覚(サトリ) 4
「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく」
と小鬼達が泣いている。
「……そんな事を相談されてもな、俺だって兄さんの機嫌を損ねることなんかやりたくないし。代わりに俺が出禁になるだろ」
と浅田が寝ぼけた顔で言った。
朝、異様な音で目が覚めるとベッドの頭元で小鬼三匹と末っ子目玉が泣いている。
ぎょっとなって飛び起きたら、それからずっと泣き言とお願いを聞かされている。
「大体、兄さんは前から食べ歩きをいい顔をしてなかっただろ? 前の眼球刺青の件から本気で兄さんはお前らの食べ歩きを止めさせたい感じだったからな」
「お願い、お願い。ぼっこを助けて」
「もう食べ歩きしないから」
「うんうん。もう二度と外に出て行かなくていいから」
「助けて」
「ピューピュー」
「……もう猫に食べられてるかもしれないぞ?」
眠気も飛んでしまい、浅田はベッドから降りた。
キッチンでコーヒーメーカーをセットし、カウンターの椅子に座る。
頬杖をついて、まだベッドの上にいる小鬼達を見る。
「うわーん」
「嫌だぁ」
「しくしく」
「ぐすんぐすん」
「ピューピュー……」
コーヒーの良い香りが漂いはじめたころ、背中から青女房が顔を出した。
「浅田……様子を見に行くくらいなら……」
浅田はカップになみなみとコーヒーを注いだ。
「それで俺が兄さんに怒られるのか? この間の犬神の時だってよ。連れてっただけで二度と面を見せるなって言われたんだぞ?」
(スマヌ)
にゅっと当の犬神が白い壁から大きな顔だけ出してそう言ったので、浅田は飲みかけたコーヒーを盛大に吹き出した。
「あ、あち!」
(すまん、浅田。迷惑をかけたな)
壁から大きな犬の顔だけが出ているので、首だけの狼の剥製のようにも見える。
「どっから来てんだよ。お前、そんな風に空間から空間を移動出来るんだ? すげえ。その力でちょっと行って、ぼっこを連れて帰ってやればいいじゃん」
(それは出来ん)
「何でだよ」
(あにさんに怒られる)
「お前! 自分が嫌な事を人に押しつけるのかよ!」
(俺とてこれ以上あにさんの機嫌を損ねるわけにはいかんのだ。今度こそ追放される)
「もうーマジで勘弁して欲しい。俺が追放されたらどうすんだよ?」
(桂男に頼んで、またホストクラブとやらで働けばよかろう。人間はどこでも働き口があるが我々はあにさんの所を追い出されたら行くところがないのだ)
「はあ? マジ、ふざけんなよ、お前!」
浅田はため息をついた。
それでも様子を見に行くくらいならいいだろう、という気持ちもある。
鴉の所にいる妖達は皆が鴉を大好きで、鴉の元から離れるくらなら消滅してしまいたいと思っているのは知っている。
「そんなに兄さんが好きだったら怒らせる事ばかりしてんじゃねえよ。ったく。兄さんがお前らにちょこちょく腹を立てる気持ちが分かってきたぞ」
ぷりぷりと怒りながらも浅田は逃げ遅れた哀れな小鬼の為に裕子の部屋へ足を運ぶ事にした。
「どちら様でしょう?」
少しだけドアを開けた裕子は泣いていたような目が腫れていた。
「えーっと、夜分すみませんがね。浅田と言います。単刀直入に言うと、小さい鬼がお宅に来てませんか? 三日くらい前の夜から」
浅田はドアを閉められないうちに一気にしゃべった。
裕子が逃げ遅れた小鬼を目にしているのは小鬼達から聞いている。
その後、裕子が夢でも見たと思ったか、猫が喰ってしまったのかは分からない。
「え? 鬼?」
「そうです。これくらいの小さい鬼」
浅田は指で五センチほどの大きさを示した。
「もしまだ生きてたら返してもらえないですかね。まあ、世の中に何の役にも立たない小鬼ですけど、仲間が安否を心配して泣くんで」
裕子はぽかんとした顔で浅田を見上げた。
「もしかして……ぼっこって言う小さい人ですか?」
「そうそう、そうです。お宅の猫に捕まって逃げそびれて戻って来ないんですよ」
「あの、じゃあ、あなたが鴉のあにさんっていう方?」
「あ、違います。俺は鴉の代理人です」
「そうですか……あの確かにうちにいます」
「生きてますか?」
「ええ」
「そりゃよかった。ご迷惑をおかけしましたね。連れて帰りますので」
「どうぞ、お上がりになってください」
と裕子が大きく扉を開いたので、浅田は中を覗いた。
ワンルームマンションの一室だった。
どうぞと言われて、浅田は中へ入った。
入ってすぐに小さいキッチンとトイレだろう扉がある。
奥には一部屋だけで、ベッドの上にオレンジ色の猫が寝ている。
浅田はその猫を見てから、
「おい! 猫と一緒に昼寝か!」
と言った。バチを持った小鬼が猫の毛皮に埋もれるように眠っていた。
(あ! 浅田!!)
「浅田じゃねえよ。何やってんだ。帰るぞ」
(うーん)
と小鬼がのびをすると、猫が目を開けてザリザリと小鬼の顔を舐めた。
「仲良しか……」
「すみません。うちのレオが随分とぼっこちゃんを気に入ってしまって」
ワンルームにはベッドと箪笥、小さなテレビがあった。
片づいた部屋だが年頃の娘にしては殺風景かもしれない。
「どうぞお座りください、お茶でも」
「お構いなく……ぼっこ! 帰るぞ!」
小鬼は毛皮の中からもぞもぞと出て、猫の頭の上に乗った。
猫がのそりと身体を起こしてベッドから飛び降り、浅田の前に来て座った。
「なんかすげえ、猫と一体となってるけど?」
猫がにゃーおと鳴いたので、仕方なく浅田も床にあぐらをかいて座った。
猫の頭の上の小鬼が、
(浅田ぁ。話を聞いて)と言った。
「は? 話? 何の」
(裕子さんが困ってるの)
「何を? って復讐以外の相談は無理だぞ。浮気した男をやってもらいたいなら金額によって相談にのるけど」
そこへ裕子が盆にコーヒーカップを乗せて来た。
小さいローテーブルの上にカップを乗せて、
「どうぞ」
と言った。
「ああ、どうも……」
「小鬼ちゃん、レオと凄い気が合うみたいで」
と裕子が言って笑った。
「動物は普通は天敵なんだけどね。珍しいな、ぼっこと仲良くなる猫なんて」
「ぼっこって調べたんですけど……妖怪なんですね?」
「妖怪……まあ、そんなもんかな」
浅田はお愛想笑いをして、出されたコーヒーをすすった。
(浅田ぁ、裕子さんの話を聞いて)
「にゃーお」
「え……話って……何か困った事でも? ああ、彼氏が浮気して懲らしめてやりたいとかの話だったら相談に乗れるけど?」
と裕子に言った。
裕子は困ったような顔で小鬼と浅田を見た。
「復讐だったらいくらでも手を貸すけど? もちろん金はかかる。俺らはそういう仕事を請け負ってるんだ」
「復讐ではないんです。ただ、男の人の気持ちが分からなくて……本当の事が知りたいだけなんです。私の事をどう思ってるのか」
「本人に聞けばいいんじゃないの?」
「聞けば好きだと、愛してると言うんです。でも……他に誰か遊んでる人がいるんじゃないかなと思って……結婚の話まで出てるのに、最近、態度が変わってきて……専業主婦になって欲しいと言っておきながら、旦那のお金で優雅な身分だなとか。俺は一生、妻と子供を養う為に働くんだとか。私も働くのは別にいいんです。でも何だか急に酷く私を馬鹿にするようになってきて……すみません。変な話しちゃって……」
「彼氏、アレじゃないの? マリッジブルー? 男でもあるみたいだし。それかネットの世界で女性を叩くのを間に受けてるんじゃね? 専業主婦は寄生虫とかさ、独身をこじらせた暇な奴らが集まってそういうの吐き出す場所があるんだよ」
「まあ……そんな……」
「浮気を疑うとこはあるわけ?」
「約束してても急に仕事になってキャンセル続きで、土日もどこへ行ってるのか……」
浅田は腕組みをして考えた。
だが、考えた所でどうもしてやれない。
そんな男、別れたらいいとしか言えないではないか。
「興信所とか雇って調べたら? 結婚の話が出てる彼女がいるのに浮気は駄目だろ」
「興信所は……もしそれで違ったら、そんな事をした自分が嫌になりそうで」
「あんたもちょっと人をイライラさせるタイプだね」
と言うと猫がシャー!!と浅田を威嚇した。
(裕子さんはいい人!)と小鬼も言った。
「彼氏の気持ちがねえ……本当の事を知りたいんだな? もし、残酷な事実でも? それでもいいの?」
「そうですね。私は事実が知りたいんです。もし他に女の人がいてもそれが浮気なのか、本気なのかが知りたいんです。私の事をどう思っているかが知りたいんです。この先、私と結婚して長い時を一緒に歩いて行くって本気で考えてくれてるのかが知りたいんです」
「……まあ、それなら力になれなくもないけど……お金かかるよ? でも効果は保証付き。うちには本物の覚がいるからね」
と浅田が言った。
「覚? 覚ってもしかして……人間の心が読めるって……」
「そう。うさんくさく思うだろうけど、小鬼を見たあんたなら信じられるだろう? 本物の覚。あんたの彼氏の本心を読んでくれる。遊び相手は浮気か本気か、あんたの事を本当に馬鹿にしてるのか。覚に読んでもらえばきっと真実が分かる。だけど、あんたが傷つく結果になるかもしれないよ? でも毎日毎日、泣いてうじうじと考えてるよりはましな未来があるかも」
「浅田さん……」
「名刺を置いてくよ。もしその気になったら電話して」
浅田は財布から名刺を出してテーブルに置いた。
「ぼっこ、帰るぞ。お前、仲間が心配して泣いて暮らしてるのに、よくものんきに猫と遊んでられるなぁ。自力で戻れるんだったらさっさと戻って来い」
小鬼の襟足をひょいと掴んで浅田が叱った。
(だってだってさ……)
「まあいいけどよ。無事でよかった」




