5-1 追い風トラベラー
× × ×
一七九四年。六月某日。
晴れて卒業を果たした僕は、新大陸の東海岸を訪れていた。
港湾都市ニューブルームホルフ。
先日、独立戦争の趨勢を決した攻防戦が行われたばかりの港町だ。
赤レンガの街並みは紅白の小旗に彩られていた。戦勝祝いの「お祭りムード」が各街区に染み込んでいる。
路地裏には放置された戦傷者の姿も見受けられるが。
「ここで伯爵にクイズで~す! どうしてニューブルームホルフという地名なのでしょうか~」
「ブルームホルフ在住の低地商人が新しく作った街だからでしょ」
「正解! さすがは座学の鬼ぃ!」
道案内を務めてくれる『眠り姫』がケラケラと笑う。ちなみに弟のほうだ。すっかり女装が板についている。
今日ここに来たのは彼らの店に向かうためだ。
すなわちジャン・ド・ファニョン、十九歳の初出勤である。
我ながら胸に来るものがあった。
前世を含め、ようやく学生から大人になれたのだから。
「あの角を曲がったところで~す」
「オスカル殿。部外者のワシが言うのも何じゃが、もう姉のふりはせんでも良いのではないか?」
「姉から生きた広告塔になれって言われてます」
「苦労しとるのう」
マケル老人が『眠り姫』の背中をポンポンと叩く。
そうしているうちに目的地が見えてきた。
大通りに面した店には杖型の看板が出ている。
「カミンスキ姉弟社へようこそ~!」
姉のほうが出迎えてくれた。
今日は飛行用の作業服姿だ。
お姫様のような可憐な容姿には不釣り合いだが、スカートのまま空を飛ぶわけにもいかない。
デニム生地のオーバーオールは鳥にぶつかっても破れないことで知られる。全魔法使いの必需品だ。
僕は就職先の社長である彼女に頭を下げる。
「本日よりお世話になります。よろしくお願いします」
「伯爵ったら他人行儀なんだからぁ。ウチらはビジネスパートナーじゃん」
どうやら僕は社員扱いではないらしい。
外注先になるのだろうか。何となく寂しい気分だ。
対外的な契約などは全部ジーナに任せているから、自分ではよくわかっていない。
飛行魔法の飛び込み営業(?)に出向くというシルヴィアを見送り、僕たちは店の中に入らせてもらう。
姉弟社の内部は開店祝いの品で埋め尽くされていた。
花輪、調度品、酒類の木箱、瓶詰など。
わずかな空白に作業机が設置され、気難しそうな中年男性が一生懸命に帳面を付けている。
「こんにちは。今日からお世話になります。ジャン・ド・ファニョンです」
「……おお。あなたがファニョン様でしたか。私はマリナートと申します。先代からこの店の事務長を任されております」
マリナート氏は双子の実家にあたる商家から派遣された人物だった。
実質的に姉弟社を取り仕切る存在となるだろう。
仲良くしておきたい。僕たちは握手を交わした。
「さっそくですが。ファニョン様にお任せしたい件があります」
マリナート氏は机の中から手紙を取り出す。
封筒に紅色の封蝋の跡が見えた。
僕は本格的な雰囲気に胸の高鳴りを覚える。
「どういった内容ですか?」
「帆船の運航補助ですな」
風使いだった。
僕は思わず肩を落とす。
やりたくないことをやるのも仕事とはいえ。また大西洋の荒波に揺られる日々が訪れるのか。思い出すだけで吐きそうだ。耐えられそうにない。
せめて近海の航路であれば短期間で済むのだが。
一縷の望みをかけ、僕はマリナート氏に行き先を訊ねる。
「僕としてはカリブ海だと都合が良いのですが」
「行き先はバストン連合王国の首都シティ・オブ・ブリスレンです。依頼主はS&A商会。積荷は外交使節ですな」
「外交使節?」
「ええ。ニューバストン新政府の。この度は晴れて独立を果たしましたから、旧宗主国と仲直りの場を設けるそうで」
仲直りの場とは講和会議を指す。
正式に戦争を終わらせるための話し合いだ。
大西洋往復は苦難に満ちた仕事だが。歴史的な会議に立ち会えるなら話は変わってくる。
僕の初仕事が、異世界の歴史の一部になるわけだ。
俄然、テンションが上がるというもの。
「一つよろしいですか」
傍らに居たジーナが手のひらを見せてくる。
マリナート氏は小さくうなづいた。
「お手洗いなら奥にありますぞ」
「そうではなくて。そのような大仕事が、先月出来たばかりの、ともすれば金持ちの娘と息子が道楽で始めたようにも見えてしまう会社に回ってきた理由をお訊ねしたいのです」
「なかなか辛辣な女性ですな」
「あたしはジャン様の身の回りの世話を任された身ですから。危険な仕事には許可を出せません」
「あらゆる仕事にはリスクがありましょう」
中年男性は穏やかに渋面する。
彼もまたカミンスキ家の本家から可愛い子供たちを託された身の上だ。出来れば姉弟を危険に晒したくないのだろう。
その上で「歴史的な大仕事を勝ち取りたい」という商売人の野心も窺える。
これはお互い様だ。
マリナート氏は羽根ペンを机に置く。
「ここだけの話にしていただきたいのですが。先日の戦いでアンジー王女が自決されたでしょう。あの件でバストンの女王がえらくお怒りらしいのです。噂では娘の仇討ちを海賊どもに命じたそうで」
「外交使節を殺したらまた戦争になるじゃないの」
「女王は旧植民地との和平を渋々認めましたが、内心ではやる気まんまんなのでしょうな」
「綸言汗の如し。一度決めたことを勝手にひっくり返されると家臣たちが大変ね」
ジーナが訳知り顔でため息をつく。
君の主君は従者の顔色を見ているつもりなのだが。一応、心に留めておこう。慢心はいけない。
彼女の言葉に思うところがあるらしいマリナート氏は、強くうなづきつつ話を続ける。
「当然、新政府としては外交使節を守らねばなりません。そこで我々にお鉢が回ってきました」
「他にも魔法使いは居るでしょう?」
「時期が悪いと断られたそうで」
誰も死地には赴きたくないようだ。
僕は四年前に私掠船に追いかけられた時を思い出す。あれを繰り返すのはキツい。
何より相手方にも風使いがいたら、大西洋上でいたちごっこになってしまう。
その時は彼我の魔力量が勝敗を決するはずだ。
僕は仕事上で一番大切なことを確認しておく。
「マリナートさん。僕の燃料はどうなります?」
「船を動かすS&A商会が供給してくださいます。あそこは有名な穀物商です。たしか魔法学校にも芋や小麦を納入していたかと」
「食事の品質には期待できそうですね」
魔法使いの仕事には二種類ある。
雇い主が魔法の使用に必要な栄養を供給してくれる仕事と、依頼料の金額内で賄うように指示される仕事だ。
無論。前者のほうがやりやすい。
百人前のジャガイモを市場で仕入れ、借家まで持って帰るのは骨が折れる。
こちらの反応を好意的に受け止められたらしい。
マリナート氏は机から立ち上がり、再び握手を求めてきた。
「やっていただけますか!」
「交渉は彼女に任せます。あとはよろしくね、ジーナ」
僕は彼女の強張った肩を揉みほぐし、店の外に出る。
店先の道路ではマケル老人とカミンスキ家の弟のほうが蹴鞠に興じていた。
両者共になかなかの脚前、もとい腕前だ。
ちなみに異世界の蹴鞠は古代日本のものとは異なり、右足のリフティングの技術を競う遊びではない。例えるならサッカー・バレーボールに近い印象を受ける。
僕も参加させてもらおうとしたら、追いかけてきたジーナに右肩を掴まれてしまった。
「確認ですけど。ジャン様、本当にまた船に乗るつもりなの? バストンの私掠船に追いかけられるのに? 正気?」
「大丈夫。いざとなれば火魔法で海賊船の帆を炎上させるから」
「あれはそんなに遠くのものは燃やせないでしょうが。今回の話がジャン様の命を張るほどの価値がある仕事だとはとても……えっ。まさか」
彼女の掴む力が強くなる。
振り返ると、珍しく焦った様子だった。色づきの良い唇をピクピクさせている。何なんだ。
「どうしたのジーナ」
「バストンに行けば、一年生の時に好きだったあの子と再会できるかも、とか考えてませんよね」
「ごめん。全く頭に無かったけど。たしかにクレアと会えるかもね」
クレア・マングスター。
彼女が本懐を遂げていなければ、おそらく連絡を取ることは可能だろう。
少なくとも『マングスター伯が娘に殺された』という新聞の見出しは、僕の在学中に見られなかった。
今、彼女はどこで何を思うのか。
ジーナは店の外壁にもたれかかり、両手で顔を抑える。
「やだーっ! もう船に乗りたくない! またガリガリになっちゃう!」
「ジーナは居残りでもいいよ」
「そのつもりでしたけど、そうもいかないじゃないの! この、こう、クソがぁ!」
彼女は涙を拭うと、店内の交渉の席に戻っていった。
言葉遣いを咎めるつもりはないが、あそこまで取り乱した彼女を久しぶりに見た気がする。普段なら経典の成句を引き合いにして、理詰めで窘めてくるはずだ。古代の賢臣の如く。
「伯爵さ~」「ジャン様」
双子の弟とマケル老人が近寄ってきた。
一部始終を見ていたらしい。やけにニヤニヤしている。
「もう学校出たんだしぃ。ジーナさんのことを考えてあげなよ?」
「身分の差があるのはわかるんじゃが、手元に置いておくには相応の理由付けが要ると思いますのう」
二人とも悩ましいことを言ってくれる。
ジーナは今年で二十四歳になる。いい加減、主君として才女に相応しい嫁ぎ先を用意するか、別の手を考えなければならない。
ジャン様の自由にすれば良いんですよ。彼女はいつもそう言うが。僕は彼女を自由にはできそうにない。




