99.ずっと忘れてなかったけどね
「だから私はあなた達の言う事を信じるわよ」
自分の経験した事をサークル仲間に話しながら裕子はそう告げる。
「裕子ちゃんに異世界転移の経験があったとはねえ」
「絶対信じて貰えないと思ってたんだけど」
「ゲームと現実を一緒にするな、と怒鳴られる覚悟だったのだがな」
「なのにこんな話を聞くことになるなんてよ。信じられねえぜ」
口々にそう述べているのは、夜になって急に自宅に押しかけてきた四人のサークル仲間の男達だ。
そう、ユウは元の世界に還ってきたのだ。
ソンジュの最期を看取った途端に身体が強い光に覆われた。
何が起こるのか察したユウは慌ててワイトの麻痺を解除する。
その後も強い光に包まれながら、ワイトに向けて告げた「ごめんね」の言葉は果たして届いたのだろうか。
気が付けば「あの日」の帰りの少し外れた道端に蹲っていたのだ。
一瞬長い夢でも見ていたのかと思っていた。だが次の瞬間には自分の格好で夢なんかではない事に気が付いたのだ。
ローブを纏い、靴も踝まで覆うような革のブーツを履いて、背嚢まで背負っている自分の姿に。
そのローブの下には生成りのシャツとズボンを着て、そして防具まで装備していることに。
そして「誰か」の血に塗れたナイフを握り絞めていることに。
周囲に人影が見えなかったのは救いだろう。
事情を知らぬ者が見れば警察を呼ばれていてもおかしくはない。
そのままふらふらとアパートの自分の部屋に戻った。どうやって部屋にまで辿り着けたのかの記憶はあやふやだ。
手にしていたナイフはいつの間にかシースに戻している。
部屋に入って鍵を閉めると腰を落として静かに泣いた。
ある程度の時間が経ち、壁に掛けた時計を見る。
帰宅予定時刻から一時間も越えていない。
そして背嚢に隠していた腕時計を取り出した。
腕時計の時針の指している位置は壁の時計と全く異なっている。腕時計に表示されている日付も二週間近く進んでいた。
血塗れの手をどうにかすべきだと立ち上がったが、洗い流すのを躊躇う。
これはソンジュの血なのだ。
今着ている生成りのシャツとスボン、ローブに手を擦り付ける。既に乾きかけているが、それでもいくらかは衣類に染み込んでいく。
それから名残惜しく感じながらも手を洗い、そして衣類を全部脱いでいく。
二週間近く毎日手洗いをしていたために少し草臥れた様子の下着も一緒に。
裸のまま押入れを漁り、ダンボール箱を引っ張り出す。冬用の衣類を仕舞ったダンボール箱だ。
箱の中に入っている物を全て取り出して、脱いだばかりのあの世界で着ていた服や靴、背嚢やナイフを格納したシース、そしてあの世界でも着続けたこの世界の下着などを洗いもせずに仕舞う。
水筒代わりに使っていたペットボトルや腕時計も共に。
このおかしな時間を指している腕時計は、あの世界で過ごした日々を示しているのだから。
そして封をした後に大きな文字で「宝物」と書いた。
そのダンボ-ル箱を抱えながら再び泣きはじめた。
あの世界の話は誰にも告げなかった。付き合っていた彼にもだ。
自分だけが覚えていれば良い事なのだから。
「あなた達の話は役に立ったわ。……でもあんな助言が出来るってことは、あなた達も似たような経験をしていたって事よね?」
問われた四人の男達は顔を見合わせる。
その中の一人が片手を差し出す。その掌の上に小さな火が灯っていた。
裕子はそれを驚きもせずに見ている。
「手品じゃないのよね。チート能力が残ってるなんて凄いじゃない」
「余程の事がない限りは人に見せるつもりはなかったのだがな」
「その余程の事が起きたって訳ね。そっか、召喚か」
「アイツなら問題ねえだろうがな」
「たぶん数日で戻って来ると思うよ」
「裕子ちゃんの『旦那』が、相手の言う事を黙って大人しく聞いている訳がないからねえ」
サークル仲間の四人の男達は裕子に伝えに来たのだ。
今は当時の彼と結婚して「井上裕子」と名が変わった彼女に。
TRPGサークルの主催をしている裕子の夫が、異世界に召喚された可能性が高いと。
そんな与太話は信じて貰えないと考えながら。
その手のサークル仲間だからこそ、裕子をからかっているだけだと思われるだろうと分かっていながら。
「うん。分かった。しばらくは病気で休んでいる事にしとくわ。ふふふ。帰ってきたら根掘り葉掘り聞かないとね」
「たぶんアイツが帰ってきたら俺達に連絡してくる筈だ。裕子ちゃんも異世界転移の経験があったなんて知らないだろうしな」
「だから連絡があったら、すぐに裕子ちゃんにも知らせるからねえ」
「でもそれなら、あの人には皆が異世界転移の経験があってチート能力が残っている事を教えているのね?」
「アイツなら話を広めたりしねえだろうしよ」
「隠していたってバレそうだと思うからね」
「……だったら私のことも気付いているのかな?」
「いや。いくらなんでも友人や妻が軒並み異世界転移の経験者だとは思っていないだろうな」
「まあ、そうよね。うん、あの人が帰ってくるのを気長に待ってるわ」
裕子は彼のことはそんなに心配していない。
あの人ならどんな状況になっても切り抜けられる。優しいけれど意地悪で、裏の裏まで考えるような思考の持ち主なのだから。
それに自分ですら、この世界に戻って来られたのだから。
四人の男達を送り出して、裕子は自宅の押入れに向かう。
そして奥の方に仕舞いこんだダンボール箱を引っ張り出す。表面に大きく宝物と書かれているダンボール箱を。
その箱を開けることもなく、それでいて優しく撫でている。するとその箱は淡い光に包まれた。
裕子、いや、ユウにも力が残っていたのだ。
その光を懐かしく思いながら裕子は呟く。
「ねえ、ソンジュ。久しぶりに貴女のことを思い出したわ。ううん、ずっと忘れてなかったけどね。だけどこんなに細かい事まで覚えているなんて自分でも驚きよ。私は死ぬまで忘れないのでしょうね。二週間にも満たない付き合いだったけど、それでも私の最高の親友だったソンジュのことを」
(了)




