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KARASU  作者: 猫又


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28/31

覚(サトリ)5

「おはようございます」

 二日後、仕事に出ようとマンションを出ると掃き掃除をしている管理人に会った。

「おはよう、良い天気だねぇ(いつも挨拶して可愛らしいな、佐々木さんは。それに比べて……)」

 裕子は会釈をして足早にその場を去った。

「何だったのかしら?」

(思ってる事が知りたいんだろう?)

 と囁く様な声がする。

「え、今の。管理人さんの心の声なの?」

(そうだよ。目が合えば気持ちが伝わってくる)

「目が合った人だけ?」

(そう、知りたくない相手は無視すればいい)

「分かったわ。頑張る。あ、覚君、朝ご飯食べずに来ちゃったけど、大丈夫? お腹すかない? 私、今日食欲が無くて……」

 と言う裕子に覚は背中で首をかしげた。

(大丈夫)

「お昼には何が食べたい?」

(そんなのんきな事言ってていいの?)

「うん……」

 駅に着き電車に乗り込み。なるべく人の目は見ないようにしてみたが、それでも幾人かの人間の目線が視界に入る。

{あー、マジ死にたい}

{支払いが……}

{どうして私が怒られなきゃなんないの? みんな死ねばいいのに} 

{今日はどうやっていじめてやろっかな}

{仕事行きたくねえな}


 そんな負の感情が流れ込んでくる。

「これ、ここにいる人の本心って事?」

(そうだよ。通りすがりの人間でさえ悪意しか聞こえないだろ? どんなにいい人間でも悪意は持ってる。本心だけで人間の善悪を図るのはどうかと思うよ)

「覚君、ずいぶんと大人っぽい事を言うのね?」

(クスクスクス)

 と覚は笑った。

(僕、もう三百年は生きてるけど? まあ一族の中じゃ子供だけど)



 裕子は決意を持って会社のビルに入って行った。

制服に着替え、自分の部署へと入っていく。

「おはようございます」

 と挨拶をして自分の机に荷物を置く。

 ぽんっと背中を叩かれて、裕子は振り返った。 

 誰も彼もの気持ちが知りたいわけではない。

「どうしたの? 裕子ちゃん」

 わざと目を覗きこんでくる視線がある。

「あ、ちょっと」

 と裕子は下を向いた。知りたいのは青島の心だけだったからだ。

 だが、

「何よ、その態度ぉ。感じ悪ー」

 と言われて、つい顔を上げてしまった。

 当然、流れ込んでくる、相手、沙也佳の心。

「どうかしたの?(何、この子朝から暗い、有給とって二日も休んでたくせに。まあ、そのおかげで青島君とゆっくり遊べたけどね)」

「沙也佳……先輩」

「ん? 何よ。青島君と何かあったの? お昼、相談に乗ろっか?(マジで鈍すぎでしょ、この子。ほんっと頭緩い)」

「本当に……」

「どうしたっての? 顔色悪いよ? (ホント面白い、この子いじめるのって)」

 呆然としている裕子へ覚が、

(ここからが本番だよ。この女に自分の事を嫌いか聞いてみれば?)

 と囁いた。

「沙也佳先輩、私の事、嫌いなんですか?」

 ぶわっっと目の前が歪んで一瞬、立ちくらみがした。

 沙也佳は驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。

「(嫌いなわけないでしょう? あんたはあたしの大事な後輩だもん!)当たり前じゃん! あたし、あんたの事嫌い。良い子ちゃんだし、何かいつも健気ぶってて嫌い。必死で我慢して涙ためてる感じがするからウザーイ。だからさー、あんたと青島君がつきあいだしたって聞いてさ、邪魔してやろうと思って青島君にちょっかいかけたの。青島君だって、すぐ乗ってくる軽い男だし。でも、青島君、セックスも下手くそだし、貧乏だし。くちゃくちゃ音を立てて食べるし。最低限のしつけもされてなさそうだし。あんなのとよく結婚する気になったわね。あんた。あとさー、あんたをいじめてたのもあたし。女子の間で噂流したり、書類隠したり、伝言も途中で止めたり、課長にあんたが使えないってチクったのはあたしでーす。あー面白かったぁ」

 沙也佳は大きな声で一気にしゃべってから、あっと言う顔になった。

 フロア中の社員が沙也佳を見ている。

「(え、何で? 今のは……)裕子は表面上はお嬢さんぶってて大人しいから。まあ、あたしのストレス解消にはもってこいな人?」

「酷い……何アレ?」

 と声がして、沙也佳は振り返った。

「(ち、違う)だって、あたし、この子嫌いなんだもん。だから彼氏も寝取ってやったんだぁ!」

 言いたい言葉が出てこなくなり、沙也佳は慌てた。しゃべればしゃべるほど、酷い言葉が出てくる。だがそれは沙也佳の本心だった。 


 涙目の裕子は立ち竦んでいて、沙也佳は赤くなったり青くなったりしている。

「西山さん、佐々木さん、何か問題がありそうだね?」 

 課長が厳しい声で二人に声をかけた。

「(ち、違うんです、課長!)うるせえハゲ!」

 課長の顔はみるみる真っ赤になり、沙也佳は「いやああ」と叫んだ。


 そこへ青島が慌てたふうに走り込んできた。

「あの、何か?」

「何かじゃないよ、青島君。どうなってるんだ? 君は佐々木君と婚約したとか言ってなかったか? 西山君とも関係があるのかね?」


 裕子は涙が出てきて、すぐには動けなかったし、何も言えなかった。

(ほら、本命が来たよ)

「え……」

 裕子の顔が勝手に動く。誰かに身体が支配されているように、視線が勝手に動く。

 裕子の目は青島を見た。もう一度、立ちくらみがして、空間が揺れた。

「(違うんです、課長、これは何かの間違いで誤解なんです)遊びだよ、遊び、別に沙也佳さんを好きってわけでもないんだ。むしろ簡単に股を開く女だなって思ってるよ。そりゃ裕子を抱く方が気持ちいいに決まってるさ。裕子は肌も綺麗だしさ、ぴちぴちだもんな。でも裕子にばらすって言うから仕方なくさ。もう三十五だぜ、沙也佳さん。頑張ってても痛いよなー。まあ裕子と違っていろいろ男を楽しませてくれる技はすげえんだけどさ。下品なんだぜ沙也佳さんって。あっはっはは。まあでも、裕子の事も何か親が気に入ってるから結婚決めたけど、本当は結婚なんかしたくねえよ。面倒くさいしさー。子供も嫌いだしさー。どうして俺が働いた金で嫁と子供を養わなくちゃいけないわけ? 俺が稼いだ金は俺だけのもんじゃね? 結婚とかマジうざい。死ねばいいのに。本当に嫌。適当に女の子と遊ぶんで充分楽しいのになー。裕子の事もさー嫌いってんじゃないけど、別に好きでもない。ぶっちゃけどうでもいい。結婚結婚って必死なとこも引くよなー」


 言ってしまってから、青島も真っ青になった。

 それでもまだ必死で言い訳をしようとする。

「(いや、その、違うんです)ホントマジで何もかも面倒くさい。会社も仕事も。上司も同僚も馬鹿ばっかでさー」

「上司とも同僚とも上手くやっていけず、仕事がつらいなら退職すると言う手もあるんだがね」

 と課長に言われて、

「(そんなつもりはありません!)上等だよ! 辞めてやるよ! こんな会社!」

 と青島の口がそう叫んだ。

 泣いて固まっている裕子は皆の同情を一身に浴び、

「今日の所は帰って落ち着きなさい」

 と言う課長の言葉にただ肯いて帰宅した。



 帰宅してベッドに崩れ落ちた裕子は静かに泣き出した。

 猫のレオがにゃーんと言って、彼女を慰めるように寄り添った。

 仕事を終えた覚は今はもう裕子の背中から離れている。

 後は静かに姿を消せばいいだけだ。

 それでも覚は裕子の側で黙って座っていた。

 何時間かそうしているうちに裕子は泣き疲れて眠ってしまった。

 裕子が起き出して、覚を責める言葉を叫ぶ前に覚は姿を消す事も可能だった。

 今までそういう事は何度も経験してきた。

 人間は覚のような不思議な力をありがたがり、そして恐れる。

 用が済んだら消えろと、塩や水をかけられた事も何度もある。

 傷ついた故に覚を責めなければどうしようもない気持ちがあるのだろう。

鴉の所へ戻ればいいのだ、そうすれば覚を責める裕子を見なくてすむ。

 犬だろうが猫だろうが妖だろうが責められれば傷つく。

 分かってないのは人間だけだ。

 傲慢で横柄な人間だけだ。

 猫のレオでさえ傷ついた主人に寄り添う気持ちがあるのに。

 そう思いながらも覚はなかなかその場から消えなかった。

 今度こそ、この人だけは、という人間に期待してしまう自分がいた。


「あ、え、眠っちゃった……ごめんね、覚君」

 レオがにゃーんと裕子の腕に頭をこすりつけた。

「レオもお腹すいたわよね? ごめんね」 

 裕子はベッドから降りて大きく伸びをした。

「あーあ、覚君もお腹すいたよね? 何食べたい?!」

「あ、でも、もう帰らないと……」

「え? 帰るの? そんなぁ、こんな日に失恋した女子をひとりぼっちにするぅ? ピザでも取ろうか! 今日はいっぱい食べようよ! あとさー、ケーキとか買いに行かない?いっぱい甘い物食べたい気分!!」

「裕子さん……」

 裕子はぺたんと床に座って、

「ね、お願い、今日だけでもつきあってよ」 

 と言った。

「怒ってないの……僕の事……やっぱり知りたくなかったよね?」

「ううん。感謝してる。本当にありがとう」

「で、でも」

「だって、考えてもみてよ。あんな、あんな男と結婚なんかしたら、私の人生何なのって感じじゃない?」

「あれだけがあの男の本音じゃ……」

「分かってる。良いところもあるの知ってる。二年つきあったもん。楽しい思い出もいっぱいあるよ。でも、でもね。きっとこうなる運命だったんだよ。小鬼ちゃんがうちに来てくれた時にそういう運命が決まったんだよ。だから、それでいい。今日やけ食いにつきあってくれたら、明日から元気になるから!」

 と裕子は泣き笑いの表情で、それでも晴れ晴れとした顔でそう言った。 

 


 数日後の真夜中。

「にゃ」

「しーーーーーー、しーーーーーーーだよ」

 バチを背負った小鬼が小さい指を口にあてて、レオに言った。

「にゃ?」

「用意はいい? 末っ子」

「ぴゅ」

 眠っている裕子の頭元に小鬼達と末っ子目玉、そして覚がいる。

「今から裕子さんにいい夢を見せてあげるからね?」

 と小鬼がレオに言った。

 シュボッと末っ子目玉のから気が発せられた。

 目々連の長にはまだまだ及ばないお遊戯ほどの技であるが、その気は裕子の枕に当たって光った。

 人影が映る。

「今何て言ったの?」

「離婚すると言ったんだ。親切にも教えてくれた人がいるんだ。君が会社で後輩の婚約者を寝取ったってね。大恥をかいたよ。独身に戻って好きなだけ若い男と遊べばいいさ」

 男女が言い争う様子が映し出された。

「嘘よ! そんなの嘘!」

「青島君だっけ? 既婚者と知っての行為なんだから、慰謝料を請求してもいいんだけどね、勘弁してやるって言ったら、ぺらぺらしゃべってくれたよ。君との事。君もその後輩から慰謝料を請求されるかもしれないな。婚約者だったんだからね」

「嫌よ……嫌!! 違うの。違う、本気じゃなかった。愛してるのはあなただけなの」

 沙也佳が縋り付く場面になって、そこで末っ子の気力が落ちて映像は消えた。

「いい気味だね」

「うんうん」

「裕子さん、もう悲しそうじゃないね。食べる物、無くなったね」

「じゃ、美味しい物を探しに行こうか!」

「行こう、行こう」


 小鬼達はレオにさよならを言ってから、次々と姿を消した。

 レオは感謝したような顔で覚のスネに頭をこすりつけ、にゃーんと鳴いた。

 覚はしばらく裕子の寝顔を見てから、静かに笑って姿を消した。


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