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ありのままで

 発熱で流れた”バレンタインのお泊り”を、翌週、リベンジして。

 『百戦錬磨ってわけでもないけど。この歳で”初めて”なわけないだろ』って笑った慎之介さん。


「すぐに顔が赤くなるのも、体質、だよ」

「なぁんだ」

「ま、いきなりキスされたのには、ちょっと動揺したのも事実だけど」

 近所の喫茶店でモーニングセットを食べながら、そんな話をしている彼は、この日もオレンジジュースを飲んでいた。

 『朝ごはん、何食べたい?』って訊いた私に、『せっかくの(ネイル)が傷むから』って朝から、外食。

 これが大事にしてもらう、ってこと、かなぁ。


「そういえば、登美さん?」

「はぁい?」

 ブレンドコーヒーに口をつけたところで、慎之介さんが何かを思い出したように声をかけてきた。

「昨日の夜、コンタクト外してたっけ?」

「ううん。そのまま寝た」

「それ、目に良くないんじゃない?」

 良いか悪いかで言ったら、絶対に”悪い”けど。

「だって……」

「メガネ、嫌い?」

「格好悪いもん」

「そうかなぁ?」

 首を傾げながら、サラダを口に運んで。

 ワシワシって感じで噛み砕く彼を、コーヒーを味わいながら眺める。

「先週の登美さん、かわいかったけど」

 コーヒーが変なところに入って、咽る。

「大丈夫?」

 誰が、顔が赤くなりやすい体質ですって? しれっと恥ずかしいこと、言わないでよ! 


 なんとか息を整えて。

「変なことぉ、言わないでぇ」

「自分の彼女、かわいいって言って、何が悪い?」

「瓶底メガネのどこがぁ?」

「”油断”している感じが」

「油断?」

「うん。一生懸命”キレイでいる努力”をしている登美さんが、俺に気を許してくれたみたいでさ」

 そんな事を言っている彼の持っていフォークの先が、サラダボールの上でユラユラ揺れている。

 そこから腕をたどって上げていった視線の先で、やっぱり赤い顔をした彼が、照れくさそうに笑っていた。


 だめだ。

 先週とは違う意味で、力が抜けた。


 テーブルに右肘をついて頭を支える。

 視界に入った左手の爪で、グラデーションにしたシルバーラメが窓からの明かりを反射した。



 それ以来、彼の部屋に泊まる時には、メガネを持っていくようになった。お風呂に入る前に、コンタクトを外して、部屋の中ではメガネで過ごす。

 何度目かの時には、寝化粧をやめて欲しいと言われた。

「せっかくお風呂に入ったのに、どうして化粧するわけ? 肌が荒れるよ?」

「だって、すっぴんって恥ずかしいし」

「熱出した時に、素顔、見たのに」

 『今さら、恥ずかしい事ないだろ?』なんて言いながら、キスが落ちてくる。


 寝化粧、をするようになったのはリョウが”綺麗すぎた”から。

 初めての時、リョウに素顔を見せる勇気が出なくって、彼がシャワーを浴びている間に薄く化粧をした。それ以来、どんな男が相手でも、化粧をしていない顔を見せたことは無い。

 裸のままで朝を迎えるよりも、私にとっては素顔のほうが恥ずかしかった。


 そういえば、彼氏の部屋に泊まるのにパジャマを持っていく習慣の無かった私に、『見ている俺のほうが恥ずかしい』って真っ赤な顔で言った慎之介さんは、最初のときにシャツを貸してくれたっけ。

 あれ以来、彼の部屋には私のパジャマが一組置いてある。



 その夜、シャワーを浴びたあと、思い切って化粧をしなかった。

 素顔の私を嬉しそうに抱きしめた慎之介さんは、私の耳元で小さく囁いた。

「登美さんと、もっと早くに出会いたかった」

「そう?」

「うん。登美さんを大事に思わないような男たちよりも、早くに」

 優しいキスが、首筋に落ちる。

「コンタクトも、化粧も。自分を削りながら綺麗になろうとしている登美さんに気づかないような男なんかに、汚されてほしくなかった」

「私、汚れてる? バージンじゃなかったから?」

「ごめん、言葉が悪いな」

 顔を離した慎之介さんが、真面目な顔で私を見つめる。

「回数の問題じゃないんだ。本気の恋をして別れたなら、仕方のない運命かもしれないけど。どの男も、登美さんを抱くことしか考えてなかったんじゃないかなって」

 うーん。

 そんな男ばっかりじゃなかった、と思うけど。

 そう、思いたいけど……本当にそうだったのかな? 

 慎之介さんの目を見ていると、自信がなくなってきて。視線が落ちる。


「”お願い”のお礼に体を交わしてたようなこと、登美さん自身が言っただろ?」

「……うん」

「そんなギブアンドテイクじゃない交わりを、俺はしたい」

 喉声で囁いた彼にギュッと抱きしめられた。

「何かの”代償”なんかじゃなく、俺自身を欲しがって?」

「慎之介、さん」

「無理に装ってない素のままの登美さんが、俺は欲しい」

 合わせた胸から響いてきた言葉が、私の胸の奥底に落ちた。   


 いつの頃からか、”男に大事にしてもらう”って事が、どれだけわがままを聞いてくれるかとか、どれだけ高価なプレゼントをしてくれるか、って事とイコールになっていた。

 その対価としての性交渉に”自分の価値”があると思っていた。


 その意識をまるごとひっくり返されたカタルシスに、めまいに似た陶酔を感じる。

 この時、今までにない強さで、無性に慎之介さんを”欲しい”と、思った。 



 翌朝、慎之介さんの腕の中で目覚めて。

 彼の寝顔を眺めながら、今までの恋愛を振り返る。


 心の底から、『欲しい』と思った男、居たっけ?

 リョウ、は、そうだったかなぁ。私から、付き合ってって言って、嫉妬に狂った事もあったし。

 それ以外は……なし崩し、に始まって、自然消滅、みたいなのもあったし。お互いに二股してた、なんてのも。

 ううーん。確かに、慎之介さんの言うように、碌でもない男ばっかりだ。


 薄っすらとヒゲの伸びた彼の顎を指でなぞる。あ、顎の先に、切り傷の痕。ふふ、子供の頃、ヤンチャした名残かな?

 子供時代の慎之介さん、見てみたかったなぁ。高校でバレーボールをしてたところも。一緒の学校だったりしたら、『丹羽先輩ー』とか言って、友達とキャーキャー応援に行ったりしたのかなぁ。

 いや、高校時代の私じゃ、無理か。でも、そうやって応援に来た女子とか居たんだろうな? バレンタインでチョコを貰ったようなことも言ってたし。 

 

 あ、なんか、無性に腹が立ってきた。

 私と出会う前、慎之介さんこそ、どんな女と付き合ってきたのよ、って。


 むきゅーっと、ほっぺを押さえる。爪の先が、食い込む。慎之介さんの目が、ぱちりと開く。

「痛い、って。何やってるの、いきなり」

「私こそ、もっと早く慎之介さんに出会いたかったっ」

「はぁ?」

 メガネなしでも辛うじて表情の見える距離で、彼が怪訝そうに私を見る。

「何、突然?」

「慎之介さんこそ、どんな女と付き合ってきたのよ」

「だから、痛いって。凶器なんだから、登美さんの爪は」

 そう言いながら大きな手のひらで、私の手を握りこむ。

「どんな、って言われても、自慢になるような話、ないし」

「ホントにぃ?」

「ホント。俺、付き合いだしても結構すぐに振られるの」

「ふぅーん?」

「デートをしても、ジュースしか飲めない”子供”だし」

「うーん」

 子供って、ねぇ?

「その上、すぐに赤くなるから、気持ち悪いって」

「どっちも体質のせいなのに?」

「無理なものは無理なんだって」

 慎之介さんは、そう言いながらグリグリと私のつむじに額を押し付けているらしい。その声が、なんだか湿っぽく聞こえる。

「……つらいこと思い出しちゃった?」

「登美さんが、俺をイジメル」

 明らかな嘘泣きの声がする。

 頭を抱え込んでいる腕、パジャマの袖越しに『凶器』と言われた爪を立てる。

「だから、痛い、って」

 笑いながら緩んだ腕から、頭を抜く。


「俺の過去にやきもち焼いてくれるくらい、俺のこと欲しがってくれた?」

「悪い?」

「ううん。うれしいよ」

 音を立ててバードキスをした彼が、赤い顔で笑う。

「慎之介さん」

「うん?」

「赤くなってる慎之介さんが」

 耳元で囁く。

「一番、好・き・よ」


「だから、登美さん。俺で遊んで楽しい?」

「うん」

 

 すぐに赤くなっても、一緒にコーヒーが飲めなくっても。それが彼自身の姿なのだから。私の前では、安心して”そのまま”でいて欲しい。

 

 『素のままの相手を見たい』

 この気持ちが、恋なのだとしたら。

 私が今まで経験してきたことは、

 恋とは呼べない。



 それからもいくつかの夜を重ねるうちに、春が来た。

 ある日、お花見に行こうか、って話になったので、『お弁当を作る』と言ったら、慎之介さんが豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔になった。

「登美さん、作れるの?」

「当たり前でしょ? 大学生から一人暮らしをしてるんだから、お弁当くらい」

 本を見れば、楽勝よ?

「この爪で?」

「へ?」

 私の手を顔の前にかざす。

 爪?

「玉子焼きにビーズが入ってたりしない?」

「失礼ねぇ」

「悪いけど……ちょっとパス」

「ひどいっ」

「だって。どう考えてもマニキュアが、口に入りそうで怖い」

「入るわけ、無いじゃない」

「うーん。でも、生理的に、ゴメン」

 心底嫌そうな顔で、頭を下げられてしまった。

「慎之介さん?」

「うん?」

「ネイル、嫌い?」

「好きではない、よ。結婚するなら、いつかは言わないと、とは思ってたけど」

「そう」

 ため息をついて、桜の花びらが舞う爪を眺める。

 互いの部屋に泊まった朝、私にご飯を作らせなかったのは、大事にしてくれていたわけじゃなくって。

 私の作るご飯が食べたくなかったんだ。



「それに。見ていて、確かにキレイだけど。爪が傷むんじゃないの?」

「……」

 言われなくたって、分かってる。

 いや、知っている。


 高校卒業以来、欠かしたことの無いネイルの影響で、私の爪は色が変わってしまっている。

 気づいたときには、自分でも見ていられないような色になっていて。それを隠すために、さらに濃い色を塗り続けてきた。

 今、この爪を慎之介さんに見せるのは……リョウに素顔を見せるのと同じくらい怖い。 


「登美さん」

 そっと、名前を呼ばれて顔を上げる。

「また、身を削って無理をしてるんじゃない?」

「……」

「ありのまま、でいいんだよ?」

「でも……」

「急がなくってもいいから。マニキュアを落とす決心ができたら、手料理を食べさせて?」

 慎之介さんの大きな手が、幼稚園児をなだめるように頭を撫でた。


 自分の手を胸に抱きしめる。


 今までの男、に、こんなことを言われたら、きっとその場で別れた。

 でも、慎之介さんと別れるなんて……嫌だ。

 でも、でも。この爪……どうしよう。

 でも。このままだったら、慎之介さんの方から『別れる』って言われる。きっと。



 仕事をしながら、お風呂に入りながら。

 暇があれば、爪を眺めて考える。

 ネイルをやめれば、いつかこの爪の色は戻るのだろうか。

 爪の変色に気づいた時、どうして止めなかったんだろう。何年の間、見ないフリをし続けてきてしまったのだろう。

 慎之介さんに出会う前に、止めていれば。ううん。慎之介さんが言うように、もっと早く彼と出会えていたなら……。

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