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ランドールの魔女  作者: 若桜モドキ
三章 -魔法撲滅委員会-
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九話 誘拐罪は万死に値します

 カレンは走る。

 すでに夕闇が迫り、薄暗くなりつつある森の中を。目指すのは、事前に兄の話から聞いていた敵のアジトだ。ランドールの近くにある、山のような森のような場所の小屋が、そこだ。

 昔はよく、兄やリオ、ジュジュといった同年代の友人と、遊びに行った思い出の地。そこをねぐらにするなど、まさに万死に値する。決して許すことはできない。

 休憩をかねて足を止め、懐から取り出したのは皮製のグローブだ。

 カレンは、神に捧げる言葉などばかりを、学んだわけではない。魔法式を破壊する特殊な技術を身につけただけでもない。自主的に鍛錬したのだ、主に徒手空拳による戦い方を。

 もちろん、その筋の人間からするとただの護身術程度だろう。

 不埒な男や酔っ払い相手なら、何の苦労もなく沈められる程度の実力。ないよりはマシと言えるだろうが、決して声高に自慢して回れるほどの力はカレンにはまだ備わっていない。

 しかし、頭に血が上った彼女は、ある種の『驕り』に支配されていた。


 そう――魔法など、出る幕はない。


 心の中で、今はそんなことを言っている場合じゃない、という声がする。そんなちっぽけな意地などよりも、大事にするべきことがあると。カレンはそれを、振り払うように走った。

 しばらく走れば、不自然な火の明かりが目に入る。

 一瞬、足を止めて探るという考えがよぎるが、彼女はそのまま走り抜けた。

 勢いのままに、手近なところにいた男の急所へと蹴りを見舞う。その傍らにいて、慌てて立ち上がった男にはみぞおちに。さらに右足を軸に回転し、かかとをぶつけるような回し蹴り。

 ものの数秒で、二人の男は地面に倒れ付す。

 カレンの足元は、かなりゴツいブーツだ。旅用に購入した丈夫なもので、その靴底もそれなりにがっしりとしている。仮に彼女に格闘の心得がなくとも、これで蹴られれば相当痛い。

 ふぅ、と息を吐き出して整え、カレンは身構えた。

 小屋の中からはさらに数人、ぞろぞろと連れ立って出てくる。何らかの理由で出てこなかった者の可能性も考えると、地面に沈む二人を合わせてこの集団は十人前後だろう。


 ――その程度なら、いける。


 身構えたまま、心の中で笑みすらも浮かべる。そして、武器を手に迫る男達を、片っ端から殴り倒し、蹴り倒していった。カレンに驕りがあるように、彼らにも油断があったのだ。

「お前は……町の人間か」

 だが、おそらく頭なのだろう男は、他の者と同じようには動かない。

 冷静に状況を把握して、繰り出される足や拳をよける。

 彼に油断はなかった。そして、カレンの中にある驕りは。

「お前を倒せば、それで何もかも終わるのです……っ」

 男の手下を片付けたという栄養を得て、どうしようもないほど育っていた。負けるわけがないという自信は力になるが、同時にほんの少しで崩れるようなもの。

 にやり、と笑う男の、今までとが違う動きにカレンはついていけなくなる。今までのリズムやペースを乱されていって、ついには腕をつかまれた。それも、利き腕である右の二の腕を。

 間合いが詰まりすぎて、足を振るうこともできないし左の拳はつよくない。もう少し経験があったらまた違った戦いに持ち込めただろうが、カレンにそこまでの力はなかった。

 もっとも、そんなものがあったら、そもそも一人でつっこんでは来なかっただろうが。

「領主の息子とか言いながら、女のガキを連れてきたこの阿呆どもにも呆れたが」

「い……つぅ」

「たった一人で、武器もなしに突っ込んでくる、さらに上の阿呆がいたな」

 男は軽々と少女の細腕をひねり上げ、そのまま地面へと押し倒す。カレンは手足――主に足をばたつかせたりして暴れるが、上から押さえつけられて身動きが取れない。

 そうこうするうちに、彼女が伸したはずの彼の手下が、よろよろと起き上がった。

「なかなか上玉だからな。少し味見をしてから、どこぞの店にでも売るか……」

 笑みで震える声でつづられた言葉に、カレンの全身が震えた。

 女性をそういう道具としてしか扱わない連中がいることも、そういう女性が身を置く店という名の牢獄があることもしっている。そういう店に、少女らを売る非道な連中の存在も。

 しかしすべては、話の中で聞いただけのこと。

 自分の身に降りかかるわけがないと、根拠もなく思っていた世界の話だ。それが急に目の前に大きな口をあけて迫り、カレンを飲み込もうとしていた。

 どうして一人で、ここまで来てしまったのだろう。

 苦笑する兄ネールを思い浮かべ、こみ上げる涙や嗚咽を必死にこらえる。

 そこに。


「――【赤色魔法式】展開」


 賛美歌のような厳かさえ感じる、彼女の声が響いた。



   ○   ○   ○



 ミシャが見たのは、一時期とはいえ住んでいた場所にたむろする男達。そして、彼らに捕らえられて涙を流すカレンの姿だった。押さえつけられ、悔しさと痛みに顔をゆがめている。

 見た瞬間、何かが切れた。

 ミシャ――アルテミシアは、自分を比較的落ち着いた性格だと認識している。

 少なくともそういう振る舞いを心がけているし、少なくともおてんばや、口より先になどと言われるような言動はしていないはずだ。そうあるように、幼いころから努力したのだから。

 憧れの姉弟子を見習い、がんばってきた日々。

 その中には、感情のコントロール鍛錬も含まれていた。

 要するに、俗に言う『一瞬で怒りが沸点に達する』ということがないよう、その感情に任せて魔法式を扱ったりしないよう、感情が高ぶったときこそ落ち着くように訓練したのだ。

 しかし、実際にそうなったら予定通りにはいかない。

「――【赤色魔法式】展開」

 手早く、持参した触媒に手を伸ばす。

 握り締めた手を、相手に向かって突き出した。高ぶって、怒りに支配された感情が魔法という現象を作り上げる数式を、凄まじい速度で組み立てていく感覚がある。

 その――ある種の心地よさに酔うように、ミシャの意識がぐらりと揺れた。

 ユルサナイ。

 そんな声が頭の中で響く。まるで警鐘を鳴らすように。視界の端で白い影が、まるでこいつを狙えと言うかのように踊っていた。右に出て、左に出て、また右に。

 消えては現れ、消える。


 一人では足りない。

 ぜんぶぜんぶ、倒さなきゃ。


 そう思った瞬間に、ミシャはつい笑みを浮かべていた。いつの間にか、笑っていた。

 同時に魔法式が完全に組みあがり、そして展開する。

 うねるような炎が空高く舞い、彼女以外のすべてを飲み込んで闇夜を照らした。にもかかわらずカレンの肌は熱すら感じないし、周囲の木々が燃えることも焦げることすらもない。

 炎はただ風のように彼らの枝葉や髪を揺らし、周囲を照らし。

 男達を飲み込んで、いつまでもうねり、踊り続けた。

「あ……あれ?」

 はた、とミシャが声を発すると同時に、炎は勢いを失う。

 そして周囲に男達を吐き出しながら収束し、消えた。男達は火事にでも巻き込まれたかのように煤けていたが、痛みに身じろいでいるところから命に別状はないようだ。

 何人かは逃げ出そうとするも、追いついた討伐隊に取り押さえられて叶わない。

 小屋の中からは数人の子供や少女や女性が、次々と救出される。少女らは近くの農村から連れてこられたらしく、全員がわが身が救われたことに感謝して泣き崩れていた。

 そして子供達の中には、もちろんハルがいた。

「アルテミシアさん……っ」

「ハル!」

 抱きついてくる身体を、ぎゅうぎゅうと抱きしめる。魔法を使って姿を偽り、ティエリスの身代わりになるなんて無茶をして。……と、怒る予定だったのだが、もうどうでもいい。

 彼女が、妹が、無事ならそれでいい。



   ○   ○   ○



 かくして、誘拐騒動は犯人一味を全員捕らえるという形で終結する。誘拐されていた人々は全員が元の場所へと帰ることができて、一味はすぐさま王都から来た騎士に引き渡された。

 功労者となったミシャは、周囲から褒められるなどしたのだが。

「どうしてかなぁ……」

 一つだけ、釈然としない謎を抱えていた。

 それは捕まったカレンを見た時、作り上げたあの魔法式だ。ミシャは、というよりシェルシュタイン一門は、攻撃に用いる系統の魔法式はあまり使わない。ゆえにミシャも不得意だ。

 不得意な、はずだったのだ。

 攻撃と治癒では、式の作り方がだいぶ異なる。言葉にできない、感覚の部分が。なので魔法使いというものは基本的に、どちらかに特化することが多い。それが一番楽だからだ。

 なのでミシャも、攻撃に使える魔法式は、ほとんど扱わない。

 だが、あの時発動した魔法は、とんでもない力を持っていたようだ。


 ――あれだけの炎を生み出しながらも、狙った存在以外は決して害さない。


 どう考えても普通ではなく、自分に扱えるものとは思えなかった。普通ならば、発動することもできないだろうし、制御することもできなかったはずだ。

 しばらく思案し、ミシャは考えることをやめる。

 きっと、頭に血が上ってしまって、いつもでは考えられない力が出たのだ。

 魔法に限らず、そういう話はよくあることと聞く。

 それにみんな救われた。けが人は多少出てしまったとはいえ、死者が出たわけでもない。犯人一味は最悪極刑だと聞くが、彼らはそれだけのことをしたのだから仕方ないだろう。

 終わりよければ、という言葉を添え、ミシャは自分の中で幕を下ろした。

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