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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第一章 雛竜の名前(2)

「なんで、わたしを治したんですか」

 シルフィナのその問いに、エルカールは答えなかった。じっとシルフィナの姿を見つめ、しばらくののち、独り言ちるように、

「うむ。まことに、聡明な娘だ」

 答えにならない言葉を吐いた。

「死への恐怖を認めつつ、なおも、自分の境遇に疑問を抱く冷静さは失わぬ。悪くない」

 勝手に評価を下す。当然のことではあったが、シルフィナには意味も理解できず、また、不快なだけの言葉であった。

「なんですか。いきなり」

 シルフィナはまだ年端もいかない少女であるが、一人前の魔導師のつもりである。

 確かに今は、エルカールに挑むも、力及ばず敗れ、手足を広げた無様な姿を晒して宙吊りにされる屈辱を享受させられている身でもある。にしても、竜から一方的な評定を受ける程には、落ちぶれたとは思っていなかった。

「負けん気もある。一度の敗北で服従を示さぬだけの。それとも、惨めな自分の姿を、受け入れられないだけか。悪く言えば、敗け方を心得ておらぬ、という話でもあるのだが」

 エルカールの言葉に、

「それは」

 シルフィナの顔色がさっと悪くなる。彼女は一人前の魔導師で、つまり一人前になる前があったということであり、教えを請うた師もいたということだ。その師に、まったく同じ危惧の評価を受けたことがあった。負け方を教えてやることができなかった、それは師から聞かされた謝罪の言葉でもあった。シルフィナは生まれながらに卓越した才能を持った魔導師で、それが顕著に外見にも出ているほどで、見習い修行中、魔法勝負で師にも一度も負けたことがなかった。

「敗北を喫した時は、己の無力を認めて潔く負けろ。でなければ、命に関わる」

 命を奪いに来た少女に。完膚なきまでに叩きのめした竜が。彼女の師も教えられなかったものを、教えとして語るのだ。

「わたしは……」

 それは、自分が呆気なく敗北したことよりも、ずっと重い衝撃だった。シルフィナは、反論することも忘れ、エルカールの顔を見上げ、重苦しく呼吸を荒げた。

「だって、わたしは、敗けたことが、なかったんですからっ」

「責めている訳ではない。それも持って生まれた才覚というものだ。無敗を貫くも宿命だ」

 エルカールは頷く。

「ただお前の宿命はそうではなかったというだけのことだ。俺はお前を弱いとは笑わぬ」

 自分の命を狙った少女に対し、竜はただ、勝敗にはさほどの意味はないという態度を保った。勝者の余裕と言ってしまえばそれまでだが、少なくともエルカールには、シルフィナに対する憎悪はなかった。彼の口調は、まさに教えを授ける先人の戒めのようだった。

「だが、責めるとすれば、お前には、一言必要な相手がいる筈だ。自分が敗れた時の状況を、もう一度冷静に思い出してみるが良い」

 と、説いた。

 シルフィナも、自分がどう挑み、どうやって敗れたのかは覚えている。彼女は急に浴びせられた非難の言葉に、自分の頭が冷めていくのを感じた。

 だんだんと思い出してくる。

 ――彼女は、彼女が記憶している通り、竜の破壊の跡や被害の話に憤り、エルカールの討伐を目指して、このマデラ山麓の竜の巣穴に挑んだ。

 しかし、竜は強い。そのことも、シルフィナは十分な程、理解していた。正面から名乗りをあげ、勝負を仕掛けるのは愚の骨頂だと知っている。それがどんなに愚かな試みになるのかの根拠となる文献は、枚挙に暇がないのだ。魔導師となるうえで、座学でさえ十分すぎる程に学んだことだ。シルフィナは、勝率を上げるために、巣穴に飛び込んだ瞬間に、先制攻撃を仕掛けると決めていた。

 当然、小手調べの一撃、などという悠長なことも考えてはいなかった。最初から全力で、最大火力の一撃を以て仕留めるつもりで、討伐に臨んだ。

 一方で、シルフィナは、魔法の弱点も良く学んでいた。それは無効化する手段も、また多種多様にある、ということだ。打ち消されてしまえば、どんなに高度な呪文も意味を成さないことは、魔導師にとってもっとも警戒すべき問題だった。

 彼女はその対策を、やはり最も得意とする魔法に求めた。付け焼刃で体術を修めたところで、対策になるとは思えず、それよりも、なぜ呪文は打ち消されるのか、の解析をする方がずっと有意義に思えたからだった。その研究の成果は、彼女が絶対的な一撃としているひとつの呪文に集約されている。

 当然、シルフィナがエルカールへの最初の一撃として選んだ呪文もそれだった。実戦であろうと、仮想空間での魔法対決であろうと、一度も破られたことがない必殺の呪文だ。それは対魔法障壁や魔法無効化能力による、魔法が存在しえない場にも魔力を通すトンネルを開け、その中を凝縮した魔力を駆け抜けさせるという、常人の魔力では制御しきれない術だった。凝縮された魔力は閃光となり、敵を討つ。それは物理的にも魔法的にも防御されない光線魔法となり、また、シルフィナのあまりに甚大な魔力の塊であるがゆえに、他者に耐えられたこともなかった。

 シルフィナの思惑通り、巣穴に飛び込んだその閃光による一撃は、不意打ちとなった。しかし、エルカールという竜もまた、常識では推し量れない竜で会ったことが、シルフィナにとって、不幸となった。

 あろうことか、その瞬間、ただの咆哮ひとつで、その絶対であった筈の術を退けたのだ。無効化されたのではない。文字通り、術を破壊されたのだ。だが、その事実を、シルフィナには悟る間もなかった。

 エルカールは憤怒の形相で、シルフィナのローブを引き裂きながら、彼女を鷲掴みにし、自然の岩肌である洞窟の床に、思い切り叩きつけた。あまりの速度に、シルフィナには、避けることも、抵抗することもできなかった。

 そして、その乱暴な扱いは、魔導師であるシルフィナにとっては、致命的なダメージを負うものでありすぎた。彼女はもんどりうつこともなく床に叩きつけられ、その衝撃を逃がす方法もなかった。彼女の記憶はそこで暗転し――

 その時の光景が、今、シルフィナの脳裏に蘇っていた。その時、エルカールが何かを叫んでいたことも。急激に遠ざかる意識の中で、シルフィナは、確かに自分が怒鳴られているのを、聞いていた筈だ。

 最初は、何を言われたのかを、思い出すことができなかった。ぼんやりとした意識の中で聞いたことで、その言葉もおぼろげだったような気がする。だが、自分が怒鳴られていたことだけは分かった。確かにそうだ。シルフィナは、なんとかその叱責を思い出さねばならないような気がした。

「あの時、わたしは、怒られました」

 その事実を口にしてみる。そうしたことで、急に、彼女は自分が言われた言葉を、鮮明に思い出すことができた。それは、子を持つ親としてはあまりに当然な、狂暴な人食い竜という印象とはかけ離れたものだった。

『子供に当たったらどうするつもりだ!』

 それが、エルカールの憤怒の原因だった。

 子を想う親の気持ちに、竜も人間もなかった。人間であっても、子供を巻き添えにされかけたなら、まったく同じ反応をしていたことだろう。

「あ……」

 シルフィナの視線が、彷徨う。雛を見つめ、エルカールを見上げ、また、雛に向いた。どちらに謝るべきなのか。それとも両方か。

 竜の雛がいずれ人々の脅威となる竜に成長するのだと思えば、人間から見れば、雛を殺すこと自体は必要な措置とは言える。だとしても、もし雛が巻き添えで死んでいたとしたら、シルフィナは、それを結果的によかったと言える気がしなかった。事故で雛だけを殺してしまっていたとしたら。それは単なる過ちだ。

「ごめんね。ごめんなさい」

 シルフィナは、雛に謝った。多くの言葉は出なかった。エルカールは彼女の術を退けたが、まだ幼い雛にすぎない子竜に同じことはできなかっただろう。もし射線上に雛がいたとしたら、この子が巻き込まれていたのだ。殺せなかったかもしれないが、死ななければいいという話でもない。彼女は、そう認めた。

「ごめんなさい」

 その言葉を、エルカールにも繰り返す。彼はただ、

「頭は冷えたか?」

 とだけ、聞き返した。

「はい」

 シルフィナが頷くと、不意に、彼女の足が、床についた。すぐに彼女の腕を引っ張り上げていた力が消え失せるのも感じ、彼女は自分が開放されたのだと、気付くことができた。

「何故殺さなかったんですか?」

 冷静になって、シルフィナには、ますます疑問に思えるようになった。自分が殺されていても仕方がないことをした自覚が芽生え、むしろ、命まで馬われなかっただけでなく、治療まで施されたことが奇跡に思えた。

「時が良かったことに感謝するのだな」

 エルカールはそう答える。時。タイミング。その意味は、やはりシルフィナには分からなかった。

「もしお前の襲撃が先月のことだったら、あそこの山と同じ運命を辿っていたところだ」

 山とは、積まれた白骨のことだった。


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