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最後の魔法は竜の背で  作者: 奥雪 一寸
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第一章 雛竜の名前(3)

 タイミングが良かったという、エルカールの発言の意味は、単純な背景ではなかった。

「俺も、雛を守る為であれば何でもするつもりで生きてきたが、いつまでも、雛に親元の庇護下で安寧を貪らせる訳にもいかぬのだ」

 それは、シルフィナにも理解できる。どんな生物であれ、親元を離れるべき、巣立ちの日は来る。だが、それだけであればシルフィナに関係のない話だ。彼女を生かしておく理由にはならない。それも、先に推測がついた。詰まる話、この雛特有の、しきたり通りにことを運べない理由があるということだ。

「察しが良いな。お前が考えている通り、この子は、事情がやや異なるのだ」

 と、エルカールが続ける。シルフィナの視線に、彼女が話を理解している、と読み取ったのだ。

「どこまでお前が竜のことを知識として知っているのかは分からぬが、知らぬ前提で説明させてもらおう。既に知っておるのならすまぬが。通例であれば、雄竜は、雛とは暮らさぬ。それは母竜の役目なのだ」

 その通例を曲げて、エルカールは雛を守っている。その時点で、さらにその先も察しが付く話だ。シルフィナは半分頷きながら、尋ねた。

「母竜が、いないんですね?」

「そうだ」

 と、エルカールは重々しく答えた。

「人間共に討たれた」

 シルフィナが聞く限りでは、奇妙な話だ。竜を討伐した者が、竜の雛を見逃すことは、まずあり得ない。負の連鎖に繋がることは明白で、放置することは推奨されていないからだ。殺すか、連れ帰って竜飼いに預けるか、いずれかの処置をすることが、常識になっていた。

「雛を放置することは、普通ないんですけど」

「だろうな。俺も聞いたことがない。いずれにせよ、この子は難を逃れ生き延びた。まことに稀有な例だ。俺はそれを知り、この子を自分の巣に連れ帰った。それはよかったのだが、やはり、雌竜のようにはいかなかった」

 と、嘆息を漏らし、エルカールが自嘲気味に、白状する。

「俺には雛を育てることができぬ。つまり母竜がする筈の教育のやり方が分からなかった」

 そう言われ、

「あ。そういうことですか」

 漸く話が飲み込め、シルフィナは雛を見た。何も教えられていない、まっさらな雛を、野性に放てばどうなるか、結果を見ずとも明らかだった。

「でも、わたしにも、竜の教育なんかできませんよ?」

 問題はそこだ。シルフィナは魔導師であって竜飼いではない。人間流の竜の育て方も、見聞で得た知識としてしか持ちあわせていない。実践できる訳ではないのだ。

 だが、エルカールは言う。だからこそだと。

「うむ。その方が良いのだ。人間の僕として育て上げられてはかなわぬ」

 言われてみればその通りであった。竜飼い(ブリーダー)に預けられるということは、将来的には竜乗り(ドラゴンライダー)達の相棒などになるということで、それはつまり、エルカールと敵対する未来ということだ。それは間違いなく悲劇的な結果だと、シルフィナにも納得できた。しかし、それとこれとは話が別だ。だからといって、シルフィナが責任もって子供を育てられるということではない。

「でも、待ってください。わたしはまだ一四で、他人の子を育てられる年齢じゃないです」

 それも竜の子だ。人間の子供が、竜の子を育てて、まともに育てることができるとは、とても思えなかった。シルフィナには荷が勝ちすぎる。当然のごとく、固辞するしかなかった。

「これで拒否したら食べられてしまうとしても。わたしは食べられる方を選びます」

「それだ。俺が欲しているのは、まさにその心構えだ。それをこの子と共に育んでほしい」

「そ、そういうんじゃなくて、ですよ?」

 押し問答は続いた。

「俺には雛に名前ひとつ満足につけてやれぬのだ。生涯背負って立つに相応しい名を思いついてやることもできぬ。笑ってくれて構わぬ。どうかこの子に免じて頼まれてくれぬか」

「う、で、でも、何故人間に預けようと? 人食い竜のあなたが」

「この子はまだ人の味を知らぬ。人間の肉は堅く、雛に与えるのには適さぬのだ。そのくらいは、俺にも分かる。そして、俺とて時に思うことはあるのだ。竜は人を疎み、人は竜を恐れる。その関係に終わりはないのかとな」

「それこそわたし個人でどうこうなる問題じゃないです。この子を人と竜の架け橋に育て上げるなどと、とてもじゃないですけど誓うことはむりです。絶対、わたしじゃだめです」

 互いの意見は平行線で、結論がつかぬまま、膠着状態でどちらからともなく、黙り込んだ。それを眺める雛だけが、何も分かっていないように、呑気にひとこと、

「がう」

 と鳴いた。

「俺は、お前にこの子の母親になってほしい訳ではない。竜と人の未来を背負えと言いたい訳でもない。時に母親役になることは必要かもしれぬが、そうではないのだ。ただ、時に姉として、時に友として、共に歩む未来を求めてほしいだけなのだ。親として、この子には、俺が思っているよりも、世界は世知辛いものではないと、感じてほしいだけなのだ」

 紛うことなく、それは親心だ。そのことは、シルフィナにも分かる。彼女が竜の雛を眺め、雛もそれに気付いて、僅かに首を傾げながら彼女を見つめ返す仕草など、思わず情が移りそうな程の愛らしさだと感じる。それは、シルフィナも、雛にはできるだけ幸福を見つけてほしいとは思う。

「わたしは、この子をあなたの敵に仕立て上げるかもしれませんよ?」

 そうならないとは、シルフィナには言えなかった。

「我欲を優先して、この子の心を踏みにじることを、お前の良心が許すまいと見込んでのことだ。もしお前がこの子を俺の敵として育てたのであれば、それをこの子の幸せだとするだけの相応の理由があったのだと、俺も受け入れよう。お前の純粋さを、俺は信じる」

 エルカールの言葉に、シルフィナはまた衝撃を受けた。反射的に、

「良心。良心ですか」

 という言葉が口を突いて出る。まさしく、違和感しかなかった。しかし、すぐにそれは自分が人間でしかないから、人間の敵としての竜の側面しか見ていないからだと、気付いた。

「わたしは、竜の視点は持てません。人間だから」

 シルフィナはさらに続けた。自分は人間で、竜の側の事情を推し量ることができても、人間側に立つことしかできない。人間側の常識では竜こそ悪で、人の暮しを脅かす魔物なのだ。何故なら、人の尺度で言えば、人を食らうことは、紛れもなく悪なのだから。

 勿論、竜の事情は分かる。エルカールが言ったことも理解できる。街を襲い、人を殺す竜は脅威で、だから竜の巣を攻撃する。竜から見れば、人が巣を攻撃するから、街を襲い、人を殺める。それは裏返しで、互いに互いが脅威となっているだけのことだ。善悪ではないのは分かる。理解はできるのだが、シルフィナは人間でしかなく、第三者として俯瞰的にその構造を傍観する立場ではなく、一方の当事者だ。人の安全を第一に願わずにはいられない。竜の安全を脅かしてでも。それが業だと言われようとも、エゴだと非難されようとも、シルフィナは、人間だった。

「分かっておる。責めるつもりはないと言ったつもりだ。だからこそ、なのだとも」

 エルカールが何度目か分からない頷きを返した。

「良心を信じるとはそういうことだ。お前は人として、この子に、お前がなってほしい竜を描けばいい。描くだけでいい。俺はそのことに文句を言わぬと約束しよう。お前が、それがこの子の幸福だと信じる限り、誓おう。お前には、この子の幸福を考えて行動することだけを、約束してくれるだけでいい。結果までは誓うことはない。幸福だと信じていた行動が、不幸に繋がることは、ままあることだ。行動の結果までを気に病み、責任を感じる必要はない。考えが足りなかった故のことかもしれぬ。抗いきれぬ境遇に陥ることもある。単に運が悪かったのかもしれぬ。そのいずれでも、俺はお前を責めはせぬ。お前が我欲からこの子の幸せを踏みにじったのでなければ。終わってみなければ、結果など誰にも分からぬものでしかない。俺も、お前のような子供に、そこまで苛酷な約束を求めはせぬ」

 エルカールの言葉は、静かで、噛みしめるようだった。言葉を選んでいるようでもあった。

「そもそも、俺が結果に対して、何を言えるのだ。子供の名前ひとつ、まともにつけてやることができぬ親だというのに」

 そう言って目を閉じ。開いた目を雛に向けると、ふと、良いことを想いついたとばかりに、告げた。

「名か。うむ、せめてこの子の名付け親になってはくれまいか。名をつけてやって欲しい」

「名前を、わたしが?」

 シルフィナは断りかけたが、自分でも信じられないことに、自然に出た言葉は、拒絶とはまったく別の言葉だった。

「エリオル」

 そんな名前を呟いていた。意味はない。ただ、ふと、その響きが溢れ出ただけだった。


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