍へ参ります。あなたの娘は、無事役目を果たすことができたでしょうか……?」


 ピッ……


 ……ピピッ。ピウ……


「……え?」


「何?」


《ティターニア。お別れに来たわ》


「アウラ……!?」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 あなたは、あと数分で寿命を迎える。


 わたしは取り返しのつかないことをしてしまった。


 でも、せめて最後くらい……


「…やっと来てくれた」


「ずっと。ずっと待っていたのに」


「寂しかったのは一緒。あなたが謝ることなんてないの」


 ごめんなさい。本当にごめんなさい。


 こうなると分かっていたら、力を与えたりしなかったのに。


 みんな消えてしまった。


 あなたと共に死ぬはずのヒトは、誰ひとり残らず。


「リュドミーラに世界を譲ったとき、私も一緒に消えるはずだった」


「でもそれは、アウラが憶えていてくれた証。記憶の中で生きられたから」


「……嬉しかったわ」


 あなたは最初の友達。最初の話し相手。


 さようならティターニア。


 あなたの夢も、わたしの中で生き続ける……

ニウェウス女王 崩御(『インペリアル』○四一七年五月四日号外)

時代に幕 族長逝去(『セリムコモン』○四一七年五月五日号外)

陛下、安らかに(『リトラタイムズ』○四一七年五月五日朝刊)

時代の生き証人 鬼籍(『ジグムントポスト』○四一七年五月五日夕刊)

エルフ女王 亡くなる(『南洋スポーツ』○四一七年五月五日朝刊)



各紙伝える 伝説の終焉(『ミスラリアン』○四一七年五月七日朝刊)



 五月四日未明、リトラ共和国ニウェウス自治領の森にある自宅で、ニウェウス族長ティターニア陛下が亡くなった。享年二千歳、死因はアポトーシス。人間で言うところの自然死に当たる。エルフの寿命は健康状態に関わりなく二千年にプログラムされていると言われてきたが、今回の訃報はそれを実証した形だ。


 関係者によるとこの日はティターニア陛下の誕生日であり、十日前には部族の重鎮をはじめリトラ政府要人多数の参加による告別の儀が執り行われたという。


 生前の希望により葬儀は行われず、遺体は自治領の森にある神樹の根元に土葬された。族長には親族がいなかったため、ニウェウス長老会では族長を空位とするか後任を選ぶべきかで今も議論が行われている。



歴史通じて 人々の姿を見つめ


 二千年の時は長い。最高の不老長寿を誇るエルフ族にとってさえも。国や地域によってばらつきはあれ、人間の平均寿命は七―八十歳。ドワーフやホビットなどの小人族が四百年程度だ。これには事故死や病死も含み、またエルフ族は病気で死ぬことがない。原因は諸説あるが、一般に神の子孫だからとされている。本人の言葉によれば、ティターニア陛下は『カイン』と呼ばれた神の二世に当たるという。


 だが、それを証明する歴史的な資料はない。ニウェウスの伝承も陛下の記憶と違う。加えて自身の父親を神と呼ばず、最初から大人の姿で森の中にいたと追憶している。また同じようにして生まれたのは、自分だけではない、とも。いずれ真相は歴史の彼方だ。我々は陛下の人柄を懐かしみ、その遺徳に想いを馳せるだけでいい。



リトラ建国、そして復興への尽力


 紀元前二世紀、現在のリトラ共和国がある島で大きな動乱があった。原住民のニウェウスと更に遡ること数百年前に移住したアトルム、一番最後に入植したセリム系移民の間に争いが起こったのである。正確な記録がないため定かではないが、三者とも多くの犠牲を払ったという。事態を憂えたティターニア陛下は、このとき成立したばかりのミスラ共和国の招きに応じて評議員となることを了承した。事実上の人質だったが、ニウェウス及びアトルムの各部族もこの動きに追随。人間及びエルフ族を中心とし、小人族や獣人族を国民に含む連合共和国が成立したのである。


 しかし順風満帆とはいかなかった。一世紀と経たずに災厄が起こったからだ。出所不明の汚染マナが席巻、世界は破滅的な被害を受けた。この苦境においてもティターニア陛下はリーダーシップを発揮。汚染マナの浄化技術を確立すると、直ちに調査隊を大陸へ派遣した。陣頭指揮こそ執らなかったが、亡くなった人々のことを考えない日はなかったという。そして百年に及ぶ復興活動を終えると、エルフ達は大陸に根付いた我々の先祖を残して故郷の地へ帰っていった。


 古株の間にも女王の死を悼む者は多い。紀元前の動乱ではアトルムの兵として参戦、大陸の復興活動にも従事したエア=ライセン大佐もそのひとりだ。若長を兼務する彼女は、ニウェウスの同僚達を気にしながら照れくさそうに語ってくれた。「エルフやリトラだけじゃなく、世界のことを案じていた。これほど偉大な方は、もう現れないでしょうね」

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