知恵ある獣
「潮の香り……」
息を吸うと塩辛い空気が胸いっぱいに広がる。
押しては返す波のさざめき。
コンクリートに照り返す眩しい太陽光。
私のようなインドア人間とは縁のない景色。
海だ。
人気のない波止場、全く似つかわしくないそんな場所を私はとぼとぼ歩いていた。
視線の先、水平線の向こうに白と青のグラデーションと異質な黒が見える。
災害が海の上で脈動していた。
額に手をかざして、その黒を眺める。
大きい。
私が見た中でも最大級の深域だった。
遠すぎて遠近感が狂うけど、サイズで言えば第13封印都市の深域を越える規模だ。
「あれが…………第2封印都市?」
「元、ね」
波止場の先端で星付きの魔法少女が私を待っていた。
その小さな身体には不釣り合いな馬鹿でかいとんがり帽を被った魔法少女。
魔法少女エヴァーローズ、今日ここに私を呼び出したのは彼女だった。
いわゆる研究をあの深域内で行うらしい。
「見ての通り、今は封印措置をとっていないの」
「ぇ、と……どうして?」
確かに彼女の言葉通り深域の成長を押し留める杭がない。
あれでは深域は大きくなるばかりだと思うけど……
海上では杭を立てるのって難しいのかな?
「人間の生活圏内から離れているっていうのが大きかしらねえ」
なるほど。
海上の深域……漁業などの水産業に影響は出るかもしれない、それでも人が住んでいる住宅街などと比べればその脅威ははるかに低い。
あの距離なら深域が私たちの立つ陸地まで届くサイズになるまで途方も無い年月がかかるだろう。
そういう意味では、人的被害の脅威はない……と言えるのかもしれない。
「鎮圧には船を用意する必要もあるし、陸から遠い海上の深淵は放置されることも多いのよ」
長距離を飛行できる魔法少女ばかりでも無いし、現実的にはそうなってしまうのだろう。
緊急で対処する必要のない災害。
まさにこの前の交通道路を使用不能にした深淵とは対極にある深淵かもしれない。
「ちょっと!低脳じゃないんだからちゃんと説明してよね。それは本来の理由じゃないでしょ」
「んえ?」
急に私とローズ以外の声が聞こえて私は飛び上がった。
私たちの他にも誰かいるの?
他ではあまり聞いたことのない低脳という悪口には覚えがあるのだけど。
ローズの背後を覗き込むと、紫色の魔法少女が地べたに座って膝の上に置いたノートパソコンを弄っていた。
「ば、ば、バイオレットクレス!?」
「封印されていない理由の核心、それはあの深域がもう成長を止めているから、でしょ!」
アコナイトのチームメイト、バイオレットクレスが何故かそこにいた。
彼女に会うのはいつぞやのコラボカフェ以来だろうか。
アコナイトのチームはどうしたの?まぁ私もメテルを置いてきているから人のこと言えないのだけど。
「彼女にも同行をお願いしているの。研究仲間だし、能力的にも必要だから」
「そ!友達友達、よろしくねカメリア」
「え?ぁ、うん」
えー……そこ繋がっているんだ。
でも確かに会議でも未知の脅威に好奇心を抑えきれていなかったし……今回だって調査ではなく研究という言葉を使っているあたりローズは学術畑の魔法少女なのかもしれない。
それならクレスとの繋がりも納得できる。
彼女は深獣について論文書くくらいの知的な魔法少女だから。
「ぁ、そんなことより……深域が成長していないって……」
どういうこと?
私の知識だと深淵という災害は魂を取り込み無制限に拡大するはず。
人類の活動領域を奪う災害だと認知していたのだけど……
「要検証。拡大が止まるほど成長した深域は目の前のアレただ一つだから……これだけで結論を出すことはできない」
「今あの深域は領域を拡大するどころか……緩やかに縮小し始めている。全く未知のフェーズに移行しているのよ」
「え……?」
「現存する最古の深淵だし、深淵の正体を探るうえでは貴重なサンプルってこと、理解した?」
「まぁ、今回の研究とは関係ない話なのだけれど……」
それってすごい話では?
魂を吸収し切って成長を止めている。
つまりこの元第2封印都市は深域の成体、とも取れるということ。
貴重でもあり、重要な症例。
全く考えもしなかったけど、深淵を分析しその発生原理を解明できれば……この災害の発生を抑制することだって可能かもしれない。
深淵を研究することって、もしかして想像以上に大切なことなの……かも。
……………………………
…………………
……
「ぉ、おお……飛んでる」
薄く発光する星型の板、それが私たち3人を乗せて飛行する。
私の出す金魚とは比較にならないスピードだ。
視界に映る深域がどんどん大きくなっていく。
「これが……ローズさんの能力?」
「さん、はいらないわよ」
エヴァーローズの魔法、流星魔法に乗って私たちは深域へと向かっていた。
「ねぇ、座る用の星も出してくれる」
「はいはい、机もでしょう」
ローズが手に持った小さな杖を振るうと、私たちの乗った星の表面が剥離し浮かび上がった。
椅子と机にちょうどいい位置にそれらは固定される。
「ありがと」
クレスはお礼を言うとノートパソコンを置いて作業を再開する。
君今日はずっとそれと睨めっこしているけど、何しているの?
「クレスは作業中だから邪魔しないであげましょう」
ローズが杖を振り、少し離れた位置に私たちの分の椅子も浮かび上がらせる。
私は促されるまま座った。
別に立ったままでよかったのだけど……
「どっこいしょ……」
座る時、小さな声が聞こえた。
小さな声量だったけど私は聞き逃さなかった。
どっこいしょって言いながら座ったよこの人!?
ローズさんって……やっぱり結構お年を召してらっしゃる?
「?……なあに」
「ぃ、いえ、何も。く、クレスはさっきからパソコンで何やっているのかなー……って」
聞き逃さなかった、が……言及はしない。
したら半殺しにされそうだからね。
クラウンデイジーと同じ轍は踏まないぞ。
「言語の設定を詰めているのよ」
なんの?と聞こうとして思い出した。
この前ローズは言った、深獣の専門家に話を聞きに行くと。
そして深獣のことは本人が一番を詳しいとも彼女は言っていた。
「え、深獣語?」
「ふっ……ふふ!深獣語?まぁそう言えばそうなるのかしらね」
なんかちょっと笑われた、なんでさ。
別に変なことは言ってないと思うけど。
「これから私たちはチエ、と名付けられた深獣に会いに行くの」
「深獣に名前?」
名前がついている個体って初めて聞いた。
いつもは模倣しているであろう動物名で呼称するぐらいで普通深獣に個体名はない。
名前がついているということはそれだけ他と差別化すべき深獣ということなのだろう。
そしてその名前は何の捻りもなく、知恵に由来している。
知恵を持った深獣、そんなものが本当に存在するのだろうか。
何だか今日聞く話は未知すぎて私の常識が覆されそうだよ。
「えぇ、知恵を持ち私たちの言語を理解する可愛い可愛い私の教え子よ」
「教え子?」
「私とクレスとで、言葉を教えたの」
「本当?……深獣が言葉を話せるの」
「まぁ、チエは人間と同じ喉の構造は持っていないから人語は喋れないわ。私達からすればそれは鳴き声、だけれど解析すれば貴方の言うその深獣語にも法則を見出せる」
ほう……?
その解析ソフトの調整でクレスはパソコンを弄っているのかな。
深獣に言葉を覚えさせる。
それは人間の赤子にそうするのとは次元が違う、宇宙人と言葉を交わすような異次元のコミュニケーションになったのは想像に難くない。
そもそもそんなこと可能か自体私にはまだ半信半疑だ。
「あの子に攻撃性はなかった、代わりにあったのは退屈とそれに伴う外への好奇心」
「そ、そんなことありえるの?」
「魂を獲得するため、深獣は人を攻撃し領域へ連れ去る。既知の法則ではそこに際限などなかった。けれど魂を取り込んだその先があるとチエが証明したの。魂の貯蓄には上限があり、そして魂が必要ないのならば、そもそも深獣に攻撃性は生じないと」
「じゃ、じゃあ、どの深淵も深域に成長した後に拡大を止める?」
「ここと同じならば、そうなるかもねえ」
明言は避けられた。
それについては症例が少ないから、やっぱり断言はできないのか。
「私はいくつもの深淵に潜り、時には深淵内で寝泊まりまでして真実を探ってきた。だけれどここまで老齢した深獣はただ一匹だけ」
結局のところ深獣は人間の脅威であるから駆逐されてしまう。
条件が整わなければ深域が成長し切ることもないってことか。
そして、エヴァーローズという魔法少女の名前をあまり聞かなかった理由にも見当がついたてきた。
彼女、研究者として深淵内で活動していたのか。
多分アコナイトのように人前にでて深獣と戦うタイプじゃないんだろうな……それだけにアイリスにトップを押しつけられたのがなんだか不憫だ。
「でも、それだと……」
彼女の説明でこの深域の重要性とチエという深獣の特異性も理解できた。
だけど分からないことがある。
「言葉も通じるんでしょ……なんで肝心なことが判明してないの?」
そもそものなぜ深獣なんてものが生まれたのか、なぜ魂を必要とするのか。
チエという深獣がなぜ知性を獲得するまでに至ったのか。
深獣と言葉を交わせるのならば少しは災害についての謎が解明されていてもいいのでは。
まさにそれを明かすための研究なんだし。
「あっとねえ……」
痛いところを突かれたとばかりにローズが目をそらす。
当然の帰結だ。
言葉の通じる深獣が本当に存在するならば、謎はもう解けているはずだ。
つまりは何か障害があって答えは得られていない。
だからこそ私に協力を要請した、違う?
「反抗期でねえ」
「えぁ?反抗期?」
そんな人間じゃあるまいし。
「言葉の意思疎通がようやく取れるようになった頃、なんでかチエは姿を隠してしまったの」
「えっと……じゃぁ」
「うん、私たちはしばらくあの子に会えていない」
肝心なところで雲隠れか。
ということは今回は姿を隠した深獣の捜索ということになりそうだ。
「説明もいいけど、入るよ」
クレスがパソコンを閉じる。
もう深域は目の前まで迫っていた。
シャボン玉のような光沢を持つ不気味な闇。
それが脈打つ。
そこから感じるのは侵略の脅威だけで、私にはこれが成長を止めているようには見えなかった。
勢いを殺すことなく私たちを乗せた星はその黒い幕を潜り抜ける。
お決まりの嫌な感触を通り抜け、私たちは深域の中へと侵入した。
「海?」
景色は何も変わらない。
永遠と続く海、水平線と雲と太陽。
振り返っても、私たちが来た陸地が見えないことだけが唯一の相違だった。
「穏やかでしょう」
穏やか、というか何もない。
深淵や深域で今まで見てきた独創的な空間とはちょっと違う。
人間ではなく、魚や鳥の魂を取り込んで育った影響だろうか。
星は広大な海の中心を目指してまっすぐ飛ぶ。
深域の中だというのに脅威は感じなかった。
というより警戒すべきものがない。
視界を遮るものがないのだから。
唯一警戒するべき眼下の海は穏やかな波を立てているだけ。
「やっぱり……いない」
「そうねえ」
青だけが広がる空間にポツンと出現した陸地。
それはあまりにも小さくて非現実的な陸地だった。
10メートルほどの平らな小島が海の中で寂しげに顔を出している。
「前だったらここにいた」
「この小島はチエが私たちとお話しするために作ってくれたの」
この島で彼女達は深獣と交流していたのか。
災害がわざわざ人間とコミュニケーションをとるために陸地を作った。
ここで人語を学び、人を知った。
「やっぱり、あの子は私たちと顔を合わせる気はないみたいねえ……」
「そうなるとこちらから出向くしかないわね」
残念そうなローズの呟き。
クレスは残念というより面倒そうに指を振る。
すると私たちを囲うように海水がせり上がった。
「え、何……?」
「チエは鯨型の深獣だから、隠れるなら海底の奥深くなのよ」
なんの装備も無しに海底に潜るのは難度が高い気がするけど。
まさか泳げとか言わないよね。
そう思っている間にも、クレスが操る海水が弧を描きドームのように競り上がった。
私たちを囲むようにできた大きな水の球体。
それが海中へと降りていく。
「わ!……わわ!?」
「さすがは水の魔法少女だねえ」
水球は星に乗った私たちの周りの空気を保持したまま海の中にすっぽりと入っていく。
彼女の操る水の膜が海水の侵入を防いでいるのだろう。
「私の魔法じゃこのサイズが限界、この中の酸素が尽きたらお終いだから」
「そう、じゃあ急ぎましょうか」
星が海底を目指して下降し始める。
水球もその動きに追従した。
すごいな……クレスがハイドランシアと同じ水使いなのは知っていたけど、自分の生み出した水以外も操れるんだ…………
能力的にもクレスが必要だと言っていた意味が分かった。
海底へ逃げた深獣を追うにはこういう能力持ちがいないと無理だろうから。
「水族館みたい……だけど魚がいないからなんだか寂しいねえ」
「ぁ、でも……なんだか下の方で泳いでるよ」
「なにあれ?」
3人で星から身を乗り出して下を覗く。
何か、泳いでる。
青だけだった世界に何かいる。
「魚がいるわけないでしょ深域の中よ」
「チエはもう魂を必要としていないから、魚が迷い込んでもおかしくはないけれど」
「で、でも……なんだか多くない」
その黒い魚影はどんどん近づいてくる。
数えきれないほどの黒いシルエット。
それが一斉に私たちを目指して浮上してくる。
数もすごいけど……サイズも大きく……ない?
遠近感でよくわからなかったけど、どれもかなりの巨体だ。
大きく開いた口、あれに飲み込まれたらまずいような。
「クレス、水球の維持に全力を注ぎなさい」
正体を見極める前に私の横でローズが杖を構えた。
「私が迎撃する」
水中に煌めく星々が放たれた。
それは流星のように魚影に降り注ぐ。
視界の先で星の輝きとそれに貫かれた魚が悶える。
傷を負った魚の動きは鈍いけど、止まってはいない。
魚達の勢いは全く衰えていない。
「この星で止まらないなら敵だね」
ペン回しのようにくるくると杖を手で弄ぶローズ。
その表情からは余裕が滲み出ていた。
さすがにこの程度の脅威は歯牙にもかけていないみたい。
「カメリアはいつでも刀を抜けるようにだけ準備しておいて」
「ぁ、もう抜けるよ」
「あら、用意周到ね」
私もすでに刀を抜ける。
というか深域に入った時に金魚を数匹海に放っておいた。
使いたい時に刀を抜けるように。
「チエとは敵対したくなかったんだけどねえ」
「でも、妨害が入ったってことはやっぱりチエは海底で間違いないね」
下から迫ってくる魚達。
その数は視界を埋め尽くさんばかりに膨れ上がっていた。
もうその口から覗く大きな歯までが目視できる。
この距離ならわかる、それら一匹一匹が私たちを丸呑みできるほど巨大だ。
だけど恐怖はなかった、横に立つ小さな魔法少女が慌てていなかったから。
「星よ」
閃光が水球を中心に広がる。
その眩しさに私は目を細めた。
先ほどとは比べものにならない数の星。
巨大で形も鋭利な星、それが流星となって次々と降り注ぐ。
魚達を、蹂躙する。
星々はまるで意思を持っているかのように縦横無尽に降り注ぎ敵へと的確に命中した。
敵大きかろうが、数が多かろうが関係ない、圧倒的な質量の暴力。
ローズは小さなステッキを指揮棒のようにふるい、戦場を掌握していた。
彼女は私のような召喚系の能力じゃない、シューターだ。
つまり意思を持っているように見えるあの星々は彼女のコントロールによって動いている。
凄まじい空間把握と同時処理能力だった。
「さあて、会いに行きましょう。可愛い教え子の元へ」
彼女がそう呟いた時、残っていたのは細かい肉片だけだった。
星が降り注いだ後には何も残ってはいない。
全部壊し尽くした。
なのに彼女は息一つ荒げてはいない。
私は刀から手を離した。
これ……私いらなくない?




