第八話 僕たちの運命を、終わりにしよう。
大学3年生の夏。周りはすでにインターンや大学院への進学に向けて歩み始めている中、僕は進路に思い悩み、ひとり机に突っ伏していた。
「未央くんなにしてるの」
「教授から進路の話をされる度にもう辛くって……もうどうしたらいいか」
僕を呆れるように見下ろす亜里紗に、弱音を吐く。なんだかんだで4年目にもなる彼女との仲は、安心してお互いが相談できる仲だった。
「亜里紗はもうインターン始めてるんだっけ」
「うん、もう行ってる。未央くんもサークルでやってたこと活かしたらいいのに。語学とか、企画系とか、いろいろ参加してみたらいいのに」
「そうだけどさ……」
たしかに、英語はいくつか検定も持っているし、サークルで培った経験をアピールすることもできる。ただ、それを仕事にするとなれば、話は別だ。
「語学は、リオンと一緒に始めたから好きなだけで……大学に入るまではむしろ苦手だったし、ひとりでやるのは億劫だし」
ぶつぶつと言い訳を垂れて、また机に頭をめり込ませる。ひんやりとする机で、知恵熱でも出しそうな頭を冷やした。
「はあ!もう考えるのやめよ!!亜里紗、いつものグループで甘い物でも食べに行こ!!」
「ええ急に?私は別にいいけど……そういえばリオンくんは?最近会った?」
いきなりリオンの名前が出てきて心臓が跳ねる。久々に他人から聞いたその単語に、「あー、」と思い出すふりをして動揺を隠した。
「リオン、最近忙しいみたいで会えてないんだよね。講義もなかなか合わないし」
これは、半分本当で、半分嘘。お互いに忙しくてタイミングが合わないのは事実。けれど、実際には僕がリオンを避けていた。
「そっか。じゃあ私たちの遊びにいつでも顔出せるってことね」
「うん!いつでも誘ってよ」
そう亜里紗にウインクをかますと、就職決まってないくせに調子に乗るな、と小突かれた。
あの卒業旅行以来、リオンは変わってしまった。
僕を見る目が、切なくて、悲しい。僕といると、辛そうな表情をする。
きっと彼自身は自分の感情がそこまで表に出てしまっていることに気がついていないだろう。そして、確かに他人には絶対に勘付かれないレベルの変化ではある。
しかし、やはりその感情を向けられている僕からしたら手に取るように分かってしまう。
原因も分かっている。前世できっと、リオンと僕になにかがあった。だからリオンがあんな目をして僕を見つめてくる、とその気持ちを共有できない僕まで辛くなってしまう。
“今日サークルの集まり来る?未央が来るなら俺も行こうかな”
リオンからのメッセージに、少し考えた後、返信した。
“ごめん、忙しくて。今回は行かないかな”
すぐに既読が付いて、”分かった”と返ってきたのを確認すると、スマホを閉じた。
「連絡、誰からだったの?」
「リオンから。今日のサークルの集まり来るかって」
大学近くのカフェで亜里紗と二人、パソコンを開いて卒業論文に取り組んでいる。
「え、サークル行っちゃうの?」
「行かないよ、今から行ったとて時間ギリギリだし」
そう言いつつ、僕の口からはため息がこぼれた。
「なんのため息?」
「いや、リオンになんか、申し訳ないなって思って。リオンは何も悪くないのに」
どれだけ言い訳を並べたって、結論は僕がリオンといるのが気まずくなっただけ。出会った頃の、安心感とか居心地の良さを感じられなくなってしまっただけなのに。
「……ほんとに未央くんは私といてもリオンくんの話ばっかり。よっぽどリオンくんのこと大好きなんだね」
亜里紗が、さっきの僕のとは比べ物にならないほど大きなため息をわざとらしくついた。はっとして彼女の顔を窺う。
「ごめん、そんなつもり、なかったんだけど__」
「分かってるよ。未央くんがずっと前からリオンくんのことが好きなのも、私はただのモブ脇役なのも」
「……亜里紗」
亜里紗は伏し目がちに乾いた笑みをこぼした。そこで僕はやっと、重大な罪に気がついた。
「でも、どれだけリオンくんのこと想っても無理だと思うよ?男同士だし、リオンくんだって未央くんのことそんな風に見てないだろうから」
亜里紗の言葉が、刃のように心臓を突き刺した。一瞬、息が止まる。
『男と男なんて気持ちわりい』
『想像しただけで無理』
不意に、学園祭の時、先輩に言われた言葉を思い出した。
ねえなんで、みんな男同士は駄目だなんて言うの。
ねえなんで、僕はこんなに否定されても、リオンに恋してしまうの。
「私にしたらいいのに」
亜里紗の言葉に、はっと顔を上げる。彼女の瞳は僕の気持ちを探るみたいに揺れていた。いまさっき僕の胸に刃を突き刺した人とは思えない、か弱い少女の表情だった。
「……今日はもう帰る」
亜里紗はそう吐き捨てて、荷物をまとめて去った。追いかけようとしても体が硬直して動けない。亜里紗の残していった言葉が木霊して、しばらく離れなかった。
最近、全く未央に会えない。俺が避けているわけではない。むしろ、未央がなにかに気を遣っているようだった。
“ごめん、忙しくて。今回は行かないかな”
この前から更新していないメッセージを見つめながらため息をつく。
俺がなにかしてしまったのだろうか。前世のことを思い出して以来、未央には気づかれないようにしているつもりだが、もしかしたら態度や雰囲気が前とは違ってしまっているのかもしれない。そう不安になりつつも、未央の近くにいるとどうしても前世のみよが重なる。
手帳から写真を取り出す。結からもらった、俺とみよが写るあの写真。
「もう、どうしたらいいんだよ……」
ずっと昔から愛する人が目の前にいるはずなのに、触れられない。今までの全てを話せない。それが何よりも苦しくて、辛くて。
___こんなことなら、前世なんか、思い出さないほうが良かった。
前世の記憶なんてない方が良かったのに。
「リオンくん」
不意に誰かに呼びかけられて、慌てて写真を隠す。顔を上げると、見覚えのある女子学生がいた。講義のない講堂には楽しげに騒ぐ学生の声が響いているのに、俺の目の前に立つ彼女は、静かに俺を見下ろしてた。
「えっと……」
「亜里紗。未央くんといつも遊んでる」
そうだ。前に、この子に怒られたことがあった。今度はなんだろうかと身構えると、意外な言葉が彼女から発せられた。
「この建物の屋上に未央くん、いる」
「え、?」
「多分私のせい。だからリオンくんが行って」
「それってどういう……」
「いいから、行って。……今の私には、それしかできないから」
彼女は長い爪が食い込むほど拳を握りしめていた。唇を噛んで必死に俺に訴えかけるような目をしている。
「…分かった、行ってくる」
彼女の必死さに背中を押され、急いで荷物をまとめて駆け出した。
未央に会いたい。未央と話したい。
そして彼の気持ちもちゃんと聞いてあげたい。
屋上で何を思って、何を考えているのか。
「未央くん、ごめんね」
そんな亜里紗の言葉は、すでに走り出した俺には届いてなかった。
「未央!!」
階段を駆け上がって、屋上のドアを勢いよく開け放つ。未央は何もない屋上の真ん中で、ただ座り込んでいた。
「え、リオン……?」
一瞬目が合うも、目線はすぐに逸らされた。俺に背を向けて座り直すと、お互いに沈黙が流れる。
残暑の続く9月。曇天でもエアコンの効いたキャンパス内から出てきた俺はじんわりと汗をかいていた。
「なんで、ここに来たの?」
こちらに目を向けないまま、問いかけられる。表情が窺えず、彼が何を考えているかはわからなかった。
「亜里紗さんに、未央がここにいるって教えてもらって」
「亜里紗かあ。僕がここに逃げ込んだの見てたんだ」
俺の答えに独り言を呟く未央。一方の俺は何を話すか悩んで、黙ったまま未央の背中を見つめた。
いつもそうだ。俺は未央の、みよの自由さに振り回されている。この人は、自分の世界があって、誰も立ち入れない壁がある。でもそれが不思議で、強くみえるのにふとしたら壊れてしまいそうで。
「リオン、1年生のとき、ここで僕たち話したの、覚えてる?」
沈黙を破ったのは、未央だった。もう3年も前のことだが、忘れているはずがなかった。
「覚えてるよ。未央がなんで泣いてるのか、あのときは何も分からなかった」
屋上のベンチを見やる。そこには3年前の俺たちがいた。
「……でも今は、分かるんでしょう?なんで僕が泣いてたか」
未央がこちらに少し視線を寄越す。けれど影になってやはり彼の表情までは読み取れない。
「理由は、分かる……けど、あの時の未央の気持ちは推し量れない。多分、俺が想像するよりずっと、辛かっただろうから」
もしあの時の___前世の記憶を失いそうになっていく未央を、今の俺が迎えに行けるとしたら、1年生のときの俺を殴り倒してでも抱き締めたい。今まで思い出せてなくてごめん、ずっと辛い思いをさせていてごめん、と。
しかし、そんなことはできるはずもなく、その辛さをひとりで乗り越えてしまった彼、今更思い出した俺という事実はもう変えられない。
「……僕はもう思い出せないの。この屋上に来ても、あの交差点に行っても、コーヒー牛乳を飲んでも」
どうしようね、なんて、冗談めかしく笑った未央の声は、震えていた。
「大好きなリオンと、おんなじこと、共有できない。こんなに好きなのに、一番大事なこと、理解してあげられない」
空を見上げて未央は、黒い雲に話しかけていた。もちろん雲はなにも答えてくれるはずない。けれどまるで俺など居ないようにそのまま続ける。
「前世のままで……いや、そうじゃなくても。なーんにもないままの二人で、普通の恋愛がしたかったなあ……」
ついに、未央の肩が震え、崩れ始める。俺は慌てて彼に駆け寄って、後ろから抱き締めた。抵抗はしなかった。顔が見えなくても、泣いていることは分かった。波打つ未央の肩に顔を埋める。
「俺は……忘れたくない。思い出せて、よかったって思うから。もちろん、今世の未央も大事だけど、前世の記憶をなかったことには、もうできない」
未央の感情に飲まれて、自分の声も震えた。これを言ってしまえば、この関係は壊れてしまうかもしれない。そう分かっていても、自分の気持ちに嘘はつけなかった。
「じゃあ、僕たちはもう一緒にはいれないね」
「嫌だ」
「嫌じゃない、僕も辛いの。この気持ちのままじゃ、いずれリオンを傷つける」
未央が、絡みつく俺の腕を解こうと両手をかけた。そんなことさせるはずもなく強い力で抱き締め続けた。
「……好きだけじゃ、駄目なのか?」
「……リオンが好きなのは、僕じゃない。前世の彼女だよ。前世の記憶もない、姿形も変わった僕は違うんだよ」
その言葉に、否定ができなかった。前世を知ってしまった俺は、堂々と今の未央だけが好きだと、言えなかった。自分の頬に涙が伝う。
「ここで終わりにしよう。僕たちの運命」
はっきりと、未央は俺にそう告げた。泣き声ではなく、しがらみを切り離したように、前を向いた声だった。俺は、結局何も答えられないまま、未央を掻き抱いた。
「ここで終わりにしよう。僕たちの運命」
涙を振り切って、リオンにそう告げた。きっと泣いたままじゃ、リオンは離れてくれない。自分なりに考えて出した答えだった。
彼の顔が乗った、肩がじんわり濡れていく。表情は見えないのに、彼の心の痛みが濡れた部分から伝わってくる。
泣かないで。これ以上僕のことで苦しまないでよ。
理解してあげられない部分のほとんどが多分僕のことで埋め尽くされているんだ。
ごめんね。何もかも忘れたままで、何もかもを知ったリオンの前に居続けてごめん。
記憶にないはずの心のざわめきが騒ぎ出す。体の奥底でなにかを覚えているかのような疼き。リオンと同じような苦しみを、どこかで僕も味わったことがあるのだ。
だからこそ、これ以上リオンの近くにいてはならないと思う。この運命は、断ち切るべきだと。
「……泣かないで」
自分のお腹に回っている彼の手をそっと撫でる。思わず零れた言葉に自分でも驚く。さっきまで僕も泣いていたくせに。でもね、僕が泣くのと、リオンが泣くのは違うの。リオンにはもう、泣いてほしくないんだよ。そんな思いを込めて、今度は肩に乗った彼の頭を撫でた。彼の、ウッディな香りがふわりと鼻を掠める。意味もなく胸が苦しくて切なくて、堪らなくなった。リオンは声も出ないまま体を揺らして子どもみたいに泣いていた。
「泣かないでよ……もう……」
不意に、カフェでの亜里紗の言葉を思い出した。たしかに、僕とリオンの気持ちは同じじゃない。お互い想い合ってはいても、ねじれの方向のまま気持ちはすれ違っていた。そして、リオンが僕を見つめる先で想っている人と、僕は容姿も関係も違う。亜里紗の言葉が、今まで考えるのを避けていた核心に気づかせてくれた。どれだけ想っても、リオンは前世の彼女を、僕は前世の記憶のない彼を、都合よく重ねて、想い続けるだけだっただろう。
屋上に、ひときわ強い風が吹く。頬に溢れた水滴は、風によって流されていった。
移りゆく季節が、僕たちの運命も過去にしてくれるはず。
お互いが別々に幸せになれますように。
そう願うことしかできない僕は、背中に重なったままの温かみを、今だけはと離さずに感じ続けていた。




