九話 魔法嫌いの町の魔女
現れたリオはミシャのそばまで歩いてきた。
……本当に彼はリオなのか、という思いがミシャの中にある。
そこにいたのは育ちのよさそうな青年で、あのリオとイコールで結べない。恐ろしいほどよく似た他人ではないか、という疑いがぬぐいきれなかった。
だけど声も、引きずる足も、彼がリオだと言うことを伝えてくる。
「ネール、これがさっき届いた」
「これは……」
リオは懐から白い封筒を取り出して、どこか安堵した様子のネールに渡した。
見る見るうちに、ネールに笑みが浮かぶ。
座り込んだミシャの位置からはわからないが、二種類の紋章のハンコが押されている。そのうちの一つは、どこかで見たような形をしているように思った。
だがそれを確かめる前に、封筒はミシャの位置から見えないところにいってしまった。
次にリオは上を見た。
突然の乱入者に唖然としている、領主を。
「リオ、お前は今までどこにいたのだ! 昨日は帰ってこないし、心配したのだぞ!」
「どこも何も、彼女の家ですよ父上。山の中でケガをし倒れていたのを、たった今、あなたが処刑しようとしたこの『魔女』に救われただけの話です。まぁ、昨日は教会にいましたが」
領主――父親の言葉に、さらりと答えてみせるリオ。
これには周囲も驚いたのか、リオとミシャを交互に見る視線をいくつも感じた。
ふと、ミシャは以前聞かされた『魔女のイメージ』を思い出す。とにかく悪そのものといったイメージから、リオが語ったミシャ――魔女の行為は、とてもじゃないが繋がらない。
もしかしたら悪い人じゃないの、という雰囲気がかすかに漂い始めた。
追い討ちをかけたのは、手紙を読んでいたネールの言葉だった。
「ここにはメルフェニカ王族の紋章と、シェルシュタインという魔法使いの一門の紋章が並んで押されている。これは、両者が深い関係にあることを意味しています」
懐から懐中時計を取り出すネール。ミシャが師からもらった、例の懐中時計だ。どうやら彼が持っていてくれたらしい。捨てられた可能性も考えたミシャの視界が、少し潤んだ。
「これは彼女の持ち物で、一門の紋章があります」
「だが、時計など何の証拠にもなるまい」
「そうです。しかしシェルシュタイン一門に連絡を取るに値する理由にはなる。そちらの紋章が刻まれた懐中時計を持つ魔女が、このランドール領にいるがどういうことだ……とね」
次にネールは封筒を掲げる。
そこには差出人の名前がきれいな文字で、流れるように綴られていた。
「手紙の差出人はミレアナ・シェルシュタイン。メルフェニカの宮廷魔女を務めていらっしゃる彼女が、このアルテミシア・シェルシュタインの後見人になるそうです」
ミレアナ、という名前にミシャは目を見開いた。それはミシャの憧れの姉弟子。オチコボレの妹弟子を引き取るとまで言ってくれた、やさしい魔女の名前。
聞けば、ネールはミシャの名前を聞いてから、知り合いに手紙を送ったそうだ。その知り合いは現在王都の、王城内にある教会にいて、宮廷魔法師や宮廷魔女ともよく話すのだという。
その知り合いを通じてミレアナに連絡を取って、手紙を送ってもらったのだ。
シェルシュタインの名前を持つ魔女が、よりにもよってランドールにいますよ――と。
リオはネールから手紙を受け取り、それを持って両親のもとへ向かう。すぐに戻っていく彼の背後で、領主は妻を呼び、夫妻で手渡された手紙の文面を読み進めていく。
だんだんとその表情がこわばってきたのが、ミシャにはわかった。
リオはどこからか取り出したナイフで、ミシャの手首を戒める縄を切る。こすれて赤くなった手首を、ミシャは何度かさすった。幸いにも赤くなっているだけで、ケガはないようだ。
「まったく、もっと早く登場してほしいものです」
「肝心の手紙が届かなかったんだよ」
いつも通りの口調に戻り、リオは腕を組んだ。
どうやらこの粗暴で口の悪い方が、本来のリオの姿らしい。
最後にリオは、手紙を手に顔を見合わせている両親に向かって、そして集まった住民一人一人に言い聞かせるように、大きな声で言った。静かな室内にその言葉はよく響いた。
「まさか宮廷魔女と戦うなどと、ふざけたことを言うつもりではありませんよね」
宮廷魔女とは、時に国の代表として他国に出向く要人だ。
それに楯突くということは、つまりこの国そのものに楯突くにも等しい。領主は息子の言葉に無言で返事をし、人々は唖然としたまま、騒ぎは収束へと向かっていった。
○ ○ ○
――その夜。
「今日は教会にお泊りですか……」
「ええ。前に使った部屋を、そのまま使ってください」
ミシャはネールにつれられて、教会に戻っていた。外はもう真っ暗で、小屋に戻るのは危ないと言う判断からだ。服などの荷物も無事に返してもらえて、何とか一安心という感じだ。
今は少し遅めの夕食をとっているところ。
「それにしても、まさかリオさんが領主様の息子だなんて思わなかったです」
「乱暴ですからね、リオは」
「……わるかったな、らしくなくて」
「っていうか、お家に帰らなくてもいいんですか?」
「いいんだよ」
どうせ今頃大騒ぎだ、とスープを酒のように煽るリオ。格好はまだ整ったままだが、口調やしぐさは完全に崩れていた。黙っていれば、という思いがミシャの中に浮かぶ。
食事の内容はかなり質素というか、シンプルだ。
いろんな野菜をじっくり煮込んだスープに、近くの川で取れた魚を焼いたもの。魚はハーブとバターのよい香りがして、火で軽くあぶったパンとの相性がいい。
ちなみにリオは酒――葡萄酒を要求したが、ネールの冷たい笑顔の前に却下された。
「まぁ、何とか第一関門は突破、というところですね」
「火あぶりだけは回避できたしな」
「前途多難ですよね」
何とか火あぶりと追放だけは回避したが、課題はまだ残る。
住民の中にある魔法への不信感はすさまじい。ミシャは初日以上に、今日、それを痛感したところだ。シェルシュタイン一門と姉弟子の威光で、ひとまず何とかなっただけなのだ。
これからミシャは、町に家を貸してもらうことになっている。
そして、ここで暮らしていく。
できれば庭が広いところがいいという注文は、どの程度叶えられるだろう。ハーブ類は自宅栽培した方がいいので、できれば畑を作るスペースがほしいのだ。
「でもお前、どうするんだよこれから」
「そうですね……できれば魔法で、人の役に立ちたいです」
「つまり人助けをしたい、ということですか」
ネールはパンをちぎりつつ呟く。
「教会にはそういう、困った相談事と言うのが舞い込むのですが、それに魔法などで対処するというのはどうですか? まぁ、大半が魔法を使うまでもないものばかりですが」
「酒場なんかにもそういうのがあるよな。あっちは冒険者みたいなの向けの、結構荒っぽいのがほとんどだって聞くけど。最近やってくれるやつがいないって嘆いてたぜ」
「荒っぽいのはちょっと……」
ミシャは答えつつ、そういう場所があることに感謝していた。
そういう依頼だったら、自分でも何かできるものがあるかもしれない。
魔女が町のためにがんばったら、少しは魔法へのイメージが変わるだろうか。ほんの少しでもいいから、魔法使いだからと追い回されたりするようなことが減ってくれるだろうか。
自分のようなオチコボレでも、何かの役に立てるなら――。
「わたし……魔女になります」
「もう魔女じゃねぇか」
「違います。今はシェルシュタインの魔女です。だからわたしは、助かったんですけど」
だけどそれはミシャが認められたからじゃない。
魔女が、魔法が認められたわけでもない。
ただ、各国の要人と通じるシェルシュタイン一門への畏怖、恐怖がそうさせただけ。シェルシュタインの名を持つ魔女を火あぶりになどすれば、どんなことになるかわからないから。
「だからわたし、魔女になるんです」
アルテミシアという魔女になりたい。
シェルシュタインという、家名に頼らない魔女に。
魔法嫌いの町にいることを許された、そんな風変わりな魔女に、なりたい。
それがミシャの、アルテミシアの願いになった。




