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切り取られた色  作者: 本郷透
14/14

14色目-色亡き世界-

 そんな時だった。景色が一転した。

 真白な世界は姿を消し、いつか見たような真っ赤な夕焼けと、いつも居た屋上が目の前に広がっていた。


「梓……」

 自分の名前を呼ぶ、懐かしい声がする方を向くと、懐かしいあの姿があった。

 美影は感無量と言ったように涙を浮かべている。

「あ……み……美影……?」

 ぼくは驚きを隠せずにいた。

「そう……! そうだよ! 梓!」

 美影は今にも泣きそうだ。

「久し振りっ!!」

「わっ!?」

 美影はぼくに飛び付いた。

 非力なぼくは美影を受け止めきれずによろける。

「梓……梓っ!」

「ちょ……どうしたのさ、美影」

「梓が居てくれて嬉しいっ」

 そんなこと、初めて言われた。ぼくにとって美影が大切なように、美影にとってもぼくは大切だったんだね。

「わかった、わかったから離して。痛い痛い……」

「あ、ごめん」

 美影はぼくの背中に回していた腕を解いて離れる。

 ぼくは美影の興奮が治まるのを待ってから、一番の疑問を投げかけた。

「ねえ、美影……。どうしてぼく……生きてるの? 確かぼくは……そこから……」

「そんな事、どうでもいいじゃない。梓は私に会えて嬉しくないの?」

「嬉しいけど……」

「? 何を疑ってるの? 夢じゃないよ? ちゃんと現実だよ? ほら、さっき痛いって言ったでしょ?」

「うん……そうなんだけどさ、何か信じられなくて。ぼくの理解が追い付いてないのかな」

「大丈夫だよ。これからはずっと一緒なんだから!!」

「うん……そうだね……」

 無理やり笑顔を作ってみたものの、何か、腑に落ちない。

「ねえ、美影……あの子達は……?」

 ぼくはさっきから視界の隅に映る子供たちの姿にも疑問を持っていた。美影にこんな知り合いはいなかったはず。

「ちょっとした縁があって集まって貰ったの」

「知り合い?」

「そうだけど、違う」

「……ねえ。エリーは……エリーはどうなったの!?」

「――エリクシアには梓を蘇らせる媒体になって貰ったの。精神はきみたちから要素を集めたけど、身体は――難しいからね」

「――返して……エリーを返して!!」

「煩いよ、ツバサちゃん。エリーの身体は梓になった。もう戻らないんだよ」

「九十九くんと約束したの!! エリーを守るって……!」

「戻らないものを取り戻すには対価が必要なんだよ。私は神様にその対価を支払った。だから梓を取り戻せた」


 一体何が起こっているの? ぼくが甦ったこととなにか関係があるの? わからないよ、何が何なの? 真実はどこにあるの?


「――気に入らない話だな」

 一心不乱に考えていると、子供たちの一人が声をあげた。怒気を孕んだ低い声だった。

「なに? タクトくん。言いたい事があるみたいだね」

「ああ、あるさ。お前に言いたいことが山程あるんだよ!」

「そう……でも私には時間がないの。――梓、帰ろう?」

「――嫌だ……」

「――え?」

「何か……あったんでしょ? 美影。ぼくだけ何も知らないまま帰るのは……嫌だよ……」

「――梓……」

「ねえ、教えてよ? 何があったの? 絶対何かあったんでしょ?」

 美影は言い淀んだ。

 どうしてもぼくに言えないことらしかった。

 それでもぼくには――知る権利があると思った。

 少しだけ美影の返答を待ってみる。口下手な美影は考えをまとめる時間を必要としていることもよく知っているから。

 ――それでも、いつまで待っても答えは返ってこなかった。

「――そいつが教えないなら、俺達が教えてやるよ」

 さっき美影に怒鳴った少年が言った。

「梓さん――で、良いんですよね?」

「――うん」

「あなたは蘇ったんです。そこに居るツバサさんの大事な――大事な人を犠牲にして、生き返ったんです」

 ああ、やっぱりそうか――。

 薄々分かっていた。美影は普通の子だからそんな大それたことはできない。だからなにかを使ったんだろうってことは何となく分かっていた。


「――あなたは一度亡くなって、それを受け入れられなかった美影さんの手で生き返ったんです」


 真実を聞いた時――自然とぼくの表情は強張った。

 だって――美影がそんなことをするなんて……。

 ねえ、美影をこんな風に変えちゃったのは誰? 美影は優しい子だから、誰かの大切なものを壊してまで幸せになろうとなんてしないはずだ。ここにいるのは美影じゃなくて、美影のような何かだ。

 ぼくはここにいる美影と、生きていた頃の美影が同一人物だなんて思えなかった。


「梓――これでようやく梓の願いが叶うんだよ……」


 ぼくの――願い?


『早く大人になって――自由に――幸せになりたいな』


 以前遺した言葉を思い出していた。

 でも――それは………。


「――ねえ……美影……。どうしてこんな事――するの?」

 どうして他人の幸せを奪うようなひどいこと――するの?

「え……。どうしてって……梓なら分かるでしょ? 私の親友なんだから……」

 ぼくの一言が意外だったのか、美影は困り果てながらも笑顔を保ち、言葉を紡ぐ。

「ぼくの願いを叶えるため? ――ぼくがいつそれを頼んだの? 分かると思ってた。美影なら……ぼくの親友なら、ぼくの一番の願い、分かってると思ってた」

「どういうこと……? 違うの……? これは……梓の願いじゃ……ないっていうの……?」

「違うよ」


 ぼくは静かに目を閉じて頭を振った。


「これはぼくの願いじゃない。……分からないの? 美影」

 残念だな……。美影なら、わかると思ってたのに。

「分かんない……分かんないよ!! 私は梓が分からない!! どうして!? どうしてそんな事……言うの!!」

 美影はヒステリックに声を荒げた。

「とても……残念だよ。美影ならぼくの言いたいこと……見つけてくれると思ってたのに」

「だって梓言ってたじゃない!! 『早く大人になって――自由に……幸せになりたい』って……」

「それは自分の力でだよ……。ぼくは確かにそこから飛び降りて死んだ。――もう何も望めない――望んだらいけないんだよ……」

「そんな……そんな悲しいこと言わないでよ……。私だって死んだんだよ……。梓がそこから飛んだ一ヶ月後に私も……私も飛んだの!! でも……こうして神様が私に時間を――身体を――チャンスをくれたの!!」

 神様、という言葉を聞いて、ぼくの頭の中には不思議とレイさんの顔が浮かんだ。あの人は神様とは違うと思うけど。

「それは――本当に、神様だったの?」

「どうして信じてくれないの!? 私は梓の願いを叶えるために自分の魂を神様に捧げたんだよ……それなのにどうして……」


 美影の頬を涙が伝う。

 それはさっきまで浮かべていた感動とは別の感情から来るものだということは簡単にわかる。


「――あの子たちにもきっといっぱい迷惑掛けたんだよね……? 美影」


 ぼくは彼らに視線を落とした。


「ごめんね。ぼくたちのせいで……。色々大変だったでしょ?」

 ぼくは困った様に微笑み、謝った。

 その様子を見ていた美影が懐中時計を胸元で握りしめていたのをぼくは見逃さなかった。生きていた時にはそんなものは持っていなかった。

「それは……なに? 美影、そんなの持ってなかったでしょ?」

「これは……」

「神様にでももらったの? 残された時間が刻まれてる……とか?」

 あてずっぽうだったけど、当たっていたらしい。それを聞いて美影はぎゅっと時計を握る手に力を込めた。

 きっとぼくがこうしていられる時間も有限で、普通の人より短いんだろうね。きっとぼくに残された時間が刻まれているんだ。

 黙秘は肯定のしるし。ぼくはそう解釈した。

「そっか」

「違うよ。これは梓に残された時間じゃない。これは私に残された時間を知らせるものだよ。神様がくれたの」

「へぇ……。ねえ、美影。少し向こうを向いていてくれる? 美影には見せたくないんだ」


 もう一度死ぬところなんて――見せられない。もう終わりにしないといけない。ぼくを発端とした悪夢なんて――。


「え?」

「いいから」

「う、うん……」

「安心してよ。悪いことはしないからさ」

 美影は疑念を抱きながらも梓に背を向けた。

 嘘ついてごめんね。でも、最後なんだから、いいでしょ?

「おい、待てよ。お前、そこから飛ぶつもりだろ」

「! ……何を言ってるの?」

 身体が一瞬硬直した。

 嘘を吐くとか、隠し事をするという事に慣れていないからさすがにバレちゃうな。

「ぼくは危ないことなんてしないよ。嘘ついて美影を悲しませたりしたくないしね」

 にっこりと作り笑いを浮かべるが、はっきり言って嘘臭いというのは自分でもよくわかる。

「それは……嘘なの……。ウチにはわかるの……。何でか分からないけど、梓は嘘を吐いているの」

「な、なに言ってるの……」

 動揺は広がる。

「アタシにも聞こえる。梓さん、あなたが何を望んでいるのか。その心の声が聞こえるわ」

「でたらめを……」

「言い当ててあげようか? 『美影にはぼくの為に罪を犯してほしくない。美影と一緒に幸せになりたかった』って」

「そん……な……」

 本心を知りもしない赤の他人に晒されるというのは何とも不気味な感じがした。

「ぼ……くは……」

 広がりすぎた動揺は上手く隠せない。

「――本当なの?」

「み……か…………げ……」

 更に追い討ちをかけるかのごとく美影の質問が飛ぶ。

「「私と一緒に幸せになりたかった」って……本当なの?」

「! うん……! もちろんだよ! 美影が居ない世界なんてぼくは嫌だよ。美影と幸せになりたかった。でも……」


 言い淀んだ。もう、無理なんだ。残された時間が少ないっていうのは直感的にわかる。だから――


「……もう無理みたいだ。時間が来た」


 ――最期くらい、笑おう。


 ぼくの身体が光を放った。

 眩しく、儚く、優しく、そして暖かい白い光だった。身体は光に包まれた。そして手足の先から光の粒子となって空へ消えていく。

 その様子はとても幻想的で、夢でも見ているかのようだった。

 痛みはない。それどころか、苦しみさえも、五感がはたらきを失ったかのように、何も感じない。それは本当に死を暗示しているようだった。


「嫌……。嫌だよ……梓……。やっと梓の本心が聞けたのに……。何も出来ないままお別れなんて……。そんなの悲しすぎるよ……」


 美影は目に大粒の涙を浮かべていた。


「ごめんね、美影……。――ねえ、きみたち。美影のこと、よろしくね」


 きっとぼくにはもう美影の側で彼女を支えることはできない。直感的にそう思った。

 できない願いを誰かに託すっていうのはやっぱり身勝手なことなのかな。でも、いいんだ。ぼくらにはもう可能性なんて残されていないんだから。きっと美影がああしていられる時間も少ない。


 何も見えなくなったあと、ぼくの身体が完全に屋上から消失したあと、たどり着いたのは何も見えない暗い暗い部屋だった。

 神様、ねえ、居るんでしょ? 一つだけお願いしてもいいかな。美影のことなんだけど……。


『――まだ、願うことがあるのね』

「――レイさん……」

 瞼を開けても閉じても同じ色しか映らない、暗闇の中から聞こえた声はあの真白な空間で聞いたものと同じだった。

 そして声の主は堂々と暗闇の中にその姿を現した。

 ――不思議だ。何も見えないはずなのに、彼女の姿だけははっきりとわかる。

「あの子に何を望むの?」

「幸せになってほしいんだ。美影が望む幸せを与えてあげて」

「もしあの子がそれを拒んだら?」

「その時はその時だよ」

「わかったわ。でもその代償にあなたは自由を失うわ。一つ、とても重要な役割を果たしてもらう。それでも?」

「いいよ。――初めてなんだ。真剣に向き合いたいことができたのって」

「そう……。後悔しない?」

「しない」

 ぼくはきっぱりとそう答えた。

「――そう。あなたの願いはそれなのね……」

 レイさんは独り言を口にしていた。

「あの子の願いを叶えるには、望みの内容が大きすぎる。少しだけあなたに負担がかかるわね」

「負担って? どれくらいのもの?」

「転生した時に、全ての記憶が残るわ。それは魂に傷がつくかも知れない由々しき事態。リスクが高いものだけれど、それがあの子の求めるものに繋がる」

「――なら、いいよ。ぼくが傷つくだけで良いんでしょう? なら問題ないよ」

 ぼくの望みはあくまで美影の幸せ。それがぼくも少し関われるとなるなら喜びでしかない。

「望みを叶えることは約束するわ。でも、今はまだその時ではないから、待たなくてはならない」

「どれくらい?」

「必要なだけ」

 なんだそれは。わからないじゃないか。

「全てが分かっていては未来は生み出せない。神ならざる人間だからこそ切り開ける唯一のものをあたしが奪うわけにはいかないわ。でも、それまでの間は退屈でしょうから、彼らを見ているといいわ」

「見ている? どうやって――」

 パチン、と。

 レイさんが指を鳴らした。すると視界は反転し、真っ暗な世界から真白の世界へと移り変わった。

「これで――視ることができるでしょう?」

 それはぼくが走馬灯を見ていた時と同じだった。


 それからはずっと、美影と、美影に新しく出来た友達の様子をそこで見ていた。美影はとても楽しそうだった。ぼくとは違って、同じ悩みを共有できる本当の仲間を見つけられたみたいだった。少し寂しいけれど、それが美影のためになるというのなら喜ばなくてはならない。

 これは――もしかして父性というやつだろうか。娘のいる父親というのはだいたいがこんな心境だというのだろうか。こればっかりはわからない。父親になったことなんてないんだから。ぼくはもう大人になんてなれない。それが残念だと思ったのは今が初めてだった。

 そんなことを思っている間にも子供達の物語は進行していく。時々レイさんもその中には登場していて、姿を見かけた。間接的に子供達に助言を与えている。

 子供達の物語を最後まで見終わった時、ぼくがいる世界が白から黒に再び反転した。長かったようでとても短いその物語は幕を閉じたということだ。終わったのだと息をついたその時、どこからともなく声が聞こえた。さっきまで見ていた物語に出てくる子供達の声、そして美影の声。どうやら彼らはぼくと同じ世界に放り出されたようだった。行く宛ても解らずただこの世界を彷徨っている。

『――彼らを救いなさい。それがあなたのやるべきことよ。梓──彼らを導きなさい』

 どこからともなくそんな声が――レイさんの声が聞こえた。やり方も何もわからないけれどぼくはそれを実行することにした。

 ぼくの役目はこれで終わる。これで全てが終わる。

 美影、来世でも仲良くしてくれるかな?

 語りかけてみてもその声はきっと届かないだろう。それでもぼくは彼らに声を掛ける。何も見えないこの場所では音だけが頼りになる。ぼくは美影みたいにみんなを明るく照らすちからは持ってないから、精一杯心を込めて彼らに語りかける。

『きみたちにバットエンドは似合わない。それぞれの色が導く方へ、歩みを止めないで――。ぼくが奪われた色を道標に、みんなは前を向いて進んで。子供は立ち止まっちゃいけない。泣いてはいけない。顔を上げて、前を向いて。どんなに突飛で散々な世界でも、どんなに複雑に怪奇した世界でも、必ず明日はくるから、だから――』







 ――笑顔の為に、生きて。

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