五話 目覚めの抵抗
何かが動く気配で、ミシャの意識が覚醒していく。
「う……?」
室内は明るく、かすかに鳥の鳴き声が聞こえた。うっすらと開けた視界には、自分ではない誰かの身体の一部が見える。どうやらベッドの端に、つっぷすようにして眠っていたらしい。
寝起きでかすんだ頭で、例の行き倒れの青年の様子を見る。
夜はあまりよくなかった顔色は、少しだけだがよくなっているように見えた。すやすやと寝息を立てている。この様子ならもう心配はなさそうだった。
「……よかったぁ」
思わず呟き、慌てて口を手で押さえる。せっかく眠っているのだから、起こしたりしたら申し訳ない。こういう時は、じっくりと眠らせてあげるべきだろう。
ゆっくりと立ち上がって、ミシャは小屋の外に出た。
夜中に雨でも降ったのだろうか。地面がしっとりと濡れている。空気中の汚れが雨にぬぐわれて空気が綺麗だ。遠くの山の向こうから登りつつある朝日も、ずいぶん違って見える。
空に雲はなく、今日はよく晴れそうだ。
「んー」
大きく身体を伸ばしたミシャは、いつものように朝食の準備を始めた。
もちろん青年を起こさないように気を使い、静かに。
確か干した豆があった。今日はあれをじっくりと煮込んだスープにしよう。クタクタになるまで煮込んだらやわらかくなっておいしいし、ケガ人の弱った身体にも優しいだろう。
いつものように鍋に水をいれ、豆をいれ、火の上におく。
そして水を汲むために、バケツを抱えてそっと小屋を出た。昨日のアレで水をかなり使ってしまったし、今日も昨日ほどではないにせよいつもより使うことになるだろう。
ケガの手当てなど経験は浅いが、彼は数日は動けないと思う。
「そろそろ目を覚ましてくれるといいなぁ」
呟きつつ、帰路に着く。
このときのミシャはまだ、この後の大騒動を知らない……。
○ ○ ○
小屋に近づくと、何やら奇妙な音がしていた。
何かを引きずるような――這うような、ズルズルという感じの音だ。
「……?」
邪魔にならないところにバケツを置いて、扉をそっと開く。音は、やはり小屋の中から聞こえてきた。もしかすると、青年がようやく目を覚ましたのかもしれない。
安堵の息を吐き、ミシャは笑顔で扉を開いた。
「あの、目が覚め――」
「俺をどうする気だこの魔女め!」
出会い頭に罵られた。
ミシャの笑顔がピシっと凍りつく。
そこにはまだうまく動かない身体で必死に這う、あの青年の姿があった。軋むほど歯を食いしばり、戸口で固まってしまったミシャを、刺し殺さんばかりに睨みつける赤茶色の瞳。
獣のように床に爪を立て、彼は出口を目指して這いずる。
ミシャを魔女と罵ったということは、彼は町の住民なのだろう。
改めて、町の人々が抱く魔法や、それを扱う者のイメージの悪さを痛感した。やっぱり自分はここにいちゃいけないような気がして、胸の奥のほうがチクリと痛む。
「――って、動かないでくださいっ」
しばらくの思考停止から復帰したミシャは、すぐさま青年に駆け寄った。
別に罵られてもかまわないが、彼を今、動かすことはできない。
「ケガは応急処置しかしてないんです! ヘタに動いたら開いちゃう!」
「うるさい! 魔女なんかに助けられるぐらいなら」
「死んだほうがマシとかいうなら、魔法で無理やり縛り付けますよ! あらかじめ言っておきますけど、わたし【呪術式】は完全に専門外ですから、どうなっても知りませんからねっ」
「こ……やっぱり魔女は邪悪だ! 悪魔だ!」
「あなたが暴れるからです!」
必死に押さえつけて、動きを封じる。
相手は幸いにも薬とケガのせいで、身体がうまく動かないケガ人だ。疲れたところに、睡魔を呼び起こす魔法をかければ、ひとまずおとなしくさせられる。
本当はそんなことをしたくないけれど、彼の命を救うためにはやむをえない。
ここから町までは結構ある。ミシャにはどうしても、こんな状態のケガ人が町にたどり着けるとは思えない。ケモノに襲われるか、遭難する可能性の方がずっと高いように感じる。
確か、麻酔効果のある草をどこかに置いたはず。
ミシャは青年を押さえつけつつ、部屋の中に視線をめぐらせて。
「は、な……せっ」
その隙をつかれ、振り払われた。
部屋の、ベッドがある方へ転がらされ、壁に身体をうちつけた。
「……ったぁ」
痛む箇所をさすりながら、ミシャは青年の姿を探す。
彼は開けっ放しだった戸口に、その指先をかけていた。
「もうっ、わからずや!」
ミシャは作業台に駆け寄り、無造作に置かれていた草を掴む。次に、緑の魔素が入った小瓶をスカートのポケットから引っ張り出した。小瓶のふたを口で引っこ抜いて、草にまぶした。
強引な手段だが、もう選んでいる時間はない。
ミシャの様子に青年が振り返り、その顔に驚愕の色を浮かべた。
ちょっと待ってくれ、とかいう声が聞こえるけれど、ミシャはあえて無視をして。
「ケガ人はおとなしくベッドで、寝てればいいんです……っ」
寝かしつけたら手足を拘束しよう。治るまで、この小屋から一歩も出さない。徹底的に直してからたたき出してやる。……そんな感情を込めて、ミシャは手の中の草を握り締めた。
後はこれを投げて、魔法を使うだけだ。
「お、おい……マジかよ! この鬼畜! 魔女! 悪魔!」
身体をひねって草を握る右腕を後ろに振り、おろおろする青年に狙いを定め――。
「やれやれ、あなたは子供ですか、リオ」
投げつける前に、聞き覚えがある落ち着いた青年の声がした。強引に腕を止めたのでかすかに身体に痛みが走り、変な体制のままミシャはまた固まってしまう。
もしミシャの記憶が確かなら、今の声は間違いなく……。
「聞き覚えのある、実に情けない声が聞こえると思ったらあなたですか」
呆れが滲む声とため息。枝を踏む乾いた音。
そこには、荷物を抱えてこちらに向かってくる、ネールの姿があった。




