第四章 自由への飛翔(4)
もう一度、コッドがため息を吐く。
「お前は何も知らない。いや、教えられたはずだが、お前、家庭教師の授業を、聞いていなかったな」
と、レイを睨んだ。
「我々王家は紫髪虹瞳の魔導師を服従させることができている訳ではない。従ってもらっている立場なのだ。常に主導権は紫髪虹瞳の魔導師にあるんだ。ちゃんと授業を聞いていれば、そう、覚えた筈だ」
「……は?」
レイの声は間抜けで。だが、考えてみれば分かる筈のことでもあった。
「考えてもみろ。罪人扱いされて、紫髪虹瞳の魔導師が困ることがあるか? 紫髪虹瞳の魔導師は国ひとつ簡単に滅ぼせるレベルの人間だ。罪人扱いする国を消し飛ばしてしまえば罪なんか帳消しだ。裁く国がなくなるんだからな。どうして唇の化粧ひとつで、王国が縛れるのだ。かの魔導師の魔法ひとつ、止めることなどできやしないのに。常にネリーメア王国は、シルフィナの掌の上なんだよ。あの唇の青は、そんなことはしないと、わざわざ向こうが謙って誓ってくれていた証だったんだ。つまり、お前は王国を滅びへと誘う、破滅のキーを回したのだ。王家を追い出されて当然のことだとは思わないか? 命を差し出せと言われないだけ、温情だと思え」
冷静なコッドの語る言葉に、狼狽えた様子を見せたレイだったが、
「でも、今までどんな命令にも、屈辱的な命令にも、あいつは従っていたじゃないですか」
そう言って、反論した。その言葉にも、コッドは呆れたようにかぶりを振った。
「そうしないと国民が安心できないだろ。振りだけじゃ意味がないんだよ。紫髪虹瞳の魔導師がそのルールはちゃんと守るって分かっているから、皆安心できたんだ。彼女はそれを知っていただけだよ。そして、それには当然条件がある。それは、私達王家の人間が、国とその民の平和を維持し、国と民をちゃんと守ること。お前はそれをないがしろにした。だから彼女は茶番から降りた。それだけのことだ。全部お前がひっくり返した杯だ。零したミルクの責任は自分で取れ。王家は、お前を擁護しない。王国の市民権も剥奪しよう。後で手続きをしておいてやる。お前こそ、国に背いた罪人になるんだ。裁くのは、彼女、紫髪虹瞳の魔導師シルフィナだ。紫髪虹瞳の魔導師様に、直々に裁いてもらえるなんて、光栄だな。喜べ」
平和と平穏を尊ぶがゆえに。人々を不安にさせるくらいなら、己が王家に平服してもいい。それが紫髪虹瞳の魔導師だ。そして、幼いシルフィナに国王自ら会いに来て、直々に魔導師の師を紹介した理由でもある。
もしシルフィナがそういう人間だと国王が認めていなかったら、そもそもネリーメア王国内で、魔法を修めることもなかったのだ。正しい心を持った幼子に、正しさを教えられる師をつけることで、立派な紫髪虹瞳の魔導師に育ってもらう為に。それが国の安全の為なのだから。
「そんな……じゃあ、僕は、どうなるのです。いや、まだだ。まだ。ファリアスがいる。そうだ。僕にはまだ竜の力があります。さあファリアス。あれはぼくに反逆する罪人だ。あいつを討伐しろ。殺せ、殺すんだ」
レイの最後の手段で、それ以外に信頼できると思っている手駒はない。彼はエリオルに命じ、シルフィナにけしかけた。ファリアスと呼ばれたエリオルは翼を広げ、ホールの中を滑空する。そして、シルフィナに突撃した。まるでシルフィナのことを忘れてしまったかのように、躊躇なく、一直線に、エリオルは飛んだ。
シルフィナは迎撃しなかった。エリオルがシルフィナの肩を掴み、持ち上げる。竜の雛は、シルフィナの手によって開け放たれたままのホールの扉を抜け、前庭へと、シルフィナを抱えて出た。
「そうだ、そのまま殺してしまえ。僕の勝ちだ。紫髪虹瞳の魔導師がなんだ。竜の力には手も足も出ないじゃないか」
笑いながら、レイは追いかけてきた。ゆっくりと歩きながら。外に出ると、彼は片手を上げ、城壁や防御塔の上にいる兵士達に、合図を送った。
兵士達は困惑し、すぐには指示に従わない。レイは舌打ちし、
「竜に食われたいか!」
兵士達を脅した。兵士達も命は惜しい。その脅しの効果は覿面で、弓矢を番え、エリオルに圧し掛かられているシルフィナを狙った。
レイは、すぐには射れ、の合図は送らなかった。また悪い癖のようなものが出た。勝ち誇ったように身を仰け反らせて笑い、
「見ろ、皆口で何を言っても結局、僕が操る竜の力にはひれ伏すしかないんだ。軍も、王家も、紫髪虹瞳の魔導師も、これだけの竜の力には、いいようにやられるしかないんだ。そうです。僕が王になるんだ。ネリーメアの民の権利がないというのなら、僕が新しい国を建てましょう。マグドーも、コッドも、ロゼアもいらない。追放しましょう」
満足げに、エリオルを眺める。彼は、一旦、命令を変えた。
「戻って来い、ファリアス」
エリオルは、その指示にも、反抗することなく従う。前庭に倒れたシルフィナを残し、レイの隣に戻った。
シルフィナは、気絶していなかった。服の汚れを払いながら、立ち上がる。派手に前提に引きずり出された割に、彼女の体には外傷ひとつなかった。
「終わりです、紫髪虹瞳の魔導師さま。まあ、そうですね。平伏して赦しを乞うなら、殺さずに、僕の新しい王国で、使ってあげないでもないです。二度と、僕と僕のファリアスに逆らわないと、改めて誓うのであれば」
シルフィナに対し、数多くの矢が狙いをつけている。自分が命令ひとつ下すだけで、兵士達が矢を放ち、流石に紫髪虹瞳の魔導師といえど、すべてに対処することはできないだろう。レイは、自分の勝利は揺らがないものと、確信していた。
「お前は何も分かっていない」
そんな彼に、居館の入口の上、二階にあるバルコニーから、呆れかえった声が降ってきた。手摺りから身を乗り出して見下ろしているのは、ロゼアだった。
「ロゼアに同意見というのは癪な話だが、まったくその通りだな」
ホールの玄関口に、コッドも出てくる。彼が自嘲気味に笑ってロゼアを見上げると、
「兵士達、良く聞け。この状況でも、お前達が矢を射れば、死ぬのはお前達だ。相手は国を滅ぼすレベルの魔導師だぞ? この程度の数が全滅させられないとでも、思っているのか? 私は無駄死にすることは、許さんぞ?」
兵士達に声を掛けるが、兵士達は、皆、レイが連れている竜に怯えていた。弓矢を下ろす者は、いなかった。
「馬鹿共が」
ロゼアは吐き捨て、シルフィナを見た。
「魔導師シルフィナ、好きなようにしてくださって結構だ。話にならん連中は私もいらん」
鎧を着込み、剣を携えている女性らしい言葉だ。ロダルーシュでも軍砦にいた。王子王女の中で、国王マグドーに代わり、軍事面を束ねているのがロゼアなのだ。
「煩い。兵士諸君。その」
レイが、兵士達に、自分の姉である王女を殺せと命令しようとする。隣にいるエリオルの肩あたりを、ポンポンと軽く叩きながら。完全に、脅しだ。だが、レイは、兵士への命令を言い終わることはできなかった。
その瞬間、彼の視線は、シルフィナから外れたからだ。
愚かなことだ。
もしくは、戦闘に関して、彼が素人であることが露呈した瞬間だったのかもしれない。ある程度の経験があれば、今自分にとって最も危険な存在から視線を外すなどという馬鹿な真似はしなかっただろう。
レイの体が、弾かれて飛ぶ。もんどりうって倒れた彼の体は、三度、地面で跳ねた。
視線がはずれて、一瞬後のことだった。その僅かな時間だけで、紫髪虹瞳の魔導師には、十分だった。
シルフィナの片手がレイに向けられている。その掌から放たれた光弾が、レイを射抜いたのだった。
「馬鹿な奴だ」
ロゼアも、呆れかえっていた。
「剣の修業も真面目に受けていなかったか」
コッドもまた、ロゼアに同意した。護身術として、王家では剣の修業を受けさせられる。もともと才能があったロゼアは当然ながら、コッドも、一応、ロゼア程でないにしろ、使える。その差を埋めるためにエリオルの力を欲したこともあったが、実際のところ、今はその気がなくなっていた。常人では扱いきれない。レイが連れているのを見ていて、そう思うようになった。
「く、そ」
苦悶の声のように吐き捨て、レイが起き上がる。外傷は僅かだ。擦り傷はできたが、どれもたいした傷ではなかった。
額が痛んだのだろう。額を指でおさえ、指先にぬるりという感触を覚えたらしく、自分の指先を見た。
「血だ。ああ、血が出た。お前、お前。よくもやったな」
ふらつきながら、エリオルの隣に並び。
「もういい! ファリアス、あいつを、今度こそ、殺せ!」
腹の底から、叫んだ。エリオルが、動く。
打たれたのは、シルフィナではなかった。




