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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第四章 自由への飛翔(3)

 牢の鉄格子扉を魔法で開ける必要もない。

 再度石床に手をつくだけで、シルフィナの姿は牢から消えた。

 そして、消えたのはシルフィナだけではない。鉄柵の牢のすべてから、人の姿は、一瞬にして丸々消えうせた。

 その消えうせた当人達も唖然としている。気が付けば、既に自分達が城門前の大通りの、大きな十字路の真ん中に座り込んでいたのだから、無理もない。

「できるだけ遠くに逃げておいてください」

 服の袖で口元を隠しながら立ち上がったシルフィナが言う。瞬間移動の反動か、彼女の周りには土埃が舞っており、他の者達からは、それを吸い込まないように口を守っている様子に見える。

「あ、ありがとうございます」

 皆、その言葉に我に返り、通りを走って去って行く。老人や子供達も、大人や若者達に手を引かれ、導かれて去った。

 都の通りは広く、煌びやかに白い。建ち並ぶ商店はどれもお洒落で、ほぼ夏の日差しに照らされて、キラキラと輝いているようだった。

 王城の中の混乱とは裏腹に、街は平和だ。その平和を乱すつもりには、シルフィナもなれなかった。

 城門を振りかえる。門の両脇で、太い矛槍を持った兵士が、いつもと変わらず門を守っている。シルフィナは、大股で、その間に歩を進めた。

 門番達は、シルフィナの姿に最初から気付いていたが、門を守る警備の姿勢のまま、実のところ、状況が読み込めずに硬直していた。だが、シルフィナが近づいてくると正気を取り戻したように矛槍と交差させて、シルフィナが城門を抜けるのを防ごうとした。

 門の上にも見張りはいる。どうやら、そこまでレイ王子の恐怖支配は既に及んでいるようだった。

「ま、魔導師シルフィナが、脱走した!」

 門の向こう側に向かって、増援を求める叫びをあげている。何人いても無駄なことは分かっているだろうに、城の警備も命懸けだな、くらいにしか、シルフィナは思わなかった。

「国の大事です。通らせてもらいます」

 口元を隠していた腕をおろし、左右の門番を睨む。ゆっくりとした口調で告げたシルフィナの口元は、どす黒く変色していた。王家への、反逆の色だ。紫の髪、虹の瞳、黒の唇。眠れる恐怖が目覚めたかのようなその姿を見て、門番の兵二人は、相手が子供であるということも忘れて、恐怖した。

「わ、私は何も見ていない」

 左の兵が、矛槍を立てる。

「じ、自分もです」

 右の兵も同じだった。

 シルフィナは礼も言わず、門番の間を抜けた。ぱちぱちと空気が爆ぜる音がしていて、それを聞いた門番の一人が、

「ヒェッ」

 と、喉の奥で悲鳴を上げた。

 平和で幸せそうな街並みに背を向け、シルフィナは、地獄のような混乱状態であろう王城に再び入っていく。彼女が王家に忠誠を誓い、唇の化粧による罪人のルールに大人しく従うつもりであったのも、彼女が望む平和で美しい国を、王家が見せてくれるという前提のことだ。それを王家の者自らが壊すというのであれば、そんな王家はいらないし、大人しくルールに従う理由もない。

 前庭を進むシルフィナの周囲に、城の兵が集まってくる。門の上にいた見張りが増援を呼んだのだから当然だ。自分を取り囲んだ兵士達を見て、それでもシルフィナは足を止めなかった。

 前方の兵士が、果敢にも槍を目の前に突き付けてくる。

「レイ様より、万が一の場合、捕縛せよと命令を受けている。大人しく牢に戻れ」

 警告を発したその兵を、

「レイの手先と判断しました」

 冷淡なまでに冷静に告げ、片手から放った光弾で、シルフィナは弾き飛ばした。兵は城壁に沿って植えられた広葉樹のうちの一本まで遥かに飛んで行って当たり、崩れ落ちた。

 周囲の兵にも、警告を発する。

「大人しく通すなら攻撃は加えません。邪魔をするならレイの手先と解釈します」

 彼女は、王子の一人、レイの名前を呼び捨てた。それはつまり、紫髪虹瞳の魔導師が、レイは王子として相応しくないと見限った、と表明しているのと、同じ意味を持っていた。

 王城を守る軍とはいえ、一般の兵士が、本気で攻めてきた紫髪虹瞳の魔導師を止められる訳がない。それは兵士達も、皆、分かっていることだった。さらに、牢に入っている筈のシルフィナが、わざわざ城外に出てから攻め入ってくることなどある筈がないという慢心もあった。

「ど、どうぞ」

 早々に、兵達は戦いを放棄した。こんなことの為に、城の兵をやっている訳ではなかった筈だと、我に返ったようでもあった。

「ありがとうございます。お互いに、気持ちがいいものでは、ないですからね」

 シルフィナは、安堵したようににっこりと笑う。黒く染まった、禍々しくも見える唇の化粧とは裏腹に、その笑顔は温和だった。

「あの」

 兵の一人がおずおずと聞く。

「安心してください。わたしはレイだけに失望しました。陛下のことは敬愛申し上げていますし、この国は、好きです」

 兵士達の不安を察し、シルフィナは、国を滅ぼしたい訳ではないと、明言した。それを聞いた兵士は、集まってきた兵士達の隊長格であったらしく、

「皆、通常警備に戻れ。魔導師様の邪魔をするな」

 レイの命令を無視することを部下達に示した。周囲の兵が、波が引くように下がっていく。シルフィナは、外殻の石畳の道を、進んだ。

 そのあとは、居館に着くまで、妨害は入らなかった。中には城壁や防御塔の上から弓で狙っている兵はいたが、シルフィナは無視した。結局、矢は飛んでこなかった。

 居館の前に立ち、両開きの扉を乱暴に開ける。城の玄関ホールには、レイに媚びを売った貴族達が談笑していたが、彼等はシルフィナが大きな音を鳴らしてドアを開け、ホールに侵入してくるのを見て、

「く、黒だぁっ!」

 一人が叫んだのを合図にして、蜘蛛の子を散らすように逃げ出しはじめた。中には逃げ遅れた者もいたが、

「こ、この世の終わりだぁ」

 柱の影で頭を抱えてしゃがみ込み、ガタガタと震えるばかりであった。どうせ貴族達には興味もないし、そんな羽虫を、ぶちぶちといちいち潰したところで意味もない。シルフィナは、そんな貴族たちを放置した。

 当然、兵士達が集まってくる。居館内の警備兵は外の者達よりも軍の中では位が高い。

「何事だ!」

 鎧も上等で、簡単には退くことのない精鋭揃いであった。剣と盾を持つ者、長槍を携える者、上階から弓で威嚇する者。兵士達の装備は、まちまちだった。

「ま、魔導師シルフィナ様」

「王に反逆されるのか」

 彼等はシルフィナの行動に面食らったようだった。彼等の多くは、レイの暴走を快く思っている訳ではない。だが、コッドやロゼア、それに何より国王マグドーへの忠誠を捨て、シルフィナが反逆するとは信じていなかったのだ。

「レイを連れて来なさい、ここへ」

 まるで自分が女王であるかのように、シルフィナが命令口調で告げる。兵士の一人が、

「直ちに」

 そう言って、奥へと駆けて行った。その行動が、この国の本当の支配者が何者であるかを、物語っていた。それも当然だ。何しろ、紫髪虹瞳の魔導師がいる時代であれば、国の未来は、その人物の胸三寸であるのだから。或いはシルフィナがそう考えなくても、人食い竜エルカールのような本物の化け物の気まぐれで滅ぶ国なのかもしれないが、それはシルフィナにもどうにもならない、まったく別の話であった。人間の国など、脆いものだ。

「ええい、役立たず共め」

 ホールの奥の階段の上に、レイがエリオルを連れて現れる。その後に続き、コッドとデュードも姿を見せた。レイは階段を降りて来ず、二階から身を乗り出してシルフィナを見下ろした。

「おお、見違えましたね。随分化け物らしくなったじゃありませんか」

 レイが、シルフィナの唇が黒いのを見て、さぞ愉快そうに腹の底から歪んだ笑い声をあげる。シルフィナはそんなレイを無視して、コッドの顔を見上げた。

「レイを王族から排除指定します。異論は認めません」

 そう、シルフィナが宣言すると、

「畏まりました」

 まるで、臣下のように、コッドが頷く。

「今は答えられない父国王の代理として、承ります」

 そのやり取りは、宣誓通りであれば逆の立場である筈で。レイは笑うのをやめ真顔に戻り、何も知らないらしいデュードも、驚いた顔を見せた。

「お前にそんな権利があるものか。お前は罪人だろう。鏡を見ろ。その真っ黒な口元を」

 レイが喚く。

 コッドが、大きな嘆息を漏らした。


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