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第六章② マクシミリアン隊

 翌朝、まだ朝靄の残るブレスト城に馬蹄の音が鋭く響き渡った。

「開けてください! 急報です!」

 門衛が慌てて門を開けると、土埃まみれの伝令が馬から跳ねるように降りて声を張り上げた。

「ユルリッシュ・ルソー准将が帰還されました! ただちに全隊、ブレスト司令部の造船所へ出迎えに向かえとの通達です!」

 その言葉に、まだ眠気の残る司令部が一気に動き出す。

 伝令の口ぶりは、もはや単なる帰還を告げるものではなかった。ただならぬ気配を感じ取った者たちは武装を整え、次々と港へと向かう。

 ブレスト司令部が直接管轄する造船所。波打つ海を背景に、先に到着していたルソー艦隊の兵たちが整列していた。やや遅れて到着したブレスト司令部の面々も岸にずらりと並び、厳かに敬礼の姿勢を取る。

「ユルリッシュ・ルソー准将、帰還!」

 号令とともに仁王立ちのような男が大型ガレオン船から姿を現す。

 快活な笑みを湛えたその人物——ルソーは船を降りるやいなや出迎えの列を一瞥し、ざっくばらんな口調で言った。

「おう、みんな、ご苦労さん。詳しい話は副官がしてくれる!」

 そう言い終えるが早いか、ルソーはアンドリューに軽く手を挙げ、すぐさま用意された馬に跨がる。白いマントが風を受けてなびき、力強く馬の腹を蹴ると彼の姿は一瞬にして港の視界から消えた。

 残されたのは、やや唖然とした面持ちの出迎え部隊とアンドリューだった。しかし、アンドリューは冷静な口調で一同に向き直り、声を張り上げた。

「准将はすぐにパリの総司令部に向かわれました。皆さんには、まずこちらの情報を共有しておきます」

 一呼吸置いて、アンドリューは続けた。

「我々が帰還する道中、正体不明の海賊船を拿捕しました。奴らはポート・ロイヤル出身だと判明しています。しかも、ある重大な書簡を所持しておりました」

 兵たちの間にざわりと小さな波が広がる。

「その内容は……明かすには、あまりに状況が不確かです。ただし、この一件が極めて重大な陰謀に繋がっている可能性が高い」

 緊張が辺りを支配した。誰もが言葉を失い、アンドリューの次の言葉を待った。

「これより、我々ルソー隊はブレストにて待機を命じられています。准将からの言葉を借りれば、『そのうち戻る』とのことです。それまでは万全を期し、準備を整えてください」

 彼の声音は落ち着いていたが、その目に宿る決意は固かった。やがて一同は粛然と敬礼を交わし、無言のまま散っていく。嵐の前の静けさが港を包み込んでいた。


 キール通りの宿舎に戻ったのは、まだ朝の陽が中天に昇る前だった。

 旅の疲れはあったが、それ以上にソフィーの顔には複雑な翳りが浮かんでいた。屋敷で見た荒れ果てた光景が脳裏を離れず沈黙のまま門をくぐる。最初に出迎えたのはジョルジュだった。

「おかえり、ソフィー。……無事でよかった」

 彼の言葉は穏やかだったが、眉間には心配の色がにじんでいた。続いて現れたのはアニータで、彼女もまた黙ってそっとソフィーの手を握った。そして——。

「……やあ、ようやく帰ってきたね。お嬢さん」

 聞き慣れた、どこか芝居がかった声音がかかった。ソフィーははハッと声がした方向に目を向ける。

「……フェルナンド!」

 言葉にならない感情が胸の奥から込み上げてくる。

 まだ顔色は完全ではないが、フェルナンドは以前と変わらぬ優雅な佇まいで庭の縁台に腰かけていた。ジョルジュがすかさず口を挟む。

「さっき医者が来てね、長い距離も歩けるようにはなったってさ。無理はさせてないから安心して」

「……目を覚ましたって聞いて、本当に……よかった」

 ソフィーはゆっくりと彼のもとに歩み寄り、その目をまっすぐに見つめた。フェルナンドはわずかに微笑み、息を吐くように言う。

「ふふ。死に損なった身だが……迎えにきてくれたのかい?」

「馬鹿なこと言わないで」

 思わず笑ってしまう自分に驚きながらソフィーは頭を振った。それでもその目にはかすかに涙の光が宿っていた。フェルナンドは少し黙ったあと低い声で言った。

「……あの日、ボクは君を確実に殺そうとしていた。確かに殺意があった。そりゃ、あの男に撃たれて殴られるのは当然だ」

 その声には気取った調子の裏に確かな謝意がこもっていた。ソフィーは言葉を探して口を開く。

「……私、あなたを助けたけど……その先に何が待っているのかは分からないの。生き延びたことで、もっと苦しい思いをさせてしまうかもしれないって思ってしまった」

 彼女の偽らざる本音だ。するとフェルナンドは肩をすくめて小さく笑った。

「……奇妙だな。君に命を救われたってのに、君にそう思わせてしまうんだからボクは罪深い」

 フェルナンドは短く咳をして少し顔をしかめる。それでも次の言葉はどこまでも静かだった。

「……ボクはこのあと、君に話すよ。全部だ。君にはまだ何も話していない。あの日のことも、それ以前のことも、何一つ」

 ジョルジュとアニータが目を見開いたが、フェルナンドはその視線を気にも留めず、ただソフィーの目を見つめ続けた。

「どこかでずっと思ってたんだ。ボクは何のために生き延びたのかって。……でも、分かった気がするよ。この日のために、生かされたんだって」

 それは彼にしては珍しく、いや恐らく初めての本音そのものだった。芝居がかった仮面を脱ぎ捨てるようにフェルナンドはふっと息を吐いた。

「……ありがとう。ソフィー」

 その声には、気取った調子も飾り気もなかった。彼自身の言葉で、彼自身の声で、静かに紡がれた感謝。

「君がいてくれなかったら、ボクはもうこの世にはいなかった。……それだけは、本当に、心の底から思ってる」

 ソフィーは少しだけ目を伏せた。こみ上げてくる感情に、何と返すべきか分からなかった。けれど、それでいいのだと感じていた。フェルナンドの目が、今は確かに彼自身のものであると思えたから。

「……ただ、その前に。ボクが真っ先に話すべき相手がいる」

 フェルナンドは遠くに聳えるブレスト城にちらと視線を向ける。

「司令部さんに、洗いざらい話すのが先みたいだ。面会にでも呼んでくれりゃ喋るさ」

「……なんだそれ」

 ジョルジュが思わず口を尖らせた。フェルナンドは肩を竦めると軽く手を振ってその場を流す。

 そこへ、門の扉がガラッと開いた。

「ただいま戻りましたー!」

 軽快な声とともにマクシムが陽気に登場。その後ろからマクシミリアン隊の面々が次々と姿を現した。

「おお、帰ってきた!」

 ジョルジュが目を輝かせて駆け寄る。

「ねぇねぇ、ルソー准将ってどんな人だった!? やっぱ怖かった? それとも老将系?」

「なんかねー、嵐みたいな人だったー」

 ペネロペが両手をバサバサ振りながら言う。

「ほんの一瞬で行ってしまったのよ」

 スザンヌは肩をすくめた。

「まあ、熱い人だってのはわかったけどな」

 ダヴィットが腕を組み、サミュエルが苦笑まじりに肩を竦める。

「熱すぎてな。あの人と一緒にいると、周りの冷め具合がよくわかるんだ」

「……そういえばサミュエルって、第一艦艇部隊だったわよね?」

 ロザリーが不意に口にした。

「ま、昔の話さ」

 サミュエルは目を伏せながら少しだけ寂しげに笑った。そんな会話をすり抜けるようにマクシムが勢いよく手を打つ。

「それより、みんな聞いてください! 今回の件で、状況が大きく変わったんです!」

 マクシムの勢いに皆が視線を向ける。

「ルソー隊が、道中で海賊を拿捕したんですよ! マラン副官は詳しく話さなかったけど……もしかしたらその海賊、エドガー海賊団と繋がってる可能性があるかもしれません!そして、彼らが持ってた書簡とやらがルソー准将の手に渡ってるんです! つまり——エドガー・ロジャースの計画がバレるのも時間の問題です!」

 その言葉に、周囲がざわつく。

「……ほう、それは興味深いですね」

 静かな声が唐突にマクシムの背後から降ってきた。マクシムが硬直するより早く宿舎中に一斉に悲鳴が響き渡った。

「「うわああああああああああッ!」」

「な、な、なっ、なんでここにいるんですかアンドリュー・マラン副官!?」

 マクシムがひっくり返りそうになりながら振り返ると、そこには自前の紅茶のカップを手にしたアンドリュー・マラン副官がひょっこりと立っていた。整った身なりで少しも場違いな様子はない。

「おや……サミュエルにお茶に誘っていただいて。それで、つい」

 アンドリューが控えめに笑ってサミュエルの方を見やる。サミュエルは肩を竦めながら淡々と答えた。

「ルソー隊から報告役として残ってるなら、そろそろ話を聞きに来ると思ってな。先に声をかけておいた。丁寧な紅茶を出せば案外来てくれるタイプだ」

「ええ、紅茶は美味しいですよ。ただし、マスカットの香りが少し強めだと葉そのものの香りは消えますが」

 アンドリューのこだわりに皆が押し黙る中、ペネロペがぽつりと呟く。

「マニアックだなあ……」


 食堂にて。

 アンドリューは落ち着いた動作でテーブルに湯気が立つカップを置くと全員をゆっくり見回した。

「さて、ここからが本題です」

 アンドリューが静かに口を開いた。だが、その声にはまるで士官学校で教官に呼び出されたかと思わせるような圧があった。

「皆さん。エドガー・ロジャースの計画を、どこで嗅ぎつけたのですか?」

 室内に一気に緊張が走る。アンドリューは表情を崩さぬままカップの縁に口をつける。

「……ご安心を。司令部に告げ口するつもりはありません。これは、情報に齟齬がないか確かめるためです」

 マクシムが一拍の沈黙ののち姿勢を正した。

「僕が……サン・マロでエドガー海賊団と繋がりのある海賊に会いました。ダヴィットと共にです」

「隊長、俺を巻き込みましたね?」

 隣にいたダヴィットが肩をすくめながら応じる。するとソフィーがすっと手を挙げた。

「その海賊と、かつて私は約二ヶ月間を共にしました。……密談にも同行しています。信頼に足る情報だと私が誓えます」

 その言葉にジョルジュが眉をひそめる。

「どこに誓うのよ……」

 思わずこぼれた呟きに、アンドリューが興味深げにソフィーを見やった。

「海賊と一緒に? それは……なかなか魅力的な証言ですね」

 場の空気が微かに揺れる中、フェルナンドが椅子の背にもたれながらこともなげに口を開いた。

「ちなみに、ボクがエドガーの右腕だ」

「……え、あなたが?」

 紅茶を置いたアンドリューが初めて声の調子をわずかに崩す。ほんの一瞬、動揺の色を見せた。

「いったい、どんな経緯でここに?」

「それはまあ……」

 フェルナンドが優雅に肩を竦める。その様子にサミュエルが淡々と口を挟んだ。

「おい、みんな。副官殿をあまり困惑させるな」

 その言葉に場が少し緩み、テーブルの中央でフェルナンドがゆるやかに手を組んだ。紅茶の香りが静まり返った空間を包む中、フェルナンドは柔らかく語り始める。

「まず、ルソー准将が手にしたという書簡について。……あれは、おそらくエドガー船長からの正式な召集令状だね」

 数人が顔を見合わせた。

「内容に、合流地点で待つとか、そんなことが書かれていませんでしたか?」 

 フェルナンドの問いかけにアンドリューが頷く。

「ええ。『この海域にて会おう』といった主旨の文面でしたね。簡素で、だが不自然に堂々としていた」

「じゃあ間違いない。それは、仲間集めのチラシだ」

 茶化すような調子だったが、どこか冷めた響きが含まれていた。

「エドガー海賊団は今、実に多くの海賊団を巻き込もうとしている。遠く離れた港の連中まで煽ってる。方法は問わず、暴力も、金も、幻想も使ってね」

「……その海賊達は、なんのために動いてるんだ?」

 グウェナエルが静かに問うた。その声に含まれる猜疑は誰よりも冷たかった。

「申し訳ないが、ボクですら知らないのだよ」

「はあ? そんなバカなことが——」

 ダヴィットが思わず立ち上がりかけ、リラが袖を引いて制する。

「ダヴィット、落ち着いて」

 フェルナンドは動じることなく目を細めた。

「……全ての計画は、エドガー船長一人の頭から生まれている。ボクたちはその指示に従って動くだけ。目的も細部も知らされない」

 ひと息置いて、ことさら芝居がかった口調で言う。

「まるで、チェス盤の駒のようにね」

 その静かな言葉にテーブルの上の空気がわずかに軋んだ。

「でも、目的はわかっている」

 それまで黙っていたシャルルが背筋を伸ばして口を開いた。

「一つは海軍そのものに対する宣戦布告。そして、このマクシミリアン・ブーケ隊ですよ」

「……ほう?」

 アンドリューの瞳が鋭くなる。

「正確には、ブーケ隊長ご本人。エドガー・ロジャースは、かつての悪友であった大海賊フランソワ——彼を追い詰めた我々海軍への復讐を、今なお引きずっている。そのために海賊たちを扇動し、何ヶ月もかけて綿密に網を張ってきた。……狂ったような執着です。その執着が同盟として形となり一斉に牙を剥き、我々に喰らいつく。今は戦いに向けてただ爪を磨ぐために奴らも大人しくしているのでしょう。……いつか来る戦乱のために」

 言い切ったシャルルが、視線をフェルナンドに送る。

「違いますか?」

「……その通りだ」

 フェルナンドはわずかに微笑み、何かを諦めたように頷いた。

「あなた方とフランソワの関係は?」

 アンドリューが静かに問いかけた。だが、その声には張り詰めた糸のような緊張が走っていた。彼の指先にはまだ湯気を立てる紅茶のカップ。けれど視線はカップではなく、まっすぐにマクシムへと向けられている。

「……フランソワの討伐命令を受けたのが、僕たちです」

 マクシムの声には、どこかためらいが混ざっていた。

「彼は、僕たちとの交戦の末に自ら命を絶ちました。けれど一部の海賊たちは『海軍に殺された』と解釈している。きっとそれが火種になったんでしょう」

 その言葉にアンドリューはしばし沈黙したまま紅茶を飲み干す。そして静かに、ふっとため息のような一言を漏らした。

「……一筋縄ではいかないようですね」

 淡く微笑みながらもその目は冴えていた。冷静な分析者の眼差しだった。

「海賊団同士が一致団結? 正直に申し上げると現実味がありません。少なくとも、過去の歴史を見れば」

「ええ。僕たちとしても、すぐに動ける立場ではありません。情報が断片的ですし、今は静観するしかないのが現状です」

 マクシムの言葉にアンドリューはうなずいた。そしてその隣でフェルナンドが肩をすくめて小さくため息をついた。

「……うーん、困ったな。まさかボクが君たちの情報提供者になっちゃうとはね。船長にバレたらどうなるか……想像もしたくない」

「お前、あくまでも捕虜だろ。どの立場からのセリフだよ」

 サミュエルが小声で突っ込んだその時だった。椅子がきぃっと音を立てる。立ち上がったのはペネロペだった。

「……海賊の団結力、舐めないで」

 その声は思いのほか真剣だった。目が静かに光っている。

「あたし……昔、海賊として暮らしてたことがある。だから分かる。彼らは、やるって決めたら止まらない。とことんやる。それが、海賊っていう生き物なの」

 彼女の言葉に一同の空気が変わった。

「だから……海賊たちが手を組んで戦争を起こす? 簡単だよ、そんなの。時間の問題」

 そう言って彼女は手をぎゅっと握った。

「それに……エドガーっていう男は、典型的な海賊じゃない。指揮官として優れてて、どこまでも冷酷になれる。情とか信念とか、そんなのを平気で踏み越えていける人間なんだよ。だから大海賊って呼ばれてるの」

 部屋に沈黙が満ちた。誰も言葉を継げなかった。ペネロペはしばし黙ったあと、ふっと小さく息をついた。

「……それでも、あたしたちは立場を考えて動かなきゃいけない。分かってる。だけどね、本当に大切なことって、それだけじゃきっと見えてこない」

 ペネロペの瞳がまっすぐに皆を見つめた。

「怖がってばかりじゃ前には進めないよ。……大切なものを見失ったら、きっと、誰も生き残れない」

 静寂が落ちた。重く、どこか温かさを帯びた空気が宿舎の空間を静かに包み込んでいた。

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